第26話 どうにかこうにか生き延びました。
僕達は坑道を逃げに逃げていた。
4階層から3階層を抜け、2階層の半ばまでをすでに踏破している。
かなりのハイペースだったけど、それというのも土石流を思わせる瘴気に追われ、暴走状態にある魔物の群れに飲み込まれないよう、血管も切れよとばかりに足を交互に動かし続けていたからだ。
とはいえ、僕は後ろ向きにセリーナの肩へと担がれてるだけだし、パステトはリコの頭の上で背筋ピーンである。
手の空いている僕とパステトは、魔物の足止めに徹していた。
僕はパステトの力を借り、闇の下位精霊魔術シャドウ・エッジを無詠唱で連発しつつ、リコに借りた機工杖で魔物を狙っていた。
巨大ムカデが岩壁をワシャワシャと這い、最後尾を走るリコへと間近に迫ると、こんな時でも食欲が優先されるのか、何の迷いもなく、リコへと襲い掛かってくる。
僕は慌てず騒がず、巨大ムカデへと狙いを定めると機工杖を発動させた。
射出された光弾は、狙い違わず標的へと命中する。
巨大ムカデは不可視の鎖に雁字搦めにされると、地面へと叩き付けられ、数匹の魔物を巻き込みつつ、暴走する群れへと踏み潰されていく。
「ギュキィ!」という断末魔の悲鳴と共に、緑色した体液がブチ撒けられる。
「うわっ! グロッ!」と、思わず小さく呟く僕。
追いつかれたら、巨大ムカデの二の舞かー。絶対ヤダな。
という訳で、走れセリーナ! 競走馬の如く!
どこまでもセリーナ任せだけど、切実にそう思う僕だった。
セリーナの肩に担がれ、突出した魔物をチマチマ撃退してる僕とは違い、パステトはというと、リコの頭上で砲台と化していた。
闇の中位精霊魔術シャドウ・ランチャを無詠唱で3発同時に展開すると、魔物の群れに向けてバカスカと撃ち込んでいるのだ。
リコにしてみれば、丸腰な上、すぐ背後でシャドウ・ランチャがドッカンドッカン炸裂しているのだ。
気が気じゃないらしく「うひー」と悲鳴を上げている。それでも後ろを振り向かないのは、そうすることでスピードが落ちるのを恐れてのことだろう。
とはいえ、そんなことより、遥かに問題なのは、パステトの使っている魔術のコストが、どうやら僕持ちらしいということだ。
そのせいで、僕の魔力がガンガン減って行く。
ぬはー。このままじゃヤバいー。干からびてしまうー。
とか、思ってると、リコが声を上げた。
「ユノ君。マズイよ。そろそろ一階層だっ!」
一瞬、リコが言わんとすることが解らなかった僕だけど、すぐさま理解した。というより思い出していた。
確か、1階層から2階層に降りる道は狭く、急な下り坂になってたはずだ。
ということは、それを逆走しようとしている今、2階層から1階層へと上がるためには、狭くて急な上り坂を走り抜ける必要があるってことだ。
上り坂ともなれば、当然、スピードダウンは免れないし、そうなれば魔物の暴走に巻き込まれる可能性が高くなる。
なにせ、相手は壁とか天井とか、問題なく這いずり回る、虫系のモンスターばっかりなのだ。ちょっとした坂道程度で減速してくれるとは思えない。
うーあー。ヤバいぞ! このままだと、本気でヤバい!
何かないか? 何かあるはずだ!
考えろ! このままじゃ皆、死んじゃうぞ!
脳みそをフル回転させてる間にも、坑道はどんどん狭まって来ていたし、徐々に傾斜もキツくなって行く。
ええい! もう! どうせ考えるも何も、僕が持つ、一番強力な手札はパステト以外にないんだし、今の状況を打開するには、それこそ力技ぐらいしかない!
ただ問題なのは、僕自身がガス欠寸前だってこと!
デカいの一発ブチかまそうにも、魔力が足りない。
しかも、仕方がないとはいえ、パステトは今も魔物の足止めのために、容赦なくシャドウ・ランチャ
をブッ放し続けている。もちろん、そうしなければ、今にも追いつかれそうだからだ。
ぬあああー! もう! ジリ貧過ぎるー!
思わず頭を抱えそうになった僕は、右手に握る機工杖へと目が留まった。
いや。正しくは機工杖に嵌め込まれているスフィアに、だ。
あった! 思い出した! あったよ魔力源!
