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暗闇の虚構  作者: 一宮 沙耶
第1章 犯罪カウンセリング

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4話 出産

夏に始めたカウンセリングも、風景はいつの間にか雪が舞う季節となっていた。

この患者と会うために、この刑務所に何回訪問したことだろうか。

他の患者だと、だいたい3ヶ月で終わるカウンセリングが、今回は半年近く経っている。


今日も、寒い刑務所の面会室で、この患者のカウンセリングをしている。

最近は、彼との幸せな日々を語り合うことで、だいぶ落ち着いて話せるようになっていた。

最初は、心を閉ざし、睨みつけ、警戒していた患者が、最近では、穏やかな表情を見せる。


まだ、私と再会できて嬉しいという表情は見せないが、会うことは嫌ではないと感じる。

道端で横を歩く普通の女性のように見えるようになった。

体は女性でも、心は男性なのだが、最近は、女性らしい仕草も増えている。

気候は寒くても、暗闇が覆い、寒気がする刑務所からは、暖かく変わっていた。


そんな時に、また暗黒の世界に戻ってしまうリスクも感じながら、お子さんの話しをする。

大丈夫。母親なら、元は男性でも我が子のことを愛おしいと思っているはず。

私は、確証がない仮説にすがり、話しを始める。


「隆一さんと結婚をし、女の子のお子さんができていますが、どうして、生まれた直後に、放り投げてしまったんですか。最愛の彼との子供だったのでしょ。」


患者は、生まれてすぐの我が子を床に投げつけたと聞いている。

お腹にいた頃は、毎日のように幸せに笑顔が溢れていた。

生まれた直後も、子供ができたと本当に喜んでいたらしい。


でも、抱き上げた途端、顔色が変わり、汚いものでも見るように投げつけた。

投げ捨てた後に、我が子に駆け寄り、泣いていたという。

頭蓋骨が陥没し、首が折れた我が子を抱き抱えながら。


そこに、どのような心境の変化があったのだろうか。

そんな一瞬で我が子への気持ちが変わることは理解できない。

亡霊にでも怯えるような姿だったと聞いているが、何か幻影を見たのかもしれない。


「生まれた直後に、一香が子供に乗り移って、私に隆一を返せって言ったからよ。看護士も聞いていたから、聞いてみてよ。」

「看護士の方に聞きましたが、赤ちゃんは普通に泣いていただけと言っていましたよ。これは、一香さんを殺害したことへの罪悪感じゃないですか。」


一香への恨み、罪悪感が、そのような幻影を見せてしまったのだろう。

本人は気づかずに、一香への罪悪感をずっと背負ってきたのかもしれない。

その罪滅ぼしとして、我が子を死に追いやったのかもしれない。

患者の気持ちは、第三者からは最後まで分からないもの。


ただ、少し前だったら、このようなことを言うと、すぐに私を睨みつけてきた。

最近は、他人への思いやりも感じられて、穏やかな表情が増えてきたように見える。

我が子の件も昔の話しと、感情の起伏はない。


「そうかもしれないわね。確かに、一香の幸せを奪ってしまったのは悪かったわ。私の心の中で、そう叫んだ声があったのかもしれない。」

「お子さんは、かわいそうでしたね。」

「私と隆一との子供が、もういないなんて辛い。でも、隆一がもういない中で、結果としては良かったのかもと思う自分もいる。」


患者は涙を流し、子供を失ってしまったことを悲しんでいる。

こういう感情が出てきたのも回復の兆しだ。

これから、この患者は、日に日に回復していくだろう。

今日は、少し、踏み込んで諭すことにしよう。


「ということは、一香さんの死亡によって、既に他界している一香さんの親御さんも、あの世で悲しい思いをしているかもしれませんね。」

「そうかもしれないわね。」

「また、一香さんは、紗奈さんのことは何も知らないし、何も紗奈さんにしていないですよね。隆一さんも、一香さんと出会って、付き合っていて、紗奈さんが欲しいものが、先に誰かのものだったということだけ。」

