第18話 エンジェル・ハウス
「念のためにこれをかけてください」
と言われて天使ちゃんから渡された眼鏡を現在俺はかけて歩いている。認識阻害の眼鏡だ。「家に複数持っている」らしい。有名配信者らしかった。
新宿の街を歩くこと数十分。ある路地裏に天使ちゃんが入っていく。俺も続く。路地裏を挟み込む建物群の1件の前で天使ちゃんは立ち止まった。小首を振り向かせて、笑う。
「ここが私の家です」
「これ家だったんだ……というか結構近場に住んでたんだね」
「みたいです。正確にはこの建物は家の入口ですけどね」
「入口?」
「はい。今案内しますね」
天使ちゃんはポケットから取り出した鍵を扉に差し込む。ガチャリ、と鍵が開いた。
「よいしょ」
ギギィ―ッ。
天使ちゃんが扉を開ける。その奥に隠されていたのは地下階段だった。
「この下です。隠れ家状態なんですよ。脱出口も用意してあります。この家の前に住んでいた家では実際に使う羽目になってこっちに引っ越してきました。だから新宿ダンジョンに潜っていたんですよ」
「なるほど。……有名配信者も大変なんだ」
「はい。大変です。たまに辞めたくなりますよ。辞めませんけどね」
天使ちゃんの有名配信者ならではの苦労話を聞きながら歩くこと数分。
「あ、着きました」
「長いね」
「侵入者対策です。ボタン一つで天井からシャッターが降りる仕掛けが施してあります。その間に逃げるのです」
(……本当に大変だ)
「さぁ、この先が私の家です」
地下階段の底。正方形の床。その奥の壁にまた扉がある。天使ちゃんは入り口で使ったのと別の鍵をポケットから取り出し差し込んだ。
ガチャリ。
ポケットにしまい込みながらカイににこりと微笑む。
「合鍵対策」
(……この子は何と戦っているのだろう)
「さぁ、ここが私の家です。ふふ。男の人を入れるのはカイさんが初めてです。なんちゃって」
「……そういうこと男の人にあまり言わない方がいいよ」
「相手くらい選びます」
「選んでたら俺なんかに言わないと思う」
「あなたは信頼できる人ですよ。これでも人を見る目には自信があるんです。悪い人が一杯近寄ってくる身なので。たはは……」
(嬉しいけど笑えない冗談だな……)
「さ、さぁ。そろそろ本当に入りましょうか。本邦初公開っ! ここが私の家ですっ!」
「設計者は見たことあるんじゃないの?」
「……初公開っ!」
天使ちゃんが扉を開けて中に入る。俺もその後に続いた。
バタン! ガチャリ!
天使ちゃんは鍵を閉めることは忘れなかった。素早かった。用心深さが徹底され過ぎていた。俺は天使ちゃんが段々可哀そうな子に見えてきた。
「これが私の家です。案外普通でしょう?」
「うん。普通だ……」
天使ちゃんの家は普通だった。扉を抜けるとそこは普通の女の子の部屋だった。ぬいぐるみ多めのピンク主体の部屋。ベッドは二つある。いい匂いがする。そんな童貞臭い感想を抱きドキドキする俺に天使ちゃんが微笑む。
「といっても、普通なのはこの部屋だけですけどね。別室をお見せしましょうか
「あ、うん」
天使ちゃんの部屋には扉が両横に扉が2つあった。まずは右。
「ガチャリ」
天使ちゃんに続いてドアを抜ける。
特撮ヒーローの秘密基地みたいな部屋に出た。黒い部屋。機械の黒だ。たくさんの器具とスイッチがある。監視カメラがある。地上の景色と地下階段がモニターに写っている。どうやらこの部屋でモニタリングをするらしい。普通に犯罪だがそこは気にしない。俺はそんな殊勝な人間ではない。ただ、物々しい景観に圧倒されはする。天使ちゃんはやや恥ずかし気にはにかんで解説する。
「あはは、警戒心が行き過ぎてこんなんなっちゃいました……」
本当だ。警戒心が行き過ぎてる。天使ちゃんの心労が察せられる悲しい部屋だった。
「……この部屋作るのいくらかかったの」
「1億円と2000万円くらいです。安く抑えられました」
ピキキ。
俺は自分の心が発した危険な音を聞いた。嫉妬、羨望、敗北感。それらを努めて無視して会話を続行する。
「……凄いね。流石有名配信者だ。俺とは比べ物にならないよ」
おっと。劣等感が抑えきれなかった。
「自分で言うのも何ですが3配信姫ですからね。大抵の人とは比べ物になりませんよ。……生まれ持った美貌で得た人気なので自慢する気にはなりませんがね。私って可愛すぎるんです。まるで天使です。だから天使を名乗ってるんですよ」
「あ、うん」
自分で名乗ってたんだ……。この子結構性格尖ってるよな。
「で、この部屋の説明をすると」
見た通り外の監視を行う施設らしい。また、罠の起動もこの部屋で行うとか。初見の印象のままの部屋だった。
「侵入者、あるいはこの部屋を不審に思った人間がいるとアラームがなります。そういう時は」
ピッ。
天使ちゃんがスイッチを一つ押す。モニターの中で地下階段が幾重ものシャッターに閉ざされた。
「とりまこれ。というかもう帰ったら押しておくようにしてます。安心しますから」
「……」
この子、もしかしてメンタル病んでないか?
