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冴木&有栖川シリーズ

スイーツと謎解きはいかが? A little charm

作者: 霧氷 こあ

 カーテンを開けると、暖かい日差しが飛び込んできた。早起きは三文の徳というが、この朝日は三文以上の価値があるだろうと、有栖川(ありすがわ)みれいは寝起きの頭脳でそんなことを考えた。

 早速、ベランダに布団を干す。天気の良い日は何か干したくなるみれいだった。

 冷蔵庫からお茶を取り出してソファーに腰かける。スマートフォンのホームボタンを押すと、飼い犬の柴犬、伊三郎(いさぶろう)が映し出された。もっとも、今住んでいるアパートはペット禁止なので伊三郎は実家にいる。問題なのはそこではなく、伊三郎を覆い隠すようにでかでかと表示されている時刻だった。

「十一時……四十分……」

 失われた三文の喪失は大きく、みれいはよろよろと洗面所に向かった。冷水で顔を洗うと幾分か意識もはっきりとしてくる。そうだ、今日は休日だ。せっかくの休みだし、どこか遊びに行きたいものだ。三月も終わりに近づいているが、世間は絶賛春休み中である。周りが遊んでいるなら自分だって遊びたいものだ。

「夢の国とかに行ってみたいですわね……あ、でももう昼前でしたわ。あら?」

 洗面所から出たところで、玄関にチラシが落ちていることに気付いた。チラシ受けが壊れているせいで、投函されるものは全て玄関に散らばってしまう。この間は、水のトラブルなら何でもお任せ、と書いてある小さいマグネットが靴の中に入り込んでいたようで気付かずに半日ほど履いていた。たまたま部室で靴を脱いで寝転がったあとに気付いたので、一緒にいた瀬戸(せと)(あかね)に「備えあれば憂いなしってやつね」と真面目に返答されて恥をかいたばかりだ。確かあの時はしどろもどろになりながら「こ、これを入れて履くと水難に合わなくなるっていうおまじないですの」と苦しい言い訳をした覚えがある。一応口止めはしておいたが、不敵な笑みを浮かべられたのはいうまでもない。

 苦い思い出を噛みしめながら、チラシを拾い上げる。途端、みれいに電流が走った。無論、静電気ではない。今この部屋に誰かいたとしたら、みれいの頭上に豆電球がぽんっと浮かんだのが視認できたかもしれない。そのレベルの閃きだった。

 みれいはそそくさと寝間着からお気に入りのワンピースに着替えて、髪を梳かすとサンダルをひっかけて玄関を飛び出す。目指すは数歩先、隣の部屋だ。

 ドンドン、と扉を叩く。この部屋はインターホンが壊れているので、押しても家主の反応は得られない。もっとも友好的な策は……。

 ドンドン、ドンドン、ドンドン。

 もう一声、と思ったところで鍵が開く音がした。映りの悪いテレビと隣部屋の扉はこの手に限る。

「一回ノックすれば聞こえるからね。近所迷惑だ」

 まだ寝癖の残る髪のまま、Tシャツにジーパン姿の冴木賢が、不機嫌そうに顔を出した。

「冴木先輩、大ニュースですわ! ほら、このチラシ!」

 みれいが冴木の顔にチラシを押し付ける。すぐさまもぎ取られたが、もうそんなことはどうでもよかった。早く冴木と出かけたかったのだ。断られるようなことはないだろう。チラシの内容が内容なのだ。

「スイーツビュッフェ、スノーホワイトオープンセール?」

 機械のように読み上げた冴木がチラシを見たまま静止している。読み込みエラーでも起きたのかもしれない、またこの拳が叩くものが増えそうだ。

「有栖川君」

 読み込みは正常に終わったようだった。さっきよりかは幾分かマシな声色である。これを察知できるのは、みれいぐらいだろう。普段から感情の起伏が全くないせいで、他の知り合いからは朴念仁だとか生きたゾンビとか言われているのだ。本人の耳にも入っていそうだが、そこまで立ち入った話はまだしたことがなかった。

