第2話
とある警察署の会議室では、一人のおっさんを前に、警官が整列し頭を下げていた。
「「「「大変、申し訳ありませんでした!!!!」」」」
「あぁ。お気遣いなくぅ。お役目ですものねぇ」
むしろ、その勢いに焦るおっさん。丁重すぎる対応には慣れていないのだ。冴えないおっさんなので。
ワチャワチャとした状況で何故か逮捕されてしまった榎田は、翌日、直ぐに釈放された。おっさんの必殺技「コネ」を使ったからであるが。
「岸川先生にもご足労いただきまして……」
「あぁ。ええから、ええから」
榎田の後に立っている矍鑠とした老紳士は、弁護士の岸川。中央にも太いパイプを持つ大物だが、見た目は静かなお爺ちゃん先生だ。
署長の斉藤はキャリアではあるが、年齢的にもここが終着点。後三年を無事に勤めれば、夢の年金生活なのだ。ここで中央へ不祥事が伝われば、今までにコツコツと積み上げてきた努力が水の泡だ。『岸川先生には何とか穏便に済ませて頂きたい!』その一心であった。
榎田としても、ここまで強いコネを使う気は無かったのだが、成り行きと勢いというものでこうなってしまったのだ。
昨日、逮捕された榎田はガラケーを落としてしまったので万城目不動産にも連絡が取れず、やむを得ずに当番弁護士を呼んだのだが、その弁護士が榎田の情報を見て岸川先生に連絡してしまったのだ。
そもそも不動産鑑定士に鑑定を依頼するなど、それなりの資産を持つ個人か法人。地元の有力者が多いし、職業がら弁護士とも付き合いがあるのだ。榎田は冴えないおっさんだが、警察の上層部も気を遣うコネ持ちのおっさんなのだ。
警察が気を遣う「コネ持ちのおっさん」ではなく、「気を遣うコネ」を持っているおっさん、なだけなのだが。
「なにとぞ、今回の件は!」
「まぁまぁ。署長もこれ以上は、ねぇ?」
必死な署長達に鷹揚に返事をする榎田。署長達の必死さは、榎田ではなくその後に立っている岸川弁護士向けなのであるが、おっさん同士の阿吽の呼吸でそれとなく会話をする。何しろ誤認逮捕だ。メディアにでもバレたら大騒ぎとなる。彼自身もあまり騒がれたくないので、騒ぎにするよりも署長への貸しとすることで内々に済ませたのであった。示談である。
会議室を最敬礼で送り出された後、二人してロビーまで来た時に榎田が岸川に声を掛ける。
「先生ぇ。今回はありがとうございましたぁ。助かりましたよぅ」
「いやいや、私がいなくても、榎田さんならばすぐに釈放されたでしょう」
さすが、岸川先生。爽やかな老紳士ぶりである。
冴えないおっさんの冴えない会話にも爽やかに対応してくれる。
しばらく雑談するが、頃合いを見て榎田が会話を切り上げる。
「私ぃ、この後は万城目の碇さんが迎えに来てくれるんでぇす。このロビーで待ち合わせなんですけど?」
「そうですか。私は事務所に顔を出さないといけないもので。では、ここで失礼致しますね」
颯爽と去っていく岸川弁護士を頭を下げて見送る榎田。建物を出た所で振り返った岸川は未だに頭を下げている榎田を見て苦笑いし、歩いて行った。
ようやく頭を上げた榎田に、後から声が掛かる。
「おや?榎田さん、もう釈放されたんですね」
榎田が振り返ると、ガタイの良い男がにこやかに立っていた。
「いやぁ。阪木原さんが牢の前を通ってくれて、助かりましたよぅ」
「いえ、榎田さんの所に行った訳では無いのですが、幸いでしたね」
声を掛けた男は捜査一課の阪木原刑事。榎田の知り合いで、幸いな事に朝一番でこの刑事が牢の前を通ったのであった。
「阪木原さんが署長に耳打ちしてくれたって聞きましたよぅ。お陰で話が早く済みましたぁ」
