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ヨシマサとレティアナがマリカに駆け寄った。マリカはミドリを降ろしてヨシマサに託すと、レティアナの耳に口を寄せて尋ねる。
「こっちは片付いたわよ。魂だけ、オバケになって逃げたけど。で、あれは何なの。ミドリちゃんを儀式に使って召喚した、魔王か何か?」
「ズバリその通りよ」
「わあ。冗談のつもりで言ったのに」
マリカも、ミドリがヨシマサと出会った日のこと、蟲のことなどは、資料を閲覧済みなので熟知している。レティアナは手短に、ここで起こったことを説明した。
説明されたマリカは、とりあえず笑う。
「あはは。ウソみたいなホントの話ね。英雄伝説に出てくる可愛い美少年王子様や、かっこいい男の子戦士なんかは、三度のメシより大好きだけど。まさかわたしたち自身が、その登場人物になるとは思ってなかったわ」
もちろん、一人増えたところでラグロフは動じない。
「そういうお前は、遅れて駆けつけた仲間、か。それもまた、英雄伝説にはよくある展開だな」
「そーね。王道の一つね。だから王道に従って、魔王には倒されてもらうわよ」
マリカが忍者刀を抜いた。
ヨシマサも、刀を構え直した。
「レティアナ。ミドリを頼む」
「承知。回復もやっておくわ。防御に徹していれば、さっきみたいに吹き飛ばされたりせず、踏ん張ることぐらいはできると思う」
レティアナの声に、不安が混じっている。
ようやく呼吸が整ってきたミドリは、しかしまだ顔を上げられず、胸を押さえている。
「……に……いさま……」
「任せろ、勝算がないわけではない。いくぞ、マリカ!」
「はいよっ!」
二人が、アルガバイアーに向かって駆けた。
馬鹿め、と罵りながらラグロフが二人を指さす。アルガバイアーが、また腕を振って暴風を起こした。ヨシマサとマリカは、その風に向かって、
「はああああぁぁっ!」
気光を宿らせ、白く輝く刃で斬りつけた。風が、いや、風の魔術が、その構成要素の核である魔力を切断され、裂かれていく。二人の刀は、まるで激流の中に突き出た岩のよう。流れを押し返せてはいないし、裂けているのは自分の目の前のごく一部だけであり、背後ではすぐまた元通りになって、流れている。
が、それでも、自分の目の前は激流が裂かれている。前進するにはそれで充分!
「覚悟しろっ!」
ヨシマサが、マリカが、アルガバイアーに向かっていく。下段から振り上げてヨシマサが、高く跳んで頭上からマリカが、同時に斬りつけた。
二人の攻勢にラグロフが慌て、その慌てが伝染しているのかアルガバイアーも反応が遅れた。新たな術で迎撃する間もなく二人の接近を許してしまい、右掌と左掌とでそれぞれ、ヨシマサとマリカの攻撃を受け止めにいった。
『……いける!』
魔の権化たる魔王であるから、呪文など唱えずとも強力な魔術が使える。きっと、この掌でも何か強力な防御の術を使って、弾き返すつもりなのだろう。
だが気光は、魔術や法術の源である魔力や法力の根源にあるもの。それを駆使する気光術は、魔術に対しても法術に対しても、優位に戦えるものなのだ。
魔術の使えぬヨシマサは、魔術師のように鍵のかかった扉を開けたり、火や氷を出したりはできない。だがその分、気光術と剣術は鍛え抜いてある。気光を宿したこの一閃に、斬り裂けないものなどない。鋼鉄でも、火炎でも、そして魔王でも、必ず斬れる!
確信を持ってヨシマサは刀を振り上げた。アルガバイアーの掌が触れる。ヨシマサの、気光を宿した刃と、アルガバイアーの、魔力を宿した掌がぶつかる。気光が魔力を斬り裂いて……
「っっ!」
弾き返された。単純に、体重・体格に勝る相手にドンと突き飛ばされたように、ヨシマサの刀は弾かれた。どうにか刀を手放さずには済んだが、弾かれた刀に引っ張られるように、ヨシマサはたたらを踏んで後退する。
その傍に、マリカが着地した。やはり、同じように弾かれたのだろう。
ヨシマサは、額に汗を浮かべて呟いた。
「……これが、魔王……か」
気光の技をもってすれば、魔力で構成されている魔術を、斬り裂くことができる。
水をかければ、火を消せるように。水は、火を消せるものだからだ。
だが、家が一軒丸ごと猛火に包まれている時、コップ一杯の水で何ができようか。
今、ヨシマサとマリカが味わったのも、そういうことだった。勝てる性質のものを持ってはいるが、相手の物量がケタ違いなせいで、通じるはずの攻撃が通じないのだ。
どれほど硬く鋭い槍をもってしても、城と同じ大きさの藁束を貫くことなどできない。しかもその藁は、相手が生きている限り、内側から絶えず補充されるのである。
ミドリが、汗に塗れた顔を上げた時。目の前には、白い衣の華奢な背中があった。
レティアナだ。神通力を使って風を操り、吹き荒れる暴風を防いでいる。
その向こうでは、ヨシマサとマリカがアルガバイアーと戦っていた。風を起こしながら、同時に火炎も電撃も放って攻撃してくるアルガバイアーの巨体を、何度も何度も斬りつけている。
二人は気光を宿した刃で、アルガバイアーからの攻撃を防ぐことはできていた。が、自分たちからの攻撃は全く通じず、いくら斬っても斬っても、傷らしい傷は与えられていない。
このままでは、遠からず二人の体力と精神力が尽きるだろう。そうなれば終わりだ。
『ぼ、僕も、戦わないと……戦えるんだから!』
ミドリは実感していた。体力はもう尽きているも同然なのだが、魔力はむしろ普段よりも大きく強く、抱えている。おそらく、アルガバイアーという巨大な魔力の塊が通過したことで、ミドリの体内にその欠片が残っているのだろう。あるいは、召喚術の時に流し込まれた魔力も、残っているのかもしれない。
もちろんそんなもの、アルガバイアー本体の魔力には遠く及ばないだろう。それでも何とか……と、ミドリはその時、別の魔力も感じ取った。放置された残滓、ではなく。今、現役で、ミドリの中を流れている魔力がある。
『? これは……奥から、外へ……』
ミドリは自分の中に意識を向け、見えない水の流れを見て、聞こえない風の唸りを聞いた。もちろん実際には、それは水でも風でもない。魔力だ。流れている。ミドリの奥から、外へ。
ミドリの奥、奥深く、ミドリの中に開いた門の向こう、そこは……魔界。流れてくるのは、魔力。流れる先は、アルガバイアー。
『……そうか。まだ、あいつの召喚は終わってない。途中なんだ。だから門が閉じていない。つまり今、この流れを止めることができれば……いや、それよりも!』
ミドリは、どっしりと腰を低く落とし、右手を天に向け、左手を地に向けて構えた。
魔術研究所で、資料だけ読みはしたが、実際にやることはないだろうと思っていた術。そんな機会もなければ、成功させる実力も自分にはないだろう、と思っていた術。
だが、今ならできる。できるはず。
「兄様……僕……いくぞおおおおぉぉぉぉっ!」
ミドリが吠え、その全身が魔力に燃え立った。




