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モデルの仕事で何日かお休みもしたけど留年することもなく、志望の大学にも合格して、無事に高校を卒業することになった。
卒業式の日、松宮さんはピンクのミニバラの花束を手に、約束もなしに私の高校の門まで迎えに来てくれた。イベントや展示会もない割に彼も会社の面々もこの頃やけに忙しそうにしているから、今日のことは教えてなかったっていうのに。
門の外にたたずむあなたを見つけて、これからカラオケに行くと盛り上がっている面々に「ごめんね、私はパス」と声をかけてから離れて、彼の元へ駆け寄る。すぐに気付いて微笑んでくれた松宮さんになんて声を掛けたらいいのか分からなくって、斜めにもなってない制服のリボンタイをわけもなくいじってたりした。
「卒業、おめでとう」
「……ありがとう」
カメラの前ではさまざまな表情を作り慣れているっていうのに、近頃の私はどうしてもこの人の前だと顔が作れない。差し出されたブーケに顔を埋めるようにするのが精いっぱいだった。
「……仕事はどうしたの」
「めでたく高校を卒業した婚約者に花束渡しに来るくらい、いいだろ」
「まあ、そうだけど」
せっかく放った憎まれ口も今日はちっとも威力がなくて、あっさり反撃されてしまう。そして。
「さ、行くよ」
「どこに?」
もしかして、卒業したから約束通り区役所に婚姻届を出しに行くのかも、ってドキドキしたけど、松宮さんが私を連れて向かったのはアトリエだった。――断じてガッカリなんて、してない。
このまま仕事の打ち合わせかな、と思いつつ「お先にどうぞ」と促されてドアを開けると。
「卒業おめでとう!!」
「おめでとうございまーす!」
「ナナ、おめでとー!」
いろんな人の声と、クラッカーの弾ける音。
よく見れば、普段は雑然としているそこが、綺麗に片付いて飾りつけまでされている。まるで、パーティーみたいに。
「松宮さん、」
答えを求めて振り向くと、彼は『サプライズ大成功!』っていう顔で笑って、種明かしをしてくれた。
「みんなが集まってくれたんだ。君の卒業をお祝いしたいって」
「え」
ぐるりと見回せば、デザインチームの面々や、プレスの人や、ニコラッテの編集さんや、モデル仲間、そしてなんと私の事務所の社長まで来ている。
「どうして? 忙しい人ばっかりなのに……」
思わず呟くと。
「君も、俺たちのミューズだからだよ」
「!」
そっと近づいて来てた松宮さんに後ろからそう囁かれて、心臓が、隠しようもない程高鳴った。
これは、ママのパーティーになぞらえた、私のためのパーティー、だ。もしかして、最近松宮さんもみんなも忙しそうにしてたのって……。
それに気付いたら、嬉しすぎて、顔に熱が集まるのが止められない。
みんなが私を見てる。そんな中、松宮さんが「女王様、お言葉を」なんて言うから、どっと笑われてしまった。
「あの、あの、……ありがとう。すごく嬉しいです」
何とかそれだけをひねり出すと、割れんばかりの拍手が起きた。
それから、みんなにまで女王様扱いされてしまった私は「こちらにおかけになっていて!」と白いシーチングの布を掛けて即席の玉座にしつらえた松宮さんの仕事椅子に座らされて、女王様に御挨拶に来る面々、というシチュエーションを楽しむ人たち一人一人と恐縮しながらお話をする羽目になった。
そうこうしているうちに、事務所の社長まで迎えてしまった。思わず腰を浮かせると、指輪とネイルで武装された手に『stay』と命じられる。
「ナナ、改めて卒業おめでとう」
「ありがとうございます」
社長が立ってて自分が座ってるなんてありえない、とモゾモゾしていたら、ぷっと笑われた。
「アンタのこと、常々かわいくないって言ってたけど訂正するわ。今日みたいなアンタはかわいい」
「?!」
エレガントな見た目とは裏腹に、めちゃくちゃ厳しい社長からそんなこと言われたことはないから、思わず動揺してしまった。それをまた、さも面白いものを見つけたように興味深い目で注視されてしまう。
「へえ。……あのピョロッとした坊やが絡むと面白いわねアンタ。しばらくここの仕事に絞るって聞いた時はどうなるかと思ったけど、恋愛脳でもいい影響は受けてるみたいじゃないの」
「れ、恋愛脳って!」
「違うの?」
あの人とビジネス婚の予約はしてるけど、それは社長には伝えてはいない。でも、私の気持ちなんて、色々と経験豊富な社長にはあっという間に見抜かれてしまったみたいだ。
「……違いません」
「ほーんと、面白い」
その調子で仕事もますます頑張るのよ、とエールなんだかプレッシャーなんだか分からないものを投下して、社長は「人に会う約束があるから」と行ってしまった。
――とうとう、認めてしまった。
いいのかな。いや、よくはないだろうけど、でもだって、――好きになっちゃったんだもん。
いつから、なんて意味ない。
どうして、なんて考えても答えなんか出ない。
ただ、私の中ではもう。
たくさんの人でひしめいているアトリエの中、松宮さんの姿をそっと探す。
空いてしまった缶を片付けたり、誰かとお話ししたり。ちょこまかと働いて、リスかなにかみたいね。
ちょっとだけでいい。こっち、向いてくれないかな。
何の気なしにそんなこと思ってたら、それが通じたみたいなタイミングで松宮さんが振り向いたからびっくりした。
私を見て、困ったような顔で、笑うひと。見ているだけで、胸がきゅっとなる。
手を振ったら、小さく振り返してくれた。
べーってしたら、笑った顔のまましかめ面。
ふざけたふりして投げキッスしたら、――胸の前で、両手で小さなハートを一瞬作って、すぐにほどいて照れてしまった。
ああもう、降参。
私は、あなたのことが好き。
パーティーがお開きになって、最後の一人までお見送りしたあと、改めて松宮さんにお礼を言った。
「いいんだよ、喜んでもらえればそれだけで」
「でも」
魔法をかけるのは私の仕事で、彼はそれを受け取るだけでいいのに。
「……俺が、したかっただけだから」
困ったように笑って、「さあ、女王様をお送りする時間だ」といつものようにおどけて玄関の方へ向かい出した背中に、思い切ってしがみついた。
ビジネスだけど、婚約は婚約なんだから、これくらいのスキンシップ、したっておかしくないよね。
そんな風に頭の中で言いわけしながらのハグ。されてる側の松宮さんが、嫌そうなそぶりを見せなかったのをいいことに、そのままで話し始める。
「……ありがとう。ほんとにほんとに、すごく嬉しかった」
あなたは嬉しくないだろうけどごめんなさい、と思いながら背伸びをして、振り向きかけてた松宮さんの頬に後ろからキスをした。
背の高い人だから、普通の女の子じゃ届かなかったかも。モデルができるくらいには背が高くてよかったと思いながら、唇をぎこちなく離す。
それからまた背中にぎゅうっとしがみ付いてたら、「……家まで送るよ」と優しい声が降ってきた。こくんと一つ頷いて、しがみついていた手も、くっつけてたおでこも、背中からゆっくり剥がした。
やらかしたという自覚はあったから、隣を歩く松宮さんの顔は見れなかった。だから、彼がどんな表情をしてたか私は知らない。
帰り道、松宮さんはずっと私の手を繋いでくれていた。