「はい、何ですの?」

「君の言いたいことは分かったよ。もう隣人として、同じサークルメンバーとして長い付き合いだからね。当然僕が実はスイーツが好きだということも知っているんだろう」

「ええ、もちろん存じておりますわ。ピーマンが嫌いなのも」

「……だから結論だけ言う。僕は行かない」

「え!?」

 これはみれいが思ってもいなかった反応だった。この間はレアチーズケーキのことを忘れてないだろうな、なんて釘を刺すぐらいには固執していたスイーツだというのに、断るだなんて。もしかしたら今日、地球は滅びるのかもしれない。過去に戻れるのだとしたら、ノストラダムスに今日が地球の終わる日だと伝えてあげたい気分だ。

 納得できない表情のみれいを見てか、冴木が気だるそうに補足した。

「行かない理由は二つある、まず第一に僕はこれからお昼ご飯を食べるところなんだ。出来上がった焼きそばがいまかいまかと僕を待っている。そして第二に、君と二人でそういったお店には入りづらい」

 焼きそばを作ってしまったというのは頷けたが、第二の補足が納得できない。人口的には女性率の高いお店に、男女二人で入っていくのが恥ずかしいということなのであれば、冴木を困らせる絶好の機会である。それを悟ったからこその補足なのだとしたら、なかなかに抜け目のない考察だ。

「どうしても、無理ですの?」

「今言った通りだ」

 この短時間で、これだけ会話出来ただけでも収穫があったと思うべきだろうか。スイーツ関連だったせいかいつもよりかは饒舌(じょうぜつ)だったような気もした。仕方がない諦めよう、となるのが常人の考えかもしれないが、みれいは違う。冴木は、わりと流されやすいタイプなのだ。それは川に浮かぶ枯れ葉のような、またあるいは、春風に舞うタンポポの綿毛のような。

 さて、どうやって嫌がる冴木先輩をスイーツビュッフェに連れていこうか、と思案し始めたところで横やりが入った。

「あ、おにぃ居るじゃん! ほら、(しゅん)おいで」

 アパートの廊下に目をやると、見たことのない女の子が手を振っていた。薄い紫のカーディガンに、膝丈ほどの白いチュールスカートが春らしさを出している。茶色に染められたセミロングはカールしており、俗に言うゆるふわな感じだった。そしてその後ろに隠れるようにして立っていたのが、背の低い男の子だ。瞬と呼ばれたその子は、黒い髪を短めに切り揃えられていて、白いTシャツに緑っぽいカーゴパンツを履いている。斜め掛けのトートバッグにはメロンソーダがプリントされていた。

「冴木先輩、どちら様ですの? おにぃって……」

「妹と弟だ」

「え!? なんでもっと早く教えてくれなかったんですの?」

「そんなこと訊かれてないだろう」

 本日二度目の驚愕に、目を丸くしながら冴木とその妹弟を交互に見る。確かに弟のほうはそこはかとなく似ている気がした。恐らく小学校高学年ぐらいだろう。まだ子供っぽさがあってかわいらしいが、目元が似ている。高校生ぐらいにでもなれば、「何をしているの?」という質問に「呼吸をしている」なんていうふざけた答えを言いそうだ。それにしても、驚くのは妹のほうである。ファッションにかなり気を遣っているし、死んだゾンビなどと呼ばれている兄とは正反対に見えた。つまり、生きた人間ということになる。言い換えてみると、普通だった。そもそもゾンビは生きているのか死んでいるのかどっちに定義するべきなのか、と考えが別次元にスリップしそうになる。

