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序章3  現在、賽は投げられた

◆アルクティス暦997年 コロミール州ヴィロッサ領『キスク山脈』



「と、この辺りにはいろんな曰くがついているそうですよ。」

「その話ならもう何十回と聞いた。」


若い女の声に呆れ返ったような若い男の声が続く。

それは鳥一羽飛んでいないこの山脈では珍しい光景だった。

此処は大陸1の大国、アルクティス王国の北に走る山脈だ。

山脈の更に北は断崖絶壁に荒海が広がっているとも言われるが、証言者は一向に集まらない。

どんなに力の強い兵士でも渡りきることは難しいと言われる深い山脈。

人間の食べられる木の実は実らず、食料にできるような動物の代わりに恐ろしい魔物がうろつくとも言われる山脈。

そこを2人の男女と1匹の獣はもう何日も彷徨い歩いていた。


「だって、もう話題が尽きてしまいそうなんです。」


軽い旅装姿に麻のフードつきのマントを被っている少女が困ったように眉を寄せる。

長い旅で多少薄汚れてはいるがまだ20歳前と思われる少女は賭け値なしの美人だった。

旅装のフードの下から柔らかな白銀色の三つ編みが見えている。

そしてフードと前髪の下から真っ直ぐに隣の男を見上げる瞳は頭上の空のように青く澄んでいた。


「別に無理に喋らなくたって良い。」

「でも、せっかくの旅なんですしいろいろとお話ができたらなと思いまして。」

「体力を消耗するだけだと思うんだがな・・・」


隣に立つ男も長旅で薄汚れた旅装の上に麻のフードつきのマントで身を包んでいる。

そして2人分の荷物と思われる袋を軽々と背負い、腰の部分には細身の、だが立派な細工の剣を挿している。

隣の少女ほどハッとする顔の造作ではない。

だが、日焼けよりも濃い褐色の肌に冬の夜明けのような濃紺の髪という組み合わせ、更に隻眼ときては何処にいても目につくだろう。

彼がまとう雰囲気はそれらの色彩に相応しく鋭く研ぎ澄まれたもので、片方の切れ長の目が彼を益々近寄りがたいものにさせている。

それでも呆れたように少女を見やるそのコバルトグリーンの瞳はどこか温かみを備えていた。


「『あら。私とお喋りするのは嫌って言うの?ダーリン。』」

「ぶっ!!」


彼女の透き通った囀り(さえずり)のような声に男は危うく足元の木の根につまずきかける。

もし何か飲み物を飲んでいたならば、勢いよく噴出したに違いない。

恨めしそうに睨みつけてくる男に、少女は首を傾げながらも微笑んでいる。


「……アンタ、そんな言葉どこで覚えたんだよ。」

「数日前に立ち寄った宿屋です。ねぇ、イザヤも聞いていたでしょう?」


自分が言った言葉の威力を少しも理解していない少女は隣を付き添う獣に話しかけた。

眩い白銀の毛並で覆われた頭は狼に、体は虎にも似た人間2人なら乗れそうな獣だ。

額に少女の目と同じ色の3枚の花びらのような痣があり、背の体毛も一部分だけその色をしている。

その澄んだ青色は5つに分かれたキツネのような尾の先と黒い蹄の上にかかる襟首のような毛にも共通していた。

イザヤと呼ばれた獣は橙色の瞳を細め、擦り寄るようにして顔を少女の肩に寄せる。


「ほら、イザヤも聞いたと言っておりますわ。」

「……俺には聞こえねぇよ。」


朗らかな少女の笑顔に男は溜息交じりに呟く。

この獣は自分ではなく少女を守護しているのだ。

少女に声を聞かせても、自分に聞かせることなんて限られている。

それに男はどうやらこの獣に嫌われているらしい。

今も、ちらりと見ただけであからさまに顔を逸らされた。


「他にも宿屋ではいろいろなことを耳にしました。例の場所に着くまでには身につけますわ。」

「……いや、いい。」


ウキウキとした声に男は本気でげんなりとした。

あの騒がしかった宿屋で耳にしたことをマスターされでもしたら……考えたくもない。

胡乱気に拒否をすると、男は何を思ったか少女を軽々と片手で抱き上げた。

獣が威嚇するように男に向かって唸ったが、男が怯まず少女を獣の背に乗せると途端に大人しくなる。

突然のことに悲鳴をあげた少女も、男の視線が自分の足に注がれていることに気づいて口をつぐんだ。

革靴の中、長旅に悲鳴を上げた足は赤く腫れ上がって所々血が滲み出ている。

話を続けようとしたのは痩せ我慢だって気づかれていたのだろうか。


