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ラケルの虚  作者: 風間 秋
第1章:異郷
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期末試験6

 試験3日目の事件は不可解さを残しながらもゲームに近い形で発生し、平民主人公アイナとルドヴィク殿下の見せ場である撤退戦も大過なく終えることができた。あとは洞窟に立て籠もって、魔物の狂乱と副次的な産物である瘴気の活性が収まるのを待てば事はそれで片付く。

 プレイヤーが下手な欲を出さないかだけが不安だが、どう転ぼうと手を出すことはない。洞窟では会話イベントもあったはずなので、そちらに注力してくれれば幸いと考えるアズルトだ。


 使い魔は外の樹上に退避させてあった。

 魔族が実行犯と断定できないことから、別の動きがある可能性を考慮したのである。

 隠形術を持てる技術の限りを尽くし展開しつつ、周辺情報の収集に勤しんでいた。


 しかしその少女の声は、使い魔のすぐ傍らで前触れもなく発せられた。


「面白いモノを作るのね」


 そしてなんの抵抗もできぬまま摘まみ上げられ、その小さな掌の上に収まる。

 重力を無視して木の幹にしゃがみ込み使い魔(アズルト)を見下ろすのは、エフェナ・ナーシャ・レキュネラス――白鬼エルとして知られる天位の吸血鬼だった。


(クラーケン)の幼体と鳥の合成獣(キメラ)みたい。いま切りかけた魔力道(パス)を戻したでしょう、いい判断と褒めてあげる。こんにちは、リド」


 木漏れ日に白銀を帯びるエフェナはそっと微笑む。

 魔物の叫び声が絶え間なく飛び交う樹獄の中で、そこだけまるで別世界を思わせる夢幻のような光景だった。


 いや事実、外界の雑音を補正する結界が張られているらしい。

 音を遮断しているのではない。必要な音だけを選別して透過させている。あるいは聞く者が求める情報だけを知覚させる。そんな複合魔術。

 術式の複雑さから言って第11階梯相当にはなるだろう。


 隠蔽術式を看破されたことについてさして驚きはなかった。

 師ですらこの神代の怪物の眼を逃れる術は持たぬのだ。

 彼女がこの場に姿を現したことについても同様。

 影形が見えなくともいることは分かっていた。


 エフェナはプレイヤーを知っている。アズルトそう確信していた。

 主人公たち3人の中身が揃ってプレイヤー、なんて話が偶然であってはたまらない。逆にこれが必然であると考えてみれば――実にこの世界は興味深い。

 攻略のし甲斐があるというものだ。


 人生観が哲学であるならば、これは信仰とでも称すべきか。

 プレイヤーの混入が世界の必然であるなら、歴史の歪みにはプレイヤーの影を見ることが出来る。

 エフェナはそんな彼らを直に見てきてたはず。


 ただ彼女はプレイヤーとは違うとも考えている。

 それは直感だが、願望でもあった。


『お久しぶりですね』


 秘話通信の要領で文字を届ける。

 間髪を置かず送った術式の制御がエフェナに強奪された。そしてそのまま思念通信の回路が開かれる。

 思わず悲鳴を上げそうになるも、そんな暇もなくエフェナの声が魔識覚に届いた。


『……久しい?』


 実に嫌な予感のする響きだ。

 ふた月も経てば久しいと言って差し支えなかろう。だが相手は数千年を生きる吸血鬼。アズルトはそのことを失念していた。


 時間感覚がまるで違うのだ。人間の主観にしてみれば、ひとつ前の休養日ほどの認識なのかもしれない。

 先週末に会っておいて久しぶりと挨拶をされたらどう思うか。具合の悪いことに、アズルトは常日頃からエフェナを意識して行動している。


『そんなに会いたかったの?』

『言葉の綾です。いえ、社交辞令です』

『そう、謝罪するわ。待たせたみたいだから』


 そして困ったことに本気か冗談かの判断が難しい。

 冗談だろうとは思う。けれど断言できないのは、見透かされているのではないか、そんな疑心がアズルトにあるからだ。


 エフェナと関わることをアズルトは忌避している。

 それは彼女が本来の歴史では死んでいるはずの人間だから、ではない。

 魂を喰らい己の糧にする、普く()()の天敵――吸血鬼、その最後の生き残りであるが故に。


 人は第3次天使計画の詰めを誤った。

 彼女を滅ぼす最後の機会を逃した。


 教会が彼女の所在を掴もうと躍起になる背景には穏やかならざる事情がある。もっとも、彼女が吸血鬼である事実は禁忌として秘匿されているはずだが。

 兎にも角にも彼女は世界の敵であり、世界は彼女の敵に相違なかった。


 けれどそんな世の都合とは別に、アズルトはこの絶対的な強者に焦がれている。

 剣を交えられたならそれはどれだけ愉しいことだろう。


 師に殺されまいと、命を賭して足掻いた日々は苦しかったが満たされていた。

 今の生活も悪いものではない。戦えば確実に殺される化け物どもが蔓延る学園で、奴らに尻尾を掴まれぬよう立ち回り、与えられた任務を果たす。悪役令嬢の死の真相を探るというサブクエストまで用意されている。

