真名と観測者
また、目が覚めた。
……いや、違う。
今までと“何か”が違う。
音が濁っている。視界の端が滲んで、空気に粘り気がある。
(これは……)
目の前に浮かぶのは、見慣れた部屋ではなかった。
呪術学園の寮でも、病院でもない。
白く、何もない空間。
ただ、青白いウィンドウだけが浮かんでいる。
【咒術神システム】最終段階へ移行します。
【死亡カウント:100】
―条件達成――
【真名:■■■■】解放。
新スキル【黒咒式:奈落】を付与。
新領域【観測境界】アンロック。
“おめでとう。呪われし者よ”
(……ついに、来たか)
俺は100回、死んだ。
そしてようやく、“この世界のルール”に手が届いた。
喉が焼けるように乾いている。
指先が震えている。
それでも、笑いが込み上げるのを止められなかった。
「やっと……ここまで来たか、俺」
視界の外から、足音が聞こえる。
コツ、コツ、とヒールのような高音。
振り返ると、そこに――彼女がいた。
あの女。
呪霊との戦いの最中に現れ、意味深な言葉を残して消えた“観測者”。
「おはよう、カグラ」
「……俺の名前、知ってるのか?」
「知っているわ。あなたのすべてを、何度も“視て”きたもの」
そう言って、彼女は微笑んだ。
その顔は、やはり感情が読み取れないほど静かだったが――どこか“懐かしさ”すら感じた。
「ここは、どこだ?」
「“観測境界”……咒術神システムの最深部。
あなたがこの領域に到達したのは、初めてのことよ」
「つまり、ここに来られたのは……」
「100回目の死、そして“自我”を捨てずに呪いを蓄積し続けたあなたに、資格が与えられたということ」
空間が一瞬だけ明滅する。
彼女が歩くたび、地面に呪文のような模様が浮かぶ。
【真名を選択してください】
「今から、あなたの“真名”を定めるの」
「真名……?」
「それは、世界に刻まれるあなたの“存在の型”……神にも等しい、呪術の根幹。
あなたが“どんな呪い”で世界を染めるか、それを定義する言葉」
(俺が……呪いになる?)
そんなバカな。
けど、俺はもう、人間でも術師でもない。
死を喰い、呪霊の力を取り込み、復讐と怒りだけでここまで来た。
「答えて。あなたは、どんな存在になりたいの?」
心臓が跳ねた。
脳裏に浮かぶのは、俺を踏み台にして笑っていたやつらの顔。
学園の腐った高官。
自分だけ助かろうとした仲間。
あの忌まわしい呪霊。
そして、“この世界”そのもの。
「俺は……呪いそのものになる。
この世界を、“死より重い呪い”で覆い尽くす」
その瞬間、空間が軋んだ。
彼女が目を細めて、静かに言った。
「――その真名、承認したわ。
あなたの名は、《黒咒主・カグラ》。
咒術神システム、最終段階へ」
【真名:黒咒主・カグラ】
【新スキル:黒咒式《奈落》】
【効果:自身の咒力を反転し、触れた呪霊を“呪い直す”。対象の術式を上書き可能】
【新領域:観測境界】
【効果:対象存在の“死因ログ”を可視化/強制認識可能】
「最後に一つ、忠告をするわ。
“このシステムの終点”は、あなたの敵だけでなく、“あなた自身”も呪う」
「構わない」
即答だった。
俺はすでに、そういうものを全部捨てた。
これは戦いじゃない――“俺の呪い”の、物語だ。
――咳き込むように、息を吐いた。
重い身体。焼け付くような喉の渇き。
意識が引き戻される感覚と共に、床に叩きつけられる音が耳を裂いた。
(……戻ってきた、か)
視界がぼやけている。
だが、そこに“動いている血”の気配を、はっきりと感じた。
手術室。呪霊の残骸。
崩れかけた床。そのすべてが、まだそのままだった。
(時は、動いたまま――死亡ログをキャンセルしたのか)
咒術神システム。
最終段階に進化した今、そのルールすら超えたのかもしれない。
「おい!カグラ!?……死んだはずじゃ……!」
ユウトの声が震えている。
当然だ。さっきまで、俺の身体は血の海に沈んでいた。
喉が潰れ、目も焼かれ、完全な“死亡状態”だったはずだ。
俺は、ゆっくりと立ち上がった。
足元に転がる呪霊の肉片。まだ動いている。
普通ならとどめを刺すべきだが――
「“反転”だ」
俺は右手を掲げ、意識を集中した。
脳内に展開されるスキルウィンドウ。
【黒咒式:奈落】
発動条件:咒力反転領域展開
一瞬、空気が歪んだ。
手のひらから黒い“呪線”が生まれる。
それは呪霊の残骸に触れ、逆流するように“内側”へ侵入していく。
グチャッ……
呪霊の肉が、内側から崩れた。
術式構造ごと“上書き”されたのだ。
(これが……黒咒主の力)
咒いを、さらに深い咒いで“塗り潰す”。
相手の存在そのものを“呪い直す”――これが新スキル“奈落”の本質。
「……何を、したんだ……お前……」
ユウトが後ずさる。
こいつは、まだ気づいていない。
今の俺が、“同じ人間”ではないことに。
「ユウト」
「ひっ……な、なに?」
「次に裏切ったら、次は“死”じゃ済まない」
俺は、ただ淡々と告げた。
恐怖も、怒りも、何も込めず。
それだけで、ユウトの顔色は一瞬で蒼白に変わった。
(言葉だけで呪えるようになった……それも、新たな力の一部か)
そのときだった。
ピ――……
小さな機械音。
耳の奥に響いた“別のシステム”の通知。
【観測者からのメッセージを受信しました】
▸ “次の死を迎える前に、『白い女』に近づかないで”
(……白い女?)
考えるより早く、背筋が凍った。
観測者――あの女が言っていた。
“次の死で、すべてが始まる”と。
もし、あれが“始まり”じゃなかったとしたら?
彼女ですら回避しようとする“何か”が、まだ控えているのだとしたら?
【警告:システム干渉信号を検出】
【外部呪術機関による“特級異能監視網”が作動しました】
【現在地が追跡されています】
(やはり来たか……)
咒術学園の上層部、いやそれ以上。
“異能統制局”――特級術式を監視する秘密組織。
俺の変化を見逃すはずがない。
「面倒なことになるな……」
だが、今の俺なら。
「全部まとめて呪ってやる」
笑った。
そして、その笑みの中に、わずかな“懐かしさ”が混じっていた。
(そうだ。昔の俺は、こんな風に笑っていた気がする)
あの女が言った。
“あなたのすべてを、何度も視てきたもの”だと。
じゃあ――あいつは、“かつての俺”を知っていたのか?
【ミッション更新:次章イベント「記録外の女」発生】
▸ 条件:彼女の真名を知ること
▸ 補足:接触は1回のみ許可される
「……名前、教えろよ」
誰に向けた言葉かも分からず、呟いた。
だが、俺の胸の奥で何かが、音を立てて動いた。