「水示しの木が生えていた。水源が近い。今日はもう休むぞ。」

「・・・まだ日は高いです。」

「暗闇の中で水浴びをしたいのなら止めないが?」


少女を休ませるためでなく水浴びをするためだ。

ここら辺の川は岩がゴツゴツしているし、誰も入らない川底は藻に覆われて滑りやすい。

水浴びをするなら、日のあるうちが安全だというただそれだけだ。

少女の気を軽くさせるために素っ気無く言う彼に少女は「くすっ」と小さく笑った。


「・・・優しいですね。」

「バーカ。」


主人である少女への暴言に獣は男に向かって唸ったが、少女は綺麗な笑顔を空へ向けた。

隣を歩く彼の素っ気無い優しさと、自分を乗せたためにひどく緩やかに動く獣の温かさ。

さり気ないことなのに、何故だかひどく嬉しくて――泣きそうだった。





◆鴻庵暦 387年 隠れ里『鴻庵コウアン




カコン!!


小気味良い音を立てて、まきが真っ二つに割れていく。

それを見送って楼杏ロウアンは額ににじみ出た汗を長い袖でぬぐった。

切り株の上で割れた薪をヒョイヒョイっと放り投げる。

音がして同じように割れた薪の山へ落ちた。

もう十分切っただろう。いや、でもせっかくだからあと2,3本はやっておこうか。


「楼杏。」


新しい薪を持って考えている楼杏を可愛らしい声が呼んだ。

その声にパッと顔を上げて振り向いた漆黒の瞳に、家の方から現れた幼馴染の少女の姿が見えた。


彰琳ショウリン!」


と少女の名を呼ぶ。

頬がふっくらとしているわりにはその体は折れそうなほどに細い。

漆黒の腰まである髪を2つに分けて頭の上でお団子頭にしているのが可愛らしい。

そして少女はそばかすだらけの顔にとても愛らしい笑みを乗せている。

その笑みに応じて楼杏も薪を切り株の上に置くと幼馴染のもとに駆け寄った。

外見通りにか弱くて、でも心優しい同い年の幼馴染が楼杏は大好きなのだ。


「どうした?彰琳。」

「お昼、もう食べちゃった?」

「ううん、まだ。」


まだ、どころかどうするかもあまり考えていなかった。

そう告げると幼馴染は嬉しそうに「よかった」と笑った。


「美味しいお芋がとれたの。今日は燕静エンセイおじさまがいない日でしょう?

 だから、まだかなぁと思って楼杏の分も作ってきちゃった。」


楼杏より拳ひとつ分低い位置に顔のある彰琳ははにかむように笑った。

見れば、その細い腕は少し大きな布の包みを抱えている。

燕静とは楼杏の父の名前だった。

隣に住む幼馴染は、楼杏が1人でご飯を食べることを心配してやってきてくれたのか。

楼杏はすっごくすっごく感動した。


「あの・・・楼杏?め、迷惑だった・・・?」

「彰琳・・・・大好きだーーっっ!!」

「きゃぁっ!」


急に細い体をぎゅっと抱きしめられて彰琳は悲鳴をあげた。

痛かったのではない。驚いて、そして恥ずかしかったのだ。

嬉しそうに自分を抱きしめる楼杏に深い意図はないのは分かっているのだけど、心臓が壊れてしまったかのように煩くなる。


「急いで薪を縛っちゃうからさ、先にいつものとこに行っててよ。」

「・・・・・・。」

「・・・彰琳?」

「え・・・あ・・・や、やだ、ごめんなさいっ!」

「いや。謝んなくてもいいけど・・・どうした彰琳。顔真っ赤だぞ!」


返事のない彰琳を不思議に思って彼女の顔を覗きこんだ楼杏は驚いた。

顔がこれ以上ないってくらい真っ赤だ。

細くても元気いっぱいで体力のあり余っている楼杏とは違い、彼女はとてもか弱くてよく熱を出していた。

また熱でもでたのかと楼杏は慌てるが、見当違いもいいとこだ。

でも本当のことを言うわけにもいかなくて彰琳まで慌ててしまう。


「な、なんでもないのっ!あ、あの、私先にいつもの所に行ってるからっ!!」

「ちょっ、彰琳?!」


あの細い身体のどこにあるんだというくらい強い力で楼杏を押し返すと璋彬はバッと駆け出した。

残された楼杏はわけが分からない。

暫く呆然と幼馴染の消えたところを見送って、右手で頭の後ろをかいた。

あれだけ元気に走れるのなら本当に体調を崩したわけではないのだろう。


「・・・なんだぁ?」


鈍感なのも時には大変罪作りなのである。




平和だった。何も、かも。



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