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第14話 ビビる上司

「……知ってる天井だ」


 少し黄ばんだ自宅の天井だ。俺はベッドから身を起こし、時計を確認した。


「えっと、7時か……やべ」


 俺はすぐに会社へと向かった。昨日帰るなりベッドにスーツ姿のままダイブしたお陰で着替える手間は省けた。


「行ってきます!」


 玄関口の母と父とシロが写った写真に挨拶をして俺は家を飛び出した。






 ガタンゴトン。ガタンゴトン。


「……」


「ねぇねぇあの人」


 ビクッ!


「動画の人じゃない? ほら、死んだ目してるし」


「うわ。本当だ。……よく見ると、結構イケメンじゃん」


「格好良くて強いんだ……嫌いじゃないかも」


(え?)


「あいつ、天使ちゃんの天使のような心をレイプした。許せねぇ……」


「ハァ、ハァ。あいつ、天使ちゃんと二人きりになりやがった。ナニしやがったんだよ。ナニしやがったんだよ……! 強姦魔が……」


「糞。糞糞糞。死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね天使ちゃんの危機に偶々出合わせただけのラッキーボーイが。テメェは大したことねぇ人間なんだちょっとバズったからって浮かれてんじゃねぇぞ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」


「うわ、狂信者だ……距離取ろ……」


「あの子はいい子なんだけど周りがなぁ……」


(……周りがなぁ)


「……あいつ、よく見たらコートに薄く血ついてね?」


「うわ、やっぱそういうの気にしないタイプなんだ。コートの血痕気にしない系なんだ。格好いいと思ったけどやっぱないわ」


「ないわー」


「引くわー」


「……いい」


(……いい、か)


 ただ嫌われてるだけではないようだった。





 コンビニ。


「これお願いします」


「はい。お預かり――いたします。ツナマヨおにぎりが一点、鮭おにぎりが一点。おーるお茶が一点。合わせて410円になります」


「カードで」


 スッ。


 俺はクレジットカードと間違えて冒険者カードを提示してしまった。


「……」


「……えっと、俺、こういうものです」


「脅しですか?」


「……」


 その後は普通にクレカで会計しておにぎりを食べながら通勤路を歩いた。どうせ間に合わないので自棄糞モードだ。昨日から色々あり過ぎて俺は大分感覚が麻痺していた。





 会社


「あっ!」


(っ! あれは、普段なぜか俺にちょっと優しい入社2か月目まで目がキラキラしてた後輩の女の子……!)


「や、やぁ、おはよう」


「し、失礼します……!」


「あっ」


 タッタッタ……。


 女の子は俺の脇を走り抜けた。


「カス美ちゃん……どうでもいいか」


 俺はカス美ちゃんの存在を努めて忘れて仕事場へ向かった。





職場。


「あっ」


 糞上司の声だ。俺を見た途端声を上げやがった。遅刻を注意するつもりなのだろう。くるならこいカスが。どうせ俺はもう仕事を辞めるんだ。一歩も引かねぇぞ。


「おい犬飼ェ」


「……何ですか」


 糞上司が肩を怒らせて俺に近づいてくる。そして頬を膨らませ、破裂する風船の勢いで唾と言葉を飛ばした。


「っテメェ仕事舐めてんのかァッッッ!!! 30分の遅刻だぞ30分! この時間で何ができたか言ってみろ。言ってみろよ。じ・ぶ・んの頭で考えて捻りだしてみろよ……」


「何も変わんねぇだろうが。どうせ残業で帳尻合わせするんだからよ。大体てめぇが事務室でお仲間と駄弁ってる時間があれば俺が遅刻した分の仕事くらい問題なくこなせるだろうが。お前でも1日かければ俺の30分の代替くらい務まるだろうよ。この無能カスが」


