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男は真っ青な顔をしてワナワナと震え、足は一歩、また一歩と後ろに後ずさっている。

それが千春が原因であると自覚したのは男が後ずさり、男が今来た道であろう森の中に入ろうとした時だった。


ハッと我に返った千春はようやく“人”と出逢ったこの状況に気付いた。ずっと遇いたい!と心焦がれる程、想い続けた“人”なのだ。想い続けたモノが目の前にあると人は我先に飛び込むか、千春のように一瞬ナニソレ?みたいな反応をして固まるかどっちかだった。

一瞬、呆けていたが、千春はこれで助かる道が開けた!と一筋の希望の光がみえた。手にしていたペットボトルに力が思わず入る。男の“魔女”発言には震えている男以上に引くものがあったが、今はそんな細かいことを気にしている場合ではない。

男が逃げ出そうとする前になんとか留めなくてはいけない!という使命感に燃え、千春は思いっきり叫んだ。



「ちょっと待って!助けてほしいんです!!」



男との距離はおよそ10メートルから15メートルぐらいだと思う。お腹が空きすぎて力が入らない。だけど、“今”を逃せば“次”このチャンスがあるかどうかなんて誰も補償できない。千春は出せる限りの声を張り上げた。

これで千春の魂の叫びがあの震えている男の耳に届いてなかったら…そのまま腰を抜かしながら走り去られたら、そう考えると悔やんでも悔やみきれない。


必死に懇願した千春はお腹がすいて、力が入らずフラフラする脚を叱咤しながら男に歩み寄った。

近づくにつれて男の顔もはっきりと見えてきた。日本の草食系男子とを思い出させる“かわいい”が似合う17か18歳くらいの若い男の子だった。少し暗めの茶髪にゆるいパーマがかっていて、クリっとした二重が子犬のようだ。

一歩又、一歩近づくにつれて、彼は顔を青くし、せっかくのかわいらしい顔なのに眉間にシワがより、険しくなっている。



(お願い!逃げないで!!)



とにかく思いつく神様、仏様を心にひっぱりだしてきて切に願わずにはいられない。こういう非常事態の時にだけ限定でお願い事を常にされてきた神様、仏様はさぞ「またか」「日ごろの信仰心の薄い奴に限って非常事態時のみ頼ってくる」とため息交じりでうんざりしていることだろう。


だからなのか、この非常事態のみの信仰心がいけなかったのか、はては必死に願うあまり男にかなり引かれたのか…後から冷静に考えると理由はいくつでも挙げられる。



要は震える男、草食系男子は逃げたのだ。



千春と男の距離があと8メートルくらいに縮まった瞬間、男は右手を大きく振り下ろし、震える脚にパン!と乾いた音を鳴ら

した。震えて動かなくなった足をどうにか発動させたみたいだ。くるりと踵を返し、元来た方角であろう草の茂みに姿を消した。



「まっ待って!!」



彼はやはり草食系だからなのか、逃げることに必死だが、千春は彼を捕まえる、捕獲することに必死だ。べつに千春が肉食系女子なんていわれたことコレッぽっちもないのだが。今は話が別だ。肉食だろうが捕獲者だろうが、追跡者にだってなるさ。

もうこの際なんだっていい。彼が走って逃げた方向に千春は見失わないように目を見開いて、力の入らない脚を無理やりに走らせた。


男は千春が来た方向とは全く逆の方向から来たらしい。男が来た道は人が通るのか、道らしきもの。獣道といった方がしっくりくるような足場ができていた。

震えて若干ヘタレ気味だった草食系はそれでも男であった。 逃げあ…走るのが早かった。

どんどん引き離されていく。千春はそんなに運動神経もいい方ではない。ましてや、高校を卒業し、大学生になってからは運動系のサークルに入ることもなかった。社会人になってからは販売員ということで一日中立ち仕事で最初のころは筋肉痛になってしまうことが度々あったくらいだ。しかも今は空腹で早く走るエネルギーが明らかに足りない。道といってもそこは獣道。横から背の高い草や蔦が伸びて視界を邪魔する。なりふり構わず手で必死に掻き分ける。草の葉で切ったのか、さっきから左手がジンジンする。



「…はぁっ!…はぁっ!はっ!…はっ!…」



呼吸も乱れている。急に走ったからさっきから横腹が痛くなってきた。もう無我夢中で前だけを。前を走る男だけを目印に走る。

どんどん小さくなる男の姿がついに見えなくなってしまった。



「はぁ!はぁ!はぁ!もう…だめっ!!はぁっはっはっ!」



呼吸を整えながら走るスピードを落とし、腰に手を当ててた。

額から背中から大量の汗が吹き出る。せっかく川で水分を補給したが、もうすでに喉が張り付いてカラカラだ。ずっと右手に握り締めていたペットボトルに入っていた水を口ふくむ。

