第2話 消えていく
深緑の鋼鉄の汽車から人が出入りしていく。
あの洞窟と森から帰って来ると、未来に来たのかと思うくらい景色が違って見える。
中に足を踏み入れれば一つ一つ仕切られた個室。前を歩くルストが扉を開けて入っていく。それに続いて個室に入る。くん、と団服が引っ張られた。振り返ると小さな人間の子供。
「お兄ちゃん達は獣鬼特別部隊の騎士団の人?」
「そうだよ」
「すごい! あたし初めて見た! いつもありがとう!」
あまり好かれる騎士団名ではない。ギフトを持った獣人と共にいるからだ。
今も汽車の中と外からの視線が痛い。きっと怖いのだろう。その視線を無視し、しゃがんで子供に笑いかけてみた。
「獣鬼って怖い?」
「そうだね」
「あの人もいつか獣鬼になっちゃう? ママが言ってた」
子供の視線の先を追えば、車窓の外を見ているルストがいる。
扉が開いているせいでルストは、この会話が気になるのか三角耳をこちらに向けていた。
「ならないよ、俺がいる限り」
子供に向き直れば、目を輝かせていた。
「そうなんだ! じゃあ、ママが間違ってるんだね! 伝えて来なきゃ。あの獣人さん、バケモノじゃないもんね」
大人達は、ギフトを持った獣人をそんな風に呼んでいるのか。
「その、頑張ってね」
「ありがとう」
子供は大人と違う。純粋だ。いつか、怖いと思う時がくるんだろうな。
こっちの苦労も知らない大人の一人になるんだ、きっと。
去っていく子供に手を振る。
個室の中に入り、扉を閉める。向かいに座れば、ニヤニヤと唇が弧を描いたルストがいた。
「なんだよ」
「自分、そんな優しい顔できるんやな」
俺にもしてや、とにんまり笑ってきた。
「しない」
本当に、こいつが嫌いだ。
窓側に寄りかかると、汽笛が鳴り景色が変わり始めた。だが、空だけは変わらない。どこまでも広がる青。
自分の中の時間が動き出した時も、こんな空をしていた。
アモルが自分のせいで亡くなり、騎士団を辞めようか悩んでいた頃。
窓から、あまりにも青く美しい空に足を止めた。
「おい、あいつ獣人殺しだぞ」
その声にレーベンは、窓から目線を外し歩き出す。
「最低だよな」
「俺、あんな奴とバディ組まなくて良かったぜ」
廊下を歩くだけでそんな言葉の数々が向けられる。獣人がバディの人間を獣鬼に殺された時は同情するくせに。
結局のところ、人間を下に見ているのかもしれない。
だが、人間がいなければ獣鬼になって死ぬ運命。獣人同士ではギフトを渡せないと判明しているせいだ。
獣人同士であれば「獣人殺し」なんて言えなかっただろうに。
窓から見える空はどこまでも青く、悠々と浮かぶ雲が羨ましくなった。
「どけよ、獣人殺し」
その獣人達はわざとぶつかって来た。壁にぶつかり顔を顰めれば、笑い声が過ぎていく。
クソ獣人共め。
誰もいなくなった廊下は自分のため息だけが響いた。ぶつかって来られた場所を払って、再び歩き始めて一室の前で足を止めた。
団長室だ。呼び出しを受けた。
アモルの件で、騎士団から追い出されるのだろうか。それか別の騎士団へ異動だろうか。
このカメラード王国は、もう一つ騎士団がある。ギフトがない獣人と人間が共に働く王や秩序を守る騎士団だ。
獣鬼特別部隊の騎士団より、かなり緩い。アモルのことを忘れられるなら、王国騎士団に入ってしまいたい。
「いや、無理か」
王国騎士団は、金や爵位が高い者が多いからだ。
団長室をノックする。「入れ」という声が聞こえ、扉を開ける。他にも誰かいるようだった。
ふわふわの焦茶色の三日月の尻尾がゆらりと揺れ、長身の男の三角耳がびくり、と動く。振り返った糸目の獣人と目が合った。その瞬間、悟ってしまった。
アモルの笑顔が頭の中でチラつく。
扉の外へ逃げてしまいたかった。
「よく来たな、レーベン・ラヴィーネ」
目尻に皺を刻み、白髪混じりのブラウンの髪を整えた団長が窓際に立って笑っている。側にいる丸耳を持ち褐色の肌の副団長は、こちらを一瞥してきただけだった。