「な、な、な……」


 言いたいだけの本音を言った。糞上司は顔をタコ並みに真っ赤にする。仕舞いには額の血管から血まで噴き出した。激高し俺に向かってくる。


「やんのかてめぇ犬飼ィイイイイイイイイイイイイイイ! 今まで無能なお前を誰が飼ってやったと思ってるゥウウウウウウウウウウ! あぁああああん!? あぁああああああああああああん!!? あぁああああああああああああああああああああああああああああああああああん!!??!? 答えてみろやぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


「強いて言えば会社。少なくともお前ではないだろ」


「犬飼ィいいいいイイイイイイイイイイイイイイイイイイ! 」


 糞上司は俺の胸倉を掴み上げた。そして拳を振りかざす。


 ガツンッ!


「ひっ!」


 たまたま通りかかった後輩の女の子が顔を覆って悲鳴を上げる。俺の鼻っ柱に糞上司の拳が正面から叩き込まれたからだ。


「いっだぁああああああああああああああ!」


 糞上司が悲鳴を上げる。右の拳が腫れあがっている。俺は床に蹲る糞上司を見下ろす。


「何するんですか課長。酷いなぁ。痛いじゃないですか」


「い、犬飼。お前なんだよその体。まるで弾性の鋼だ。硬すぎる。はっ!」


 俺に向けられた糞上司の人差し指が震えている。


「ま、まさかお前……覚醒者か?」


「ああ。そうだよ」


「ひ、ひぃいいいいいいいいいいい! この化け物が! みんな! こいつは力に溺れ人を傷つける屑だ! 危険人物だぞ! こんな奴職場にいていいのか? いい訳ないよなァ! 犬飼ェ! お前はクビだ! 帰れ! そしてもう明日から職場に来んな!!!! 世話してやった恩を忘れやがってこの恩知らずが! 恥を知れ! 恥を! ったく、これだから最近の若いもんは……。自分の感情が最優先で社会のルールに従おうって気が全くない。社会ってものが分かってねぇな、分かってねぇよ。言っとくけどそんな様じゃ他の会社でも通用しないから。あとお前の悪行再就職先に伝えといてやるから。自分の非礼を一生後悔しろバーカ。全部俺に手を出したお前が悪いんだよォ……」


「……」


 俺は目の前の屑を殴りたい衝動を必死に我慢した。熱を持った顔と心を覚ますために一回深呼吸を挟む。


「ありがとうございます課長。今までお世話になりました。社長には課長の裁量で俺をクビにしたと言っといてください。あと今のやり取り全部録音録画してるんでそのつもりで。『それでも俺はやってない』は職場の外では通用しませんよ。部下に暴力を振るった。暴言を吐いた。これは立派なパワハラです。出る所出られたくなかったらあんたが俺をクビにしたと社長に伝えておいてください。そして二度と俺に関わるな。それだけでいい。生憎お前みたいなどうでもいいゴミに関わってる時間俺の人生にはこれ以上ねぇんだよ。時間は有効活用しないとあんたみたいな豚になっちまうからな……反面教師にさせて頂きます。それでは失礼いたします。課長殿」


 禿課長のバーコードヘアーを思い切り角度をつけて間近で見下ろす。そしてあえて唾がかかるように飛沫を飛ばしながら喋る。当然の如く怒りを込めて睨み上げてくる禿課長を本気の殺気を籠めた眼光で無理やり黙らせた。


「……は、はひゅ、い、犬飼ィ……」


「失礼します課長。もう二度と会うこともないでしょう。一生直径20メートルの箱庭で王様ぶってろよ。俺とあんたじゃ見てる世界が違う。あんたのメジャーで測れない世界に俺は行かせてもらいます。俺の代わりが見つかるといいですね」


 俺は捨て台詞を吐いて退室した。俺の足音が途絶えたであろう頃になってようやく、獣のような唸り声が背後で上がった。心の中で同僚に詫びるも、決して振り返ることなく退社し、俺は会社を後にした。


 それが最後の退社だった。感慨のようなものは何も湧きあがってこなかった。

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