第30話 ファベルさん
ファベル魔道具店を営むファベルさんが、どんな人かを一言で言い表すとしたら『いい人』というのがしっくりと来るだろう。
何より見た目からして、警戒心を抱かせない人畜無害そうな人なのだ。
ライトグレーのボサボサな髪に、糸のような細い目と丸い顔。いつもニコニコと朗らかに笑っており、その口調は風のない湖面のように穏やかで、何となくポヤーンとした雰囲気を醸す、年齢不詳のお兄さんである。
ところが、リコ評となると、話は別だ。
「え、僕の師匠かい? 一言で言い表すのは難しいけど、やっぱり『変人』だろうね。や、もちろん良い意味でだよ?」
――って、ことになる。
ファベルさんの一番近くにいるリコの評価がそうなのだ。
何だろなー。ファベルさんって、マイルドそうに見えてクセのある人なんだろうか。ザンザーラの魔石を売る時に、何度か話したこともあるけど普通にいい人そうだったんだけどなー。
そんなようなことを思い出し、ファベル魔道具店の前で少しフリーズする僕。
ドアノブには『臨時休業』と書かれた木の板がブラ下がっている。
お店を閉めてまで僕らに用って何だろう?
訝しげに思いつつ、それでも僕は真鍮製のドアノブを捻って押し開ける。
カラコロンと小気味良い音を立て、頭上のカウベルが、いつものにように鳴った。
カーテンの閉切られた店内は思っている以上に薄暗く、セリーナが「真っ暗けー」と小さく呟くのが聞こえて来る。
ま、僕の目にはどうってことないけど。というより、パステトと深く感応したせいか、光源のない完全な暗闇の中でも問題なく見通せるようになってたりするんだけどねー。
「師匠! ただいま戻りましたー。ユノ君たちも一緒ですよー」
勝手知ったる自分ちだけあって、リコは暗がりの中でもテキパキと動き、店のカーテンを開けて回る。
その間、僕ら三人は、蚊の鳴くような声音で「おじゃましまーす」と言ったきり、入り口付近で固まっていた。
リコに開けられたカーテンから太陽光が差し込むと、どんよりとしていた店内が俄かに輝き出す。
機能美に富んだ用途不明の魔道具たちがキラキラと太陽光を反射させていた。
とりわけキレイなのは、棚一杯に収まったガラス瓶だろう。
そのガラス瓶には、さまざまにカットされた色とりどりの魔石が詰め込まれており、日差しを複雑に反射させて、赤や橙、翠に輝いていた。
その様子はどこか幻想的で「うはー。キレー」と、リヴィが胸の前で手を組み、思わずそう呟いていた。
そんなリヴィの隣で「えっくし」と無遠慮なクシャミをするのは、セリーナだ。
うわっ。もう汚いなー。真後ろでくしゃみするなよー。後頭部にかかったじゃないか。
「あー。埃がジラジラしてて鼻カユいー」と、色気も何もないようなことを言う。
「師匠ー? いないんですかー?」
リコが再度、奥へと呼びかける。
「あー。ちょっと待ってくれるかな? すぐ行くからー!」
工房へと続くドアの向こうから、そんなような声が聞こえて来たかと思うと、ドタバタと慌ただしい音が続く。
唐突に「あ痛ー!」という悲鳴があがって、何かを蹴飛ばしたらしく、ガラガラと何かを引っ繰り返すような音が。
しばらくして「アイタタター」とドアを押し開けて顔を覗かせたのは、もちろんファベルさんだ。
どことなく照れたような、困ったような笑みを浮かべている。
「やあ。リコ君、お帰り。そしてみんないらっしゃい。呼びつけて悪かったね」
ファベルさんは、片手でドアを押さえ、僕らを工房内へと招き入れてくれる。
どうやら、料理の途中だったらしく、ファベルさんはドアを押さえていない方の手にキッチンミトンをしており、天板を下から支え持っている。
工房には甘いような苦いような匂いが充満していた。
「ああ。これかい? クッキーを焼いてみたんだ」
僕の視線に気付いて、ファベルさんがニッコリと微笑む。
「料理はいいよ。魔道具製作に通ずるものがあるね。
――素材を厳選し、見極め、適切な分量に取り分け、必要な形状に加工し、混ぜ合わせ、最適な瞬間を見極め、次の工程へと移る。基本は同じさ」
ファベルさんは、そんなような事を言いつつ、お茶の用意をこなす。
