第20話 怪人の正体
ね、眠い。
僕らの横を通り過ぎて行ったムスッペルの怪人は、ライティングの効果範囲へと外れると、闇の中へと沈んでいった。
思わず、大声を上げた3人は、慌てて口を噤む。
呼吸すら忘れて、体を強張らせる。
ヤツは僕らの横を通り過ぎる刹那の間、僕達のことを観察しているようだった。
まるで猛禽が獲物を品定めするかのような視線。
その双眸に、僕達は否応なく悟らされていた。
格が違う。
あれが、怪人だろうと変人だろうと、僕達が束になっても敵う相手じゃない。
遠ざかって行く気配に、僕はこっそりと、安堵の息を吐く。
一瞬のこととはいえ、極度の緊張から開放された僕らは、気が抜け過ぎて、その場へと思わず座り込んでしまった。
―――と、突然に泣き出したのは、セリーナだった。
マジ泣きするセリーナに、僕とリコはどうしていいか分からず、オタオタするだけで何も出来ない。
「どうしたのセリーナちゃん!?」
ペタンとお尻を地面に付け、幼子のように泣きじゃくるセリーナの肩を、リヴィが抱き締めながら、あやすように、優しく声を掛ける。
セリーナはぐずぐずと、なにかを言っているようだったけど、全く要領を得ない。
泣いている原因がわからず、少しイライラして来たらしい、リヴィが「泣いてちゃ、分かんないよ?」と、少し強い目の口調で言う。
「だって! わたし、しょじょだもん! ムスッペルの怪人に、真っ先に殺されちゃうよー!」
セリーナはヒステリーモードへと、移行したらしく、そんなことを叫んだかと思うと、どういう訳か怒りの矛先を僕らへと向けた。
泣きながら怒鳴る。
「いいよね! リコとユノはチ○チ○付いててー!! 八百屋のオバちゃんも『いっつも、苦労するのはオンナばっかり』って言ってたし!」
いや、なんか、チ○チ○付いててゴメンなさい。
「大丈夫よ。大丈夫だから。ね? 怖いのはセリーナちゃんだけじゃないから、だから落ち着こうね?」
必死で宥めるリヴィの言葉が届いたか、セリーナが鼻を啜りつつ、リヴィを見やる。
やおらして「嘘だ」と、小さく呟いたセリーナの目は虚ろだった。
「だって、リヴィ! しょじょじゃ、ないじゃーん! 衛兵のリカルドさんとネモさんが、リヴィのこと『初めてのハツジョーキ以来、ヨルはスゴイらしいって、モッパラのウワサ』だって、話してるの聞ーたもんっ! モッパラってどういう意味ー???」
再び「びえーん」と、泣き出すセリーナ。
つーか、引っかかるとこ、そこ?
へー。専らの噂なのかー。
「わたし、ここで生き血とか吸われて、カラカラに干からびて死んじゃうんだ。そしてゾンビになってアシッドスラッグに食べられちゃうんだ」
「いや、泣きたいのこっちだから。そんな噂が立ってたなんて。わたし、これからどんな顔して、町の中歩けばいいの・・・・・」
ずーん。と沈み込む二人。
いや、こんな所で落ち込まれても。
「ともかく、二人共、さっさと立って。逃げるよ? あんなのがいたんじゃ、オチオチ黄銅採取なんてやってられないからね?」
「うん。そうですね。ギルド登録は残念ですけど、次の機会にしましょう。死んじゃったら意味ないですから」
リコの提案に乗っかる僕。
これから、5階層に向かうとなると、ムスッペルの怪人(仮)が進んだ方へ、自ら向かうことになる。
闇蜘蛛どころの話じゃない。
「あいつ、戻って来るの?」
「かもしれないって話さ。セリーナ、酷なようだけど、君が先頭に立ってスケルトンと戦ってくれないと、僕達もここから動けない」
不安そうな表情を浮かべるセリーナに、リコが言い聞かせるように、そう言った。
僕はそんな二人のやり取りを見やりつつ「いや」と声を上げる。
「手遅れかもしれません。ヤツが来ます!」
相変わらず、魔力察知に何の反応もなかったが、首筋がチリチリするような感じは間違いなくアイツだ。
僕はサーチライトゴーレムの光を気配へと向ける。
その人物は光を手で遮りながら、僕らのすぐ近くでこちらの様子を伺っていた。
「いやぁ!」と、声を上げたのはセリーナだった。
「ええーっと。何だっけ? そだ。『溶けた鉛をかけちゃうぞー』『溶けた鉛を―――』」
いやいや。それを言うならチーズだよリヴィ?
