空駆けるプリン
カミサマは、私を箱庭に置いたことすら忘れてしまった。
知らない世界にひとりぼっち。
風だわ。今なら、私、翔べそうよ。
☆☆☆
あたし、三鈴ことり、中学1年生。
2学年上のハルカ先輩は、一見、おだやかな文学少年。一方、双子のカナタ先輩は、でかい態度の自信家野郎。
いつも女子の話題の中心にいる二人が、特に目立つわけでもないあたしに、ちょっかいを出すようになったのは、そう前の話じゃない。
「先輩方、間違ってます!」
あたしは、机を両手で叩いた。
「誰も不幸にしないスマートな解決法だろ」
カナタ先輩が、両足を机に乗せて、ふんぞりかえっている。
「それとも、ことりちゃんは、誰かを悲しませることが正しいと思うのですか」
ハルカ先輩が、ふざけるように、天を仰ぐ真似をする。
「こいつら…」
これが、人に告白する態度か!
“どちらか選ぶなんて許さない。どちらも選ばないなんて、もっての他。”
何よそれ。あたしに選択の余地はないわけ?
三人で付き合うなんて、あり得ない!
☆☆☆
果たして、放課後に図書室を解放する必要はあるのだろうか。図書委員の私は、パイプ椅子をギイギイ言わせて一向に現れる気配のない客人を今か今かと待っていた。
それに気づいたのか、同じく隣に座っていた図書委員のハルカ先輩は、読んでいた恋愛小説をパタンと閉じて大袈裟にため息をついてみせた。
「そもそも、愛が一つしかないなんて、誰が決めたのでしょうか」
「一つであって欲しいと願うことを愛と呼ぶのではないのですか」
あたしの返答に納得がいかなかったのか、先輩は、意地悪な目をして、こちらを覗き込んできた。
「要するに、ことりちゃんは、僕たちのことを独り占めしたいのですね」
こちらの動揺を悟られまいと、私は、わざとらしく話題を変えた。
「今日は、恋愛小説ですか。この間は、科学雑誌を読まれていたでしょう。遥先輩は、本当に活字がお好きですね」
「確かに、嫌いではないですね。子供の頃から何かと読んでいますから」
「凄いですね。あたしは、児童文学に躓いてしまってから、それきりです。だって、髪が蛇の女の人や、砂漠を旅する妖怪や、見たこともないものを想像するなんて、よっぽどの空想家にしかできませんよ。あ、ごめんなさい」
思わず口に手を当てたが、先輩は、気分を悪くするどころか、楽しそうにしている。
つられるように、あたしまで、間抜けな顔をして笑ってしまった。
「ことりちゃんが、隣でそうしていると、ほっとします」
ハルカ先輩は、少し間をおいて、真っ直ぐあたしを見た。
「ことりちゃん、僕のことが好きでしょう」
突然、横開きのドアが勢い良く開いた。大袈裟に言っているのではない。本当に心臓が飛び出るかと思った。
「なんだ、二人だけか」
カナタ先輩だ。
「これで、最後ですよ。再テストくらい自分で受けてください」
ハルカ先輩は、そう言って、席を立つと、お弁当の包みを受け取っていた。
「恩に着る、ハルカ。今日は、たこさんウィンナーおまけしておいたから。休憩時間に食ってね」
弟のハルカ先輩に“大人しくしていてくださいね”と注意されたカナタ先輩は、彼が部屋を出た途端、受付の机にドカリと腰を落ち着けた。
「便利ですね。替え玉ですか」
チクリと嫌味を言ってやったが、反応がない。
気になって、先輩の背後に回ってみた。
「何食べてるんですか、飲食禁止は、図書室の常識ですよ」
なんて早業。今、来たところで、もう弁当箱を広げている。
「図書委員さん、館内で大きな声はいけませんな、これジョーシキですよ」
先輩は、憎たらしいくらいにニンマリ目を細めると、箸先をあたしの前に突き出した。黄色が鮮やかな卵焼きだ。夕方を過ぎると小腹が空く。“食べてみな”と言われるまま、私は、あんぐり大きな口を開けて、かぶり付いた。
「常識はね、人を守っても、愛は囁かないものよ」
もぐもぐ卵焼きを堪能する間、彼は箸をカチカチいわせ語っていた。
「とはいえ、この世界じゃ、俺たち共犯なわけだ」
うう。また、この人の調子に乗せられてしまった。
「これ、先輩が作ったんですよね。カナタ先輩が、弁当男子だったとは意外です」
“うまいだろ”と言われ、素直に頷いた。
「ハルカ先輩も、お料理するんですか?」
「気になる?ハルカのこと」
先輩の表情に影がさす。驚いた。こんな先輩はじめてみる。いつもの自信家は、どこにいったの。