それを当然のようにリコが手伝っていた。
「――で、見極めに失敗すると、焦げたりするわけですね?」
「いやぁ。そうなんだよ。ちょっと目を離した隙に、黒コゲだよ」
頭の後ろに手をやり、恥ずかしそうに笑うファベルさん。
お皿へと移されたクッキーは、ファベルさんが言うほどにはコゲていないように見えた。
僕らは「みんな、寛いでて」というリコの言葉に甘えて、イスに腰掛けていた。
セリーナは言われるまでもなく、テーブルに「うだらぁ」と突っ伏しており、木目に詰まった木屑か何かを、爪でほじくったり退屈そうにしていた。
リヴィは何となく所在なげにしており、工房内をキョロキョロと見回している。
程なくして、お茶の用意が整うと「じゃ、お茶にしようか」とファベルさんがそう言って、ティーポットから、僕らのカップへとお茶を注いでいく。
いや。お茶もいいけど、一体何の用なんでしょう? とか、思いつつも何となく言い出せないヘタレな僕は、とりあえず、クッキーへと手を伸ばす。
ファベルさんお手製クッキーは甘苦かった。
ファベルさんとの他愛ない会話は、天気の話題から魔導力学、錬金術へと移り、哲学や歴史、宗教というなかなか濃い内容になっていた。
リコと中身三十路な僕にとっては、それなりに有意義な話だったけど、リヴィとセリーナの二人は心底詰まらなさそうで、早々に飽きたらしく二人でお喋りをしていた。
「そういえば、ファベルさん。僕らに何か用事があったんじゃないんですか?」
話の間隙を突き、お茶を一口飲んでから、僕はファベルさんへと、そう尋ねていた。
「ああ。そうだった。危うく忘れるトコだったよ。ユノ君。
――ユノ君は、僕がしばらく留守にしてたことを知っているだろう? コラテラルビーチに素材を集めに行ってたんだけど、ちょっと夢中になりすぎちゃってね。余剰素材で魔道具の試作品を幾つか作ってみたんだよ。
それをユノ君たちに、実際に使って貰って、意見を聞かせてもらいたいんだ。――あ。もちろん、お代はいらないよ」
あー。試供品のモニターみたいなカンジ? まー。僕としては興味あるけど。
なにせ、魔道具って欲しくても、メチャメチャ高いんだよねー。ちょっとした『お役立ちアイテム』みたいなモノでもに小銀貨5枚とかするのだ。貧乏準貴族の子供がホコホコ気軽に買える値段じゃなかったりする。
有り難いのは有り難いんだけどなー。
なんか話がウマ過ぎない? リコの師匠だから、疑いたくないけど。それでも何かなー。
思わず、アゴに手を当てて思案する僕。
ファベルさんは、そんな僕の様子を見て疑問を見抜いたらしい。
「あー。もちろん。僕にも下心はあるよ? 君たちがダンジョンで手に入れた素材のうち、ギルドの依頼分を差っ引いた、余りを僕に引き取らせて欲しいんだ。
もちろん、お金は払うよ? 状態の良いものなら、ギルドの買取窓口よりイロを付けて買い取らせて貰う。
何せ、ギルドって素材の状態が悪かろうが、どうだろうが、一律定額で買い取るんだ。そのせいで今、市場に出回ってる素材のほとんどがギルドから卸されるものばかりになってしまっている。しかも、そのどれもが、到底、職人を満足させる水準に達してないんだ。
だから、職人たちが自力で素材調達に出なきゃならなくなる。しかも、冒険者ギルドの連中、貴重な素材が獲れる場所を軒並み危険区域と銘打って、一般人の立ち入りを禁止にするもんだから、ただでさえ流通しにくいレア素材が、なおさら手に入りにくくなってるんだよ。
冒険者ギルドって職人にしてみれば、良いお客さんであると同時に、いい迷惑でもあるんだ」
ふーん。ギルドの思わぬ弊害ってやつだねー。そんなことになってるとは夢にも思わなかったよー。
それにしても、ギルドの人たち、なに考えてんだろ? 素材の良し悪し関係なく定額買取なんかしたら、品質下がるの目に見えてるはずなのに。
このままだと、アクーラの産業、弱まる一方じゃないか。
あっ。もしかしたら、それが狙いだったりして? そう考えると、ギルドが銀行業にまで手を広げてる理由が分かるような気もする。
――って、領主の息子である僕からしたら、全然ヒトゴトじゃないんですケド!