 敵は魔族に、アイナ、それからシャルロットか。攻略対象もおまけでついてくるだろう。

 要救助者のリズベットは勝手に突っ込んで死ぬタイプの困ったちゃんときている。

 難易度はとても、高い。そこに不満があるわけではない。やりごたえがあってまこと素晴らしい限りだと思う。


 ただ、足りないのだ。

 追うべき背がアズルトにはない。クトは共に技を磨き競い合う相棒で、師はただ立ちはだかる壁だ。

 だからこそ求めてしまう。

 勝てぬのは承知。手も足も出ぬのも承知。それで良い。それが良い。

 技の一端を目の当たりにして以来、見果てぬ高みへと手を伸ばしたくて仕方がない。高く。もっと高くと。


 恩義には報いるべしを信条とするアズルトだが、根本のところは自分本位で欲深い人間だ。

 野望のため、愉楽のため。アズルトは手段を選ぼうなどという気は毛頭なかった。


 だが――。


 すべては命あっての物種だ。

 その点、エフェナはあまりにも危うい。


『待っていないと言っているんですが』

『ふうん』


 魔識覚ではなく思考の中にエフェナの意識が紛れた。

 まずい状況だった。

 なにがまずいって、精神干渉に対する魔術防壁が全力でエフェナの魔力を無視している。

 このままいけば思考を完全に掌握されるのも時間の問題。

 果ては記憶まで丸裸にされてしまう。


『誤解です』

『わたしも傷つくことはあるんだけど』

『貴女のことを思わぬ日は1日たりともありません』


 即答した。

 間を置けば良からぬ考えが脳裏に浮かぶと確信したからだ。


『嘘ではないけど求めている答えとは違う』

『あの、後生ですから思考を直に読むのは止めていただけませんか』

『こんな甘い術を使って、覗いてと言っているのかと思った』


 とてもいい笑顔でのたまう。

 被虐趣味の人間ならば歓喜したかもしれないが、残念ながらアズルトにその気はない。むしろ逆、エフェナに近い嗜好の持ち主だ。

 だからこそ相手が嫌がる流れも分かるわけだが。


『これだけ侵入しておいて誤解もなにもないでしょう。続けたいなら進んで手の内を晒しますよ』


 エフェナに防壁の制御権を与えると笑みから一転、むっとした表情になった。

 ただそれも束の間のこと、にんまりとひとつ笑みを見せると、やおら防壁の術式を書き換えはじめる。


 数千年生きてなお豊かな表情を見せるエフェナにアズルトが感嘆を示していると、使い魔が指で軽く弾かれた。

 抗議なのだろうが、それは果たして数千年に対するものなのか、子供っぽいという雑念に対するものなのか。


 他愛ない思案のつもりだった。

 けれどアズルトの持つ知識がその答えに気づかせてしまう。

 正真正銘の禁忌であるその答えに。


『吸血鬼は変われない』


 差し込まれた声に冷やりとしたものが頬を伝う。

 慌てて謝罪を述べようとするも、アズルトがそれを明確な意思に変換するよりも早く、再びエフェナの声が届けられた。


『それで、お目当てのものは見れたのかしら。そのためにわざわざこんなものを残したのでしょう』


 使い魔が突かれる。

 その所作から機嫌を損ねた気配は感じられない。

 だからというわけではないが、もはや形式的な意味しか持たない言葉を告げる。


『黙秘で、お願いします』


 エフェナには推察する材料は揃っているし、強引に垣間見ることも容易い。

 凡そ見当もついていることだろう。

 であればこそ、望まぬのなら望まぬと表明する必要があった。


 エフェナの良心に期待しているわけではない。そんな不確かなものに、アズルトは己の命運を預けたりはしない。

 問答の意図するものは別にあると考えるからこそ、自身の道楽に触れられることは拒んだのだ。


 存在そのものが神話に等しいエフェナが、卑小な不正騎士に興味を持っている。

 異常だ。気が狂ってると言ってもいい。だというのにそれがこんな、少しばかり条理を外れた程度の問いで形容できるほど、真っ当なものであってはたまらない。


『熱烈な告白をどうも。隠したいのならそれで構わない。わたしにとってはあなたがなにを知っていようとそれは些事。気にしてるのは浅慮で悪い虫に噛みつかれないか、それだけだもの』

