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子連れ侍とニッポニア・エル腐  作者: 川口大介
第四章 奇跡が生んだもの
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 ミドリから発する圧力は弱まらない。ヨシマサはその圧力に逆らいながら、ミドリの元へ走った。いや、走ることはできないが、一歩一歩、重く踏みしめて歩いていった。

「ミドリっ! 待ってろ、俺が今、気光でその霧を祓う!」

「……、っだっ、だっ、っだめで、すっ、に、っ兄様っ!」

 胸に手を当て、息を詰まらせながら、ミドリが声を出す。

「っ僕、これ、っ止められ……な……ぁぐううぅっ!」

 苦しそうに丸められたミドリの背から、半透明の柱が生えた。いや、それは腕だ。ミドリの背中全体よりも太い、筋骨隆々とした太く長い腕が、天を掴むように生えている。

 腕の付け根はミドリの体の中だ。おそらく、今はまだ異世界に存在しているのであろう本体が、ミドリの体を潜り抜けて、出て来ようとしている。

「兄様、逃げ……い、いえ、僕を、僕を……今の内に、斬って、下さいっ!」

「馬鹿を言うなっっ!」

 重い圧力に逆らい、ミドリに向かって前進しながら、ヨシマサが言い返す。

「何が来ようとしてるのかは知らんが、それが敵なら、俺が必ずぶった斬る! いいか、俺を助けようとか思って、今、自殺なんかするのは絶対に許さんぞ! 第一、魔王だろうが邪神だろうが、俺より強いという保証などないっ!」

 事態の進行を止める手段が見つからず、それでも何とか現状を改善する手段を探すべく、ただただ状況の分析に努めていたレティアナが、心の中で首を振った。

『……いいえ。あの腕の持ち主が何者かは判らないけど、その秘める力はケタが違う。私とヨシマサ君、そしてマリカが加わったとしても、あれと戦って勝つのは無理。少々の抵抗はできるだろうけど、それぐらいが限度』

 ヨシマサも、あの腕を冷静に気光で探れば、同じ結論に辿り着いただろう。それでも、行動に違いは出ないだろうが。

 だがレティアナは、冷静であろうと努めていたおかげで、もう一つの考えに至っていた。

『あれは間違いなく異世界の、それもかなり深層の存在。こっちの世界に来てから、こっちの世界の法則に馴染み、安定して、全力を発揮できるようになるには、いくらかの時間がかかるはず。勝機があるとすれば、そこに……』

「ああ、ちなみにヨシマサよ。さっきも言いかけたが」

 余裕綽々で、ラグロフは言った。

「今、ヘタに召喚を中断させれば、ミドリは死ぬぞ。越界の門としての起動中、ミドリの体は二つの世界に跨って存在しているようなものだからな。召喚が終わるまで待っていろ。なに、死にはせん。召喚に耐えうるようにはできているはずだ。お前のおかげでな」

「……ラグロフ……っ!」

「つまり、あの時と同じというワケだ。お前は大人しく、わしの前に立ち塞がることなく、歯軋りしてろ。でないと、罪なき少年が命を落とすぞ? はっはっはっはっ!」

 ラグロフの高笑いを浴びながら、ヨシマサはミドリの目の前までたどり着いた。ミドリに近づけば近づくほど圧力は強まり、必死に踏ん張っていないと、また吹っ飛ばされそうだ。

 ヨシマサは、苦しむミドリを抱きしめたかったがそれも叶わず、刀を持っていない左手を伸ばして、ミドリの手をしっかりと握った。

「聞け、ミドリ! 俺がここにいる! だから、とにかく、お前は諦めるな! わかったな!」

「……兄様……は、はいっ!」

 ミドリは力強く頷く。頷くことで、体の奥深くから連続して突き出される激痛に耐えた。

 耐えたが、防げはしなかった。

「出でよ、魔王アルガバイアー! 古の盟約に従い、我が求めに応じ、我が力となれ!」

 ミドリの体から発せられていた圧力が、最後の一波を放って消え失せるのと同時に、その背から生えていた巨大な腕が一気に伸びて、ミドリから飛び出て全身を見せた。

 それは一見、赤銅色の巨人であったが、上半身、いや、胸より上しかなかった。それでも、その胸から頭頂までの高さだけで、ヨシマサの身長の二倍近い。厚みや幅に至っては、考えるのもばかばかしいほどの差がある。

 燃える炎のような兜、蛇のように感情の読み取れぬ目、大きく裂けた口、鋭い牙。鋼鉄のような筋肉に包まれた腕は、体格を考慮しても不自然なほど太く、六本ずつある指には鋭い爪が生えている。

 地上に現れた魔王アルガバイアーは、一度天井近くまで飛び上がった後、ゆっくりとラグロフの目の前に降りた。全身から絶え間なく放射される巨大な魔力が、離れていてもヨシマサに、そしてレティアナにも感じ取れる。