それにしても、ファベルさん。今のところ変人要素ないなー。むしろ真っ当な人じゃない。
「ま。そういう訳だから、僕が君たちに魔道具を提供するのは、いわゆる先行投資みたいなもんだよ。
アクーラ出身の君たちには、ぜひ採取の達人になって貰いたい。
――じゃ、少し待っててくれるかな? イロイロ試して貰いたいものがあるんだ」
そういうと、嬉々として席を外すファベルさん。工房のあちこちから、何かを引っ張り出すと、両手一杯に荷物を抱え、戻って来る。
それを作業テーブルの上へ、ドサーッと拡げて見せた。
「とりあえず、こんなもんかな?」と、ファベルさんが誰ともなしに呟いて「――じゃ、リコ君にはコレね」と、リコへと渡したのは、機工杖だった。
それはリコが使っているものより、一回り大きく、片手で扱うのは難しそうだ。肩から提げられるよう革製のベルトが付いている。
「水妖の魔石から作った、水属性魔術『アクア・ベーゼ』の球状魔法陣を嵌め込んだ機工杖だよ。
リコ君が自作した付与魔術のスフィアも有効だと思うけど、実戦ともなれば直接攻撃も必要になるだろうしね。
ちなみに、この機工杖、魔術式を瞬時に多重展開できるよう細工してみたんだ。
おかげで連射できるようになったんだけど、その弊害でスフィアの取替えが出来なくなっちゃったんだよねー。魔力消費も大きいから、予備の魔晶石も幾つか持って行くといいよ」
サラッととんでもないこと言うねファベルさん。
機工杖ってそもそも無詠唱みたいなもんなのに、さらに連射できるって何だよ? こうなっちゃったらもー、僕の存在意義なくなーい?
「セリーナ君にはこの丸盾を使ってもらおう。仙岳海亀の甲羅から削り出した盾だよ。
この盾に兵方術の身体強化を使う要領で魔力を注ぐと、周囲に不可視の障壁を展開することができるんだ。
その障壁なら短弓の矢程度なら問題なく吹き散らせるし、敵の動きもある程度なら阻害できるから、前衛の君にはお誂え向きだろ?
ちなみに、この丸盾は『防具屋アミル』の店主デファンスさんとの共同制作です」
あー、スゴい助かる。ウチの前衛、セリーナだけだから敵の行動阻害は嬉しい。しかも飛び道具対策にもなるって、何気に高性能だなーオイ。
「次はリヴィ君だね。リヴィ君は回復の要だから、1も2もなく生き延びなくちゃならない。という訳で、このマントをあげましょう。
海大蛇の革で作ったマントだ。前で合わせられるようになってて防刃性能が高く、水の加護が備わっているため、革製品なのに水洗いできる優れモノだよ。裏地には銀糸で治癒促進の護法紋を刺繍で施してあるから、ちょっとした怪我程度ならこれを着て過ごせば知らない内に治ってるよ。
ちなみに、これは『革工房オネスト』の店主ムエットさんとの共同制作です」
うーん。何だろ。革製品なのに水洗いオッケーとか、ちょっとした怪我がすぐ治るとか、一気に『主婦大絶賛!』みたいなカンジになってない?
「――で、最後にユノ君にはコレ! 僕の自信作だ」
そう言ってファベルさんが差し出したものに、僕は絶句する。
・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・。
えー、あーうん。どっからどう見ても『おしゃぶり』にしか見えないんですけど?
僕は疑惑の眼差しをファベルさんへと向ける。
「まー。騙されたと思って、くわえてみるといい」
ファベルさんが、いつもの笑顔を浮かべたままで、僕の口へとおしゃぶりを突っ込んだ。
反射的にチュパチュパしてしまう僕。
あー。うん。なんだろ? 結構いいなー。落ち着く。何だコレ? ちょー落ち着くんでけどー?
「師匠、アレにはどんな効果が!?」
リコがわくわくした表情で、師匠であるファベルさんへと尋ねる。
「見ての通りだよリコ君。具体的な効果としては、乳離れ出来ていない子共に限り、スゴく落ち着くという効果があるのだ!
そして、ユノ君は魔術師だ! いついかなる時でも、たとえオッパイが恋しくなっても、冷静沈着でいなければならない! ゆえの『おしゃぶり』なのだよ!」
いやいや、キリッ顔でそれらしいこと言ってるけど、結局タダの『おしゃぶり』だよね!?