「まあまあ。そこは内密でお願いしますよ」
事情を聞いた坂木原が裏で話を通してくれたお陰で、岸田弁護士が警察に到着してから直ぐに榎田が釈放されたのだ。
「いやぁ、阪木原さんには、お世話になりっ放しでぇ」
「こちらそです。あの事件の裁判も、先週、結審しまして。榎田さんの所へお礼に伺おうと思っていたのですよ」
捜査一課の刑事と和やかに親しげに話すおっさん。彼、榎田順一郎はただの不動産鑑定士ではない。事故物件を得意とする鑑定士。それ故に一種の専門家として各方面からの問い合わせもあり、その繋がりで刑事の知り合いもいるのだ。
「昨日も物件の鑑定依頼が私に来ましてぇ」
「あ、そうだったんですね。あそこだと万城目さんトコの管理ですか?物件の方はどうでしたか?」
「阪木原さんだから話しますけどぅ、ホントは内緒なんですよぅ?」
わざとらしく顔を近づけて耳打ちする榎田とそれに付き合う阪木原。
「んん。あそこは問題無しですねぇ。綺麗なモンですぅ。大往生だったのでしょうねぇ」
「ふむ。そう仰るなら、事件性は無いようですね」
しばらく阪木原と歓談していると、万城目不動産の碇が迎えに来てくれたので、彼女の車で家に送ってもらう事となった。
「まったく!榎田さんは、私が目を離すとすぐにどっかに行っちゃうんですから!」
「すいませんねぇ」
「ホントに!警察に捕まっているなんて、想像も出来ませんでしたよ!」
娘のような歳の碇にペコペコしながら去っていく榎田。
署の駐車場で知り合いの弁護士に遭ったようで、挨拶しているが話が長引き、弁護士と別れた後は碇の車に押し込まれるように乗せられていた。
その光景を署の中から楽しげに見ていた阪木原に後輩が声を掛ける。
「どうにも冴えないおっさんですが、阪木原さんが気にする程の人物なんですか?」
「まあ、事件解決の糸口は思わぬ所から齎される事もある。そうしたツテはデカの財産だからな」
片目を瞑り、指鉄砲で後輩を撃つ真似をする阪木原。後輩を煙に巻いて自分の部屋に戻っていく。
「はぁ。判ったような、判らないような……」
取り残された後輩が外を見ると、万城目不動産の車も外へ出て行く所だった。
その万城目不動産の車の中では、榎田が碇に昨日伝えられなかった事を話していた。碇さんが運転する時、榎田は後部座席。重役待遇ではなくて、隣に座られるのを碇さんが嫌がった結果である。まあ、助手席には碇さんの荷物が山と積まれているのでもあるが。
「はいぃ。昨日は万城目社長に朝一番でマンションで降ろしてもらいましてぇ。その後、カギだけ借りて、あの一軒家に行ったワケなのですがぁ。一人で行ったのは、失敗でしたぁ」
「それは、社長に聞いてますし、報告書も確認しています。ただ、連絡がとれなかったので、アッチの口頭の報告が済んでません。アッチの調査項目はどうだったのですか?」
「はぁ。お爺ちゃんの方は無事に旅立ったようですねぇ。どうやら奥さんが迎えに来ていたようで、幸せそうな『氣』が漂っていましたよぅ」
「では、書類通りの価格で良いですね。さっそく、先方へお知らせしておきます」
何やら怪しげな事を言い出したおっさんだが、生真面目OL風の碇さんも、普通に会話を続けている。
「問題は朝一番のマンションの方ですねぇ。ええ。お風呂で溶けちゃったお姉ちゃんの方。ありゃ、悪霊に成りかけてますわぁ。密璋院先生とか江戸川先生クラスの方でお祓いして頂かないと、霊障を引き起こしますねぇ」
「ウへぇ!今月は予算がキツキツなんですけど!」
思わず碇さんが急ブレーキを踏むと、助手席に積んであった荷物が崩れ落ちた。