第五話 業火と消えた残り香に
――やがて帰路に着くため、二人は馬に乗った。
ただ今日の飴玉は何故か、師匠にずっと抱きつきっぱなし。
「(帰ったら皆の世話で忙しいし。今のうちに……)」
飴玉が思い浮かべていたのは、一緒に暮らす孤児仲間達の姿。
「貴方を子供らしく育てられぬのは、私の過ちでしょうかね……」
師匠は馬を歩かせながら、後ろで眠る飴玉をそっと撫で下ろした。
それが伝播したのか、飴玉はお師様に褒められる夢を見ていた。
「私が貴方達を護ってみせます。決して貴族共の毒牙には、触れさせません」
……その誓いの重みを、飴玉はまだ知らない。
飴玉が知っている事と言えば、かつて師匠が、宮廷で迫害を受けていたという事。
だが護りたいというその気持ちは、間違いなくお互い様だった。師匠の過去には疎くとも、自分の命を懸けるに値するだけの恩を、今まで受けて来たのだから。
「――んッ……。……あつい。なに……?」
だからこそ飴玉は、一生恨んでも恨み切れないだろう。
護るべき師匠が、苦しんでいたその瞬間に、呑気に寝ていた自分を。
「ゴホッ、おえっ! これ、火事ッ!? え、なんで。いつの間に……!?」
目覚めるや否や、むせ返るほどの黒煙が飴玉を襲う。
煙が目と鼻にジィンッと染みて、飴玉は咄嗟に手ぬぐいで口元を覆った。
「お師様っ……お師様! みんな、何処なの! 冗談じゃないよこんなの……!!」
ここ暫くの記憶が曖昧になっていた。
朧気ながらによぎったのは、家で師匠と夕食を食べていた一面。
……仲間達もそこに居た。同じく師匠に拾われた、孤児仲間が。
「ふざけないで!! なんでこんなッ、お師様! お師様ッ! どこ……うわッ!!」
焦った飴玉は、瓦礫の中を探し回った。
だがその時何かに足を引っかけ、思い切り足をくじいてしまう。
「……相変わらず落ち着きがありませんね。言ったでしょう、如何なる時も冷静に、と」
「ううっ……あ、お師様! よかったっ。こんな所にッ……――!?」
だが師匠の声が聴こえたと思った、次の瞬間。飴玉の心臓が、一瞬……死んだ。
「申し訳ありません。私の見立てが甘かったようです。……まさかこれほどとは」
――師匠の体に突き刺さった、無数の刀剣。そして左顔を焼けただらせた、火傷痕。
誰の目にでもわかる、明らかな致命傷だった。
「まだっ、まだ間に合うッ。あの医者に連れて行けば!」
「無駄です。外にはまだ奴らが居る。この深手では逃げ切れぬでしょう」
「そんなのどうでもいいッ! お師様から教わった香術なら、そんな奴ら一瞬でッ……」
刹那。冷静さを欠いた飴玉の頬に、師匠の平手打ちが直撃する。
「なりません。言ったはずでしょう、品性を捨ててはならぬ、と」
飴玉の脳裏に浮かんでいたのは、師匠から禁忌と教わった香術。
師匠はそれを使う事を、『品性を捨てると同義』として禁じていた。
だが未熟な飴玉には、それ以外に師匠を救う方法が思い付かず。大粒の涙を散らしながら、師匠の胸倉に掴みかかっていた。
「じゃあッ、じゃあどうしろって言うの!? お師様を捨てて逃げろとでも!?」
「わかっているではありませんか。その通りです、貴方だけで逃げなさい」
「馬鹿言わないで、そんなのありえないッ!! それに他の皆だって救わないと、あの子達はまだ子供なんだよ!? それをッ……」
……すると飴玉は、師匠が意味深に見つめる『何か』に気が付いた。
その『何か』はつい先ほど、飴玉が足を取られた例の代物。
「もう、手遅れなのです。……私達は、一歩遅かった」
よく観るとそれは、複数の『何か』が重なっていた。そしてその『何か』の数は、一緒に暮らしていた孤児の人数と……同じぐらい。正確に数えた訳ではないが……。
「飴玉。これは命令です。貴方だけで逃げなさい」
飴玉は真実を受け入れられぬまま、師匠の言葉から目を逸らしていた。
代わりに見つめていたのは、恐らく襲って来た一味らしい人物の死体。
その死体の顔は、狐模様のお面で隠れていた。……それを見つめる飴玉に、師匠は気が付いたのか。飴玉の意識を無理矢理逸らすように、もう一度平手打ちをぶちかます。
「逃げなければ私が貴方を殺します。ここで全員纏めて、奴らの目論見通りになります」
「……だって。だって!! そんなの出来るわけない!!」
「私が強い女である事を知っているでしょう。そして貴方も強い男の子です。私達は負ける訳にはいかない。品性の無い愚か者に屈するなど、決してあってはならぬのです」
すると師匠は、袖の下からお香を包んだ袋を取り出し、飴玉の手に握らせた。震える飴玉を慰めるように、柔らかく暖かいその体で、飴玉を抱きしめながら……。
「――生きなさい。飴玉。強く、気高く、羽ばたくように生きるのです」
飴玉はなぜこの時、せめて頷く事すら出来なかったのかと後悔していた。
せめて首を少しでも前に傾けて、頷いたと見せかける事すら出来なかったのか。
……だが飴玉は、師匠の厳しくも甘い……この香りに、ただ浸る事しか出来なかった。
『ピュイーーッ』
『――ブルヒィイイィィィンッッ!! ブルルルッ、ヒヒイイインッッ!!』
師匠が口笛を吹いた、次の瞬間。崩落していた扉を蹴破って、一匹の馬が飛び込んだ。
……師匠が飴玉達と共に育てて来た、雪という名前の名馬。
馬は指示を待つこともせず、飴玉を強引に背に乗せ、一目散に家から逃げ出した……。
「お師様ッ……お師様ぁーーッッッ!!!!」
「頼みましたよ、雪。……後の事は全て、この愚かな女に任せなさい」
馬を追おうと現れた野盗の前に、師匠が凛々しい佇まいで立ちはだかる。
……美しい背中だった。自らに刺さった刀剣を引き抜き、野盗を狩らんとするその姿。
飴玉は遠ざかっていくその背中を、ただひたすらに見つめていた。最愛の師匠を救う事も出来ない、愚かな自分を、ただ呪いながら……。