4
なにはともあれ、まずは彼の服を見せてもらうことにした。
中古マンションのちいさな一室。それが、彼のアトリエだった。
「もっと新しくて広いとこに引っ越す?」
「いや、当面はここでいい。無駄遣いしたくないから」
「あら堅実」
いきなり大金を動かせることになって、もっと浮かれるかと思ってたのに。
「君がくれるお金だから、一円だっておろそかにはできないよ」
「……私じゃなく、パパでしょ」
「そうさせたのは私だって、君が言ったじゃない」
「そうだけどっ!」
口ごもると松宮さんはくすくすと笑う。なによ、もう。
「どうぞ。掃除はしてるけど針が落ちてるかもしれないから、気を付けて」
「ありがと」
エスコートされて入った先には、彼の手掛けた服たちがラックに吊るされてた。
そして、作業机のそばに置かれたボディには、あのコンテストの日のドレス。
「……相変わらず素敵」
「ありがとう」
「!」
キッチンに行ってたはずの婚約者は、マグカップを持って戻って来ていた。
「それは俺のお守り代わり。アイデアにいきづまったり、どうしようもなく落ち込んだ時には、そのドレスを纏った君のことを思い出すんだ」
「……」
「そうするとね、無敵の女王様はいつだって『立ちどまってるヒマなんてないわよ。顔を上げなさい』って、俺を励ましてくれるんだ。すごいだろ?」
「……あなたって」
「ん?」
「バッカじゃないのっ!」
「よく言われるよそれ」
顔が熱いのは、松宮さんが入れてくれたコーヒーが熱すぎるからよ。それだけよ。絶対。
「こっち見ないで」
「どうして?」
「どうしても!」
「はいはい、女王様」
そんな風に、コーヒー一杯分、戯れた。それから。
「貧弱」
並べられたラインナップを、私はバッサリ切り捨てた。ラックに掛けられたそれらを、ツーッと指で触りながら続ける。
「色展開無難すぎ。ニット素材少なすぎ。冒険しなさすぎ。デザイン帳に描いてたやつはどうしたのよ」
「でも」
「別にこれくらいのものだったらどこでも手に入る。それこそ、ファストファッションのお店で格安でね」
「……」
「そりゃ、あなたの作るものの方が素敵よ。素材はもちろんいいし、よーく見ると凝ってるのって、すごく好き。でも、いくら生地が良くても、襟裏におしゃれな小技がきいてても、手に持ってもらえなかったら駄目。意味ない」
「……分かった」
キツいこと言ってる自覚はある。しかも私は、パトロンみたいな立場で、しかもモデルとはいえ小娘で、松宮さんには好かれる要素がなに一つないのにさらに嫌われてしまうなあ、と内心肩を竦めてたんだけど。
「ありがとう」
――え?
「こんな風に、どんどん意見言ってもらえると助かる。俺一人でやってると、たまに見失っちゃうから」
守りに入っちゃってたんだなあと、自分の作った服を見て苦笑する松宮さん。なに、その反応。
じいっと見てたら気付かれて、ん? って優しい顔で見返された。
あなたが私の言葉で、目に宿した光を損なうなんてことはこれっぽっちもなくって、いつものようにふんわりと笑ってた。――強い人なんだ。よわっちく見えるけど。ギャップってやつ?