「リコさん! 闇蜘蛛の魔石! アレを僕に下さい!」
「そうか! すっかり忘れてたよユノ君!」
リコは大慌てでバッグの中をガサゴソと漁り、それでもさほど時間を掛けず、拳大の黒い魔石を取り出すと、こちらへと放り投げた。
僕はそれを2、3回お手玉して、どうにかキャッチする。
危ねっ! 落っことすとこだった!
僕の手の中に納まった黒い魔石は、かなりの魔力を孕んでいるようだった。
闇の力を内包するその魔力は、僕との親和性がとりわけ高いらしく、ただ持っているだけで、まるで乾いた土に水が染み入るかのように、僕の中へと魔力が流れ込んで来るのだ。
よしっ! これならイケる!
僕は意識を集中させると同時、パステトへと呼びかけた。
行くよ! パステト!
パステトへと深く感応する。
僕の意を汲んだパステトが、猫の姿を解き、周囲の闇へと同化した。
パステトが闇を掌握する。
僕はその瞬間、周囲80メルテに現存する、闇へと属する原始精霊と下位精霊の全てを従属させていた。
トランス状態へと陥った僕は、セリーナの肩で脱力した。
思わず、声を上げるセリーナ。僕を心配してのことだ。
僕は闇の精霊へと働きかける。
[圧し潰せ!]
僕の声なき声と同時、超重量の力場が形成された。
それは闇の上位精霊魔術『グラビティ・ソロー』だ。
ズンッ!
という坑道を揺るがすような衝撃と共に、目に見えない巨人の足にでも踏み付けられたかのように、魔物の群れが潰れた。
僕はその力場を維持し続け、道を塞ぐ。
後ろから押された魔物が、次々と力場に囚われると、成す術なくぺちゃんこに押し潰されて行く。
凄まじい勢いで魔力が消費されて行き、魔石にピシリとヒビが入った。
その間にも僕達は、急な坂を上り、2階層から1階層へと辿り着く。
「凄いよユノ君! これなら逃げきれそうだよ!」
リコが思わず歓声を上げる。
でも、僕にはそれに答える余裕がない。
制御をミスすると、魔術が霧散してしまいかねないからだ。
そうしている間にも、魔石に蓄えられた魔力がみるみる消費されて行き、ピキピキとヒビ割れが広がって行く。
やおらして、パキンと小気味良い音と共に魔石が砕け散った。
魔石に肩代わりさせていた魔力消費が僕へとのしかかる。
僕は「くっ!」と、呻き声を上げると、堪らず魔術を解除した。
ほんの一瞬とはいえ、結構な魔力を持って行かれてしまう。
「もう限界です! 魔術、解けちゃいました!」
グラビティ・ソローの効果が切れると同時、それまで食い止められていた瘴気が1階層へと溢れて来る。
黒い靄を思わせる瘴気の中を、のたうち回る魔物の姿が見えた。
瘴気に侵され、それでもなお生き残った個体は、ミチミチと音すら立てて、歪に変容して行く。
いわゆる『堕ちる』という現象だ。
さらに禍々しく強大に変容を遂げた魔物は、それでも、それほど多くはないらしい。
高濃度の瘴気は魔物をしても、猛毒であることに変わりはない。
それに適応できた個体のみが『堕ちる』のだ。
どんどんと膨れ上がって行く魔力察知の反応に、僕の顔から血の気が失せていく。
とはいえ、僕達としては、幸運なことに、その堕ちた魔物共は特に仲間意識とかはないらしい。
せっかく生き延びたというのに、すぐさま食い合いを始めていた。
あの魔物共は、今のところ食い合いに夢中だけど、その興味が僕達に移ったらヤバいどころの話じゃない。
何せ、今の僕達はクタクタだ。特に魔力切れかけの精霊魔術師、つまるところ僕なんか、今やただの足手まといでしかない。
僕達にできることは、相変わらず逃げることだけだ。
―――と、猫の姿へと戻ったパステトが僕の背中へと着地する。
それと同時、僕の中にあった万能感が喪失し、その代わりに疲労がドッと押し寄せて来る。
それでも僕は残り少ない魔力を振り絞り、どうにか魔力察知を維持し続けていた。
そうしないと、クレイゴーレムやサーチライトゴーレム1号2号のコントロールが出来なくなってしまうからだ。
僕はリコへと手を伸ばし、機工杖を差し出した。
いざという時、リコに自衛の手段がないのは、マズい。
それに今の僕には機工杖を発動させるための微小な魔力でさえ、惜しいのだ。
僕から機工杖を受け取ったリコは、それを腰のホルスターへと落とし込む。
リコは相当、疲れているようで、表情には出さないものの、その額には大粒の汗が浮かんでいた。
その隣を走るリヴィにはまだ余力があるらしく、表情こそ青ざめてはいたものの、その足取りはしっかりしている。
そのことに男としてのプライドが傷付けられたらしいリコの表情が、ちょっとだけ悔しそうに歪む。
まー。性差っていうよりは、むしろ種族の差だろうし、僕としては気に病むことでもないと思うんだけどな。
そのまま、しばらく走り続け、坑洞の入り口がどうにか見えて来た頃、
グオオオオオオッ!!!!