『警告ですか。出過ぎた真似はするなと』


 すうっと眼が据わる。

 どうやらこれはエフェナの望む答えではなかったらしい。

 底冷えするひと言にその意思はまとめられていた。


『綱渡り』


 これには、歯噛みする他ない。

 持ち得る札はすべて使った。

 新たに魔族を特定し、アズルトの隠形が奴らの探知を上回ることを確認した。隠しボスの所在は推察だが、自身の偵察とクトの報告を合わせて判断を下した。

 人事は尽くしたと言える。


『目隠しをして、足元にあるのがなんなのかも知らずあなたは歩いてる。不快だわ』


 それでも、エフェナの眼には愚劣極まる軽挙としてしか映らなかった。

 口を挟まずにはいられぬほどに。


『……なにかを為したければ相応の力を示せ、と』

『せめて天位になりなさい。そうしたら認めてあげる』


 騎士の到達点が及第点の扱いである。

 逆を言えば脅威の水準はそれほどまでに高いということ。エフェナがアズルトの見通しの甘さに眉を顰めるのも無理からぬ話であった。

 おまけにアズルトが天位に至ることを確信している様子なのが憎らしい。


 ただ現実問題として、アズルトは天位にはなれない。


『俺に天位の実力が認められれば、師が嬉々として殺しに来ます』


 師は魔道を極めることに全身全霊を賭けている。

 文字通り命を魔道に捧げ、百年以上も昔に人間をやめ不死者に成り下がった。

 本来であれば魔に心を喰われ、すなわち堕天し、天位の魔――天魔として人類種に厄災を招く存在となっていて当然の運命だ。

 それがなお精神を人の側に置き続けている。尋常ならざる話だ。

 だがそこには認めがたい狂人の論理がある。


 師は魔道に注ぐのと同等の熱意を弟子の育成に傾けている。

 育て上げた黒位の数は他の天位を圧倒している。

 だが天位として名を知られる弟子はわずか2名ばかり。

 天位に至った弟子が彼らだけだったというわけではない。

 殺されたのだ。他はすべて。師、自らの手によって。

 師は天位を育て、殺し、喰らうことで、己の内の天魔の衝動を飼い慣らしている。


 迂闊に天位と認められるわけにはいかない。

 だからこそアズルトは基礎を固めることに腐心している。

 師が赤位と評した凡才だ。ただ天位の域に至ったのでは間違いなく殺される。

 備えが必要だった。師が想像だにしない備えが。


『嘆かわしいわ。死体から腕の一本も斬り落とせないなんて』

『あの腐れ爺がどれだけの天位を殺してるか知ってるでしょう。瘴土の東域であの糞袋に勝てるのはあなたくらいですよ』

『それであの子を育てているの?』

『悪いですか。俺はあの天魔もどきと正面から殺り合う気はありませんよ。こんなところで死ぬのはつまらないですから』


 あはっと薄い唇が弧を描いた。

 記憶領域の手前まで伸びていた魔力の指先がその境界をひと撫でして霧散する。


『そうね、つまらない。本当につまらないわ。……ねえ、リド。あなたならわたしの無聊を慰められる?』


 なんとも楽しそうに笑うものだ。

 アズルトはエフェナの笑みを眩しく思う。


『もうひとりに会いました。彼女では足りないのですか』

『あれではわたしを満たせない』

『その心は』

『手遅れだから』

『手遅れ、ですか?』


 アズルトにとっても聞き流せない言葉だった。

 けれどこの小さな吸血鬼は気まぐれだった。


『そこまでは教えてあげない。それにいまのあなたには為すべきことがある、違う? 学園が休みに入ったら会いに行ってあげる。この子はそれまでわたしが預かっておくわ』

『もう好きにしてください。ただ、休眠状態に切り替えさせてくれませんか』


 使い魔の魔術拘束が解かれる。


『ところであなたが残したこのえらい複雑な魔術防壁はなんです。2号起動した状態だと使った途端に魔力欠乏で倒れますよ』

『秘蔵の対吸血鬼用の防壁。吸血による魂魄の食害を防ぎつつ自己崩壊を誘うの』

『あなたに対する効果は?』

『ないわ』

『使い道ないですね……』

『わたしが満足する』


 その答えにどっと疲れを感じたアズルトは、本分を果たしてきますと告げると、使い魔を宝珠に似た結晶体へと変質させ、意識の主体を肉体へと戻したのだった。

エフェナが前面立って動くのは、学園の話がひと段落してからです。


体調を崩したので次も少し遅れると思います。

少しでも先に興味を持っていただけましたら、ブックマーク・評価等をよろしくお願いします。

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