2話 裏アカ
僕は、最近、女性として裏アカを作り、SNSで男性と話す楽しみを見つけた。
アカウント名は咲希にして、女性としてプロフィールを出す。
顔も声も出さなければ、ネットの世界で女性として暮らすことができる。
男性は、女性からのコンタクトには警戒が少ないから、フォロワーは増えていく。
困ったのは、今度会おうとか、Zoomで話そうと言ってくる人。
男性だとバレたくないから、いつも会えないと断っている。
声を変えるボイスチェンジャーを使って会話することも考えたことはある。
でも、男女間で話す抑揚も違うし、ボイスチェンジャーの誤操作もあり得る。
そんなリスクを犯してまで試すことではない。
幸いなことに、警戒心が強い女性が、会うのを断るのは不自然じゃない。
知らない男性は怖いと思っているのだろうと勝手に勘違いされる。
逆に、可愛い女性だと思ってくれることもある。
ネットでは、断られると、有名人でない限り、それ以上、手を出せない。
だから、今のところ、それ以上、強引に誘ってくる人はいなかった。
少し残念な気持ちもあったけど、逆に、落ち着いたネット生活を送っていた。
今夜も、先日ラブホで切り裂いた肉を冷蔵庫から取り出し、ブラの中に入れる。
シリコンより、触感や見た目が本物っぽくていい。まあ、本物だから当然か。
赤いワンピース姿で、テーブルに座り、PCを通して男性と会話を続ける。
でも、この肉は匂いもしてきたし、もうそろそろ捨てるしかない。
さすがに、匂いがする肉を食べるわけにもいかない。
数日の間、愛着を持って接してきた自分の体のようなものだし。
また、次のターゲットを見つけるか。
最近は、女性は、僕のバストやヒップを補強するための家畜にしか見えない。
そして、そんなターゲットはお金さえ出せばいくらでも警戒もせずに群がってくる。
僕は、レディースの服を買ったりするぐらいだからお金はある。
ターゲットにはお金を渡すけど、帰る時は生きていないから、お金は回収する。
前のお客からもらったお金を持っていることもあって、ホテル代を払っても儲かる。
SNSでは、質素な生活をしている女性だと自分を卑下する。
女性に自分を大きく見せたいと思う男性が多いので、そのぐらいがいい。
男性に愛されることが目的だから。
女性には関心はないけど、女性もフォローして、女性のフォロワーも偽装で作る。
フォローが男性ばかりで、盛りの付いた女性だと思われたくない。
女性から、男性しか関心がない女性だと批判コメントももらいたくない。
女性はフォロワーになっても、特に深入りしなければ、同性に話してもこない。
たまにくるDMには、そうねとだけ回答していれば、会話したくないと思ってくれる。
僕は、ただ男性に愛されたいだけ。
女性に生まれ、何も苦労もしていないくせに、男性から愛されるなんて不平等。
そんな女性なんて、一人や二人、この世からいなくなってもいい。
いや、これで5人目だね。殺したのは。まあ、そんなに変わらないか。
ところで、最近、裏アカで過ごしている中で、少し気になる人がいる。
僕が、想像した日常の作り話しをしていると、ずっと寄り添って聞いてくれる。
アカウント名は南崎 隆一。まあ、SNSだから本名かはわからない。
南崎さんは、僕の話しは聞くけど、自分のことを発言することはない。
だから、どんな人かは分らない。自分に自信がないのだろうか。
ネットの世界で無言なら、存在していないのと同じ。
でも、僕が話しかけると暖かい言葉をかけてくれる。
何をしたくてSNSに参加しているのかもよくわからない。
不思議な存在だった。
朝日が眩しい。SNSでずっと会話をして、お酒を飲んで寝てしまっていたようだ。
TVをつけると、ラブホで残虐な若い女性の死体が発見されたとニュースが流れる。
ホテルから、シートがかけられた遺体が運び出されていく。
コメンテーターが、女性への憎しみを持つ人の犯罪だと言う。
お母さんにいじめられて女性に憎しみを持っているとか、犯人は女性だとか。
なんて、見当違いな話しをしているんだ。
僕に捜査の手が及ぶことはなさそうだと聞き流し、会社に行く準備をする。
背中に手を伸ばし、シワだらけになったワンピースのファスナーを下げる。
バストに詰めた肉の匂いがついたワンピースとブラ、ショーツを洗濯機に入れる。
女性1人の代償で得た肉は、血抜きをしていても腐り始め、1週間ももたない。
