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「実際のところ、分の悪い賭けだったわ。まずラグロフが魔王を召喚できるか否か。できても、魔王が餓鬼魂を弾き返してしまうかもしれない。その可能性は、ついさっきまであった。ところが、魔王をちょうどいい加減に弱めてくれるという、奇跡のような展開。感謝してるわよ」
事態が呑み込めてきて、落ち着きを取り戻したヨシマサが、言い返した。
「魔王に憑りついて、魔王の力を手に入れて、いい気分か。まるで悪霊、いや寄生虫だな」
「否定はしないわ。世界最強の寄生虫、で結構よ」
「最強? お前は、お前の言う奇跡の展開を、上から見ていたのだろう? その魔王の体は、魔力を削られ、大幅に弱められているのだぞ。加えてお前は、魔術など使えまい。つまり、つい先程まで俺とマリカに斬られていた、アルガバイアー自身よりも弱くなっているはず」
「と、思うのが素人の浅はかさ」
「素人だと?」
「そうよ。素人ではないはずなんだけどね。気づかないの? 気光の侍・ヨシマサさん?」
そう言うソレーヌの中で、じわりじわりと、気光が膨れ上がり、高まっていく。
その大きさは、人間が修行で到達し得る領域を超えている。おそらく、人造人間などでも無理だろう。こんな巨大な気光を練れるのは、異世界に住む巨大な存在、例えば魔王ぐらいか。
「気光は、魔力や法力の根源。エルフも人間も、魔王も持っている。魔王の魔力が大きいのは、その秘める気光も大きいから。でも魔王は気光術なんて知らない、修行をしたこともない。だけど、【あたし】は何年も修行を積んだ。気光を高め、活用する術を知っている」
「……!」
ヨシマサもマリカもレティアナも、ソレーヌの言いたいことを理解した。
「わかる? 今のこのあたし、大魔王ソレーヌ様はね。あの、才能の基礎理論でいうところの、【素質100の者が、100の努力をした】状態なのよ!」
ソレーヌの全身が、一瞬、眩い光を放ち、その光が収束して、淡い輝きとなってソレーヌを包んだ。気光の輝きである。
最初、アルガバイアーは巨大な藁束であった。ヨシマサたちの持つ武器では、藁は貫けても束として巨大過ぎたために、貫けないものだった。
その束を、ミドリが死力を振り絞って削ってくれた。それでもまだまだ分厚く太いのだが、何とかヨシマサたちにも貫くことができるぐらいの藁束となった。
だが、今。藁束は、鉄束となった。ヨシマサたちの武器と同じ素材の束だ。最初の藁束よりも細いことは細いが、それでもヨシマサたちの武器よりは遥かに太い、鉄棒の束だ。鉄柱だ。
貫ける道理がない。
「あはははははははは! 凄い、凄いわ!」
ソレーヌの高笑いが響き渡る。
「エルフだった時には想像もできなかったほどの力を、自分の中に感じる! もはや、あたしを上回る気光の使い手はどこにもいない! あたしは今、気光を極めた! すなわち、いかなる魔術も法術も、神通力も、あたしは粉砕できる! 誰も、あたしを倒すことはできない!」
ソレーヌは、その巨大な拳を振り回してきた。マリカはどうにかかわしたが、マリカほどの敏捷性のないヨシマサにはかわしきれない。
ヨシマサは、気光を宿した刀で受けようとした。いや、拳そのものを真っ向から一刀両断にしようと試み、大きく踏み込んで刀を繰り出した。
が、今はソレーヌの拳も気光に包まれている。気光同士であり、ソレーヌの方があらゆる意味で巨大なのだ。ソレーヌの拳は、ヨシマサの刀の、白く輝く刃に触れても全く傷つかず、速度も落とすことなくそのまま押し切って、ヨシマサを殴りつけた。ヨシマサの胴体をまるごと全部、覆う大きさの拳で。
「がは……っ!」
ヨシマサの刀と気光では斬ることができず、ヨシマサの腕力と体重では受け止めきれない、巨大な拳の一撃。ヨシマサは、まるで津波を受けたように飛ばされた。
高い位置で壁に激突し、そのまま落下して床にも激突する。
その頃マリカは、ソレーヌの連撃をかわすのに忙しく、ヨシマサを助けには行けなかった。
「っ、くぅっ!」
ソレーヌは両の拳を振り回すだけで、マリカを窮地に追いやっている。マリカにとって、かわすことはそう難しくない攻撃なのだが、一撃でも受ければ致命傷になるだろう。ヨシマサよりも敏捷性がある代わりに、ヨシマサよりも気光の威力(=ソレーヌのもつ破壊力を減殺できる度合い)では劣り、体そのものの耐久力も落ちるのがマリカだ。それはマリカ自身が、そしてソレーヌも解っている。
打開策が見つからないままの防戦一方。マリカの体力と精神力が、どんどん削られていく。
ソレーヌは笑う。
「フフ。世に伝わる伝説では、魔王はいつも、英雄たちに倒されている。英雄たちはいつも、苦戦はしても最後には魔王に勝つ。でも、それは伝説。史実かどうかも定かではないシロモノ。本物の、現実は、こんなもの……いや、あたしが伝説の魔王を超えたってことかもね!」
ソレーヌの拳が、何かを掬い取るような動きをして、マリカではなく石畳を殴りつけ、抉った。まるで陶器のように易々と、石畳が割れ、砕ける。砕けた石の無数の破片が、爆発さながらの勢いで激しく飛び散る。もちろんそれらが、マリカに向かうように計算されての一撃だ。
マリカは高く跳んだ。破片が追ってくる。破片、といってもマリカの拳よりは大きいものが殆どだ。回避しきれないことは解っていたので、マリカはそれらを忍者刀で弾いていく。