「そして特筆すべきは、とある特殊な趣味の持ち主への、絶大な魅了効果があるという点だろう!
個人的にはユノ君の従属精霊たるパステトを、頭に乗せると尚のこと宜しい!」
ふあっ! この人アレだ! ウチの姉と同類の人だ!
思わず、愕然とする僕に「――というのは、半分冗談で」とそう言う。
あー。半分は本気なんだ。
じゃ、アレだ。完全アウトな人だ。
「そのおしゃぶりは、口にくわえた時だけ、使用者から魔力を吸収し、蓄積するようになっててね。蓄積された魔力はもちろん、魔術を使う時に流用できる。だから何もない時には、出来るだけ、くわえておくようにするといいよ」
何と言う巧妙な罠! とはいえ意外に使えるかも。
――って、よくよく考えたら闇属性の魔晶石で代用できるんじゃないの!? シュナイゼス坑洞でやったみたいに!
まー。イイケドねー。貰えるもんは何でも貰っとく主義だし。ゴミと病気以外はー。
――で、僕がファベルさんに貰ったおしゃぶりは、陶器っぽい材質でできていて、首から提げられるよう銀鎖が付いていた。落としてしまわないようにとの配慮らしい。意外と芸が細かい。
僕はおしゃぶりを首から提げ、言われた通り、おしゃぶりをくわえておくことにした。
断じて落ち着くからではない! 断じて、だ! これはイザッて時のアレなのだ。アレ! えーと、何だっけ? そう! 予備の魔力タンクなのだ!
みんなは口々にファベルさんへと、お礼を言うと、さっそく貰った装備をイソイソと身に付け、ご満悦である。
その様子は前世でいうところの、サンタクロースにプレゼントを貰った子供たちのようで、見ていて微笑ましい。
いや、おしゃぶりくわえてる僕が一番微笑ましいのは知ってる。
それは、ともかく。
リコなんかは、師匠お手製の機工杖に興奮して、頬ずりなんかしてるし、セリーナなんか「ハーッ!」とか言いつつ、無闇に障壁を展開して遊んでいる。
にしてもアレだなー。ファベルさん。僕と他の子とじゃ、愛情の方向性が違いすぎませんかねー?
僕としては闇属性の短杖とか欲しかったんだけどなー。
いや、タダで貰っといてなんだけど。
そんな僕の気持ちが表情に出てたのだろう。
「ふっふっふ。ユノ君。不満そうだね?」
と、不適な笑みを浮かべるファベルさん。
「そんな不機嫌丸出しのユノ君でも、裏庭に停めてあるアレを見れば一発で、上機嫌になること請け合いだよ?」
え? 何だろう? おしゃぶりの他にもなにかあるの? まさか、僕を裏庭に誘い出す口実じゃないよね!?
「さあ、ユノ君。おいでー? 怖くない。怖くないよー?」
とかゆー、ファベルさんに不審が募る。
僕は座ってたイスからズリ落ちるようにして床に下りると、テテテーと駆けてって、リヴィの後ろへと隠れる。
そんな僕の様子にガックリするファベルさん。
リヴィはファベルさんから貰った、薄いピンク色のマントを羽織り、嬉しそうにしていた。
「――ま、ホントのところを言うとユノ君に、というよりは皆に、って言う方が正しいんだけどね」
そう前置きして、ファベルさんは裏庭へと出て行ってしまう。
その後を付いて行く僕ら。
ファベル魔道具店の裏庭には、一台の荷車が停めてあった。
そして、その荷車に繋がれている生き物を見て、思わず僕はおしゃぶりをポロリと取り落としてしまっていた。
おしゃぶりが、銀鎖の長さだけ落下する。
そこにいたのは、鎧竜だった。
僕はライノセロスへ、ダッと駆け寄ると、そのゴツイ皮膚へと、ハシッとしがみ付き、思わず「好き」と思いの丈をブツけていた。
「おーっと。ユノ君てば大胆。初対面で愛の告白だー」
「うんうん。ユノ末永くお幸せにね。それにしても、何で男の子ってライノセロス大好きなんだろ? ちなみにソレ、角あるからオスだよ」
「あー。僕も覚えあるなー。ライノセロスってカッコイイんだよね。丸くなるし」
口々に好きなことを言ってるのが聞こえて来るものの、今の僕はそんなことどうでも良かった。
だって、ライノセロスだよ!?