「初めまして、冴木 (りん)です。こっちは弟の瞬です。ほら、挨拶して」

 凛の後ろにいた瞬がぺこりとお辞儀をした。

「こんにちは」

「ええ、こんにちは」みれいも礼儀正しくお辞儀をした。「有栖川みれいと申しますわ。さぁ、お二人ともどうぞお疲れでしょうから中にどうぞ」

 みれいが冴木の部屋の扉を開けて手招きする。

「ここ僕の部屋なんだけど」

 そんな呟きはなかったかのように、凛は瞬の手を取ると招かれるままに部屋に入ろうとする。

「わー、おにぃの部屋初めてだ」

「分かった」突然、冴木が片手を前に出した。「僕の部屋に四人は狭い。二人とも、お昼は食べたの?」

 瞬がふるふると首を横に振った。

「有栖川君、君の案に乗るよ。凛、用事は別に僕の部屋じゃなくても大丈夫だろう?」

「え? あ、うん。図書館に行く前に生存確認しにきたんだよ。最近たまに来てインターホン押しても反応ないんだもん」

 どうも、壊れたインターホンのことは伝えてないらしい。冴木は五分待ってくれと言って部屋に消えていった。廊下に三人が残される。

「あの、有栖川さんでしたっけ」凛が話を切り出した。「もしかして、おにぃの彼女なの?」

「うーん、えっとね、私はワトソンですわ」

「ワトソン? それってあの、シャーロックホームズとかに出てくるワトソン君?」

「そうそう、そうですわ。よく知ってますわね」

「うちはお母さんが算数の先生やってるんですけど、勉強も兼ねて本を読むことが多かったみたいなんです。結構色んな本が置いてあるんですよ。雑読だから、シャーロックホームズもあれば、スティーヴンキングとか、トマスハリスとかのホラー系も……あ、おにぃも読んでましたよ」

「聡明なお母さまですわね。チョイスがいいですわ」

「そう……なんですか?」

 凛は意味が分からないようで瞬に視線を送る。瞬はただ首を傾げるだけだった。

「ともかく、ワトソンってことは彼女ではないってことなんですね。おにぃには勿体ないように感じたんです」凛が腕汲みして何度も頷いた。「えっとそれで、どこに行くんです?」

「スノーホワイトですわ」

「今度は、白雪姫?」

「そうそう、そうですわ」

 凛はまたも意味が分からないようで瞬に視線を送る。やっぱり彼も首を傾げるだけだった。




 宣言通り五分後に、冴木が部屋から出てきた。焼きそばはラップをして冷蔵庫にしまってきたらしい。今日の晩御飯になるのだろう。

 目的地までは歩くと多少時間がかかるため、冴木の車に全員で乗り込むことになった。

「わぁ、おにぃ車なんて持ってたんだっけ?」凛が瞬と一緒に後部座席に乗り込んだ。「結構広いね」

「譲り受けたんだよ」

「お通夜にも、お兄ちゃんこれで来てたよ」瞬が説明した。

「瞬、よく覚えてるね」

 凛が関心したように瞬を見た。その通夜にはみれいもいたわけだが、時間が合わなかったのか二人を見た記憶はない。

 車は滑らかに駐車場を出て、国道に抜けた。昼時だが、そこまで道は混雑していない。窓を開けると心地よい風が頬を撫でた。

「二人は電車で来たんですの?」助手席に座っているみれいが後ろを振り返る。

「そうです。といっても、二駅ですけどね」

「じゃあ実家からそう遠くないんですわね」

「あのさ、有栖川君。そうやって僕の個人情報を詮索するのはやめてもらえるかな」

「冴木先輩、私は凛ちゃんたちと話しているんですの」

 やり取りを見ていた凛がクスクスと笑う。

「仲いいよね、あの二人」

「うん」瞬が素直に頷く。

 そうこうしているうちに車は目的地、スノーホワイトの駐車場にたどり着いた。休日の昼過ぎということもあって駐車されている車は多かったが、運よく一台分空いていたのですぐに停めることができた。

 色鮮やかな宣伝ポスターが貼られている。わくわくしながら扉を開けると、可愛い制服を着た店員が元気な挨拶をして出迎えた。

 みれいたち四人は案内されるがままに奥のテーブルへ腰かける。他のテーブルには女性客が目立つ。それ以外は家族連ればかりだった。店員さんから、制限時間内ならいくらでもおかわりしても良いが、なるべく残さないようにお願いしますと説明を受けて各々が順番にスイーツを取りに行った。

「思っていたよりも種類が多いね」冴木が早速取ってきたレアチーズケーキを頬張る。「味もしっかりしている」

「開店したばかりなんですから、当然ですわ」

「その理論だと、老舗の味ってのが台無しだね」

「まぁ、いいじゃありませんの」

 みれいのお皿にはモンブランとガトーショコラが乗っている。なんだか見た目が茶色っぽいものばかりになってしまった。向かい側に座っている凛を見てみると、ティラミスと小さい器に入ったかぼちゃのプリンのようなものが乗っている。瞬のほうは苺のショートケーキとベイクドチーズケーキだった。