「ちなみに自爆装置付きです」
「!?」
「あはは、冗談ですよ。冗談……次、行きましょうか」
「う、うん……」
冗談に聞こえなかった。どんどん印象が変わっていく天使ちゃんに続いて俺も秘密基地みたいな部屋を出た。
反対側の部屋は倉庫的な部屋だった。魔工器具がたくさん置いてあった。その部屋と扉を挟んで隣接する部屋にバスルームやトイレがあり自由に使って構わないとのこと。キッチンもある。生活に必要なものは一通り揃っていた。
「……正直秘密基地みたいでワクワクする」
「でしょう? イメージしてるんですよ」
(……可愛い)
今俺は意外と俗な所もある天使ちゃんと最初の部屋――女の子らしい部屋に戻ってきていた。テーブルについて天使ちゃんと向き合っている。机の上にはティーカップが2つ。ハーブティーだ。エンジェルハーブティー。飲んだら天使が見えるかもしれない。天使ちゃんが一口啜る。俺もつられてすする。
美味しかった。
「美味しいですか?」
「ああ、凄く美味しい。なんてお茶なんだ?」
「エンジェル・ハーブティーです。私が好んで飲むことからこの名がつきました」
「名前が逆輸入されてる……」
「もっと飲んでください」
「ああ」
俺は天使ちゃんに促されるままハーブティーをがぶ飲みする。
「それではそろそろ配信しましょうか。もちろんカイさんも一緒です」
そして唐突な爆弾発言をかました天使ちゃんに危うく口の中のものを全てぶちまきかけた。
「大丈夫ですか?」
むせこむ俺の背中を優しく撫でる天使ちゃん。優しい。
「あ、ああ。大丈夫。それより話を続けて」
「あ、はい」
天使ちゃんは自分の席に戻り話を再開する。
「今回の火事はおそらく私のファンの仕業だと思うのです。経験則からして間違いないです」
「俺も多分そうだと思うよ。警察も可能性が高いと言っていた。でも、それと配信に何の関係が?」
「視聴者に協力を仰ぎ犯人を見つけてもらいましょう。そして再発を防ぐためお願いをします。その時にカイさんにも隣にいてもらいたいのです」
「なぜ」
「説得力を増すためです。悲惨な顔をしたカイさんが隣にいれば視聴者も同情するでしょう」
「……そうかなぁ」
「そうです。人の良心を信じましょう。さ、始めますよ」
なし崩し的に配信を始めることになった。家に泊めてもらっているという立場上、家主に反発がしづらかったというのもある。天使ちゃんは恩返しだというが俺には恩を貸したという感覚が全くないので当然だった。
「では、行きますよ……Dキューブ、起動」
「……ゴクリ」
視聴者数1億人。その天使ちゃんねるに今から俺は出演する。天使ちゃんと一緒に映る。世間の男の、そして一部の女性もの激しい嫉妬を買うだろう。そんなちゃんねるに出演を決めたのは天使ちゃんに頭が上がらなかったのともう一つ。
家を燃やしやがった、そして天使ちゃんに群がるだけの蠅の如き糞どもにビビッてたまるかという反骨も確かにあった。
俺だって腐っても配信者やってたんだ。それも治安の悪いアングラ界隈で。今更炎上程度で怯んでたまるかよ。
天使ちゃんが目を瞑る。雰囲気が変わる。そしてDキューブの配信開始ボタンを押す。
:なんか唐突に通知来た件
:天使ちゃん! 今日は早いね!
:おはよう(^ε^)-☆Chu!! 今日も可愛いね(^ε^)-☆Chu!! (^ε^)-☆Chu!!(^ε^)-☆Chu!!(^ε^)-☆Chu!! @KILLKISS&PRINCE
:おじさんはいつだって天使ちゃんの味方だからね。それを忘れちゃ駄目だよ
:Hey Angel! My Dick is Fly hi Sky hi!
:あれから大丈夫だった天使ちゃん? 俺、天使ちゃんのことが心配で心配で……。俺だけはいつだって天使ちゃんの味方だからね!