「もし、一人しか選べなかったら、ことりは、どっちを取るの?」
あたしは、ズルい。ただ、突っ立って、時間が去ってくれるのを待った。
☆☆☆
カナタ先輩は“せっかくミニスカートなのにカラータイツなの?”と言った。チェスターコート、パーカー、スキニー、ヴィンテージの8ホールブーツ。カッコつけちゃってさ。
腰に伸びてきた左手を叩き払ってやろうと思ったら、今度は、ハルカ先輩が“持ちます”と言ってあたしのポシェットを肩にかけた。ダッフルコート、チェックシャツ、クロップトパンツにローファー。みんなの弟って感じ。
同じ顔、同じ声、だけど、ちょっと違う。
ちなみに、これは、デートなんかじゃないわよ。誕生日だって聞いたから、後輩として、お祝いくらいしなくちゃと思っただけ。でも、それも叶わないみたい。
「まさに、バケツをひっくり返したような雨ってやつだな」
予想外の集中豪雨に、ターミナルは多くの人で、ごったがえしていた。
このドーム型の屋根を潜り出て、自然公園の中を道なりに進んでいくと植物園がある。
今頃、花を眺めながら、売店でサンドウィチでも買ってランチといきたかったのに、嫉妬に狂ったカミサマは、それを許さなかった。
カナタ先輩は、ジーンズからスマホを取り出すと、画面をタップしはじめた。
「裏手に、カジュアルレストランがあるらしい。ひとまず、そこで腹ごしらえしよう」
そこは、お洒落なヘアサロンの二階にあった。ガラス張りの細長い店内には、中央にバーカウンターがあって、座席は横並びに6つしかない。誰か座ってしまうと、後ろをやっと一人が通れるくらいの小さな店だった。奥に、テラスが見えている。晴れた日には、こちらも解放しているのだろう。パラソルがたたまれていた。つくづく雨が憎らしい。
先客と目があって軽く会釈する。お歳を召した西洋人のご夫妻だ。
両隣を先輩に挟まれるようにして席につくと、いよいよ空気が薄くなっていくのが分かる。
白いエプロンの男性店員からメニューを受け取って、一層、息苦しさが増した。
日本語は、どこ?
「昼からコースは重いな」
「じゃあ、ここは簡単なものを選んで、デザートは、あそこに見えているホテルのカフェなんて、どうでしょうか」
外食といえばファミレスがいいとこのあたしには、ついていけない会話だった。どうやったら、先輩たちのような中学生に育つのだろうか。
とにかく、何か頼めそうなものを探さなくちゃ。
プ…プディ…プディング!
プリンだ!これなら、食べられる。
多少の覚悟はあったものの、運ばれてきた料理に、がく然としてしまった。これはなんだろう。
平皿の淵に木苺が添えられ、円柱の陶器で出来た入れ物を金の飴細工が覆っている。
どう手をつけていいのか分からない。
カナタ先輩が、“一口もらっていい?”と横から飴細工をスプーンで崩しはじめた。ピンクのプリンが顔を出して、あたしは、思わず、感嘆の声をあげた。“わぁ、綺麗”
先輩は、ご機嫌になって、あたしに、食べさせようとする。
上品なあの金髪の女性は、旦那様のそばで朗らかに笑った。
レストランを出る頃には、すっかり雨が止んでいた。
せっかくだったけれど、どこか行くには時間が足りない。
せめて、駅まで、公園を歩いて帰ろうかということになった。
さすがの、カナタ先輩も、あれは気づいていただろうと思う。
プリンのお礼だと言って、注文した料理を取り分けてくれた。
ふたりの誕生日なのに、あたしがご馳走になって“ありがとう”なんて、こんなハズじゃ。
先輩たちの歩幅に合わせていたら、自然と小走りになっていた。足音のテンポが明らかにひとつずれている。
カナタ先輩が腕を絡めてきた。
「それ、俺たちに、持ってきてくれたものじゃなかったの」
あたしが握りしめている紙袋のことだ。
雨に濡れて無惨な姿。
プレゼントはいらないと念を押されていた。
でも、それではこっちの気がすまない。用意はしてきたのに、これじゃ、もう渡せないな。
「残念でした。これ捨てようと思ってたものです」
先輩は、お見通しだったのだ。
「きっとうまいよ、そのプリン」
はっとして、袋の中を確認した。Birthdayカードと2つの小瓶が、半透明のビニール袋に包まれている。あのレストランのロゴだ。きっと、お手洗いを借りた時だわ。
「ごめんなさい、好奇心には抗えませんでした」
ハルカ先輩まで!