 しばらくケーキの感想を言いながら何度かおかわりをしたが、二十分もしないうちにお腹が膨れてきてコーヒーに逃げることになった。やはり、甘いケーキにはコーヒーが合う。

「ところで、二人はどうして僕の家にわざわざ来たわけ?」

 冴木が何個目かもわからないレアチーズケーキを食べ終えて質問した。どうも気に入っているようだ。

「うん。お母さんが、連絡取れないのが不便だから、早く携帯買って教えなさいって」

「あ、そう」

「もう……おにぃはいいかも知れないけど、私が色々言われるんだからね」

「もしかして、まだ小テスト作るのとか手伝わされてるの?」

「そうよ。元はといえばね、おにぃが一度手伝ったからいけないんだよ。学年主任に褒められたんだって喜んで帰ってきてから事あるごとにおねだりしてきてたでしょう。大体おにぃは――」

 食べ放題の時間はあと三十分ほどだが、なんだか長い話になりそうである。

 冴木は携帯もなければ家に固定電話もない。確かに離れて暮らしていると――といっても二駅分の距離らしいが――心配になるのかもしれない。かくいうみれいも、ほとんど家出に近い状態で家を飛び出して安いアパート暮らしをしているので会話に入りづらかった。

「それを言うためだけに、わざわざ二人で来たわけ?」

 冴木の視線を受けた瞬は、プリンを食べ終えてから話し出した。

「ちょっと分からないことがあって、お兄ちゃんなら分かるかなって」

「あ、やっぱり瞬も何か言いたいことがあったんだね」

 どうやら凛も内容は知らないようだった。

「勉強なら私にお任せですわ」

 みれいが胸を張っていうと、瞬は首を横にふるふると振った。あんたじゃ頼りない、という意味合いではないだろう。

「ノートと、消しゴムのこと」

 全くもって何のことが理解できなかった。冴木家の人間にしか伝わらないものなのだろうか、と冴木と凛を盗み見たが、ぴんときていないようだった。

「もう少し詳しく教えてくれる?」

 冴木がフォークを置いて、姿勢を変えた。瞬は持ってきていたメロンソーダのトートバッグに手を突っ込むと、一冊の方眼ノートを取り出した。表紙には算数と書かれていて、その下に五年三組冴木瞬と書いてあった。

「ここがね、変に折り目がついてるんだ」

 瞬は算数のノートを真ん中のあたりまでめくってから、こちらに広げてみせる。そこはまだ何も書かれていないマス目だけがある部分だった。確かに思いっきり開いて折り目をつけてある。机の上に置いて手を放しても、開いた状態を維持していた。

「土曜日に家で勉強してる時にはこうなってなかったんだ。だけど、月曜日に学校に行って使うときに、こうなってた」

「ランドセルに入れるときに、開いたままになっていたとかじゃありませんの?」

 みれいが簡単に言うと、瞬は真剣な顔で首を横に振った。そんな単純な話ではない、と目が訴えている。

「誰かクラスの子が、ノートをコピーしたんでしょ」

 そう言ったのは凛だった。確かに、この折り目はコピーを取るときに綺麗に印刷できるようつけたように思える。でも不自然だ。

「まだ何も書いてないページをコピーする意味って、何かあるんですの?」

「それは……」

 凛もそこまでは考えていなかったようで、言葉に詰まる。折り目のついたページが、授業内容を書き留めてある部分ならば、学校を休んだ、あるいは居眠りでもしていてノートを写し忘れたクラスメイトがこっそり写そうとしたとも考えられる。試しに他のページも見てみたが、綺麗に数式や図形が書いてあるだけで、折り目はなかった。

「まぁ二人とも」冴木はまだ冷静にノートに目を落としている。「まだ続きがあるだろう、瞬。消しゴムは?」

 そういえば瞬はノートと消しゴムのことを聞きたいといっていた。まだ情報が出揃っていない状態で議論しても無駄というわけだ。瞬は待ってましたと言わんばかりに、メロンソーダのトートバッグから筆箱を取り出す。筆箱は、長方形の缶のような質感のものだった。ロックを外すと軽い音と同時に蓋が空き、中が見える。鉛筆が一本とシャープペンシル、もう少しで使い果たしてしまいそうな小さい消しゴム。消しゴムのカバーは、ハサミで切ったのか消しゴム本体の大きさに合わせてあった。

