第九話 毒された者たち
飴玉はいつだったか、師匠が言った言葉を思い出していた。
宮廷は血濡れた思念が渦巻く、ある種の魔境だと。
「(煌龍もそれに毒されてる、って事なんでしょうか。お師様……)」
悠々と立ち去る弟を見つめながら、飴玉はそんな事を考えていた。
「会わない方が良かったのか。……いや、早めに知れた事を安堵するべきか」
これで気兼ねなく女帝に復讐が出来る。
そう自分を納得させながら、飴玉は足早に自室へと戻った。
「大丈夫、僕はそんなものに屈しない。この程度で諦めてたまるもんか」
飴玉は軽く化粧をしたのち、棚から出した女物の服に袖を通した。
普段の飴玉は、田舎から出て来た素朴な村娘風。
ただ今の飴玉は、宮廷に仕える女官風に顔を整えていた。
「(……すっぴんでも男ってバレないのに、女装する意味ってある……?)」
一応変装、という体ではあるのだが。
とにかく女装を済ませた飴玉は、宮廷の奥深くへと忍び込んだ。
「ん、おいそこの」
「はい。なんでしょう」
だが女帝の部屋の近くを通りがかった時、突然高官に声をかけられる。
「その涙はどうした。女の泣き顔は気に入らんな」
「……え?」
――飴玉はその時に気がついた、自分が涙を流していた事に。
「も、申し訳ありません。お見苦しい所を」
せっかく整えた化粧が崩れる。一見何でもないかのように、飴玉はさっと涙を拭ったものの。それはとめどなく零れ続け、いよいよ袖じゃ物足りなくなってきた。
「(期待してた、っていうのか。この僕が、お師様以外に……?)」
「平気にはとても見えぬな。どうだ、一杯茶でもやるか」
「い、いえ。問題ありません。貴方様のお手を煩わせるほどでは」
図らずもその姿は、悲恋の淑女にでも見えたことだろう。
飴玉は取り乱しつつも、予定通り女帝の部屋をちらりと見た。
「(冷静にならなきゃ。品評会までに、ある程度様子を探っておかないと)」
だがすらりと覚えていた衛兵の数が、どうしても今日は頭に入らない。
「……ふむ。中々愛いな」
「えっ?」
「せっかくだ、俺の部屋に呼んでやろう。愚痴も聞いてやるぞ」
男の手のひらが、飴玉の腰に触れた。
「ちょっ……へ、平気ですから。なにもそこまで」
「遠慮するな。女の慰めは得意だぞ」
「慰めってっ……ちょっと、やめっ……! 離せっ!」
突然の事につい本気で反抗してしまい、飴玉は男を突き飛ばしてしまう。
「うおっ! ……ふん、女官ごときが生意気な」
まずい、と飴玉は思った。
生意気な態度はともかく、直接手を出すのは危険過ぎる。
「――また無粋な男が、女の純情を傷つけたようですね」
その時だった。二人の間を切り裂くように、見知らぬ女性が現れる。
「女遊びはいい加減になさい、潮」
「……はっ。これはこれは、淑妃氏のおでましか」
淑妃。その言葉を聴いた途端、飴玉は不意に身構えた。
「貴方も貴方です。淑女たるもの、人前で涙を流すとは何事ですか」
「……も、申し訳御座いません。私の失態で御座います」
すると淑妃は、少し腰をかがめて飴玉の耳元に寄った。
「男の涙は、尚更の事ですよ」
「……っ……!?」
「何者かは知りませんが、即刻宮廷から立ち去りなさい。本日中に姿を消すのであれば、私も追及はしません。……意味はわかりますね?」
――只者じゃない。
美しい声の端々に込められた、その威圧感が飴玉をすくませた。
「なんだ、何を話しておる。また女の秘め事か?」
「貴方には関係ない事です。……それでは、私はこれで」