4
ここまでは書けてるんだよなぁ…。
「ええ…っと、それで、なぜ『ちけん』? と言うものを行う必要が?」
「他言無用でお願いします」
真面目な表情で言われた前置きに、わたしは黙ったまま頷きを返します。それを見たヒューブさんはゆっくりと口を開かれました。
「理由は貴女に盛られた惚れ薬にあります」
「詳しく調べてみなければわかりませんが、貴女が服用した惚れ薬は新薬である可能性があるという事です」
「…しん、やく?」
「ええ。それもまだ出回りもしていない、正真正銘の出来立てのもの」
「それが、問題ですか?」
「問題ですね。製作者の分からない新薬です。材料に何が使われているか分からないし、解毒法も不明」
ここまで言えば分かるでしょう? みたいな視線を感じますけれど……うーん、どうでしょう。
「よくわからない薬が怖いというのは理解できるのですけれど」
実際、わたしはそのよくわからない薬を盛られたわけですし。
でもですよ?
「それでわたしがその『ちけん』というものに協力しなければならないのかはわかりません。協力という事はこちらに受けるかどうかの選択権があるという事ですよね? 申し訳ありませんが、お断りさせていただきます」
惚れ薬が効いている感じは全くありません。わたしの心の中には、誰も特別に想う人はいないままです。
新薬であるのは確かなのかもしれませんが、少なくともわたしが飲んでしまった分に関しては失敗作と思われます。ですから、不幸な事故でした、と完結してしまって良いと思うのですよ。少なくともわたしにとっては。
彼らとの会話の間、わたしが変に取り乱したりしないのもそれが理由です。誰が仕組んだのか知りませんけれど、失敗したという事だけは分かっていますから。
「解毒法の分からない新薬である以上、国家を脅かす可能性があります」
そうおっしゃったのは、ヒューブさんではなくて、ご子息様でした。
この国、エストラストはトップに王様を据えた王制をとっています。
現王様は現在三十代で、ご結婚はなさっていますけど御子はまだいらっしゃいません。
もしも王様に惚れ薬を盛る事が出来ましたら、そして御子でも出来ようものなら……色々と問題が起こるのでしょう。相思相愛と言われている王妃様も穏やかではいられませんし。
「成分を解析すべき惚れ薬は、そのほとんどが摂取されてしまったせいで残っていません」
「………」
すっごく、すっごく嫌な予感がします。楽観的に気のせいですよね~なんて考えてる場合じゃないですよ、これは。
残ってない、ですって?
調べるべき惚れ薬が?? 国家を脅かすかもしれないとされる|それ≪・・≫が?
「ほとんど、残ってない?」
「一滴ほどですね。服用量が少ないのもこの惚れ薬の注目すべきところかなぁ…あ、失礼」
「いえ、喋りやすいのならどうぞそのままで」
「…そう? 助かる」
幾分ホッとした様子のヒューブさんは、にこやかに微笑みながら、コトリとテーブルに小瓶を置かれました。
わたしの小指よりも小さな、こげ茶色の小瓶。
どうしようかって少し迷いましたけど、ヒューブさんの表情から『許可』を読み取れましたので手を伸ばしました。
細くて小さなその小瓶は、結構厚めのガラスで出来ています。
元々小さなものですけれど、見た目以上に内容量は小さいみたいですね。
本体と同じくガラス製の栓で密封されています。目の高さまで持ち上げてしげしげと観察すると、ビン底の方に微かな水滴が確認できました。
「まさかこれが」
「お察しの通り。惚れ薬の残り。かすかにあるの見える?」
「薬を盛ろうとした実行犯と製作者は別人でしてね、作った方が見つからないんです」
困るんですよね、とさらりと続けて告げたのはご子息様。
にこやかな微笑みの彼の隣では、ヒューブさんが苦笑しています。ヒューブさんの方を見ていましたら、視線を隣へ戻すように示唆されました。
あれですね。まだ話が続くから、ちゃんと人を見て聞きなさいという感じですね。素直に従えば、じっとこちらを見ていらしたご子息様と視線がかち合いました。自分の話を真面目に聞いているのか疑っていらっしゃったのかもしれません。
すみませんね。よそ見してもお話はちゃんと聞いていましたよ。
そう言う前に視線を逸らされてしまいましたので言いませんでしたけれど。
「惚れ薬を解析しようにも量が少なすぎて難しい。製作者は行方不明の現在、我々にできる事はなんだと思いますか?」
「製作者の捜索では…?」
「それは騎士がしてくれますよ」
確かに、捜索をするのならそれに向いた方がするべきなのでしょう。目の前に居るお方が人探しに長けているとはわたしも思えません。その点、騎士、というかご子息様がおっしゃっているのは騎士団を指していらっしゃるのでしょう。人を探すノウハウも騎士団にならあるかもしれません。
そうかもしれませんけど。そうかもしれませんけど!
