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 ショップの準備と並行して、プロモーションの一環でブランドの動画を作成した。

 私の素足が映されるシーンから、それは始まっている。

 白い床を滑るように歩く足元のアップ。肌の色が加工されているから、色らしい色は爪に塗られた赤だけだ。

 足元を映していたカメラのアングルはだんだん上がっていって、足首、ふくらはぎ、膝、腿と、なにも纏っていない足が映される。そしてその上に進むタイミングで体にステラシオンのお洋服をあてた私が、カメラに向かって挑発的に笑う。

 そこで映像は切り替わって、「Nana selects stellasion」という文字だけの画面と、私本人のナレーションで終わる。

 シンプルなその動画は、ニコラッテ卒業後初めての活動ということもあって、随分注目された。


 プロモーション動画はもう一バージョンあって、第二弾として数日後に発表した。

 赤ちゃんを抱っこした三〇代のモデル、五才くらいの女の子と手を繋ぐ五〇代のモデル、私の肩に手を回した二〇代・四〇代のモデル、みんなお揃いの服を着て横一列で歩き、立ち止まる。真ん中の私がゆっくりと一歩前に進み、ポーズをとったところで、先のバージョンと同じように「We select stellasion」という文字だけの画面と私のナレーション。


『we』バージョンは伊達じゃない。動画と同じ服を豊富なサイズ展開にしてお店で買えるようにした。プロモーションの限定モノじゃなく、お店で扱うものは全て幅広いサイズ展開だ。それは、私の駄目出し――彼曰く『正直で辛辣でとても有益な意見』――を彼がまじめに受け止めたから。

 当初、彼は『すべての女性に着てもらえたら』と言っておきながら、サイズ展開はMしか考えてなかった。元いたブランドがやはりMのみだったそうで、そのことを特に疑問には思っていなかったらしい。

『世の中にはお痩せさんもぽっちゃりさんもいるのよ!』と私が言って、やっと気付くなんて。あの時ばかりは、私がついててほんとうによかったと思ったもんだ。


 青山に旗艦店を出した。売れた。

 そのひと月後に、全国の主要都市に出店した。こちらも、売れた。

 約束通り、広告は私がモデルを務めて、それがまた話題にもなった。


 彼の元いたブランドからの阻害は当然あったけど、売れるに従って徐々にその効力を失って、仕込み記事じゃなくちゃんとファッション誌にも取り上げてもらえるようになった。

「汚いな」

 ステラシオン立ち上げ前には手のひら返ししていた雑誌の編集さんが、また手のひらを返してすり寄って来た時、松宮さんは本当に嫌そうにそう呟いた。

「汚くても、使えるものは何でも利用してやるわよ」

 私が背中をばん! と叩くと、咳き込んだあと、「分かってる」と涙目でこちらを見返してきた彼。泣き言がもう一つ入るかな、と思いきや、にやりと不敵な表情を浮かべてる。

「そうしないと、女王様に蹴り飛ばされるからね」

「蹴り飛ばしたりしないわよっ!」

「どつきはするけどね」

「……それは、否定しないけど」

 渋々認めると、くつくつといつまでも笑われた。


 週一ペースの会議で顔を合わせて、月に二・三度食事を共にして。彼がうちにやってくることもあったけど、隙あらばなににでも生クリームを勧めてくる(メイン料理にも、飲み物にもスイーツにも!)パパに恐れをなしたのか、食事といえばもっぱらアトリエのそばの小さなイタリアンでだった。

 小さいお店は席のつくりも小さくて、コンパクトサイズのテーブルの上でところ狭しと並ぶお皿と同じに、二人の距離もうんと近かった。足を少し動かせば当たるし、前のめりになれば息もかかる。

