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ボロ雑巾のようになりながら、それでもミドリはくじけない。
「で、でも兄様、僕も僕なりに、いろいろ考えてやってたんですよっ」
ヨシマサは、ミドリを睨んでスゴむ。
「……何を考えていたというんだ」
「兄様が、『ここは、皆が魔術を真剣に研究する場所で、お前もその一員として生活してるんだから、浮ついた歌なんかやめろ』って言いましたから。じゃあ、浮ついた歌を求めてもらえる場所で、変装して別人として歌えば、って」
「それを屁理屈というんだボケっ!」
フルスイングの一撃がミドリの側頭部にヒット、ミドリは横っ飛びに吹っ飛んだ。
吹っ飛んでゴロゴロ転がったミドリは、その回転を利して器用に立ち上がり、
「ちなみにこの歌、二番では兄様が誘拐された少年を救出し、重傷を負っていたその子を現場で治癒し、三番では全快したその子と手に手を取って旅立つ、というストーリーになってます」
「本人による保証つきのノンフィクション作品ですってか! 事実をつらつらと述べつつ、最後にちょこっと願望を混ぜ込んでるところがタチ悪いぞ!」
シルヴィと、そして街の人たちが、旅立つヨシマサにミドリが同行すると噂していたのは、こういうことだったのである。
「いえ、ノンフィクションだとは言ってませんよ。この通り変装して歌ってますし、歌の中での少年というのも別の名前を使ってますから。実在する人物とは関係ありません的な。ただ、ノンフィクションの完全実話だと思った人は多いようですが。僕と兄様のあの日の実話は、歌以前にそこそこ噂になってましたからね」
棍棒を叩きつけるような中段回し蹴りがミドリの胴を打ち、ミドリは石畳にぶっ倒される。
「今この街で、いや、街の外にまで広がった俺の噂が、どんなことになってるか解ってるのかっ! どれほど多彩かつ巨大な尾ひれがついているかっっ!」
立ち上がるものの、流石にふらふらしてきたミドリの返答を待たず、ヨシマサが叫ぶ。
「海に潜って海竜を素手で絞め殺しただの、火山の中で溶岩を浴びながら一晩中戦い続けただの、三つの国を滅亡から救ってそれぞれの王女から求婚されたけど全て振り切って旅に出ただのと、ハラハラドキドキの冒険ストーリーが勝手に出来上がってる! なんでも今度、それらを原作にした芝居まで上演されるとか! 元を辿ればお前の歌のせいだぞ、全部!」
そんなヒソヒソ話が自分の周囲で囁かれているのを、ヨシマサも知ってはいたのだが。まさか、ブームの仕掛け人がミドリだったとは。
もちろん、ミドリはそういう反響をちゃんと知っている。
「光栄です。創作者冥利に尽きます」
「喜ぶなっ!」
「それもこれも、兄様がかっこいいからですよ。皆が兄様のかっこよさを称えて愛してくれて、僕としてはこの上なく……」
「その当人が恥ずかしいと言ってるんだっ!」
「うっ。そ、それは、その、ごめんなさい」
ヨシマサからはっきり迷惑だと言われると、ミドリは素直に謝った。
だからといって、やったことを悔いるというような様子はない。
「ったく、お前って奴は……」
憮然として、だがヨシマサには解っている。
以前ヨシマサが、いずれはここを離れて旅に出ると言った時。ミドリは、絶対に着いて行く! と泣きついてきた。危険だからと言って断ると、足手まといにならないぐらい強くなる! と言い張って聞かなかった。
それからだ。ミドリが、単に雑用をこなすだけの下働きではなく、貪るように魔術を勉強し始めたのは。だから、その為に、金が必要だったのだろう。
そんなミドリについて、魔術研究所の魔術師たちは、こう言っていた。
「あの子の上達の速さは、並大抵のものではありませんよ。きっと、何らかの下地があるはずです。例えば高名な魔術師の弟子とか、息子とか」
「身元不明で記憶喪失という話ですが、こういったことを手がかりにして、調査できるのでは?」
『ミドリの記憶喪失は、俺の責任。その責任を突いて、身元探しの旅に連れていけと迫ることもできた。だがこいつは、一度もそうは言わなかった。言うのは……』
「兄様は、自覚しておられるよりもずっとずっと、かっこいいんですよ。だから、そのかっこ良さを、ですね! 僕は、広く世間に知らしめたいと!」
そのヨシマサにさんざんボコり倒されたミドリが、元気に拳を握って熱弁している。
「で、そのかっこいい兄様が、旅に出るなら連れて行ってもらいたいな……と……」
胸を張って熱く論じたかと思えば、小さくなって上目遣いへと。忙しい子である。
「一応、賭け試合とかにも勝って、そこそこ強くなってはいるんですよ?」
「それでもまだ不足だ、と俺が言ったらどうする」
「まだ足りないのかと更に奮起しますよ。酒場は他にもたくさんありますし、いっそ公会堂での歌唱コンクールにでも出て、更なる新曲を多くの人に届けて」
「目標がズレてるのはワザとかっっ?!」
振り下ろされたヨシマサの一撃が、またまたミドリを地に叩き伏せた。
「……わかった。連れて行ってやる。その代わり、俺の歌はやめろ。封印しろ。いいな?」
「! ほ、ほんとに、連れて行ってくれるんですかっ?」
海老か、あるいはバッタかという勢いでミドリは跳ね起きた。
今の一撃はちょっと、割と力を込めてドツいたつもりだったのにと、ヨシマサはたじろぐ。
「つ、つくづく、見かけによらずタフだなお前」
「わ。兄様に褒められた。って、それより! ほんとのほんとに?」
喜色満面ではあるが、まだ不安も色濃いミドリの顔。
ヨシマサは、そんなミドリの頭に、ぽんと手を置いて苦笑しながら言った。
「本当だ。個人がどれほど強くなったとしても、違う技能を持つ仲間がいた方が、受けられる仕事の幅は広がる。冒険者経験の豊富な、傭兵部隊の仲間たちが、そう言っていた。だから俺も、旅に出て無所属の冒険者としてやっていくなら、やはり一人はきついだろうと思っていた」
「それじゃあ……」
「お前のことは、魔術研究所でいろいろ聞いた。新米とはいえ、未熟とはいえ、もう【魔術師】を名乗れる技量は充分にあるとな。それならば、旅の仲間として不足はないだろう」
ミドリは、その澄んだ瞳を涙で潤ませ、
「ありがとう、兄様っ!」
ヨシマサに跳びつき、強く抱きしめた。
そんな二人を、人ごみに紛れて、遠くから見つめる少女がいた。
「遂に二人揃って旅立つわけね。ふふ、待ってたわよ」
こうして。遥か東の彼方、海の向こうの遠い国、その名も【ニホン】から来た気光の侍・ヨシマサと、記憶を失った美少年・ミドリの旅が始まった。ミドリの記憶と故郷を探して、そしてどこかにいる(かもしれない)忍者を求めて。
「あ、でも兄様。今夜はもう、酒場のご主人に出るって約束してしまってますし、さっき街の人たちからも『待っててほしい』とか言われてますから、今日だけは、その」
「……約束があるなら仕方ない。お前の歌を好いてくれる人たちの、信頼を裏切るわけにもいかんしな。明日の昼までには出発するつもりだから、早めに切り上げろよ」
「はいっ!」
ミドリは、カツラとフードを被って酒場に入っていった。