 ミドリは、瞼を持ち上げるのも辛いのか目を閉じたまま、背を丸めて息を切らせながらも、ヨシマサの助けを拒んで自力で立っている。

「あれは、本当に……異世界……魔界、の……最奥、から、来たもの……僕、感じ、て……」

「あれが、とんでもないものだというのは解る。あんなものの通り道に使われたんだ、お前の消耗もとんでもないだろう。だからお前は休んでいろ」

 ヨシマサは刀を握って、アルガバイアーと、その後ろにいるラグロフを見据えた。

 ラグロフはヨシマサを、ではなく、ヨシマサの後方、高い位置を指さして言った。

「では、アルガバイアーよ。まずは軽く、お前の力を見せてやれ」

 その言葉に応え、アルガバイアーは右手をその方向に伸ばした。そして全く力まず、何も言わず、唱えず、ただ、右掌から紅い熱閃を放った。熱閃はヨシマサの頭上を通り過ぎ、轟音を上げて後方の壁に突き刺さる。

 ヨシマサが振り向く。そこに、大穴があった。アルガバイアーの掌と同じ大きさの穴が壁に穿たれ、青い空が見えている。

 ヨシマサたちのいるここは、山肌に開いた洞窟の奥深い場所だ。すなわち表面的な、二次元的な意味ではなく、立体的な、三次元的な意味での「山の中」だ。

 そこに、空の見える穴を開けてしまった。つまり分厚い岩盤も大量の土砂も、全てを一瞬で貫通し、蒸発させたということだ。魔力を高めたり、呪文を詠唱したりといった手間もなく、まるで小石を投げるように簡単に。

 戦慄するヨシマサの耳に、レティアナの鋭い声が響いた。

「天空の神様、雷の神様、御力を!」

 穴から見えていた青空に、突然暗雲が渦巻き、そこから雷が落ちた。雷は、雲から出るとすぐに曲がり、蛇のようにうねり、鞭のように動き、穴を通り抜け、あっという間もなくラグロフに命中! する寸前に、アルガバイアーが掌で受け止めた。

 受けた瞬間に少し、ほんの少しだけその掌が揺らいだが、それだけだった。大したダメージを受けた様子もなく、アルガバイアーはそこに悠然と存在している。

「……それほど、とは、ね」

 レティアナの声が少し、震える。強いだろうと推察してはいたが、アルガバイアーの力はその推察を遥かに上回っていた。

 しかも、時間が経てば経つほど更に強くなってしまうことも、レティアナには推察できている。この様子では、強くなる早さもまた、推察を上回っていそうだ。

 ヨシマサとレティアナとが、アルガバイアーの強さを思い知る。それを待っていたラグロフは、胸を張って言い放った。

「こいつが、わしの支配から逃れて暴走し、わしが殺される……というのも英雄伝説ではよくある話だな。だが、そうはならん。わしは資金も人手も技術も、惜しげなく何もかもを投入して、召喚術を完璧に為せる強力無比な越界の門を、入念に丁寧に作り上げたのだからな」

 ヨシマサはラグロフの視線を追った。そこに、まだ苦しんでいるミドリがいる。

 百を越す子供たちの命を犠牲にして膨大な実験を重ね、更にラグロフ自身すら予想外の奇跡まで加わった、最果ての到達点。確かに、これほどまでに入念で、「何もかもを投入」して成功に漕ぎつけた研究など、世界でも類を見まい。

 それが失敗に終わる確率は、低いと考えざるを得ない。つまりラグロフが自滅することによるアルガバイアーの送還や、その混乱に乗じてのとりあえずの逃走、というのは期待できない。

 ヨシマサたちには、今ここで戦って勝つ以外、道はないのだ。しかし……

「さあ! 充分に絶望したところで、そろそろ死んでもらおうか! これは大願成就の祝いの宴、たっぷり時間をかけて殺してやるとしよう! やれ、アルガバイアー!」

 ラグロフの意に従い、アルガバイアーが今度は腕を振った。それによる風圧、ではなくまたしても呪文詠唱を省いて魔術が完成し、猛烈な突風が巻き起こる。

 ヨシマサは、腰を落として踏ん張ろうとしたが軽く吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。

 レティアナは、風を操って防ごうとしたが術が間に合わず、同じく壁に叩きつけられた。

 ミドリも軽々と吹き飛び、やはり壁に叩きつけられ、

「ほいっ、と!」

 跳び込んできた影がミドリを抱き留めた。そして二人一緒に壁にぶつかる寸前、その壁を斜めの角度で蹴りつけ、跳ねて蹴りつけ、跳ねて蹴りつけ、大股で走ることで威力を減殺し、それから改めて壁を蹴って大きく跳んで、ミドリを抱いたまま着地した。

 マリカである。

「やれやれ、またしてもヒロインを助けちゃったわね。ヨシマサ、しっかりしてよ。これ、ホントはあなたの役割なんだから」


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