地を駆けて、破片を全て回避することもできた。だが、この破片群を回避しようと動いた先に、ソレーヌの拳が来ることも解っていた。回避しながらの回避、は流石に不可能だ。どうしても拳を受けることになる。
だからマリカは跳んだ。どうせソレーヌの拳を受けるなら、地に足をつけた状態で虫のように叩き潰されるよりは、宙に浮いた状態で打ち飛ばされた方が、いくらかはマシだから。
「ほぉらああぁぁっ!」
楽し気なソレーヌの声とともに、内側から外側へと大きく振り回されたソレーヌの腕、その裏拳が、マリカを捉えた。マリカは自分の体内で、いろいろ折れたり破れたりする音を聞いた。
マリカの軽い体が、赤い筋を何本も宙に描きながら舞い、そして落ち……
「っと!」
地面にぶつかる寸前で、ヨシマサに受け止められた。
「頼む!」
「承知!」
地面に降ろされたマリカは、レティアナの神通力で治癒を受けた。翳されたレティアナの手から降り注ぐ柔らかな光がマリカを包み込み、マリカの体の中にも外にもある無数の損壊、そして疲労を癒していく。
「ぁ、う、ぁ……え、え、レティアナ? ミ、ミドリちゃんは?」
「回復できたわ。何とか、ね」
そういうレティアナの顔色が悪い。レティアナの上品な白い肌が、今は病的に青白い。
それも当然だ。自らの体を「魔王の通路」に使われて極度に衰弱し、更に大量出血をして倒れたミドリを、大急ぎで治癒・回復させたのである。だが、それもまだ完全には終わっていない。どうにか、立てるようにはなった、というところだ。
だから今は右掌をマリカに、左掌は支え合うようにして立つミドリとヨシマサの二人に向け、レティアナは三人に向けて同時に神通力を使い、回復させているのである。
こんな回復のさせ方を、マリカは初めて見る。いや、レティアナ本人も、やったことはないだろう。ずっと二人旅で、マリカもレティアナも、重傷を負ったことなど殆どなかったからだ。
「私の神通力では、今のソレーヌに掠り傷一つつけられないのは明白だからね。これぐらいしか、できることはないから」
神通力の源もやはり気光、神通力の酷使は気光の酷使だ。また、自分より遥かに大きな神の力を引き込んで行使する、という点では、先程ミドリがアルガバイアーを相手にやったことに近いともいえる。レティアナは外傷こそないものの、全身に玉の汗を浮かべて、呼吸も乱れ……いや、極度の疲労のせいか呼吸は浅く、弱くなっている。これ以上は危険だ。
しかしここで、レティアナを気遣って回復をやめさせても無駄だ。今は確かに、三人が回復して三人で攻撃して勝つしか、生き残る手段はない。
しかし、どう攻撃すれば勝てるのか。マリカも、ヨシマサも、打つ手は見つけられない。
そんな中で、ミドリが動いた。震える両手を、刀を持つヨシマサの手に添える。
ミドリもつい先ほど、生死の境からたった一歩、離れたばかりだ。「瀕死の体」という言葉の範疇には、まだまだ入っている。
だが。ミドリは覚えている。かつて自分は、生死の境を踏み越えて、死の領域に踏み込んだことがある。その時、生の領域から手を伸ばして、掴んで引き戻してくれた人がいる。強い力、優しい言葉、美しい輝きをもって、死の世界から救い出してくれた人がいる。
あの時、無力な自分は何もできず、ただ救われるだけだった。しかし今は違う。微力ではあるが、無力ではない。
ならばせめて、その微力を振り絞るのだ。あの時見た輝きの、力になれるように。
「……兄様……」
ミドリは、残り僅かな魔力と体力を根こそぎ引きずり出して、両手に込めた。
「僕の……できること、せめて……これ……っ」
ヨシマサの刀に、魔術がかかった。ミドリが剣術の補助として習得した、武器強化の術だ。これがかかると、武器そのものの耐久力が上がる他、霊体や魔術そのものなど、形のないものを斬ることができるようになる。
その効果は、ヨシマサが刀に気光を帯びさせるのと同じようなものだ。つい先ほど、ソレーヌの拳で簡単に打ち破られた、あれと同じ。
術をかけ終えて、刀身が紅い光に包まれた。ミドリの手が力尽きるように落ちる。ヨシマサは、ミドリを抱き支えてしっかりと立たせた。
「ありがとう、ミドリ。充分だ」
「兄様……僕、僕は、兄様の……力に……」
「わかっている。俺たち二人の力で、戦おう。レティアナ、あとはマリカに集中してくれ」
承知、という返答を背中で聞いて、ヨシマサが前に出る。
ソレーヌが迎える。
「麗しい、愛の物語ねえ」
「黙れ」
「その子は可愛いから、あんたたち三人を殺した後、たっぷり可愛がってあげようかな、なんて思ってるんだけど」
「させん」
「ふん。どうせ、もう誰もあたしには逆らえないわよ。あたしは自由。そう、自由! 逆らうなら、死あるのみ! あんたには、極めし気光の拳を、冥途の土産にくれてやるわ!」
ソレーヌの拳が、唸りをあげて振り下ろされてきた。気光の輝きを纏った巨大な拳だ。
もう、レティアナの神通力での治癒は期待できない。この一打を受ければ、それで死なずとも、倒れて動けなくなるだろう。そして二打目で死が確定する。
ヨシマサは覚悟を決めた。せめて一太刀、少しでもソレーヌに傷を負わせる。それでミドリたち三人に活路を、ここから逃げることができるぐらいの、隙は作る。




