昼食は唐揚げ定食かステーキか
橘は、午後、デイケアの体験テストに参加していた。デイケアとは、精神疾患や精神病患者が通う、通所施設であり、主に、社会復帰へのリハビリや他の患者とのコミュニケーション、プログラムへの参加などを通じて、認知機能の向上を目指す場所である。午後のプログラムは、当初、陶芸に参加しようと考えていたが、パソコンで作業することにしたのであった。橘は、やはりいつものように思考する。ある知人が言った有名な言葉に共感する。「我思う故に我あり」。デカルトの言葉だ。これは、この世の中で実際にあるもので、思考をしている自分は存在するということは事実であるという言葉である。つまり、思考をしている自分という存在は確かにこの場所に存在しているということだ。橘は、この世界には、現代物理学だけでは説明できない、目に見えない力を感じていた。それが何なのかはわからない。橘は、仕事をしていたころは、働くことがすべてであると思っていた。男は金を稼いでこそ価値がある。そう信じていた。しかし、それで得たものは何であろうか。金を稼いでも、すべて酒やタバコ、ギャンブルなどに消えてしまった。確かに、楽しかったのであるのは事実だが、結局、身体を壊してしまったのである。統合失調症を発症した時の感覚は一言で表すと、”トランス状態”である。意識がまるで別世界へ行ってしまったような感覚であった。そして、絶対的支配者になったかのような錯覚。意識とは何なのか。それは、現代科学においても明確に解明されていない。意識は次元を超えることが出来るのか?この問いは、哲学的にも物理学や様々な学問で議論されている。例えば、昼食で唐揚げ定食を食べたとする。しかし、一方で、ステーキを食べている姿も想像することが出来るはずだ。これは、多世界解釈、つまり、パラレルワールドという考え方で言うと、実際は唐揚げ定食を食べている世界にいるが、一方で、ステーキを食べるという選択をした世界も存在するということである。ということは、実際に食べていないステーキを食べている姿を想像できるということは、意識レベルでは、唐揚げ定食を食べた世界とは、別の世界線を意識では認識することが出来ているということではないであろうか。つまり、意識は次元を超えることが出来るというように、橘は考えている。過去、現在、未来…それぞれ、頭の中で思い返したり、想像することが出来るはずである。人間は、自然と、時間旅行も楽しんでいるのではないのであろうか。