「…」
つまり何をおっしゃりたいんでしょう? って、思いますけれど、聞きませんよ。関わりたくありませんから。
「ですから治験なんですよ。適切な用法・用量で摂取したサンプルがいるなら症状を調べるのは当然でしょう?」
「飲みたくて飲んだわけでは」
「貴女も貴族の端くれなら、王への忠誠心はあるでしょう?」
つまり、忠誠心のある貴族なら、進んで治験を申し出るとおっしゃる、と?
この国って、人身御供な価値観を推奨していましたっけ?
「では、惚れ薬が正しく貴方に盛られていたならば、貴方は進んで治験体になったとおっしゃるのですか?」
売り言葉に買い言葉とばかりに尋ねてみると、「当然です」と言われてしまいました。
そう言われてしまうと、これ以上拒むのは貴族失格だと認める行動を重ねるだけになってしまいます。
面白くありません。
第一おかしいです。わたしは被害者なはずなのに。
「さて、雑談はこのくらいにして」
…雑談?
怪訝に思って視線を上げると……あらやだ。
真面目な、それでいてどこか身の危険を感じるとわたしに思わせる雰囲気をご子息様がまとっていらっしゃるではありませんか。
無意識に身体が後ろに引くと、わたしの動作を見ていた彼はにこやかに微笑みます。
「ビジネスの話をしませんか? なに、決して悪い話ではありません」
「報酬を出す――とおっしゃっておられると…?」
「勿論。それに、新薬であったとはいえ、貴女はまだ運が良い」
「運が良い…ですか? この状況が?」
他人様のとばっちりを食っているこの状況を運が良いとおっしゃるなんて、ご子息様はとても人がお悪いですね。
「ええ。媚薬じゃなかっただけ随分と恵まれていると思いますよ?」
「……」
「ああ、貴女は初心そうだからご存じないかな? 惚れ薬も厳密に言えば媚薬に類するのですが、この場合でいう媚薬というのはいわゆる催淫」
「説明は結構です!!」
「説明の要不要はこちらで判断しますよ。不十分な知識は間違いのもとですからね」
「まぁ、男性専用の媚薬だったなら嬢には大して症状がでなかったとも考えられるし…ねぇ」
――ムラムラします?
そう平然と聞いてきたヒューブさんを……正直に言いましょうひっぱたきたいです。扇子が手元にあったら、確実に投げつけていました。
ムラムラ?
それが実際にどんな体調の事を言うのかはわかりませんが、ものすごく卑猥な問いである事は分かるんですよ。これでも19歳ですから!
女性の結婚適齢期は16~20歳。19歳で特定の相手なしのわたしが『嫁ぎ遅れ』のレッテルを既に八割方張り付けているのは確かですが、だからと言ってセクハラ発言が許されるわけではありません。
素で喋る事は快諾しましたけど、慎みを無視して良いとは言っていませんよ?
さらりと変な事を問う従者を主人の方は咎めるわけでもなくて、むしろ――
「彼女がそう言った類いについてどれほど知識があるのか先に確認した方がいいのかもしれ」
「ビジネスの! 話しを!! しましょう!!!!」
真面目にさらりとそんな事をおっしゃるからタチが悪いです。
思わず声を荒げて会話に割り込んでしまいました。
おかしいです。直接の面識はありませんでしたけれど、こういう雰囲気の方ではなかったと思うのですが…。
わたしの健闘虚しく、会話はすんなりと切り替わりはしませんでした……。
ホラーとはまた違った恐ろしい会話を少々挟んでからお話はようやくビジネスの話へと移行して…。
結論を言いましょう。
わたし――マナリディア・クラウは、本日より治験を受けることに同意いたしました。
閲覧ありがとうございました。