 筆箱はお弁当箱のように二層式になっていて、まだ下の部分にものが入っていた。シャープペンシルの芯と、赤ペンに、マーカーペンが数本。その中に、まだ新しい消しゴムがあった。瞬が、その新しい消しゴムを取り出す。

「これが、おかしな消しゴム」

「おかしなって、どういうこと?」凛が質問した。

「これもノートに折り目がついた日と同じときに気付いたんだけど、二限目の国語のときに、シャーペンの芯を変えようと思ったら消しゴムのビニールが剥がれてたんだ。新品で、まだ開けていなかったのに」

「確かに新品の消しゴムってビニールで包まれてるけど……自分では開けてないんだよね?」

「うん。古いのを使い切ってから使うつもりだったから」

「えっと、じゃあなに。その月曜日の間に、瞬の知らない間に算数のノートに折り目がついて、消しゴムは使われてたってこと?」

「消しゴム、使った痕跡はないんだよ」

 確かに瞬の持っている新品の消しゴムは仕事をこなしているようには見えない。真っ白で、少しも黒い部分はなかった。

「なるほど、ここは名探偵有栖川みれいにお任せですわ!」

「あれ、ワトソンじゃありませんでしたっけ?」

 凛の突っ込みはスルーして、みれいは瞬に向き直ると大袈裟に咳払いをした。

「ごほん、では、一つ質問をよろしいです?」

 瞬は無言で頷いてから、冴木を一瞥した。止めないのか、とでも思っているんだろうか。みれいにも矜持(きょうじ)というものがある。ここは一つ、大人の威厳というものを見せてあげようではないか。

「その月曜日の時間割を教えてくださる?」

 今回の算数ノートの折り目、新品の消しゴムのビニールは他者の介入によるものだろう。そしてこの二つは、瞬の席にしまわれているはずだ。瞬が席にいないときに、犯行が行われたものだとすれば、自然と犯人を見つけられる気がする。

「音楽、国語、体育、英語。その後に給食、掃除で五限目が算数。後はホームルームをやって、部活がある人は部活。僕は吹奏楽部だから、音楽室に行ったよ。でも部活に行くときは荷物も持っていってた」

「あ、じゃあ一限の音楽と、三限の体育が怪しいんじゃない?」凛が人差し指を立てて説明を始めた。「音楽の時は音楽室に行ったでしょう?」

「うん、その時の音楽は合唱の練習だったよ。体育も、全員で体育館に行った」

「つまり、どっちも筆記用具は持って行かなかったんだよね?」

 瞬はこくんと頷いた。みれいが言おうと思っていたセリフを全て凛に言われてしまったのは悲しかったが、ここからが名探偵の手腕の見せ所である。

「犯人は、音楽の授業のときにノートと消しゴムを瞬君の机から奪ったんですわ!」

「犯人って、ずいぶんな言い方だね」黙っていた冴木が呆れたように呟いた。

「まぁ、それもそうですわね。では仮に(エックス)と仮定しますわ」

「あ、なんかミステリーっぽい!」凛が両手を合わせた。「じゃあXは音楽の授業中に犯行に及んだんですね!」

「ええ、そうですわ。それが出来たのは教員、あるいは別のクラスの人物」

 合唱の練習ということだから、忘れ物をして教室に戻る、なんていうクラスメイトがいないのは確かだ。いや、でももしかしたらお手洗いに行くといって教室まで戻った可能性もある。

「誰か合唱のときに音楽室から出た人はいらっしゃいます?」

「二人いるよ。楽譜が抜けてたみたいで、取りに戻った瀬名さんと、トイレに行った谷口君」

「ではその二人のどちらかがXということになりますわ」みれいは顎の下に手を添える。「楽譜を取りに行った際に、瀬名さんがノートと消しゴムと手にした場合と、トイレに行くといって本当は教室に向かい、ノートと消しゴムを手にした谷口君。うーん、どっちもあり得そうですわね」

