nostalgic
橘は、午前中のプログラムが終わり、病棟に戻ってきていた。華やかなイメージである、芸能人やインフルエンサー、プロスポーツ選手などは、人生を満足しているのであろうか。確かに、そういった人物たちは、社会的な地位や影響力を持っており、さらに、大金を稼いでいる人も多いであろう。しかし、こういった要因が重なると、それを、悪用しようとしてくる輩も近くによって来るのではないのであろうか。また、自分自身の行動にも責任が一層強くなるであろう。ちょっとした不祥事で、テレビのニュースに流れ、SNSでは格好の餌食となる。彼らは、確かに物質的なこの空間では成功者といえるであろう。しかし、あの世に金は持っていけない。そうなってくると、生への執着が強くなる。つまり、死への恐怖だ。橘は別に、死にたいわけではないが。こういうことを言っていると、橘は社会的に成功していないための僻みにも聞こえるが、意外と、普通の一般人という人生が、一番いいのではないかと思うのであった。普通に、食事をし、お風呂に入り、睡眠をする。これだけで、人間は生きていける。当たり前のことに目をやると幸せは身近なところにあるのではないであろうか。橘は、昔、母親に言われたことを思い出していた。「身近でできることをまずやりなさい」。この言葉は、橘には当初納得できなかった。厳しい環境に身を置いてこそ、人間は成長し、上を目指せると思っていて、それが、社会の仕組みだと思っていたのであった。昔在籍していた会社の社訓にこんな文言がある。「革新と挑戦、無き者は去れ」。これは、常に競争を生み出し、現状に満足せず、新しい創造を意識した言葉である。その時の経験が自分自身の軸の一つとなっており、橘の思考の基礎部分となった。だから、どんどんと外に出ていき、新たな発見や挑戦をして経験値をためなければならないと思っていたのである。しかし、変化をするというのは、非常にパワーの必要な作業である。よく、会社の人たちが、若いころはいろいろと経験をした方がいいというのは、若ければ、それだけ。パワーやエネルギーがあり、頭も柔軟であるために、今のうちにやっておいた方がいいということではないのであろうか。しかし、若さというのはもちろん永遠には続かない。おそらく、橘は、一般道を時速100㎞で走行し、クラッシュしたようなイメージだ。これは、最早、走行ではなく、暴走だ。それだけ生き急いでいたということであろう。だから、身体がもたなかった。身近にあるもの…。それは、友人や家族、家、空気、木々や水などいろいろと存在している。様々な縁起というもので、橘は成り立っているのである。