1.最初の日
王家の紋付馬車でたどり着いたのは王宮のそば近くの小さな屋敷だった。
「エミリア様。こちらになります」
屋敷付きの執事であろう人物に促されてたどり着いたのは屋敷の庭だった。てっきり応接室などに通されると思っていたエミリアは少し首を傾げる。
「こちらにおられるのですか?」
「はい。今はエーリヒ様と鍛錬を行っていると思います」
エーリヒという名前に何となく全てを理解してしまった。
(だからわたしにお話がきたのね)
促されるまま庭へ立ち入れば確かに金属のぶつかる音が聞こえる。
「ああ、これは」
向かい合って打ち合っている男性が二人。
金髪にすらりとした体の男性の背中が見える。その向こうに、黒髪で手前の男性より少し幼そうな青年が見える。
黒髪の人がちらりとこちらを見た。
それはとても綺麗なアイスブルーの瞳だった。
その綺麗さに一瞬思考が止まる。
「あれジーク打ち込まないのか……ってなんだもう来ていたのかエミリア」
金髪の男性が訝しみながら振り返ってエミリアを見つけるとほほ笑んだ。
エミリアは慌ててお辞儀をする。
「お久しぶりです、エーリヒ様」
「ああ久しぶりだね。最近はロシュから話を聞くだけだったから寂しかったよ」
「ご冗談を。兄からエーリヒ様は毎日楽しそうだと伺っていましたが?」
そんなエミリアの言葉に全くロシュは何を言っているだ、とため息をつきながらエーリヒは剣を従者に預けてエミリアの元へ来る。
「今日は公務が無かったから朝から彼の稽古をつけていたんだ。紹介するよ、ほらジーク!来いよ」
エーリヒはむこうの青年に呼びかけると、彼は剣を持ったままこちらへ来る。
そして近くにきた彼から剣を奪い、従者へ預けてエミリアを向く。
「エミリア、こちらがジークだ。まだ環境に慣れていないところもあるがいい男だよ」
ジークと紹介された青年は少し戸惑ったような表情をしていた。
エミリアはそのことを少し気にかけつつもジークの方を向く。
「初めまして。エミリア・ハインリッヒと言います。よろしくお願いします」
エミリアは深くお辞儀した。そんなエミリアを見て次にエーリヒはジークの方を向いた。
「ジーク、彼女がエミリアだ。ちなみに彼女の兄が俺の親友でもあるロシュだ。この前会っただろ?次の舞踏会でお前のパートナーを務めてもらう」
その言葉にジークは慌てた様に口を挟む。
「待て本当に舞踏会にでるのか?俺はまだ」
「ジーク、悪いが拒否はない。既に半年も待ったんだ、これ以上は陛下が我慢できないだろう」
ジークの言葉を遮るようにエーリヒは言葉を発する。
エーリヒの圧に押されたようにジークは黙った。
「ということでエミリアが来たなら俺は帰るよ。エミリア、ジークのことを頼んだ」
にっこりと満面の笑みをエミリアに向けて、エーリヒは従者に帰ることを告げる。
「はい。エーリヒ様もお気をつけて」
嫌な予感を感じつつ、エミリアはエーリヒを見送った。
そして一呼吸おくとエミリアはジークを振り返る。
「よろしければ場所を応接室に移しませんか?ジーク様も鍛錬で汗を流されたでしょうし一度お着替えになられてはいかがですか?」
ジークは頷き、ぎこちないながらも近くにいた執事に指示を出した。
庭先でジークと別れたエミリアは無理を言ってまだ準備の整わない応接室に入った。
そして準備をしてくれた侍女に問いかける。
「一つ尋ねたいのですが、ジーク様はどのような方なのでしょうか?」
すると侍女はぱっと表情を明るくさせて口を開く。
「ジーク様はお姿が非常に麗しい上に私たちのような者にも丁重に優しくしていただいています。まだ貴族という世界には慣れていないのでしょうがきっとそれもすぐになれます。竜族と聞いて最初は怖かったのですがいやいやそんなの勝手な考えでしたわ。そう、このまえなんて」
止まらないおしゃべりにエミリアは慌てて言葉を挟む。
「そう、そんなに素晴らしい方なのね。ありがとう。参考になったわ」
そう言って侍女を帰した。
(そうよね。まだ慣れないでしょうね……この状況で舞踏会へ参加させるのね)
たしか彼は庶民育ちだと聞く。そんな人物が半年でこの環境に慣れるはずがない。
どうなることか、と少々不安を覚えた。
「エミリア……様、遅くなりました」
それから少し経って部屋に入ってきた彼は先ほどよりもかっちりとした服装をしていた。
貴族階級には珍しい黒髪に視線を奪われるほど綺麗なアイスブルーの瞳。なにより精鍛な顔立ちをしており、体格はエーリヒと比べると小柄ではあるがそれでもしっかりとした青年の体格である。
これは社交界デビューをしたら暫くは女性陣の噂になり続けるだろう。
そんなことをエミリアは考え込んでいた。
「あの」
何も発しないエミリアにジークは声を掛ける。
「ああ、ごめんなさい。どうぞお座りになってください……多分お互いに話さなければならないことがあるでしょうから」
そう言えばジークは一瞬眉間に皺を寄せた。表情が素直なことはいいことなのだとエミリアは改めて感じた。
ジークは座って一口紅茶を口に含んだ。
「エミリア様は」
「わたしは無理なことをいくつもジーク様に押し付けたくありません。ジーク様はまだこの環境に慣れていないでしょう。そんな状況で見知らぬ貴族の娘とダンスなんてできるはずもありません。だから私のことはエーリヒ様のように適当な遊び相手程度に扱ってください」
そう告げて、エミリアはカップに入っていた紅茶を一気に飲んだ。
無礼を承知だがこうもしなければ終わらない、と心の中で言い訳をする。
「また明日も参ります」
そう言ってジークに挨拶をすると早々に部屋を出る。
「エミリア様、もうお帰りですか」
先ほどの執事が声をかけてくるがエミリアはええ、と頷く。
「また明日も参ります」
それだけを言い残した。