「あの、有栖川さん」凛がそっと手を挙げた。「どうしてXは、算数のノートと新品の消しゴムが必要だったんでしょう」

「…………」

 誰なら犯行が可能か、という場面にばかり着目していて動機を疎かにしていた。

「それに、算数のノートをコピーしたXは何者なんでしょう。だって、コピーしたってことはコピー機まで行ったってことですよね。ねぇ、瞬。コピー機ってどこにあるっけ?」

「……たぶん、職員室と印刷室。あとは分かんない」

「仮に音楽室から抜け出した二人が先生の目を盗んでコピーしたとして、それをまた元に戻して音楽室に戻るまでそこそこ時間がかかりそうじゃない? その、瀬名さんと谷口君は戻ってくるのが遅かったの?」

「ううん、結構すぐに戻ってきたと思う。谷口君は洗った手を服で拭いたせいで服が濡れてて、からかわれてたよ」

「仮に先生だったとしても、生徒の持ち物を勝手に触るなんてないだろうし……」凛は腕汲みして両目を閉じる。「そもそも消しゴムも、なんで新品の封を切っただけなんだろう」

 消しゴムに関しては、みれいもさっぱりわからなかった。本当は瞬自身が自分でビニールを剥がしたのを忘れているだけではないかとも思ったが、冴木が何も言わないということはそんなど忘れではないということだろう。

 考え方が間違えているかもしれない。消しゴムは消す以外に何に使うんだろうか? それに、瞬の筆箱は二層式になっている。ただ単に消しゴムが必要ならば、上段にあった使いかけの消しゴムでもよかったのではないだろうか。だが、実際Xは下段にある新品の消しゴムに手を触れたことになる。

「その消しゴムは、もしかしたらもう生産が終了した超プレミア品だった。みたいなことはありませんの?」

 みれいが質問すると、瞬は首を横に振った。

「普通に、みんなが使ってるやつだよ」

「うーん……なるほど、分かりましたわ」

「えっ」凛が目を丸くする。「何かわかったんですか? 有栖川さん」

「ええ、分からないということが分かりましたわ」

「…………」

「あの……冴木先輩」みれいは弱々しくうなだれる。「もう探偵稼業は引退しますわ。何か分かります?」

 冴木は先ほどから黙ったままだ。みれいと凛があーでもないこーでもないと議論しているあいだも、特に何も意見しなかった。何か少しぐらいわかっていそうな気もする。

「うん。多分こうかなっていうのは見えてるけれど、確認をしないで憶測で話すのもね」

「えっ、もうそんなに分かっているんですの?」

「今回の問題は、有栖川君にだけ不利だね」

「どういうことですの?」

 不利とはどういうことだろうか。この四人の中で一人だけ不利? それにしても今のやり取りの中に、そんなにヒントが散りばめられていただろうか。みれいはもう一度頭の中で推理してみる。

「ちょっと、おにぃ。勿体ぶってないで教えてよ」

「だから、確認しないで話すのもっていっただろう。ちょっと、有栖川君。携帯貸してくれる?」

「ええ、構いませんわ」

 みれいは言われるがままにスマートフォンのロックを解除してから渡す。

「えっと、番号を打つ画面にしてくれる?」

「ごめんね」なぜか凛が謝る。「おにぃ、機械音痴だから」

 みれいは画面を少し操作してから、再び冴木に手渡す。冴木は何度か画面に触れてから、耳に当てた。

「もしもし。母さん? 僕だけど」

 相手は電話を寄越せといっていた母親のようだった。どうしてこのタイミングでかけたのか、みれいにはさっぱり分からなかった。音量を最大にしているからか、声が漏れて微かに聞こえてくる。

『あんたあれでしょ、オレオレ詐欺だね? 息子の名前を言ってみなよ』

「いや……詐欺じゃない。賢だよ。今、凛と瞬もいる」

『あれま! どうしたのあんた、何? 携帯もう買ってたの? 連絡の一つも寄越さないで』

「ちょっと携帯を借りて電話してるんだ。携帯はまだ買ってない。買ったら教える。それより訊きたいことがあるんだけれど」

『はーもうあんたって子は。いつもそうやって用事があるときしか話さないんだから。全く、何だい?』

「瞬の算数のノートを使ってコピーを取っただろう。小テストで図形か何か作ったのか?」

 みれいはまたも電流が走った気分だった。小テストの図形。算数のノートのコピーされた部分はまだ何も書かれていなかった場所。つまり、方眼紙のマス目が必要だったのだ。凛が言っていたではないか。お母さんが算数の先生だ、と。そしてその情報を得たとき、冴木は焼きそばにラップをかけに行っていた。だから、冴木からしてみれば、今回の問題はみれいにだけ不利、だったのだ。

 凛もぽかんと口を開けている。そういえば先ほど凛と冴木の会話にも、気になる節があった。

 ――もう……おにぃはいいかも知れないけど、私が色々言われるんだからね。

 ――もしかして、まだ小テスト作るのとか手伝わされてるの?

