エピローグ
私は、今井さんという男性の体に変わり、充実した生活を謳歌していた。
今井さんが働いていたIT会社は男女差別は感じないけど、男性の方が断然動きやすい。
上司からは、最近、私は変わったねと言われた。
これまで内向的だったのに、いつのまにか積極的で仕事熱心になったと。
今井さんは、本人から聞いていた通り内向的だったとしても、私はどんどん前進したい。
この結果なのか、半年後に、28歳で係長に昇進できた。
まあ、これは今井さんのこれまでの地道な努力の成果でもあるのは理解している。
でも、男性になったからには、やりたいことを全てやろうと燃えているのは変わらない。
女性だった頃は、女性差別の会社に嫌気をさしていたから。
気になった点は全て改善提案をし、会社からはとても評価された。
昔の会社と比較して客観的に見たときの問題点、改善の方向とかはよく分かった。
今の会社は風通しは良く、提案はウェルカムって感じで順調に進む。
その意気込みを買われ、日々、会社の経営課題を検討する仕事をさせてもらえた。
個別PJのSEから、全社のことを企画する、経営企画本部に異動になる。
もともと論理的思考だったから、この仕事はぴったり。
会社の中でも、一目置かれる存在になっていった。
そんな私に、女性からの人気が高まっていると同僚は話す。
でも、まだ女性とは付き合う気にはなれない。このことはゆっくり考えていくつもり。
私は、女性が好きだから男性の体になったわけではないから。
でも、それが逆に、女性たちには、さらに神秘的な存在になっていると聞いた。
カラオケボックスで、女性の歌ばかり歌っていたら、気持ち悪いと言われる。
男性の歌を歌えよって言われ、男性として生きる術を学ぶ。
それから、男性の行動をよく観察した。
トイレでは、女性社員たちが意味のない話題でずっと話すのを聞くことがなくなった。
この会社で女子トイレはわからないけど、とっても心が平穏に過ごせるのは嬉しい。
上司との関係も良好だった。
「今井くん、最近、とってもやる気があって、成長したね。他の社員も今井くんみたく頑張ってほしいものだ。」
「いえいえ、それ程でもないです。ところで、コンビニのPOSシステムにAIを組み入れてはどうでしょうか? AIは最近、結構使えるレベルに来てますし、小売業界は商品の値上げとかで悩んでいて、この辺で打開策を打ちたいと思っているはずです。」
「それはいいな。部門長に提案してみるから、プレゼン資料を作ってみてくれ。」
「わかりました。」
今井さんは内向的だったらしいけど、私は、職場の仲間とも、積極的に飲みに行く。
女性の時は、夜遅く1人で暗い夜道を歩くのは怖かった。
でも、男性の体になってから、そんなに気にしなくて済むのも助かる。
酔っ払ってフラフラになっても、道端で寝ちゃっても、そんなに変な目で見られない。
だから、たっぷり飲んで、大声で話して、本当に毎日が楽しい。
こんな自由な世界があったんだと人生を謳歌している。
同僚が、女性の気持ちが分からない、女性の気まぐれに振り回されてるなんて言う。
両方の気持ちがわかる私は、男女ってうまくいかないものだと、今更に感じた。
こういうことじゃないのかななんてアドバイスする。
その後、そのアドバイスのおかげで、今は彼女とはうまくやれてるなんて感謝もされた。
そんなんで、男性どうしの関係も良好で日々が楽しい。
女性って、いったん仲が悪くなると修復はもうできない。
でも、男性どうしは、言い争いになっても、次に会うときには仲良くできる。
翌日には言い争ったことをすっかり忘れていて、本当に人間関係が楽なんだなと気づいた。
こんなに自由な世界があったんだって、改めて、男性になったことが嬉しい。
生理もなくて体の調子もいい。というより、体の中からエネルギーが満ち溢れてくる。
プライベートでは、運動とか、男性って、女性より筋肉やスタミナがあることにも気づく。
女性の時には、ほとんど運動とかしなかったけど、今は朝ランニングを続けている。
朝、軽く汗をかいてからシャワーを浴びることも気持ちいい。
体が軽くなった感じがして、いいことばかり。
本当にこの体になってよかった。
これまでやったことがなかった登山とかも始めた。男性は本当に楽。
人気のない山で襲われるとか気にしなくていい。