「そうかもね。」


誘導尋問だと、激昂しないように慎重に話しを進める。

患者の目線を追い、少しでも感情が荒れるようであれば言葉を選ぶ。

でも、今日は、落ち着いていて、そんな心配はなさそうだった。

やっぱり、お子さんをテーマにしたことが良かったのかもしれない。


「それを、紗奈さんが、一香さんから盗んだんだと思わないですか。」

「私のものを取られると恐れていたけど、他の人も、自分のものを持っているのね。そう、一香から見れば、隆一もそうだし、隆一との生活もそうだったのかもしれない。確かに、それを私は奪ってしまったのね。」


数ヶ月前と違い、穏やかな表情で話す患者をみて安心する。

指を机に打ちつけたり、声が震えるといったサインもない。

穏やかに真顔で冷静に話す患者がいた。


「やっと、わかってもらえましたか。あなたも、悩んだり、悲しんだりしたこともあったでしょう。みんなそうなんです。でも、自分がやりたいことを実現するために、何をしてもいいわけじゃない。特に、殺人は、その人の全てを奪うことになるので、ダメなんです。」


あくまでも、一般論ではなく、患者に寄り添った言葉を選ぶ。

あなたがそう思うように、周りも同じように思うということを。

そして、殺人はいけないことだということも。


「私のことだけを考えていたけど、一香からみると、そうなるかもしれないわ。何となく、わかったような気もする。もう少し、考えてみるわ。」

「そうしてください。そして、分からないことがあれば、またお話ししましょう。」


患者が一瞬、険しい顔になる。何があったのだろうか。


「そういえば、私を逮捕した公安部長は、今、どうなったか知っている?」

「ご存知ないかと思いますが、紗奈さんが引き起こした議員テロ事件から、日本は大きく変わったのです。日本は中国に併合され、今では、若者は中国の領土拡大戦争に駆り出されています。公安部長ですが、日本が中国に併合されるときに反対運動を起こし、中国に捕えられ、銃殺刑になりました。恐ろしいことです。」

「そうか、殺されたんだ。」


どういうわけか、患者の表情はみるみる穏やかになっていく。

逮捕されたことを嫌悪し、そのリーダーを恨んでいたのだろう。

いずれにしても、心が落ち着くことで病状は良くなるのでいいことだ。


そういえば、昔から聞いてみたかったことがあった。

どうして、一香の顔に整形したのに、また、元の顔に戻したのか。

今日なら、患者も落ち着いているし、答えてくれるかもしれない。


「ところで、どうして元の顔に整形で戻したんですか?」

「それは、容疑者として逃げている一香の顔だと捕まるおそれがあったから。顔を変える必要があるでしょう。でも、今から思うと、メス豚として憎んでいた女性の顔でいるのが嫌だったのかもしれないわね。いえ、鏡を見るたびに、自分の罪に罪悪感を感じていたからかもしれない。ただ、それだけだったから、紗奈の顔じゃなくてもよかったかもしれない。紗奈の顔に整形したのは、紗奈の顔が女性になったときに喜びを得た顔で、好きな顔だったから。今、一香の顔じゃなく、この顔でいられる自分に、心が落ち着いている。」


患者の目から雫が流れ落ちる。

やっと、人を思いやれる感情を得たのだと思う。

これまでの苦労が報われたことに自然と私の顔に笑顔が溢れる。


「そうだったのですね。わかりました。では、今日のカウンセリングはここで終わります。お疲れさまでした。」


患者は、深々と頭を下げ、笑顔で私を見送る。

もう、この患者は大丈夫だろう。

長い時間を費やしてきたかいがあった。


刑務所から出ると、来た時より一段と寒い風が吹き付けてくる。

ただ、街灯に照らされて舞う雪は美しい。

1人の女性の心を清らかにできたことで心は温かくなり、そう見えるのだろう。


目の前の道路を照らす街頭は永遠と続く。

その先には、患者と私にとって明るい未来が待っているように見える。

最近は、悪夢にうなされる夜はなくなった。


私は、1人の女性を救えたのだと思う。

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