第34話 ラケルタ③
ユノ君が用を足しに行って、しばらくして、
「ユノ君、遅いねー」
と、言い出したのはリヴィだった。
うん。確かに遅い。けど、ユノ君だしな。そんなに心配しなくてもいいんじゃないかと思う。
5歳とはいえ、多分、僕らの中で一番強い。
単純な戦闘力の比較で言えば、セリーナの方が上だけど総合力は断トツでユノ君だ。
しかも、これは、あくまでパステトの力を借りなかった場合の話だったりする。
そこに『夜、パステトの力を借りて』って条件を付けるとなると、ユノ君の圧勝は揺るぎない。
なにせ、従属精霊を使役する精霊使いは限定条件下なら、それこそ理不尽なまでの強さを発揮するのは周知の事実だ。
いつだったか、二尾狼の連中が言ってた黒猫姫だって、そうだ。
ファベル魔道具店に出入りしている行商のオジさんから聞いた話だと、ベクトル・ロー城塞付近の村々じゃ、未だに語り草になっているようで、村の子供達は、日が暮れる頃になると「黒猫姫が出るから、かーえろ」と、囃し歌を歌いながら家路に着くのだそうだ。
―――んでもって、僕の予想だと、その黒猫姫って人、多分、ユノ君の、ねぇ?
うん。この話題はこれ以上、しないでおこう。
そうだ。こういう時、なんて言うんだったっけ? 確かユノ君が上手いこと言ってたような気がするな。
そうそう。『触らぬ神に祟りなし』とか何とか。これってどこの国の諺なんだろう?
―――ま、そんなことはともかくとして。
そんなユノ君が、―――中位の闇精霊を従え、土の属性にまで高い適性を持っているユノ君が―――、たかだかカナル大河のモンスター相手に、遅れを取るだなんて想像すらつかない。言ってみれば常識の埒外ってやつだ。
「うーん。僕の予想だと、ユノ君。カナル大河の方まで行ってるんじゃないかな?」
「そうなの?」
「うん。多分だけどね。もうしばらくすれば戻って来るんじゃない?」
と、気楽に答える僕に、怪訝な表情を浮かべるリヴィ。
男の僕だから判るんだけど、多分、ユノ君のことだから、今頃カナル大河に放尿してると思うんだよ。
言っても、まだ5歳だからなユノ君。
―――と、そんな折、ダダを捏ねるのに飽きて、フテ寝をしていたセリーナが、ピクリと身を震わせとかと思うと、その場に上体を起こした。
「何だろう? 嫌な予感がする」
眉根に皺を寄せて、そう呟くセリーナ。
「どうかしたのかい?」
と、声を掛ける僕に、セリーナは答えることなく、しきりにカナル大河の方を気にしているようだった。
そのセリーナの様子は、どことなく狩りを前にして、ソワソワと落ち着かない猟犬を連想させた。
「首の後ろがピリピリする。何かヤバイ。―――みんな! 支度して、ユノと合流する!」
只ならぬ雰囲気のセリーナに、意味が分からず、不安そうな表情を浮かべ、僕の顔を見やるのはリヴィだ。
リヴィの視線を受けた僕も、セリーナの行動が理解できず、肩を竦めることしか出来なかった。
そんな僕たちの様子に焦れたセリーナは、一人で駆け出そうとして、リヴィがその腕へとしがみ付いた。
「どうしたのセリーナちゃんっ! お願いだからちゃんと説明して!」
堪りかねたように、声を荒らげるリヴィ。
「あーもうっ!! わたしだって、分かんないわよっ!! ユノみたいに索敵得意じゃないもんっ!!
―――でも、何かヤバイのよ。口じゃ説明できないけど、なんかこぅ、背中がぞわぞわーってするのっ!! シュナイゼス坑洞の時みたいに!!」
逆ギレ気味に、そう叫ぶセリーナ。
うん。何だろう? 野生の勘? とはいえ、セリーナがピリ付くような相手なんてカナル大河のドコにいるんだ? シュナイゼス坑洞じゃあるまいに。
アゴに手を当て、ほんの少し、考え込む僕。
―――と、やおらして、思い出した。
ああっ!! もしかすると、ラケルタか!
でもあり得るか?
この広い湿原で、ユノ君と鉢合わせって確率、物凄く低くない?
でも意外とこういう時のセリーナって、どこか神懸ってるからな。
乗るか反るか。
どうする?
数瞬の思案。
よし。ここはセリーナに乗っとこう。何もなかったら、なかったで別に構わないし。
「リヴィ、ここはセリーナの言う通りにしよう。セリーナ、君は先行して、ユノ君と合流するんだ。
無駄な戦闘は極力避けて、ユノ君を掻っ攫って来てくれ。
僕とリヴィはコンテナを取って来る。あれは盾にもなるし、僕にとっての武器庫も同然だからね。
―――あと、セリーナ、これを持って行って」
僕は自分の懐に忍ばせていた、使い捨ての魔道具をセリーナhと投げ渡す。
「何よコレ?」
自分の手にすっぽりと納まった丸いソレを見て、セリーナが苛立たしげに声を上げる。
一刻も早く、ユノ君の元へと駆けつけたいんだろうけど、頼むから、僕の説明をちゃんと聞いてくれよ?
「その丸いのに、出っ張りがあるだろう? その出っ張りに魔力を少しだけ流してから、敵に投げつけるんだ。そうすると、その丸いのが破裂して、凄い音が出る。
別に死ぬことはないから、ユノ君がいても躊躇わず投げるんだよ」
「何ソレ、大きな音が出るからって、何だって言うのよ?」
「敵が怯むんだよ。それに僕らへ、君とユノ君がいる大体の場所を報せることにもなる」
と、建前上、セリーナにそう説明したけど、実際の所は怯むどころの話じゃなかったりする。
あの魔道具、実は『バンシーの断末魔』と呼ばれるもので、非殺傷武器ではあるものの、轟音を意味する魔術式が封入されており、魔力混じりの衝撃波を周囲10メルテに撒き散らすという魔道具なのだ。
たとえ、耳を塞ごうとも無駄で、魔力耐性の低いものなら、その衝撃に気を失うほどの威力がある。
でも、ユノ君とセリーナの魔力耐性能力なら、耳がキーンとする程度で済むはずだ。
セリーナは『多分』だけど、ユノ君なら『絶対』そうだ。
「僕らは、その音を頼りに駆けつけるんだから、絶対に使ってくれよ?」
そう念押しする僕に「わかったわよ」と、面倒臭そうにセリーナが応じる。
本当に頼むよセリーナ? 一抹の不安が過ぎったものの、早くも走り出したセリーナを止められる者はいなかった。
セリーナが凄まじい勢いで走り出したのを皮切りに、僕らも行動を開始する。
一刻を争うため、荷物は残念ながら、置き去りだ。
これで、何にもなかったら、セリーナをからかう良い口実が出来るんだけど。
でも多分、セリーナが正しいんだろうな。と、僕どこか確信めいたものを感じていた。