バストとヒップの肉は、ビニール袋に入れ、口をきつく縛ってゴミ袋に捨てた。
今日は生ゴミの日で、ちょうどいい。
体についた生ゴミっぽい匂いを消すためにシャワーを浴びる。
それに加え、シトラスの香水も体に吹きかける。
僕は、几帳面な性格だから、この性癖が見つかるようなミスはしない。
それにしても、みすぼらしい男性の体を見ると吐き気がする。
下を見ると、膨よかな2つの山が見え、股には何もない姿だったら、どれだけよかったか。
でも、きちんと洗って、生きていくためにも会社に行かないと。
僕は、IT会社で、ごく普通の男性若手社員として振る舞っている。
それなりにやり手社員として評価されていて、この生活を捨てたくはない。
今日は、生成AIの事業活用について提案に、お客様のオフィスに来ていた。
お客様は2人の男性、こちらは、僕と後輩の女性の2人。
名刺交換をすると、お客様の1人は南崎 隆一という名前。
SNSでずっと私の話しを聞いてくれているあの人と同姓同名。
もともとSNSの南崎さんが実名かもわからないけど、そんな偶然があると驚いていた。
まあ、よくある名前だし、偶然と言うほどでもないのかもしれない。
ただ、あまりでしゃばらない所、内向的な所は南崎さんそのもの。
南崎さんは、実際に会うと、こんな人なのかもしれない。
見た目はすらっとしていて、やせ型。
それでいて笑顔はとても素敵で、イケメンといえる。
提案は、後輩の女性が行っていたので、僕は、ただただ南崎さんを見つめていた。
こんな男性から愛されたら、静かで幸せな時間を過ごせるのだと思う。
特に、サプライズなんて心が踊るようなことはなく、日々、分相応な笑顔が続く。
そんなことを考えていると、提案が終わり、後輩の女性が話し始めた。
「あのう、もう定時ですし、これから一緒に飲みにでも行きませんか。」
「坂下さん、いきなり、お客様に失礼だろう。今夜は用事があるかもしれないし。まだ入社したばかりで世間知らずなんですよ。申し訳ありません。」
「今井さん、別にいいじゃありませんか。行きましょうよ。私も、坂下さんみたいにお綺麗な人と飲めたら楽しいし。ただ、接待とかになると面倒だから、割り勘ですよ。」
「申し訳ありません。お付き合いいただけるなんて嬉しいです。」
僕らは、先に出て、お店で待っていた。
「先輩、私は笹山さん狙いなので、邪魔しないでくださいね。ところで、もう1人の南崎さんは、イケメンだけど、無口で、笹山さんと真逆で暗そうですよね。なんか、ぼやっていう感じで、私は苦手。なんか、なめくじみたい。まあ、相手は女性じゃないから、先輩にとっては、どっちでも同じですね。いずれにしても、邪魔しないでくださいよ。」
「邪魔はしないけど、仕事とプライベートを混同しちゃいけないよ。」
「会社の経費で飲むわけじゃないし、そんなに厳しいこと言わないでくださいよ。いつも仕事で大変なんだから、そのご褒美ってことで。」
そのあと、合流してきたお客様と飲み始める。
後輩は、笹山さんとずっと話していた。後輩が、実はとても積極的なことに驚く。
僕は、南崎さんと静かに話す。
南崎さんは口数は少ないけど、表情と、口から出る言葉には、優しさが溢れる。
同い年ぐらいの風貌で、勝ち気だったら多くの女性を泣かせていたのかもしれない。
そんな南崎さんが、驚くことを話し始める。
「最近、SNSである女性とよくチャットしているんです。なんとなく守ってあげたいと感じたのがきっかけで。」
「どんな感じの方なんですか?」
「静かだけど、何かに悩んでいて、心はあまり開かない感じかな。でも、最近、僕のことを信用してくれ始めたのか、少し頼ってくれたりするんです。この前は、今着ている赤いワンピースが好きだなんて言っていました。家でも、Tシャツとかじゃなくてワンピースで過ごすなんて、おしゃれで、きちんとした人なんだと思う。」
今、南崎さんが話している女性って、たぶん僕のことだ。
ということは、目の前にいる人が、最近、よくSNSでやりとりしている隆一。
「そうなんですか。なんて呼んでる方ですか。」
「アカウント名は咲希って言うんです。本当の名前かは分かりませんが。」
南崎さんと、直接会えるなんて想像すらしなかった。
僕は、南崎さんの目を見つめる。
その中には、穏やかな草原のような風景が広がっている。
人を疑うことなんて考えたこともない、まっすぐな人だと思った。