 ――そうよ。元はといえばね、おにぃが一度手伝ったからいけないんだよ。学年主任に褒められたんだって喜んで帰ってきてから事あるごとにおねだりしてきてたでしょう。大体おにぃは――。

「奇抜な問題を作らなくたって、教科書とかにある図形を真似ればいいじゃないか」冴木が呆れたように話しかける。

『分かってないね。あんたは。算数や数学はね、応用が大事なのさ。見たことある図形じゃ何もそそられないの。分かる?』

「分からない」

『それにね、こないだの試みは面白かったのよ。一クラスに五つの班があるんだけどそれぞれの班に図形問題を作ってもらって、一クラス五問の小テストを作るのさ。それを一組からの挑戦状って形で二組に、二組で作った問題は三組にってそれぞれが作った図形の小テストをさせるのさ」

「ふぅん。回りくどいことをするね」

『いいかい、瞬。問題は解くだけじゃない、作るのも一つの楽しみなのさ。よく言うだろう、何かを教える人ってのはそれだけ熟知してなきゃ教えられないって。簡単に解けない問題を試行錯誤して作り出していくことで、算数の楽しさを知ってもらおうと思ったのさ。どう? いい先生じゃない?』

「それは分かったけど、図形問題の作り方を教えるためにマス目の書いてある紙が欲しかったってこと? わざわざコピーしなくても買ってこればいいのに」

『しょうがないじゃない、大学ノートしか持ってなかったし。でも生徒はみんな、方眼紙ノートだったからね。なるべく同じ条件じゃないと分かりにくいって子もいるんだよ。そんなことを問いただすために電話してきたのかい?』

「そう。今度携帯を買ったら教える。それじゃ」

『あ、ちょっと賢!』

 冴木は通話を切って、スマートフォンをみれいに返した。僅か数分の通話で、算数のノートの謎は解明されてしまった。瞬は、土曜日に勉強しているときは、といっていた。恐らく日曜にでも母親がノートをコピーしたのだろう。気付いたのが月曜日だったせいで、月曜日に起きた出来事だと思っていたのがいけなかった。

「冴木先輩」

「悪いね、家庭の事情に巻き込んで」

「いいえ、今回もフェアでしたわ」

「……凛と何か話したのか」

 すると、突然黙っていた瞬が立ち上がった。

「待ってよ、お兄ちゃん。それじゃあ僕の消しゴムは誰が触ったの?」

 それは最もな質問だった。算数のノートをコピーしたX――冴木母――と消しゴムのビニールを取ったX。Xは二人存在したのだ。

 冴木は軽く頬を掻いて「それは分からない」と答えた。

 みれいの、冴木の感情変化をいち早く察知するレーダーが反応する。何だかいつもと違う受け答えに感じた。これは、きっと間違いないだろう。

 冴木は嘘を吐いている。

「それはそうと、瞬。もうじき食べ放題の時間も終わる。最後に一つ何か取りに行こうか」

「う、うん。お兄ちゃんでも、分からないことがあるんだね」

 残念そうな表情を浮かべながら、瞬はお皿を持って立ち上がった。隣にいる冴木も立ち上がる。

「有栖川くん、ちょっと……」

 席を立った冴木が耳打ちしてくる。

 ほんの一言、二言だった。

「じゃ、頼むよ」

 言い終えると、先に向かった瞬を追うように冴木は離れていった。

 みれいは自分に鳥肌が立っていることに気付く。別に、耳元で話されたのがくすぐったかったとか、恥ずかしかったとか、気味が悪かったとかそんなことではない。これは一種の、なんだろう。カタルシスとでもいうだろうか。

「どうかしたんですか? 有栖川さん」

「凛ちゃん、ちょっと新品の消しゴムをとってくださる?」

「うん」

 凛は素直に新品の消しゴムを取ってみれいに渡した。

 みれいは、冴木に言われたとおりに行動する。

 それを見ていた凛が「あっ」と声を上げた。




 どうも、スイーツを堪能しているあいだに、通り雨でも降ったようだった。晴れているが、離れた場所にうっすらと曇天が見える。小さな水たまりを避けて、みれいたちは車に乗り込んだ。