僕は自分でも驚くほど、冷静にムスッペルの怪人を見やっていた。
というのも、その男から一切の殺気を感じ取れないでいるからだ。
それでも、目の前の人物からは、ものすごい威圧感だけは伝わって来るが。
「ほー。それはクレイゴーレムか。なるほど付与魔術を施しているのか。面白いことを考える」
ムスッペルの怪人の第一声がそれだった。
もう、一巻の終わりだと、半ば覚悟していたセリーナは、怪人の意外な言葉にポカンとしており、身構えていたリコも、思ってもみない展開に目を瞠っている。
リヴィは、戦う意思のなさそうな、怪人の様子に、ちょっと安堵している。
「オジさん、だーれ? 悪い人? それともムスッペルの怪人さん?」
僕は幼児性を全開に、そう訪ねる。
「ハハハ。よりによってムスッペルの怪人と勘違いされるとはな! 違うゾ坊主。わたしはギルドの特殊職員だ。いわゆる正義の味方だな。秘密裏に世界の平和を守っているのだよ!」
「ええー。いかにも悪者っぽそうな格好してるのに?」
自称正義の味方は黒のマントを羽織り、艶の消された黒い革鎧を着込んでおり、その顔には白の仮面を被っていた。
その黒マントに白の仮面というのが、怪人の特徴なのだ。
そんな格好で、ウロウロしてたら、そりゃムスッペルの怪人呼ばわりされても仕方ないだろう。
ま、日本なら、こんな怪しいヤツ、ご近所をウロウロしてたら、即、通報するだろうけど。
しかも、自称正義の味方だしな。完全アウトだ。
「ふうむ。一応この格好は特殊職員の正装なのだがな。ギルドの流した噂に尾ヒレが付き過ぎたか」
そう小さく呟く、ムスッペルの怪人改め、自称正義の味方。
僕の耳は特別、いいので丸聞こえである。
にしても、ギルドが流した噂って『ムスッペルの怪人』のことか?
なんで、そんなことを? この坑洞に何かあるのか?
「坊主いいか? 良く聞くんだ。私が仮面で顔を隠しているのは、悪い人に正体が、バレてしまわないようにという配慮からなのだよ。
―――さて、納得して貰えたところで、さっそく本題に入ろうか?」
いや、まるで納得はしてないけどな。
みんな、疑いの眼差しなんだけど、コイツ、分かってないのか? それとも分かってて、あえて無視してんのか?
ともかく、口を挟むと怒られそうなので、黙っておこう。
「わたしは、君たちに試験の中止を伝えに来たのだよ。
それと、一つ尋ねたいんだが、君たちはこの坑洞に入ってから、他の受験者にあったかね?」
「いいえ。誰ともあってないです。3組とも別の入り口から入ったようですから」
自称正義の味方に、そう答えたのはリコだ。
「そうか。道理で。5階層まで行って来たが、君たち以外、誰もいなかったのだ。
では、坊主共、急いで戻りたまえ。私はすることがあるのでな。出来るだけ急ぐんだぞ?」
そう言い残すと、自称正義の味方は坑洞の奥へと、物凄いスピードで走って行くのだった。
いや。僕達、置いてけぼり?
普通、正義の味方なら外まで無事、送り届けるもんじゃないの?
―――って、試験の中止を報せるだけで、あんな厳つい人をギルドが派遣するとも思えないし。
絶対なんかあるよな。
でも、とりあえず僕らにしてみれば、この騒ぎで、地味に一番ダメージ食らったのってリヴィだよねー。




