私生まれる!
前の世界での平穏で優しい日常の雰囲気が出てたらいいなぁ。
ふと意識が戻ると、手足が縛られていた。
いや、縛られているというよりぴったりの袋に入れられて少しの身動きもとれない状態のような。
視界には何も入らない、薄い光さえない真暗闇。
目を開けているのか閉じているのかすらはっきりしない。
しかし音はする。
頭が割れそうなぐわんぐわんと響く気分の悪い耳鳴りのような音。
だが時々人の声が混じっている気もする。
こんなおかしな状況下で、自分にしては結構冷静に分析できているように思うのだが、過去から今のこの状況までのいきさつが全く繋がっていない。
いつからここにいて、どうしてこんな状態で、そもそもここはどこで、じぶんは誰で……?
いや、いま変なことを考えた。自分は自分だ。わからないなんてある訳がない。
いくら凡庸で記憶力に少々自信のない私でも、それはない。
ほら、凡庸で記憶力に少々自信がないことは思い出したじゃないか。
ほら、名前は?
歳は?
性別は?
いや、そんな今はどうでもいいことは端っこに置いておいて。
それより何かもっと別に大事なことがあったはずなのだ…。
いや、違う違う。
今は悠長に思い悩んでいる場合ではない。急を要する件が今まさにおこっている真っ最中なのだ。
緊急に対処しないとかなりマズイことになりそうな予感がする。
つまり、だんだん窮屈になっていっているのだ、この空間が。
つまり、何かに押し潰されそうになっているということではないだろうか…? わたしが。
大変だっ。なんでだ??
「誘拐」 という単語が思い浮かび、まさかと思う。私はそんな資産家に生まれついた覚えはない。極一般家庭で育ったように思う。
そんなことは何かの間違いだ。
更にとりとめなく希望のない単語が勝手に浮かんでくる。
誘拐 人違い 用済み 証拠隠滅 廃棄 スクラップ工場
死…………。
ここへきて漸く焦る。
ちょっとちょっと待ってよ!
まだ生きてるんですけど?
まさかほんとにそんなことってあるの??
もしかしてしんじゃうの?しかもつぶれちゃうとか??
だれかいないの?
だれか!
お―い!
ぐわんぐわんと相変わらず耳鳴りがうるさい上に、不安で頭が割れるように痛い。
音がうるさすぎて、大声で叫んでいるにも関わらず自分の声がちゃん外に届いている気がしない。
更に窮屈になる
つぶれちゃう?もう堪えられない!
もう駄目なんだろうか? 痛い。どこが痛いって、頭が相当痛い!
本当に終わりなんだろうか?胸が絶望で真っ黒に染まる。
いやだまだ死にたくないよ!
突然、すいっと体が持ち上げられた。
………?
人の歓声のような音がする。
くぐもってはいるが、やはり人間の言葉のようだ。
…助かった?
身体の感覚も戻ってきた。
全身を巨大な何かで撫でまわされている。
これは手だな、巨大な手だ。
優しいその感触に涙がでた。
良かった、助かったんだ…。もう大丈夫なんだ。誰だか分からないけど、助けてくれて有難う。本当に有難う。
私は安堵と感謝で、年甲斐もなくわんわん泣いた。
それはもう力一杯泣いた。
どこか近くで同じように泣いている赤ん坊の声が聞こえてきた。
あれ、同じ場所に居たんだろうか?
んぎゃーんぎゃーと。
元気よく。
私の呼吸と全く同じタイミングで泣く声がすごく近い。
突然、フに落ちた。
産まれたのだ。
誰が?
自分がだ。
なるほどなるほど、と先ほどまでの不安や傷みを振り返り、そういうことかと納得する。
なんと得難い経験をしたことか。
産道を経験しちゃいましたよ。
それから今まで生きてきて、赤ん坊が産声をあげる理由なんて考えもしなかった。
きっと今の私のように、絶体絶命の不安から助けられた安堵と感謝から、自然に泣くんだろう。
有難う、良かった、嬉しい、と繰返し繰返し。
そして気持ちの良い感覚に浸され、徐々に意識が遠のいていく。
これはマズイ。
赤ん坊はこうやって忘却にのまれて真っ白な記憶に生まれ変わるのかもしれない。
大事なことがあったのだ。
今すぐ思い出さなきゃいけない何かが、絶対に。
ここは踏ん張り所だ。
覚悟を決めた。
絶対勝つわよ、あの子達の為に!!
母は強いのです!
そうだ、私は母になったのだった。
あの子達、双子を産んで…
それから?そのあとは?あれ、ない…?