そんな風に茶化してないととんでもない方へ心が舵を切ってしまいそうだった。
「そのうちパパの会社から、スタッフさんがやってくるわ」と、あなた一人じゃないって伝えたけど、「それでも君の正直で辛辣でとても有益な意見は、やっぱり必要だ」って言ってもらえた。
それがどれだけ私を喜ばせるかなんて、松宮さんは知らないし、この先も知ることはない。
何回もそんな打ち合わせを重ねて、パパの会社からいよいよスタッフも迎えて、新しい体制でブランドを漕ぎ出す直前。
「あ、そうそう私すっかり言い忘れてたんだけど、しばらくモデル『西条ナナ』の仕事はここのプロモーション一本に絞るから」
私がそう切り出すと、松宮さんはあつあつのコーヒーを思いきり口にして慌ててた。
「あわてんぼうねえ」
お水を汲んで渡すと、涙目でこちらを見る。
「そんな爆弾発言する君が悪いんだろ……!」
「あらごめんなさい」
「悪いと思ってないよね絶対」
「よく言われるソレ」
お水を飲んで、涙目をティッシュで押さえて、デスクに零れてしまったコーヒーを拭いたのはいつもの気弱な松宮さん。だけど、こちらを見る強い目は、強気のデザイナーのもの。
「モデルとしても君が協力してくれるのはほんとうに心強い。でも俺は、君を犠牲にしてのし上がるつもりはないよ」
「犠牲じゃなくて、むしろWIN-WINだと思うんだけどな」
「……どういうこと?」
興味を持った松宮さんに、私は自分の状況を説明した。
「私が表紙をやらせてもらってるニコラッテのモデルは、どっちみち高校卒業と同時に雑誌もみんな卒業することになってるの。三月号で特集も組まれるけど、それって一緒に卒業する同期の子とまとめてだし、だったら、ちょっと早いけど今卒業した方が単独の特集を組んでもらえるじゃない? その方がインパクトもあるし、次に私がなにをするかって注目もされやすいと思うの」
事務所の社長にも、ニコラッテの編集部にも話を通して納得してもらってある。社長には、『アンタはお嬢のくせにそういう戦略に長けてるところがかわいくない』とお褒め? の言葉をいただいた。
「それに私、受験するつもりだから、活動が絞れるならありがたいわ」
モデルは生涯やっていたいけど高卒ですぐ専念するのではなく、大学へ行きつつ活動しようと前々から決めていた。なるべくつぶしの効く学部で学びたいし、資格も取りたいと思う(これも事務所の社長に『アンタはお嬢のくせにそういうところがソツなくてかわいくない』と言われた)。
そんな私の話を聞いて、松宮さんも納得してた。
「君が貧乏くじ引かないなら、俺はいいよ」
「ん、ありがと」
「お礼は俺が言う方だと思うけどね」
「どうして?」
そう聞いても、いつもの困ったように笑う顔しか返ってこなかったので、もう一つ伝えておかなくちゃいけないことを忘れないうちに言っておくことにした。
「あと、松宮さんと私が婚約してるのは、秘密にしておくから」
「公表しないって言うこと?」
「そ。『西条ナナが惚れ込んだブランド』とだけ。嘘じゃないし、婚約者のブランドだから売り込みまーす! って声高にアナウンスするのは興ざめでしょ?」
「……確かにそうだけど」
納得がいかない、という顔を隠さない松宮さんがかわいくて、つい笑ってしまった。
ブランド名は、松宮さん自身が前々から決めていたという『ステラシオン』になった。
「それ、どこの言葉でなんて意味?」
「造語なんだけどね、イタリア語でステラが星、フランス語でスタシオンが駅、それを混ぜた感じ」
「へえ、私好きよそれ」
「……ならよかった」
ほら、ただ『好き』って言っただけなのにそんな風に嬉しそうにふんわりと笑ったら、心が勘違いして心臓一つ鳴らしちゃったじゃない。
それが聞こえるはずもないのに隠そうとして、ペラペラとおしゃべりをする羽目になった。
「星は、雨が降ってて見えない夜でも、変わらずそこにいていつだってほんとうは輝いてるのよね。駅は、電車に乗って仕事に行ったり遊びに行ったり帰って来たり。なんだか、毎日旅をしているみたいね。星は昔は旅の道しるべだったし、二つの言葉はつながってるのかも」
なに言ってんの私。松宮さんがポッカーンてしてるじゃん。
「……驚いた」
「?」
「俺が、イメージしたことをそのまま君が言うから」
「!」
「気が、合うね」
「……そうみたいね」
松宮さんが上機嫌で鼻歌なんか歌うから、勘違い、ふたつめ。
優しい人ね。鼻持ちならないお嬢サマを、きちんと扱ってくれて。
ひどい人ね。心はこちらを向いていないくせに、心のあるふりなんかして。
「……ヘタクソ」
鼻歌は、私が腹立ち紛れに放った呟きを彼の耳が拾うまで、部屋の中をゆるやかに漂っていた。
******************
楽しかったな。
毎日やらなくちゃいけないことがたくさんあって、だから、本当に考えなくちゃいけないものから目を逸らして忘れたふりができてた。
忘れたふりなんかしたって、未来に進めばその分だけ着実にタイムリミットは近づいて来てたのに。
それでも、もし今の自分で過去に戻ったとしても、私は何度だって同じ選択をしただろう。
あなたと過ごした日々は、それまでの私が知らなかったものばかり。うーんと楽しませてくれてた。私があなたを喜ばせるより、何倍も。
切なさも愛しさも、ぜんぶぜんぶ、あなたがくれた。
『楽しいよ』
『これ好き』
そんな風に、率直に伝えることはたくさんあったけど、『あなたを好きよ』とは最後まで言えなかった。
あなたの枷になるって分かってたから。