第二話 飴玉という少年
「おい飴玉、飴玉! お前だよ、ちょっと来い!」
――それはいつぞやから、十二年後のこと。
市場に居た飴玉が、ふと雑に呼び止められた。
「……何の御用でしょう。今日は忙しいんですが」
「お前の事情なんてどうでもいいんだよ。それコレだ、コレ! 一体どうなってんだ!?」
すると男が出したのは、木箱に入れられたお香。
飴玉はお香の匂いと、箱の柄で男の事を思い出す。
「ああ。この前の。いかがでしたか、僕のお香は」
「くそだよ!! 娼婦にコレを吸わせたが、全然効きやしねえ! さてはお前偽物を売りやがったな!?」
すると飴玉は呆れるようなため息を、わざと零す。
「僕がお香に混ぜた媚薬は、『相手の情欲』を最大限に高めるものです。それが効かないって事は、つまりその娼婦の方々は貴方に興奮してないという事かと」
「なんだと!? ざけんなそんな訳があるか!! いつもあんだけ鳴き声あげてんだぞ!?」
「……まあそれが仕事ですからね」
飴玉はツンと生意気な表情で、男を嘲笑った。
元が可愛らしい顔立ちなだけに、その煽るような表情が相当男に効いたのだろう。
男はいきりたち、飴玉の三つ編みを鷲掴みにした。
「こうなりゃお前で楽しんでやろうか!? 顔だけは貴族並みだもんな、お前は!!」
「ッ……。そういう性格だからモテないんだって、いい加減自覚したらどうなのッ」
――飴玉の本来の身分からすれば、あり得ぬ扱い。
だが実は意外と、飴玉はこの生活を気に入っていたりする。
「そこの男。私の弟子に、一体何をしているか」
その理由を占める殆どが、まさに彼の師匠にあった。
かつて飴玉を掬い上げた、例の女性……もとい師匠。
「愛弟子の技術は確かなもの。それにケチを付けるなら、私に話を通してもらおうか」
六尺(約180cm)は優に超えるであろう師匠が、ぬらりと男を見下ろす。
負けじと男もガンを飛ばすが、明らかに師匠が優勢。
「う……クソがっ! 調子に乗りやがって。今度はもっとマシなのを売れよ!!」
暫くすると男は捨て台詞を残し、市場の向こうへと消え去っていった。
「……はあ。すみません、お師様。助かりました」
着物の汚れを落とつつ、ぺこりと頭を下げる。
「構いません。あの手の輩には慣れています。一応これでも女ですから」
「これでもって。そんな言い方しなくても」
「それより貴方も注意なさい。品性の無い男に抱かれては、一生後悔しますよ」
決して下卑た男なんぞには屈しない、師匠の気品に溢れた佇まい。飴玉はそんな師匠の背に、憧れていた。
飴玉が尊敬する、唯一の大人。
一度も会った事がない母親よりも。今の飴玉は、彼女の事を実の母のように慕っている。
『ぎゅうっ……』
「うわっ!?」
だからといって、公衆の面前でいきなり抱きしめてくるのだけは止めて欲しかったが。
「弟子吸いは健康によいと、偉人も語っています」
「んな猫みたいなっ。や、やめっ。やめんかこのっ」
若干の浮世離れした所を除けば、彼らは良い弟子と師匠だった。特に暗がりを生きる中で、お互いを光として頼り合うぐらいには……。
「ではそろそろ行きましょう。目当ての香木は手に入りましたか?」
「はあ……はい。それと竹職人から、竹炭を幾つか買い足しておきました」
「よろしい。――彼女も間もなく天へと昇るでしょう。調香師として、最後の役目を果たしますよ」