第1話
荻原とも子はその日リモートワークで自宅にいた。
ダイニングの机でパソコンに向かっていると、突然、後から声を掛けられたのだ。
「……お母さん」
「うわ!ビックリした!」
娘の璃梨佳である。
「しっ!」
璃梨佳は口の前に指を立て、静かにせよとジェスチャーしてくる。真剣な表情である。
「……なに?どーしたの?」
常にない娘の表情に、とも子も声を小さくする。
「……隣のお家に、変なオジサンがいる……」
隣の家は、しばらく前に独り暮らしの老人が亡くなり、空き家となっていた。
とも子がキッチンの窓から隣の家を覗くと、確かに家の敷地内を一人のおっさんがうろうろしていた。なにやらカメラとタブレットを持ち、調査員のフリをしながら家の周りを探っているようでもある。
「お葬式の時、あんな人いた?」
「うーん。覚え無いなぁ」
隣家とは家族ぐるみの付き合いだったし、葬式の手伝いもしたが、その時に紹介された親族ではなかった。
「どうしようか?」
「どうしよう?」
母娘で顔を見合わせる二人だった。
「あれ?いない?」
「あ!あそこに居る!押入を覗いているよ!」
二人で悩んでいる間にどうやら家に侵入したらしい。押入の襖を開けて中を覗いている。
「あれ、泥棒じゃない?」
「泥棒だよ!」
もう一度、二人で顔を見合わせるとお互いを指さす。
「ケーサツ!」
「119!」
「違う!110番!」
慌てて窓から離れるとも子だったが、立ち尽くす。
「ウチはネットはあるけど、電話はない!」
「お母さん!スマホ!スマホ!」
璃梨佳が自分のスマホを差し出す。
ロックを外すのにも、もう一騒ぎした後、やっと電話が警察につながる。
「事件?事故?どっち?」
「事件!事件だよ、お母さん!」
「はい!はい!事件です事件!そうです!」
「泥棒!泥棒だよ、お母さん!」
「はい!隣の家に泥棒が入っているんです!」
大騒ぎである。
萩原家で大騒ぎしている一方、隣の空き家の中。
戸袋から天井裏に頭を突っ込んでいるおっさん。
「えー。押し入れ、天井裏、異常無しっと」
あちらこちらに頭を突っ込みながらデジカメでパシャパシャと写真を撮っていく。
「床下、ドローンで撮った屋根と外壁、異常無し!」
タブレットを操作しながらいちいち指を差して確認している。
「ヨシ!これで送信!ポチッとな」
タブレットを操作して報告書を送信する。すかさずガラケーを取り出すと電話を掛ける。タブレットの操作に支障は無いのに、未だにガラケーを手放せないおっさんでなのである。
「どうもー!榎田ですぅ!調査終わりましたぁ」
なんとなく締まらない口調である。
「今、調査の写真を送りましたぁ。はい。はい」
そうして電話を終えると、背広を羽織って、カバンにタブレットをしまう。カバンの中身も指差し確認。
「フン、フン!ヨシ!」
玄関ドアも施錠。
門扉もしっかり閉め、外に出た彼に話し掛けてくる者がいる。
「すいません!ちょっとお話し、よろしいですか?」
振り向くと警官が二人、ニッコリしながら立っていた。職務質問である。
「あぁ。はい。ワタクシぃ、こういう者です」
そう言って、流れる様に名刺を差し出すおっさん。
彼の名前は榎田順一郎。彼は不動産鑑定士。不動産鑑定士とは、不動産の鑑定評価に関する法律に基づいて、不動産の経済価値を判定する国家資格を持つ専門家である。彼は、この空き家を管理している万城目不動産から依頼を受け、物件の調査をしていたのだと言う。
「なんでしたら、不動産鑑定士協会にお問い合わせ下さい」
「あ〜はい。一応、免許証などありましたら、見せてもらえますか?」
警官の後から様子を伺っていた萩原家母娘も聞き耳を立てていたようだ。
「不動産の鑑定士だって。そんな職業あるの?」
「鑑定士って顔じゃないよね。ニセモノじゃない?」
二人とも、自分達が通報したなどとはおくびにも出さず、すっかり野次馬と化している。
「とりあえず、立ち話も何ですから、あちらのパトカーでお話しを聞かせていただけないでしょうか?」
にこやかにパトカーへと誘導する警察官。
「あー。手慣れたヤツの言い訳に使われるんだよ、不動産鑑定士。物件の実査なら所有者と管理者とかの立会人は?」
「見当たりません。この方、一人だけのようです」
別の警官が到着し、先に来ていた警官と話はじめている。どうやら後に来た警官の方は先輩らしい。
「あぁ、いえ。今、迎えが来るんですけどぅ、その迎えが管理している人でぇ」
「では、そのお迎えが来るまででも。どうぞ、どうぞ」
笑顔を浮かべながらジリジリと距離を詰める警官。いつの間にか人数が増えている。
警官の圧力に後退る榎田。榎田の足がカバンに当たり、倒れたカバンから中身がこぼれる出す。
すると、後から眺めていた璃梨佳が転がった荷物の中身に気が付く。
「あれ?もしかしてドローンじゃない?」
「もしや、覗き?」
「えー!ヤダー!」
「あぁ!いぇ!これはぁ、仕事でぇ……」
やましい事はないのだが、騒ぐ女性たちの声に挙動不審になる榎田。おっさんなので。
「すみません!これについても詳しくお話し訊かせていただきますね!」
「えぇっとぅ、お構い無くぅ」
さすがに異様な雰囲気を感じたのか、榎田が更に後ずさりするが、既に包囲が完成していた。
「逃げようとしたな!」
「はい!確保!住居侵入罪の現行犯で逮捕します!」
「えぇ!ちょっ!ちょっと〜!」
結局6台に増えていたパトカーが去った後、道端には榎田のガラゲーがポツンと落ちていたのだった。
そして、そのガラゲーのギリギリに停まった一台の軽自動車。
そのクルマからスーツ姿の若い女性が降りてきた。
「あれ?榎田さんたら、ドコへ行っちゃったのかな?家の前で待っているって言ったのに」
万城目不動産の碇裕美子。彼女はいつもタイミングが悪いのだった。
「榎田さーん!クルマ回してきましたよー!」
碇が大きな声で榎田を呼ぶが、当然のことながら返事はない。
「もー!すぐにフラフラといなくなっちゃうんだから!」
スマホを取りだし、電話を掛けると、足下で電話が鳴る。
「あれ?これ、榎田さんの電話じゃ?あー!全く、もう!電話を落としたら、連絡出来ないじゃない!」
榎田のガラゲーは奇跡的に壊れておらず、無事に碇に回収されたのであったが、その日、榎田はドコにも連絡がとれず、一夜を留置場で過ごすことになったのであった。