そんなはずはない。母子共に何も問題はなかったはずだもの。そこで終わりの訳がない。
もう少し細かい所から順を追っていけばもしかしたら流れで思い出すかもしれない。
そう私は遅い結婚をようやくしてすぐに子供をさずかったはずだ。
長いこと勤めていた会社で産休を無事取れることになり、準備万端整えて日々幸せ絶頂に過ごしていた。
いわゆる中小企業に中途採用で入社して以来十数年の私。
最古参女子社員である私に聞けば、大抵の物は見つかるという状況下でいつのまにか定着していたあだ名は「オカン」…
50過ぎの息子を持った覚えなんぞありゃしません!と抗議しても、「面白いこというね君」とかなんとか両手で指差しながら笑って取り合ってくれない……まあ和やかな会社でしたよ。
いわゆる複合機という物でコピーをとったりFAXしたり、慣れた調子でピッピッと鳴るボタン音にも節を付けて軽やかに押したり、さほど複雑でもない事務仕事に毎日いそしんでいた私。
短期大学卒業後すぐには就職できず、派遣バイトで繋いでいたという凡才な私には不似合いな、二人の超優秀な兄がいた。
一人は起業し、一人は医者になった。
どちらも記憶力が半端なかったことを覚えている。
回りの誰かが、お兄ちゃんたちは凄いね、と褒めるたび反発したこともあったが、私の反抗期は長くは続かなかった。
彼らは妹に優しく、私のことは滅多に誉めない回りとは逆に、些細なことでもよく誉めてくれたのだ。
玉子焼きが美味しかったとか届け物をしてくれて凄く助かったとか、人目も憚らず、満面の笑みで頭を撫でてくれたのだ。
そしていつまでも結婚しない私に父母は物言いたげにしていたが、兄達は違った。
「いいんだよ、結婚なんてしなくても。お前1人養うくらい、蓄えは十分あるんだから」
「そうだよあせって無理に結婚するなんて不幸の元だよ。ゆっくり良い男を探せばいいんだよ。いざとなれば僕たちがついてる心配ない。」そんな少々シスコンじみた台詞に安堵させられ、時は過ぎ、気がつけばアラサー。更に過ぎアラフォー…
さすがに高齢出産という言葉に怯え始めた頃、良い男が現れました。
イケメンという意味ではない。物事に動じない度胸と折れない心を持ち合わせた良い男である。
なぜそんなものが必要なのか。
そもそも彼氏というものは結構いたのだ私にも。
ところが家族に紹介すると皆フェードアウトしていくという不思議。
男達が我が家の何に動じたのかは分からないが、有難いことに彼にはその力は通じず、わりと早い展開で結婚出産となったわけである。
思えば平凡ながら私の人生幸せだったなぁと思い返す。
いや幸せ過ぎた。恵まれ過ぎたのだ。
しかも産みっぱなしでおそらく死んだんだろう。なんて不義理。
今度は私が幸せを返さなければいけない番だったのに。
お腹の中の子が双子だと分かった時、同じ双子である兄達に貰ったたくさんの愛情を、次はこの子達にしっかり返しなさいという、なにか運命的なものを感じていたのに。
最悪だ私。愛情を返すどころか悲しみに突き落とす所業をしてしまった。
今頃父母や兄達、彼はどう思っているのだろう。
生まれたての子供を残して何やってるんだと怒ってくれているならまだいいが。
悲しまないでというのは無理な話なんだろうなぁ、優しい人達だったから。
ああ最期に見たあの子達は、いったいどんな風に育つのかしら。
何にも残してあげられなかったなぁ。
せめて編みかけの小さな靴下を完成させていればよかった…
小学校に入れば雑巾を持っていかなきゃいけないって聞いたことがある。
雑巾縫っとけば良かったかしら…
何でもいいから何かしてあげたかった。
彼とももっと一緒にいてあげたかったなぁ。
人当たりがよく、その分なんでも心に飲み込む性格だから、本人も知らず知らずの内にストレスをためていることが多いのだ。
たまに力を抜いてあげようと、突然頭をぐりぐり撫でてあげたり、眉間のしわや顔中にキスしてあげたりしてわざと困らせた。
まあ、かつて煮詰まった私に兄達がわざと突飛な行動をして笑わせてくれたのを真似しただけなんだけどね。
彼のことを思うと申し訳なさで一杯になる。結婚してこんなすぐに男やもめになるなんて。
しかも子持ちである。再婚できるのだろうか…。
いや、再婚して欲しい訳じゃないけど、やっぱり独りにしておくと心配なのだ。
願わくは彼の性格を理解してくれ、あまり無理をしないよう見ていてくれる女性であればいいな。私よりも優しくて料理上手ですぐに外食に偏りがちになる彼の胃袋をがっちり掴んでくれる女性。
外食というかぶっちゃけ彼はジャンクフードが大好きなのだ。
付き合っていた当時は、ほっとけば毎日某バーガー屋に通っていたほどで、不健康だと言っても聞きやしない。
どうやっても彼を家庭の味に戻そうと、必死になって母やあちらのお母さんから料理を教わり、ようやく彼好みの味付けを修得。
あれこれ工夫もしたかいあって最近では彼はどうやら魚の美味しさにはまったらしく、リクエストはもっぱら焼き魚、煮魚、海鮮丼、お刺身 などなどだった。
……ああまたジャンクな食生活に戻りはしないだろうか…。
願わくは誰でも良いから当面の彼の食事の世話をしてください。お願いします。(切実)
あとそうだな、自分の子供も先妻の子供も分け隔てなく育ててくれる心の大きな女性であってくれればなお良いなぁ…。
希望を並べれはいくらでも出てくる。勝手だな私、と思う。
でも今の私には願うことしかできないのだ。
どうか幸せに。お願いだから幸せになって!
願うだけで何もできない自分が歯痒い。せめて今度の生では、与える側の人間になろうと思う。
だから絶対この記憶は手放したくはない。この後悔を胸に刻んで償い続けたいと思う。
このままずっと過去をたどり続けていれば覚えていられるのだろうか…?
今にも霞んでいきそうなこの意識でそんなことが可能だろうか?
一度忘れてしまっても、記憶を思い出す切っ掛けとして何か強いイメージの暗示を自分にかけることはできないかしら?
強いイメージの何か…。
もしくは強い感情に結び付く何か。
ふと二人の赤ん坊の泣き顔を思い出す。
強い後悔と悲しみと悔しさで胸が締め付けられる。
決めた。しかしこれはほとんど見込みのない賭けだ。だけどやるしかない。
だってもうなんだか朦朧としてきて、全く意識を保っていられる気がしないのだから…
二人の姿を心に刻み付ける。
絶対忘れない!
主人公はお兄ちゃん子です。
そして兄'sは完全にシスコンです。 歴代彼氏達に圧力をかけていたのは彼らです。
きっと残された双子の子供達にもうっとおしいくらいに構いに行くでしょう(笑)