「呆れた。あなたたち、勝手に見たんですか!だったら、分かりますよね。こんなシェイクされたもの、もうプリンなんかじゃありません」
家族に嫌がられるくらい練習したのに、やっぱり、うまく固まらなかった。所詮、スーパーのプリンしか知らないあたしが、ピンクのプリンに、勝てるわけないのよ。
「うまい」
カナタ先輩が、そっと袋を取り上げて、味見していた。
気づいたら、あたし、その場で泣いていたの。
☆☆☆
ここは、どこ。見たことあるような気がする。おかしいわ。どこだったかしら。
あなた、誰。女の子が背を向けて立っている。何してるの。彼女の後ろに、空が見える。思い出した。ここは、学校の屋上だわ。柵の向こう側に彼女がいる。あなた、危ないわよ。足が地面に張り付いて動かない。叫ぼうとするけど涙が溢れるだけだった。
その時、さっと風が舞って、女の子がこちらに顔を見せた。
あたしだ。
あれは、あたしだ。
彼女と目が合った。口は動いていない。でも、あそこにいるあたしの言葉だと、はっきり分かる。
“引かれてるのね”
“傷つけるわよ”
“今度は、彼らを”
少女は、空に吸い込まれるようにして背中から校舎を離れた。
止めてー!!!!!!!!
『おい、ここから落ちても死ねないぞ』
ガタン。教室だ。寝ぼけて立ち上がってしまったらしい。笑い声に囲まれている。
夢、あれは、夢か。背中が冷たい。すごい汗。
「三鈴さん、叫び出したいくらい私の授業に耐えられないのかしら」
「すみません」
座り直して、タオルハンカチを探した。確か、今朝、学生鞄に入れたはずだ。きっと、ひどい顔をしている。
その時、右手の窓をコツコツ鳴らす音に気づいた。
私は、廊下側の席の後ろから二番目に座っている。
教室と廊下を隔てている壁には、机と同じ高さにガラス窓がある。何の役に立つのかと思っていたが、なるほど、これは便利だ。
窓枠の下から、カナタ先輩が、“教室を出ろ”と指でゼスチャーした。
黒板前の教師に手を上げる。
「先生、あたし、やっぱり調子が悪いようなので、保健室に行って休みます」
後ろのドアから出ようとした時、どこからともなく女子のせせら笑いが聞こえてきた。
“遊ばれてるだけだって、ワカラナイ?”
☆☆☆
屋上へは、校舎三階の南階段からしか上がれない。立ち入り禁止のロープを跨いで、十数段の階段を上がると、そこにある。
カナタ先輩が、今、ノブに手をかけた。そのすぐ後ろに、ハルカ先輩がいて、あたしは、階段の中段くらいを登っている。
「わざわざ、授業中に、呼び出しておいて仲良く屋上で、エスケープですか」
ほんとは、嬉しいくせに、あたし、素直じゃない。
「そうですよ」
「爆睡してた奴に授業もなんもないだろ」
あぁ、顔が熱くなる。恥ずかしいところを見られてしまった。
「わぁー、解放感!!!!!」
どこまでも続くパノラマの青。気持ちいい。
「サボりの醍醐味ですね」
「あぁ」
カナタ先輩は、フェンスに寄りかかって、遠くを見つめていた。
「そういえば、はじめて、ことりと会ったのも、ここだったな」
「先輩たち、血相変えてましたね」
「そりゃ、そうだろ。今日みたいに、ハルカと授業を抜けてサボってたら、ひょこひょこ女生徒がやってくるんだぜ。正直、びびったよ。こいつ、飛び降りるつもりじゃないかって」
「カナタ先輩ったら、そんなわけないじゃないですか」
さすがに、まだ風が冷たい。上着を持ってくれば良かった。
「ことりちゃん、寒いでしょう」
ハルカ先輩が自分の制服を掛けてくれた。
『おい、ここから落ちても死ねないぞ』
これは、先輩たちと私を繋ぐはじめての言葉だった。
「いい眺めー」
あたしは、カナタ先輩のそばにいって柵にしがみついた。
続いて、ハルカ先輩が、やってくる。
おもちゃみたいだわ。この街のずっと先には、何があるのかしら。
「先輩、これからも、ずっと三人一緒に居てくれますか」
ハルカ先輩が、そっと額にキスをした。それに便乗して、カナタ先輩が、抱きついてくる。
「こら、どこ触ってるんですか」
「なんで、ハルカはよくて、俺はだめなんだ」
もう、この人は!
「あ、今さらですけど、ここ、いつも開いてるんですか?不用心だわ」
「あぁ、それは、用務員室の鍵を拝借して、ちょっと、合鍵をだな…」
「それ以上、聞かないでおきます」
私とふたりの世界を合わせたら、未来が少し違って見えた。
ごめんね、カミサマ。
また、一緒に遊べるまで、それまで、泣いたりしないでね。