 そのたびドキドキしてた。

 男の人と二人きりで食事をするのなんて初めてだからきっとそのせい、と思うことにした。


「ここでは仕事の話はなしで、ってふつう、女の子の側が言う台詞だよな」と松宮さんが苦笑するくらい、ほっとくと私は食事の時も仕事と服の話しかしなかった。

「君のことを教えて」

 松宮さんに促されて、今読んでいる本や、小さい頃の思い出を話した。それを彼はいつも退屈そうなそぶり一つ見せずに聞いてくれていた。

「こんな話、聞いてて楽しい?」

「楽しいよ」

「……変な人」

「よく言われるよそれ」

 もしかして、お金のためだけじゃないのかもしれないなんて思いたくなるほど、私を好きなんじゃないか、なんて勘違いしたくなるほど、彼は楽しそうで。

 彼が楽しそうだと、私まで楽しくて。


 今なら素直に言える。これは恋だって。

 誰になんて言われようと、間違いないって。

 認めたくなかった。ビジネス婚約なのに、心を欲しがるような真似はしないって言ったのに好きになっちゃったら、それはルール違反だから。

 でも、そんな気持ちの時だって『楽しい』と思うのだけはどうしようもなかった。


「ああ、もうこんな時間だ、女王様をお送りしないと」って彼がおどけて言うまで時間が経ってたことにも気付かずに、いつも私は二人の時間を満喫してた。


 また別の日に二人で食事をしてた時のこと。

「……なんだか今日はちょっとさびしそうだね」って言い当てられて、とっさに平気なふりができなかった。

「……別に」

「なにもない人は『別に』って言わないんだよ」

「!」

「言ってみたら? 俺、アドバイスとか苦手だけど、聞くくらいならできるよ」

「言わない」

「どうして?」

「……子どもみたいな理由だから言いたくない」

「ん、そうか」

 松宮さんはそれ以上踏み込まずに、ぽんぽんぽん、と頭の上で三回、ゆっくりと手を弾ませた。

 それで簡単に心が緩むなんて、彼の手にはなにか魔法でもかかってんじゃないかな。


「……今日は私の誕生日なのよ」

「そうだね、だからこうして一緒に食事してる」

 おめでとう、とまた手が頭を撫でる。ありがとう、と呟いて、また一つ楽になる。

「去年の君のプレゼントには俺をねだられたっけ。今年はご両親からなにをもらったの?」

「まだよ」

「え?」

「私の誕生日はママと一緒なの」

「へえ、そうなんだ!」

「だから、今日はママのバースデーパーティーをしてて、パパもそれに出てる」

「……」

「あ、だからって爪弾きにされてるわけじゃないの! 毎年ちゃんと、一日遅く私のお誕生日のお祝いもしてくれるし、大事にされてるって自覚もあるしね。……でも、私は、あの人たちにとって一番じゃないってだけのこと」

 同じモデルをしているママと私。そこには雲泥の差がある。

 一三でデビューしてから、ママは一線級でずっと仕事してる。海外のショーだって未だにデザイナーからのオファーがひっきりなしだ。スケジュール、三年先までびっしり埋まってるって聞いた。

 明るくて、美しくて、かわいくて、それだけじゃなく、努力の塊のような人。

 奢ることなく真摯に仕事に向き合って、陰湿ないやがらせなんか一切しないで実力でトップの座を勝ち取り続けてる。

 だからって孤高の人ってわけじゃなくて、後進も育てるし、なにより人といるのが大好きだから、パーティーによく出るし、しょっちゅううちにも人を呼んだりして。

『たまたま飲んでたお店でお友達になったのよー』って連れてこられた一般の人、気になってたミュージシャン、一緒にお仕事をしたデザイナー。一度だけじゃなく、そこから続く御縁も大事にしてる。

 そんな人が、愛されないわけないじゃない?

 今日はだから、世界一素敵な人をお祝いするにふさわしい日なんだ。

 大勢の人が、うちにやって来る。その誰もが、彼女のことを大好き。

 小さい時は、彼女のためのパーティーとは思わずに、自分の誕生日をみんながお祝いしに来ているんだと思ってた。

 大きくなるにつれて、そうじゃないってことをはっきりと実感した。モデルを始めるようになってからは出ていないし、出ることを強制されてもいない。

「ママはみんなのミューズなの」

 色んな感情をごまかして言ったのに、彼はそれを見逃さなかった。

「拗ねてるの?」

「拗ねてない」

「そうか」

「拗ねてない!」

「はいはい」

 私がとんがった言葉を返しても、彼はまあるく受け止める。頭をなでる手は、小さい私がそうして欲しかったみたいにいつまでも優しくそこにいてくれた。


 抜け出せなくなるからやめてほしい。

 もっとずっと、こうしててほしい。


 矛盾した気持ちのツートップ。

 どっちを優先させるか悩んで、結局選べなくて撫でられっぱなしだった。

 ちらりと目をやれば、にこにこ顔の松宮さんと目が合う。

 どうせ子どもだと思ってんでしょ。こんな風にしてやれば簡単に懐くとか思ってんでしょ。

 腹立ち紛れにそう思ってみても、この人はそんな人じゃないって心の中のいい子ちゃんがすぐ否定するから、なんだか余計に腹が立つ。


 ジェラートを味わったあと、「これ、見慣れてるだろうから目新しくはないだろうけど」って、彼が少しもじもじしながら包みを渡してくれた。

「これって、」

「君のお誕生日プレゼント、……のようなもの」

「の、ようなものってなによ」

 苦笑しながら包みを丁寧に開けていく。

 予想通り、その中にはステラシオンの新作のワンピースが入っていた。丸襟と袖口にあしらってある同色のピコレース。裾には一段濃い色の細いリボンを使った、はしごレース。ささやかだけど手が込んでいて、今期のアイテムの中で一番素敵だと思っていたものだ。

「……かわいい」

「ありがとう」

「お礼は私が言う方だと思うけど? あと、この色って」

 グレーがかった紫は私の大好きな色だけど、春物にはちょっと向かないからと外されたはずだ。

「それだけ、俺が作った」

「!」

「君に、気に入ってもらえるといいんだけど」

「宝物よ。……ありがとう。この色好きなの、とっても」

「うん、知ってる」

「ねえ、私こんな嬉しいお誕生日初めてよ」

「じゃあ、来年はもっと楽しんでもらえるようにしよう」

「期待しないで待ってるね」

「いやそこは期待してくれよ!」

 だって、来年なんて――、あなたはもう、私のそばにいないかもしれないじゃない?


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