「おにぃ、携帯買ったら教えてよね」

「そのうちね」

 凛と瞬を図書館に送り届けて、みれいと冴木は車で家に戻った。スノーホワイトのスイーツはどれも絶品で、お腹いっぱい食べたけれどすぐにまた行きたいという気持ちになった。冴木も、なかなかいいお店だった、と車内で零していた。また機会があれば、今度は二人きりで行ってみたいものだ。

 アパートの裏手にある駐車場に入り、エンジンがストップする。そういえば冴木の助手席に乗ったのも久しぶりだったと思い返した。

「それにしても冴木先輩。どうして、消しゴムのこと分かったんですの? ああいったものとは無縁の存在に思えますのに……」

「散々な物言いだね」

「だって、それぐらい衝撃的だったんですもの」

「つい最近、似たようなことをした人を知っているんだ」

「あら、それは乙女チックですわね」

「まぁ、君のことなんだけれど」

「え?」

 みれいの記憶にはそんなことをした覚えは全くない。誰かと間違えているのではないかと疑う。

「さすがにサンダルの中には、入れてないだろうね」

 冴木の口元が僅かに緩んだ気がした。これもみれいが今まで冴木を観察してきたからこそ分かる微妙な変化だった。

「も、もしかして、茜ちゃんから聞いたんですの? 靴に入ってたマグネットのこと……」

「うん。水難に合わなくなるおまじないだったかな?」

「いちいち言わなくても結構ですわ! もう、茜ちゃんにこのことは内密にってお願いしましたのに……」

 みれいは自分の顔が熱くなるのを感じた。どうしておまじないなんていう言い訳が出たのか自分でも不思議だったのだ。

「でも、瞬君の消しゴムに書いてあったおまじないは、叶うといいですわね」

「さぁ、そういうのはよく分からない」

「相変わらず、人の気持ちには鈍感というか、興味なしというか……冴木先輩らしいですわ」

「別に。でも、どうでもいいっていうことではない」

 嘘を言っているようには思えなかった。昔の冴木なら、自分には関係ないことだからとでも言いそうだったが、何か冴木の中で変化しているものがあるのかもしれない。

「それならどうして、瞬君の消しゴムに瀬名さんの名前が書いてあったことを教えてあげなかったんですの?」

 みれいは、瞬の消しゴムを思い返す。カバーを外した消しゴムの本体に、瀬名みどり、とマジックで名前が書いてあった。凛が言うには、好きな人の名前を書いた消しゴムを使い切ると両想いになる恋のおまじないが学生の中で流行っている、とのことだった。瀬名、という苗字は音楽の授業のときに楽譜を取りに戻った子だ。本来は自分の消しゴムに書くものを、瞬の消しゴムにも書き込むとは抜かりがない。上段にあった消しゴムはだいぶ小さかったから、諦めて新しい消しゴムを開けて書き込んだのだろう。瞬の使い古しの消しゴムは、カバーを本体のサイズにハサミで切り揃えておくぐらいには几帳面だった。中に書いてもばれないと思ったに違いない。実際、本人は気付いていなかったわけだし、成功だったといえる。

「本人同士の問題だよ。多分、同じ吹奏楽部なんじゃないかな」

 そう推理する冴木の横顔をみて、みれいは微笑んだ。やっぱり、彼は私の名探偵だ。

 車を降りて、自分の部屋を見上げる。二階にある自分のベランダには、起きたときにすぐ干した布団が見える。

「あっ」

 足元はぬかるんでいる。通り雨が降ったのだった。冴木もみれいの視線を追ったのか、納得したように呟いた。

「おまじないの効果、なさそうだね」

 みれいは意地になって答える。

「今日はサンダルですのよ……」

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― 新着の感想 ―
[一言] 久しぶりの投稿お疲れ様です! 冴木先輩って妹と弟がいたんですね。しかも、わざわざ不思議な謎の解決を頼まれるなんて、家庭内でも探偵気質を発揮していたわけですか。母親もちょっと変わった人みたいで…
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