逃げるなよ、と念を押された気がした。
仕方なく扉を閉めて細目の男の横に立った。
「お前の新しいバディになる。ルスト・アルツナイだ。仲良くやれよ」
やはりそうだった。
バディが死んで傷付いた獣人には「寄宿舎」が用意される。逃げ場という名の最後の時を過ごす場所だ。
人間には、そういったものはないらしい。
獣鬼予備軍達のために働け、ということなのだろう。
それもそうだ。
騎士団にいる獣人が寄宿舎で自分でギフトを消費したとしても、あっという間に満杯になってしまうことがある。しかし、最長で約五年耐えた者がいたらしい。
そんな苦しい思いをするくらいなら、新しい人間とバディを組んだ方がギフトを消費するのに効率がいい。
ルストが近づいて来て手を差し出してきた。
「自分、男爵家次男なんやて? ここ出て行ってもなんもないやろ? 俺もや。仲良くしよーや」
新人ではない、気がした。
こんな奴、いただろうか。獣鬼特別部隊の宿舎には様々な獣人と人間がいるため、記憶を遡っても見つけられなかった。
こいつ、バディどうした。死んだのか? 寄宿舎から出て来たのか? いや、どうせこんな性格ひん曲がった奴。捨てられたんだ。人にめんどくさいのを押し付けやがって。
「……よろしく」
重なる手は、アモルを思い出させた。獣鬼になる前の手だ。こんな風に温かかった。
なのに、最後に触れた手は毛むくじゃらですぐに消えてしまった。あの時もまだ、温かかったのだろうか。
「なんで手ぇ震えてるん? 何、前のバディのことでも気にしとん? 自分が殺したんやろ?」
「おい、ルスト!」
団長がルストを一喝する声が聞こえる。
お前に何が分かるんだ。どいつもこいつも人を下に見やがって。こっちの理由なんて、聞こうともしない。
ルストの手を握りしめる。耐えていたボロボロの壁に穴を開けられそうになったからだ。
怒りなのか、悲しみなのか。全く分からないが笑いが込み上げてきた。
「……獣鬼になりたくないんだろ? せいぜい俺に気に入られるように」
手に力を入れる。
「頑張れよ」
ルストの琥珀色が瞼の間から覗く。
「ふーん、結構おもろい奴やん。これからバディとしてよろしく頼むわ」
にんまり笑われ、同じように手を握り返された。
ギフトを貰っていない人間が獣人に力で敵うはずもなく、指が力を失って握れなくなっていく。
それを確認したルストは、口端を上げて優位性を見せつけるように手を離した。
どさり、と箱の数々が部屋に運ばれてくる。団長との話の後、さっそく部屋移動が行われたからだ。
「前のバディのそのままやんか。なんや、捨てられんの?」
「捨てるさ。ただ、めんどくさいだけだ」
見栄を張ってしまった。アモルへの罪悪感から捨てることができていないだけだった。団長にお願いして、片付けるのを待ってもらっていた。
それに本来、亡くなったバディの物は遺族へ渡す。しかし、託す相手がいない。
アモルは、孤児だった。主人を失った物は、炎の食料となってしまう。自分がしていることは、ただその期間を無駄に引き伸ばしているだけだ。
もしかしたら、早く主人のもとへ行きたいかもしれないのに。
「ほんなら捨ててええな? ええんやろ?」
「……ああ、いいよ。勝手にしてくれ」
「ふーん。おーい、捨ててええって。片付けてくれや」
ルストの言葉に、後ろにいた宿舎の世話係達がアモルのモノを部屋の外へ出していく。
遠征先でアモルが買った服に飾り物。恋愛小説が好きだったアモルが買った本。どんどんなくなっていく景色を見ていられなくなった。
どれか一つでもいいから残して欲しい、と言いたかった。しかし、アモルは自分が持っていることをきっと許さないだろう。
団服を握り締め、床をただ眺めることしか出来なかった。
部屋の入れ替えが終わる頃。残っていたアモルの甘く温かい匂いは、消えてしまった。
代わりに、爽やかで鼻を突き抜けていく冷たい匂いに塗り替えられていってしまった。