居酒屋では、みんなが楽しそうに会話を続ける。
誰もが、笑顔で目の前の人と一つの空間を作り出す。
暖かいシャボン玉のような輪が広がっていく。
僕が本物の咲希だったら、南崎さんと付き合えるのにと心が叫んでいた。
でも、南崎さんには本当のことは言えない。
自分がネットでいつも話している咲希だということを。
言ってしまえば、南崎さんから汚いと嫌われて、これまでと同様に去っていってしまう。
そんなことは、これまで何回も経験してきたから知っている。
後輩が職場に僕の話しを広め、会社のみんなから汚いものとして指をさされる。
そんなことを考えていると、辛くなってきた。
「気分でも悪いんですか? そうだったら、無理されずに帰られてもいいですけど。」
「いえ、大丈夫です。さっきの女性、咲希さんでしたっけ、どんな話しする人なんですか?」
「どういう話しをするというか、いつも明るくて、でも強引でもなく、静かに僕を後ろから押してくれるんです。とても心地がいい関係というか、引っ込み思案の僕でも前に進めそうな感じがする。そんな人、初めてだった。」
陰で噂話をされ、ハブられていると南崎さんに愚痴っていたことを思い出す。
喧嘩したくないし、言い争いする言葉も知らないとチャットに書いていた。
女性なら、そんなことを書き込むのかなと嘘に塗れた文字が続く。
そんな悩みを、南崎さんは真剣に聞いてくれる。
そのうえで、無理はしなくていいって。
強引に解決策を言うのではなく、ただ僕の書き込みに頷いてくれる。
でも、最後には、それって本当なのかとも言う。
素敵な咲希をバカにする人なんていないんじゃないかって。
心配性で、気のせいかもしれないと。
僕を褒めながら、遠回しに慰める。
今まで、こんなに穏やかに僕の気持ちを包み込んでくれる人はいなかった。
やっと出会えることができたんだ。
言葉が少ないのは、話すのが得意じゃないからだと思う。
後輩は暗いと言っていたけど、僕には、実直で、真っ直ぐな人に見える。
横にずっといて、静かに見守ってくれている感じ。
相手のことばかりを考え、無理強いをしない優しい人。
そんな距離感が心地いい。
南崎さんは、酔っ払ったのか、さっきより少し口が滑らかになっている。
「横にいる坂下さん、お綺麗ですね。きっと、会社でもモテるんでしょう。」
「そのようですね。僕は、あまり興味ないですけど。」
「そうなんですか。実は、僕も、あんなに積極的に迫ってくる女性は苦手なんです。今日は笹山とずっと話していて、ほっとしていました。ところで、今井さんは、どんな女性がタイプなんですか。」
「なんか、自分でも、よくわからないんですよ。」
また、いつもの会話。まさか、目の前のあなたみたいな人とは言えない。
「そんなもんですよね。ふと、気づいたら好きになっていたという感じですしね。つまらないこと聞いちゃって、すみません。」
やっぱり、南崎さんは、いつものように自分の考えを押し付けない。
ネットでも、現実でも、相手を大切にして生きているように見える。
こんな人に会えるなんて、最初で最後かもしれない。
「みなさん、少し酔っ払ったみたいだし、そろそろ帰りましょうか。」
「そうですね。」
駅に向かう道は、以前より明るく見える。
道沿いに並ぶレストランは、いずれも暖かい光を窓から放つ。
窓をのぞくと、誰もが幸せそうに相手と時間を過ごす。
窓枠にある動物のオブジェもかわいらしい。
レストランの入口に置かれたお花も、笑顔で僕の顔を見ているよう。
満月が、明るく街を照らす。
僕の心に明かりが灯り始めているからだろうか。
道を歩く人たちが、僕にほほ笑み、応援してくれているみたい。
ただ、ほろ酔いだからそう思えるだけかもしれない。
でも、一瞬にして気持ちは暗くなる。
僕は、そんな南崎さんに本心を言って近寄ることはできない。
結局、いつも、自分の殻に閉じこもるしかない。
東西線の改札口まで見送り、みんなにお辞儀をして別れた。
あくまでも、表は仕事上の関係。
それ以上、踏み込んではいけない。
それが、この楽しい時間を継続できる方法だから。
そして、僕はJRに乗り、自宅がある駅まで電車に揺られる。
最寄りの駅で降り、家に向かう途中の公園でブランコに座り込む。
今日は美しい満月。
その満月に僕は叫んでいた。
「女性の真似をするのではなく、本物の女性の体になって、南崎さんの彼女になりたい。」




