特級異能統制局
あれから数時間が経った。
俺は、街の外れにある廃線駅にいた。
古びた電車が朽ちたまま止まり、風の音だけが鉄骨に響いている。
(ここなら、追跡も一時的には撒ける)
咒術神システムの通知は今も続いていた。
【位置情報ロック:28秒前に解除】
【特級術師3名、捜索班2部隊が周辺に配置されました】
【ミッション更新:「黒咒主、世界に出現」】
つまり、もう隠しきれない。
“俺が死を越えた”こと。
“人間の域”を超えてしまったこと。
そして――
(俺が、“呪いの象徴”になったことを)
そのとき。
シュウゥッ――と空気が鳴った。
次の瞬間、空が裂けた。
「黒咒主、確保対象確認……殺傷許可あり」
声が落ちたのは、電車の上。
黒いローブ、鉄製の仮面、全身を呪符で覆った人物。
その背後に、さらに二人。
計三名の気配。どれも、“術師”の枠を明確に越えている。
(特級術師か)
その中の一人が手を掲げた。
「封咒展開――『時縛りの棺』」
瞬間、空間が凍る。
(……術式で、時間を止める?)
視界が歪む。音が消える。
それはまさに、“殺すための拘束式”。
だが――
【システム:観測境界 発動】
【敵術式:時縛りの棺】
【死因ログ参照:第46回、首斬り→拘束→死亡】
→ 結果:干渉構造認識済。術式無効化成功。
「効かないよ、それは」
俺は微笑んだ。
術師たちが、揃って一歩退いた。
だがもう遅い。
「お前らが俺にしたこと……全部、俺は知ってる」
右手を構える。
“奈落”の印が手の甲に浮かび上がる。
(死因ログは俺の武器だ。
貴様らが、どう殺したか、どんな術式を使ったか――全部、俺の血と肉に刻まれてる)
「黒咒式:奈落――穿て」
地面に触れた瞬間、術式が反転する。
足元から螺旋状の咒紋が走り、敵の咒力構造へと食い込む。
「ぐああっ……!?術式が、喰われ――!」
一人目が膝をついた。
仮面が砕け、血が滲む。
「対応コードAへ移行、対象の術式を構造解析――!」
「遅いよ」
俺は、踏み込んだ。
拳が腹にめり込み、次の瞬間にはその術師の意識が落ちた。
(二人目――次のは、斬撃系術式。以前、背中を裂かれた……確か第67回目)
風を裂く音。
背後から伸びる呪符の刃。
だが俺は、振り返ることもなく右手を横に振る。
黒い呪いが、鎖のように伸びて――敵の術式を“上書き”する。
「なっ、なんだこれは……!?術式が……消えていく……ッ!」
【敵術式:消失】
【敵身体データ:残存呪力7%、戦闘不能判定】
俺は静かに目を閉じる。
「呪術は、殺すためにあると思ってた。
でも違う。“忘れさせる”ためにあるんだ」
三人目は、もう動けなかった。
まるで呪いに触れた瞬間、心を奪われたように。
静寂。風。血の臭い。
何もかもが、違う世界のもののように遠ざかっていく。
(これが、“黒咒主”か……)
だが、そこへ――またあの声が届く。
『よくやったわ、カグラ』
(――また、お前か)
観測者の声。
あの白い女。
だが今度は、言葉だけじゃなかった。
目の前に、一枚の「白い札」が落ちてくる。
【システム:観測者からの招待】
【任意ミッション:「白い女の真名を知る」】
▸ 達成報酬:忘却された記憶
▸ リスク:次の死亡時、“戻れない”可能性あり
「……面白くなってきたじゃねぇか」
俺は、札を手に取った。
――白い札が、熱を持った。
指先が焼けるような感覚。
視界が一瞬、ノイズのように揺らぐ。
(これは……術式じゃない。もっと、“深層”だ)
俺は、それを握りしめた。
次の瞬間。
景色が、変わった。
光のない空間。
周囲は灰色の靄で満ち、どこにも“音”がなかった。
だが、なぜか懐かしい。
(……ここ、は……)
足元に崩れたベンチ。
壁に埋もれた時計の針は、12時を指したまま止まっていた。
色のない世界の中に、ただ一人、佇む少女の姿。
あの白髪の女。
観測者。だが――今回は、少しだけ違って見えた。
「来たのね、カグラ」
「……ここはどこだ?」
「あなたの“かつての記憶”の断片。
正確に言えば、“あなたが思い出せなかった時間”」
「……何の話だ?」
「あなたは、私を覚えていない。
だけど私は、あなたをずっと見ていたのよ。
――100回、死んで、100回、生まれ変わるたびに」
彼女が手を振ると、空間に一枚の“映像”が浮かぶ。
白黒の残像。
そこには、制服姿の少年と少女がいた。
俺、に似た奴。
そして――今の彼女と同じ顔。
(……なに、これ……)
「あなたと私は、もともと“同じ任務”にいたの。
ただ、私の方が……少し早く“呪われてしまった”だけ」
彼女の声が揺れる。
「でも、それでも……あなたが“私の名前”を覚えていれば、
私は、まだ“人間”でいられたのかもしれない」
映像の中で、俺――いや、“あの俺”は叫んでいた。
血に濡れ、何かを必死に探すように。
その隣で、少女の身体が“式神”の中に封印される瞬間。
(やめろ……やめろ、それ以上……)
頭が、割れそうだった。
思い出せない記憶が、逆流するように押し寄せる。
だが、その中に確かにあった。
名前。
俺が、100回の死の前に“誰かを呼んだ”その声――
「……リア」
彼女が、微かに笑った。
「やっと、思い出してくれたのね」
【システム:記録外の存在「リア」 正式登録完了】
【観測者「リア」の記憶封印解除進行中(残り:37%)】
▸ リアはかつての“共闘者”
▸ 封印解除で新スキル派生の可能性あり
【システム警告】
▸ “観測境界”の記憶介入が上限を超えています
▸ 次の死では「咒術神システム」本体が不安定化する恐れあり
「リア、お前は……どうしてここに?」
「あなたを“止める”ためよ」
「止める?」
「あなたはこのままだと、“本当の呪い”になってしまう。
戻れないところまで行ってしまうの」
彼女が伸ばした指先が、俺の胸に触れた。
「もう一度、生きて。今度こそ“人として”じゃなくてもいい、
あなた自身の意志で、未来を選んで」
その声が、遠くなる。
空間が崩れ始める。
【記憶干渉終了。観測領域からの退避を開始します】
【データ:リアの記憶断片 ×4 を取得】
【補正イベント「喪われた共犯者」開放条件達成】
最後に聞こえたのは、彼女の言葉だった。
「次に会うとき……“選んで”。呪いになるか、人間のまま終わるか」
光が収束する。
俺は、現実へと戻された。
だが、その胸には確かに――
“リア”という名前が、焼きついていた。