という突然の雄叫びは、坑道の奥からのものだった。
それは断末魔の悲鳴ではない。勝利の雄叫びというやつだ。
恐らくは、さっきの魔物同士の争いで生き残った個体のものだろう。
その魔物から発散される魔力は相当なもので、魔力察知の範囲外でありながら、その魔力がバシバシと伝わって来る。
その雄叫びを背中で聞きながら、僕らは命からがらシュナイゼス坑洞を脱出した。
外に出ても、しばらくの間、走り続けると、坑洞の入り口から離れた、少し小高くなっている場所まで移動し、まるで示し合わせたかのように倒れ込んでしまう。
夕日なのか朝焼けなのか、時間の感覚が失われている僕には判断が付かなかったけど、ともかく世界は赤へと沈んでいた。
セリーナの肩から放り出された僕は、草原の上を転がると「うにゅ」とうつ伏せになる。
そのまま、草原へと頬を押し付けた。
僕と一緒に放り出されたパステトは、空中で器用に体勢を整えると、僕の頭へと着地する。
僕が身を起こすのに合わせて、パステトは僕の膝の上へと移動して来た。
お疲れパステトー。お陰で助かったよー。最後の大技スゴかったねー?
とか、思念を送りつつ、パステトを撫で撫でする。
『もっと褒めてー』『ナデてー』
パステトにしては珍しく甘えてきたので、ここぞとばかりに背中とかアゴとか喉を撫でてやる。
パステトは喉をゴロゴロと鳴らしたり、僕の手を抱えて、甘噛みしたりする。
調子に乗った僕は、パステトを抱き上げようとして―――、
『それはイヤ』と、拒否された。
あうー。ムリかー。と、項垂れる僕に、
『もう休むー』という思念が追い討ちを掛ける。
ええー! もうちょっとー。と、ダダを捏ねる僕に『イヤー』という思念を残して、パステトは素早く身を翻したかと思うと、僕の影へと「ちゃぷん」といった感じでダイブした。
おおー! スゴい。影に潜った。
僕の影へとエスケープしたパステトは『明るいのニガテー』と言ったのを最後に、その気配がふっつりと途切れた。
お疲れさまー。パステト。アリガトねー? ゆっくりお休み。
パステトが僕の影へと引き篭もってから、しばらく、魔力を消費し過ぎた、僕はすることも思い付かずボンヤリとしていた。無用心なことに魔力察知も使っていない。当然クレイゴーレム達も、あっちこっちで丸くなっている。
えーっと。これからどうやって、アクーラに帰ればいいんだろう?
ギルドの迎えって来んのかなー?
それとも、自力で戻んなきゃなんないのかなー?
そういや、ギルドの子って、もう脱出してるのかなー?
そんなことをボーッと考えてた矢先、
「ぬはーっ! 死ぬかと思ったッス!」
と、どっかで聞いたような声がして、4つある入り口の内、その一つから5人の人影がズザザーッといった感じで飛び出して来た。
あ、二尾狼の連中だ。
えっと? なんか人数、増えてない? いや、減ってる? 増えてる? どっちだ。
数的には増えてるけど、なんか見覚えない人が増えてて、見覚えある人が減ってるような気が。
あの、名前忘れたケド、馬車に乗り合わせた東洋人っぽい人がいないような?