1人で行動しても誰も変な人とか思わない。
女性だと、誰かと群れないと、周りから嫌われていると思われる。
誰かと一緒に行くとなると、いつどこで待ち合わせるとか制約が多い。
1人なら、その日の気分で、これから山に行こうとかできるから。
山に行く中で、旅行も1人で行くようになった。
女性の1人旅は、周りから寂しい女性って目で見られるけど、男性ならそんなことはない。
温泉旅行に1人で行って、旅館で好きな時間に食事して、お酒をたっぷり飲む。
そのまま寝れるし、こんな自由な生活があったのかと、今更に驚く。
今朝は、神田川沿いにランニングをしている。
目の前にはパトカーが2台とまり、警官が5人ぐらい立っている。
なにか事件でもあったのかしら。
私が通り過ぎようとすると、警官は私を取り囲んだ。
私の腕を後ろに回し、手錠をかける。
「いきなり、どういうことなんですか? こんなひどい扱いは訴えますよ。」
「だまれ、5人の女性の殺人容疑で逮捕する。」
逮捕状という書面を私の目の前に掲げる。
どういうことなのかしら。
今井さんは内向的だと聞いているし、私はもちろん殺人なんてしない。
「何かの間違いです。私がそんなことするはずないじゃないですか。会社にも聞いてくださいよ。私は温厚で、善良な市民なんですよ。」
「詳しくは警察署で話すが、殺人現場から、お前の指紋と髪の毛が見つかったんだよ。もう諦めなさい。」
誰かにはめられたのかしら。
私が殺人なんて、ありえない。
やっと、これから明るい人生を楽しめると思っていたのに。
私は、力でパトカーに乗せられる。
朝なのに、多くの野次馬がパトカーを取り囲み、逮捕された私の写真を撮る。
神田川に目をやると、小鷺が飛び立って行った。
その後、私は懲役10年の判決を受け、刑務所にいる。
どうして、こんなことになってしまったのかしら。
知らず知らずのうちに、精神を病んでいく。
今日は、刑務所のカウンセラーが私を訪問すると聞いた。
面会室に入ると、首に手形のような青いあざが残る30歳後半ぐらいの男性が座っている。
いきなり、アクリル板にぶつかりそうなぐらい顔を私の前に突き出し、私に話し始めた。
「あなたが、今井さんなのですね。調べたところによると、元は伊東 紗奈さんという女性で、今井さんと脳移植で体を交換して、男性として暮らしているということですが、間違いないですか?」
目がかすんでよく見えないけど、カウンセラーと名乗る男性が私を見ている。
私は体力の限界にきていて、小さなかすれ声で、なんとか返事をする。
「その通りです。そんなことはどうでもよくて、私は無実なんです。殺人なんてしていません。」
最後の力で机を叩き、無実を訴えた。
「いえ、無実というためには、脳移植をいつしたかということが重要なのです。それを確認したくて、本日はここに来ました。脳移植をしたのは、いつですか? 警察が聞けば分かるのかもしれませんが、医師の私には、病院は個人情報だと言って教えてくれなかったもので。」
何を言い出したのだろう。ラブホの事件と脳移植とどう関係があるのかしら。
脳移植をすると、時々意識を失い、本人の知らないところで犯罪を起こすとか。
そんなことは手術の時に告知を受けていない。
「たしか、2026年1月だったと思います。」
「やっぱり。あなたの犯罪とされているものは、いずれも、その前に起こったものです。すなわち、今井さんという男性が犯した犯罪だったのです。あなたは無実。私が証明してあげましょう。」
「内向的と聞いていた今井さんが、そんな凶悪犯だったとは・・・。5人も殺害・・・。」
面会室から独房に帰る。冷え切った廊下を通る足はひび割れ、寒さが痛い。
でも窓から見える粉雪は美しく、私の明るい将来を讃えているように見える。
2年の刑務所生活に疲れ果て、骨だけのように痩せ細った私は、その場に倒れた。
冷たい床に頬があたり、私は、横に伸びる廊下を見つめ、聞こえないような声で呟く。
「ほら、私じゃなかったでしょう。だからずっと言ってきたじゃない・・・。」
「何を言ったんだ。聞こえない。それよりも大丈夫か、救急車を呼べ。今井、聞こえるか。起きろ。死ぬな。」
私の周りに刑務官が集まり、なにやら大騒ぎをしている。
私は、窓から漏れる暖かい陽の光をあび、目の前から光と色が消えていった。