生き返るとはまさにこのことだ。


その時、川に居た頃にはあって今ない物にはたと気付いた。



「…あれ?あたし…バックは!?」



手にしているのいるのはペットボトルのみだ。

サァー…と血の気が引くのが分かった。これは汗が冷気に当てられて冷えることで身体におきる現象でもなんでもない。一種のパニックだ。



「うそ…やだ!…もしかして川に置きっぱなしにしちゃった!?」



もうなんか泣きそうだ。泣いていいよね。もう。

あのバックには財布や携帯、仕事の書類など大事なものが詰め込まれている。今さっき全速力で走った道を戻ってでも絶対に手元に置く必要がある。

千春は整った呼吸をもう一度よく吸って吐き出すと、先ほど男と追いかけっこした道を振り返った。すでに川なんてもの見えない。これからこの走った道を引き返すのかと思うとげんなりした。しかし、そんなことを言ってぐずぐずしていると又あたりが暗くなってしまう。



(千春!いつだって根性!ハングリー精神!)



もう自分自身を鼓舞して励ましていかないと、やっていけなかった。


トボトボと冷静になって川までの道を歩いているといろいろと頭の中で考え事ができるものだ。

千春は追いかけっこした男のことについて考えていた。

ようやく人に出会って、これでようやく助かった!帰れる!と思った矢先、かわいい系の男子に魔女だと罵られ逃げられた。

人生で初めて異性から顔を見られて逃げられたのだ。あの時は助かることが最優先だったので、そんな失礼発言完璧スルーしていた

からなんとも思わなかったが、改めて考えるとひどく傷つく話ではないか。異性にしかもちょっとかわいい男子から言われたのだ。

千春の変なところで強化プラスチックのような心もあっさり崩れ降りるぐらいの破壊力はあった。ぐすん。

いくら彼氏がいなかった歴=年齢だからといって、一応これでも販売員という仕事柄、毎日人の目に晒している。時にはコーディネイトの参

考にもしていただいているのだ。なのに彼から見れば魔女と間違えるには十分なくらい酷い顔だったのか…。

確かにお風呂も入っていないから、髪はボサボサ、メイクも落としてないから目の周りなんか絶対にパンダ目だろう。木の葉や土で汚れ

きているし…。

今の千春は魔女と間違えられても仕方ない有様だったのだ。



(一体私が何をした!?)



理不尽なこの状況に誰にとは言わないが責めたくなる。主に助けてと懇願してもスルーした神様、仏さ…ゴホン。とにかく、通勤途中に森に飛ばされるような悪いことはしていないはずだ。

それに、ひとつ気になっていたこと。



「なんで、“魔女”なんだろう?」



普通なら、“魔女”なんて身近でない言葉は咄嗟にはでてこないはずだ。

確かにこんな酷い顔をみれば驚きの顔や叫び声のひとつは100歩譲って許せるとしよう。助けてくれるのなら。

その後、私の服装を見れば明らかに汚れているし、傷ついてるのだ。何か事件に巻き込まれたか、キャンプをしていて仲間と逸れたのか、いろんな可能性が考えられる。そして「大丈夫か?」「何かあったのか?」などのセリフが出てくるのが普通ではないだろうか?

彼はもしかたら、“魔女”という架空の存在を信じているのではないか?

突然の非常事態や予測不能な事態に人が陥ったとき、その人の性格や考え…本性が見えてくるものだ。

彼は日ごろから“魔女”がいるという考えがベースにあり、生活している。しかも“魔女”に対して良い印象は持っていない。

あんなに怯えていたのだ。良い印象ならば、逃げる必要はないのだから。先ほどの彼の反応からにして、悪いむしろ、恐怖という感情がぴったりくるようだ。

しかし、17か18歳のいい歳した男が本気でその存在を信じて怯えるのだ。今時ありえない。本当にここは一体どこなのだろう…。テレビもない偏狭の地なのか?そんな地域が今だ日本にあるというのだろうか?



(不安…)



考えれば考えるほど、混乱する。

ここは日本じゃないかもしれない。などというメルヘンでファンタジックな考えに走りたい気もするが、この微妙なお年頃な千春は必死でそれに抵抗していた。

















更新が遅くなりました。

今回も読んでくださってありがとうございます。

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