どういう訳かギルド仮面のオジサンが一緒にいるし。
んで、毛むくじゃらの狼男っぽいのが、増えてるし。
もしかして、見当たらない東洋風の男が変身した姿だったりして。
―――って、どうでもいいか。出来れば係わり合いになりたくないし。こっちに気付かないでくれたらいいなー。今、クタクタで相手する元気ないし。
僕のその思いは、どうやら皆、共通らしい。
頭を低くして、地面へ這いつくばり、二尾狼から見つからないようにしている。
僕らがこっそり見守る先で、二尾狼の連中がギャーギャー喚き出した。
なんとなく小競り合いに発展しそうな気配。
地形のせいか、僕達のいる場所からだと、二尾狼の連中が喋っていることが丸聞こえである。
「今ッスよ! ラーチさん! 邪神像のち○こ奪い返すッス!」
「アホかお前? せっかく拾った命を、わざわざ捨てるようなマネ誰がするかよ?」
「ふむ。そこのカサブタ男、見た目より遥かに賢明だな? 私は私と私の信奉する正義に楯突く者に一切の慈悲は持ち合わせておらんぞ?」
なんか仮面の人と青い人が揉めてるみたいだ。それをトカゲな人が面倒臭そうに眺めている。
―――で? 邪神像のち○こって何?
「うがーっ!! やってらんねーぜ、コンチキショー! イクスロードのヒヒオヤジがっ!! 俺を良いように使いやがって!! 絶対ぇブッ殺す!!」
「そーよ! そーよ! フリューゲル様をコケにしたヤツは問答無用で死刑よー!」
んでもって、隻眼の怖い人と毛むくじゃらが、何やら不穏なことを口走っていた。
けど、ま、いっかー。
イクスロード公爵家って言ったら、何かとウチにちょっかい出して来る鬱陶しいトコだし。
そんなことよりも、あの狼男ってもしかしてオカマな人? しかもオッサン好き?
―――っていうか普通、狼男って見境なく人とか襲うもんじゃないの?
何であの狼男、正気なんだ? いや正気なのか? んー? どうなんだろう?
「ふはははー。ではな! 二尾狼共! 今度、合い見えることがあらば、その時こそ我が正義の鉄槌にて完膚なきまでに粉砕してくれようぞ!」
ギルドの人は、そう声を上げるや否や「ふははははー」と、尾を引く哄笑を上げながら、あらぬ方向へと爆走して行く。
あの人も大概だなー。物凄く足が速いけど、まさか町から町まで走って移動してるってことはないよね?
さすがに、それはないかー。いや、あり得るかもしれない。
セリーナは、仮面の人が地平の彼方へ消えるまで、小声で「溶けたチーズを掛けちゃうゾー」と、ずっと呟いていたりする。
しっかりトラウマになってるみたいだ。
二尾狼の連中は僕達がいる場所とは別の方向へと歩いて行く。
多分、イクスロード家の坊ちゃんがいる天幕へと向かっているのだろう。
どうやら鉢合わせしないで済みそうだ。
シュナイゼス坑洞の入り口からモクモクと、瘴気が溢れている。
その瘴気は清浄な空気に触れた途端、ジュシューと焼けた鉄板に水をブチ撒けたような音を立てて、霧散して行く。
その様子は何となく、前世のテレビで見た、ブラックスモーカーを思わせた。
ブラックスモーカーとは深海の海底にある、煙突状の噴出孔のことで、なんかイロイロな金属と硫化物の溶け込んだ熱水―――と言っても300度ぐらいある―――を噴出させていて、硫化物が水と反応し黒くなることで、名前の通り、まるで黒い噴煙をモクモクさせているように見えるのだ。
そのブラックスモーカーの周辺には、深海ということもあってか、独特な生態系が形造られており、人間の目には奇妙に写る生き物がウジャッてたりする。
多分、ここもそんな感じになるのだろう。
瘴気の噴出が納まる頃には、ここら一帯の植生は変化し、モンスターがウロウロする、冒険者垂涎な恰好の狩場になってることだろう。
そうなったら、僕も稼ぎ放題だろうなー。
目標金額もあっと言う間に溜まるかもしれない。
ウチの財政も潤うだろうし、案外イイコト尽くしかもなー。
とか、甘いことを考えてたら、いつの間にか、僕は眠ってしまっていた。
ちなみに、アクーラの都市伝説に『ムスッペルの怪人』の他、童貞のち○こを捥ぐ『邪神ち○こ置いてけ』と中年紳士を毒牙に掛ける『オカマな狼男』が追加されたことを知るのは、僕らがアクーラの町へと戻ってから、実に3日後のことである。
そのことは、つまり、アクーラに住む少年少女のみならず中年のオッサンにすら安息の地がなくなったということであり、セリーナだけじゃなく、童貞の僕とリコに加え、父カフドもピーンチなのであった。
まー。余談ながら、本ッ気で「何だそりゃ!?」な話ではあるんだよねー。




