第七話 はじめまして
「……産んだ子を忘れる訳がない、って。お師様は信じてたんだ」
仕事場に来た飴玉は、窓から女帝の部屋をひと睨み。
気持ちを切り替えたフリをして、飴玉は香炉を布で磨く。
……だが油断すれば、すぐ傍に師匠の幻影が浮かんでしまう……。
「(集中しなきゃ、今はまず品評会で認められないと)」
宮廷専属の調香師になれるのは、候補の中から一人だけ。
万が一にも落第すれば、復讐もくそもない。
……なにより、真実を探る事も出来ない。
「なあ聴いたか? また狐が出たらしいぞ」
ぴたりと、飴玉の手が止まった。
「またか。最近妙に多いな。何かデカい事でも起きるのかね」
「あのお方の考える事は、誰にもわからんよ。まあ探るだけ無駄かな」
――狐。それは、この宮廷で使われる【暗殺衆】の隠語。
反射的に飴玉の脳裏には、奴らのお面が浮かんでくる。
「(ようやくここまで漕ぎ着けたんだ。お師様の敵は、絶対に……)
師匠を殺した連中も、狐のお面を身に着けていた。
実際飴玉はそのお面を手掛かりに、女帝へと辿り着いたのだ。
「にしても最近のあのお方、少しおかしくないか。妙に攻撃的というかさ」
「ああ……。そういえば蘭国を攻める決断も、妙に荒っぽかったか」
「……もしかして、更年期ってやつ?」
「くくく。え、でも何歳だあのお方って」
「知らん……意外と年増だったりしてな」
と、廊下の男共が肩を浮かせて笑っていた。
その品の無い笑い方に、飴玉が少し苛立ってきた……頃の事。
「――今日は随分と蝉が騒がしいな」
突然響いた幼声に、男共が思わず首を垂れた。
「こ、煌龍様ッ! いえその、これは……!」
「夏の風物詩も、度が過ぎれば不快だな。いっそ駆除してしまおうか」
幼く可愛らしい声に、無理やりドスを聴かせたような声色だった。
「っ……も、申し訳御座いませんッ。どうかお許しをッ……」
仕事場の反対側にある、小さな離れ。
それに繋がる廊下から、裕福そうな少年が男共を睨んでいる。
「(――あの子って、もしかして)」
だがその視線が不意に混じり合い、飴玉は咄嗟に跪いた。
「品の無い人間がそこに居たようだな」
「(しまった。やらかした……)」
せめて仕事場の扉を開けっぱにしていなければ。
飴玉はそんな事を後悔する傍らで、奇妙な感覚に包まれていた。
『トタタタタッ』
「そこのお前。顔を見せろ」
……その音から察するに、少年は駆け足で寄って来たらしい。
「失礼致します」
ツンと小生意気、それでいて可愛くも凛々しいその顔立ち。
癖ッ毛混じりの黒髪が、その淡い褐色肌と良く似合う。
――飴玉は顔を上げるや否や、少年に目を奪われてしまっていた。
だがそれは色恋云々とは違う、もっと別の理由からだった……。
「(気づいて、いるのか……?)」
多分。いや、恐らく間違いはない。
この少年こそ、女帝が産んだもう一人の御子。
……《煌龍》という名の、飴玉の弟だ。