:あいつに何かされたんならいつでも俺に言ってよ! ぶっ飛ばしてやる! これ連絡先※※※@Dmail.com
:Dtubeメルアド書き込めないぞ
:最近の天使ちゃんねるって池沼一歩手前の低知能多いな
:悪化は良貨を駆逐する
:誤字だけど間違ってはなくて草
「……」
Dキューブのカメラ範囲の少し外からコメント欄を見ていた俺はドン引きしていた。キモさという点では俺のコメント欄など比較にならない。いや、この世のありとあらゆるチャンネルが比較にならないのではないかと思うくらいにキモイコメント欄だった。ギトギトの汚い性欲に塗れた精子をぶっかけられたかのようなコメント欄だった。思わず、声が出た。
「キモ……」
「あっ」
反応は即座だった。
:!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 誰だッ! 俺の天使ちゃんの隣にいるのはッ!!!!!!!!!!!!!!!!! @エンジェリック・ホール
:は? 俺のだよ。てめぇのじゃねぇよキモコテハン死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
:Lip my ass and insert your dick
:天使ちゃんねるマジで最近きもくなったな
:天使ちゃんこいつらBANしていいよ
:冷静ぶって俺だけは天使ちゃんの味方面してんじゃねぇぞ健常者ぶりが。中身がスケスケなんだよ。どうせ天使ちゃんのスケスケラグジェリー姿でも日夜妄想してるんだろうが @セイント・ナイト
:自己紹介乙
:阿保草。もうコメントオフにするわ
:俺も
:天使ちゃんゴミ黙らせといたよ! 褒めて褒めて― @セイント・ナイト
:また一人常識人が消えた。もうやだよこのコメント欄
:……昔はこうじゃなかったんだけどな
「……」
天使ちゃんは無表情だ。だが、それは何も感じていないというよりは努めて感情を抑え込んでいる無表情だった。
「……今日は皆さんに報告があります」
押し殺した表情のまま天使ちゃんは語り出す。俺に目配せを一つやってから、Dキューブを覗き込む。
「本日18時頃、この特別ゲストのカイ・シロスキーさんの自宅が放火されました。犯行はおそらくご察しの通り。警察の方からも私のちゃんねるの視聴者の方だろうと断定を受けています。私もそう思っています。……非常にショックを受けています」
・気にすることないよ天使ちゃん! 所詮外野が勝手にやったことで天使ちゃんの身は何も変わらず生まれたてのまま清らかなままだから!
・天使ちゃんには俺らがついてる。安心してよ
・そうだよ。天使ちゃんは悪くない。暴走した馬鹿が悪い。必ず特定して〇すから
・天使チャンネルは今日も平和です
・今日も地獄ですの間違いだろ
・お前犯人だろ
・はぁ……バカばっか
・ネタで返すなよ。てめぇ如きがルリルリ気取るなんて100億光万年早いんだよクソオタが
・すまんもうついていけん。知らんキャラだし俺本気でここが怖くなってきた
・放火の話だろ! 天使ちゃんは悪くないって結論で異論はないだろ! 放火魔を〇せ!
・そうだ天使ちゃん報酬出してよ。見つけて捕まえたらほっぺにチューとか
ピクッ。
「……」
天使ちゃんの頬がピクつく。よく見ると二の腕に鳥肌が立っている。明らかに無理をして平静を保っている。コメント欄にはほっぺにチューなどと言い出した輩をキモがりつつもどこか本気で天使ちゃんから報酬がもらえるという空気が醸造され始めている。はっきりいって死ぬ程キモイ。毎日こんなコメント欄と向き合うとか普通に拷問だろ。
でも、天使ちゃんは毎日向き合ってきた。多分、相当に気を配ってきた。その結果がこの付け上がったコメント欄というのは容易に想像できる。天使ちゃんは優しい。けどその優しさは、時にデメリットにもなりうるのかもしれない。天使ちゃんの唇が震えている。おそらく、天使ちゃんはもう限界だ。
だからこそ俺が口にすべきなのだろう。
おぞましくキモいと思いながら配信を続けていることが容易に見て取れる笑顔の崩れかけた天使ちゃんに変わって。
言っておくべきだ。
「あの」
:外野は黙ってろ
:無視してやってんのが分かんねぇかなぁ
:天使ちゃんの行為に甘えるだけのゴミが。お前のせいでこうなってんだよ。自覚ある? ああ、ないからおこがましくも口開けるのか
:(^ε^)-☆Kill (^ε^)-☆Kill (^ε^)-☆Kill (^ε^)-☆Kill (^ε^)-☆Kill @KILLKISS&PRINCE
:Lip my ass and insert your dick
:外人ただ発情してるだけじゃねーか
:日本人らしく腹切ってどーぞ。それでもお前の罪は消えねーけど。自分で見えるか? 背中の十字架 @セイント・ナイト
:まーた始まったよ
:信者うざすぎ。お前らの糞コメしか見えねーよ
「……」
俺は一口目から意気を挫かれた。しかし、俺が言わねばならない。一市民として。火事の件はもういいからそっとしておいてくれと。そう思い、再び口を開きかけた俺の隣。
「もういいです。やめてください」
笑顔を消して真顔になった天使ちゃんが。
「天使チャンネルは今日でお終いです。長い間ありがとうございました。人の迷惑にしかならないチャンネルなどこの世に存在しない方がマシでしょう。それではみなさん。さようなら」
ブチ!
明らかに切れた様子で配信を途中で打ち切った。後に伝説となる狂信者大炎上自爆事件の幕切れだった。




