また死んだ。99回目だ。
俺は、また――死んだ。
喉が潰れたのが分かった。
目玉が焦げ、肋骨が砕け、最後に心臓が握り潰されるような感覚。
痛みも苦しみも、もう慣れていた。99回目ともなれば、もはや死に様さえ儀式のように思えてくる。
俺の名前は――いや、今はそれすらどうでもいい。
人は「死んだら終わり」と言うが、俺の場合は違った。
死ぬたびに、俺は“最初の任務の日”に戻る。
まるで、呪いだ。世界に縛られた、果てのない輪廻。
目を開けた瞬間、聞き飽きた天井の模様が目に入った。
(……また、ここか。)
呼吸が浅くなる。
咽せるような嫌な匂い――消毒液と古い畳と、血の気配。
呪術学園の寮の一室。俺の部屋。何度目だろう、ここで目を覚ますのは。
スマートウォッチの画面を叩く。6月5日。
時間、午前7時12分。
(任務開始の3時間前――99回目の“やり直し”が、始まった。)
『咒術神システム、再起動。』
耳元で機械音が響く。
心の奥に直接刻まれるような音声。
『前回の死亡ログを収束――「敵性呪霊による胸部破裂」確認。咒力経験+1,760。術式断片「裂手」獲得。』
(今回は、“裂手”か。)
死のたびに、俺は“何か”を得る。
スキル。記憶。呪霊の能力。殺された理由。
俺を殺したものすべてが、今の俺を強くする。
それがこのシステム――【咒術神システム】の本質。
「おーい、カグラ!起きてるかー?」
ドアの向こうから聞きなれた声がする。
ユウト。初任務の同期。だが――99回殺された中で、俺を“裏切った”回数、26回。
笑顔で背中を刺し、無線を切り、足を引っ張り、俺を囮にした男。
(今回は……どう出る?)
俺は布団を跳ね上げ、意図的に無言のままドアを開けた。
「あ……お、おはよ?」
ユウトが一瞬だけ目を見開いた。
当然だ。今までの俺なら、ここで笑って「おはよう」って返してた。
だが、今回は――“笑わない俺”を見せてやる。
任務は午前10時。
指定された現場は、古びた廃病院。
呪霊の出現率Aランク、被害者数3名。新人の初任務にしては妙に“重い”現場。
だが、俺は知っている。
この病院には、“Sランク級”が潜んでいる。
俺は98回、そこで殺されてきた。
そして、99回目の今――
(やっと……喰らい返せる。)
ポケットの中、システムウィンドウが蒼白く光った。
【スキル選択を開始してください】
─ 現在選択可能スキル
▸ 咒式:裂手(対象の肉体を引き裂く咒力操作)
▸ 霊視Lv2(低級呪霊の気配感知)
▸ 体術:反射強化(回避成功率+12%)
俺は迷わず、“裂手”を選んだ。
――喰われるだけの俺は、もう終わりだ。
『咒術神システム、覚醒段階:99%。次回死亡時に【真名】解放予定。』
そのメッセージを見たとき、心臓がわずかに跳ねた。
99%。あと一歩。
あと1回死ねば、何かが変わる――そう、確信した。
(だが、できるなら……この回で、終わらせる。)
廃病院は、湿っていた。
時間が止まったように静まり返った空間に、重たく、陰鬱な気配が充満している。
鉄錆と血の混ざったような匂いが、肺の奥に染みる。
「――反応なし。低級以下だと思われます」
ユウトがそう言った瞬間、俺は無言で階段を降りた。
“それ”は、いつも三階の奥、手術室の中に潜んでいる。
俺が先導することに、誰も文句は言わない。
99回目の今、視線も足取りも、もう迷いがない。
(ここで、俺は殺された。右手を奪われ、首を砕かれた――だが今度は違う)
手術室の扉を開けると、空気が変わった。
ヒタ……ヒタ……ヒタ……
何かが、床を這っている音。
咀嚼音のような、不快な水音。
そして、ゆっくりと視界に現れたそれは――
呪霊だった。
「また、来たのか……」
思わず呟いた俺の声に、それが反応した。
目が合った瞬間、全身の毛穴が逆立つ。
それは、獣でも人でもない、“怨念の塊”。
殺された記憶が、脊髄に染みついている。
「…………ッ!」
ユウトの呼吸が乱れる。
あいつはまだ“本物”を知らない。
だが俺は知っている――こいつの動き、癖、殺意の匂い、全部。
「ユウト、下がれ。お前じゃ無理だ」
「は……?」
その瞬間、呪霊が動いた。
残像も残さず、空気を裂くように跳んだ。
(来る――!)
俺は躊躇なく【スキル:裂手】を発動。
右手から伸びる咒力が、刃のように変質する。
見えない線を引くように、空間を斬り裂いた。
ザンッ!!
咒霊の腹が裂ける。
黒くドロドロとした液体が飛び散る。
「がアアアアアッ!」
咆哮と同時に、周囲の空間が歪んだ。
空気が沈み、重力が変わる。呪いの圧が一気に強まる。
(……来たか、“本性”)
こいつは、低級じゃない。
【Sランク呪霊:深層蝕】――俺が98回殺されてきた相手だ。
だが今回は違う。
俺は、それを殺すために99回分の“死”を積んできた。
「喰らえ、裂手“二式”。」
手のひらが咒符の形に変質し、空中で組成が崩壊する。
それを、斬る。
“目に見えない咒術結界”を、そのまま引き裂く。
グワァァァァッッ!!
叫び声とともに、呪霊が崩れる――否、“変わる”。
「…………?」
その時、空間の奥から別の気配が――
いや、“視線”が走った。
(……誰か、見てる?)
咒霊の気配じゃない。
もっと……冷たい。もっと深く、底知れない、死に似た何か。
視線の先、闇の中に人影がひとつ――
女だった。
制服姿。咒術学園の制式じゃない。見たことがない。
それでも、どこか懐かしいような、逆に“思い出したくない”ような。
(誰だ……?)
『咒術神システム:高等呪力存在を検知。データ解析を開始します――』
『確認不能。対象は「記録外の存在」です。』
(……システムで解析できない?)
女はただ、こちらを見ていた。
真っ白な瞳、表情のない顔。
そして、小さく口が動く。
「――99回目、ようやくここまで来たのね。」
その瞬間、背筋が凍った。
(……なんで、“それ”を知ってる?)
俺は知っている。
この99回目の死の連鎖が、単なる偶然じゃないことを。
彼女は、俺の“記憶の外側”から来た存在だ。
【咒術神システム:新イベントフラグ発生】
▸ 特殊存在「記録外の観測者」出現
▸ ミッション:「真名の扉」開放条件が変化しました
目の前の呪霊は、すでに死にかけている。
血を撒き散らしながら、壁にぶつかり、そして砕ける。
だが、俺の目は――もう“彼女”しか見ていなかった。
(お前は誰だ……?)
「次の“死”で、すべてが始まるわ」
彼女はそう言って、霧のように消えた。
そして、崩れかけた床が砕け、俺の身体は――
再び、落ちていく。
【咒術神システム:記録終了。死亡ログNo.99 保存完了】
【次回、真名解放】
【覚醒条件――“本当の呪い”を知ること】
俺は、また――死んだ。
だが今度こそ、この呪いを殺す。