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子連れ侍とニッポニア・エル腐  作者: 川口大介
第三章 刻み込まれた任務
33/41

「……マ……リ……カ……」

 精神的な恐怖によるものではなく、生物的に血の失せた、青ざめた顔で、ソレーヌが振り向く。マリカは既に、警戒して距離をとっていた。

 その手の忍者刀を一振りして、血を飛ばす。

「言い遺すことがあるなら、全部聞くわよ。里への怒りでも、わたしへの呪詛でも。わたしにはあなたへの恨みはないけど、あなたには今、わたしへの恨みがあるでしょうから」

「……はは……優しい、のね……」

「気持ちは解るからね。自由になりたい、逃げたら殺される、でも死にたくない、って」

「……」

 真っ赤に染まったソレーヌの手が震えている。

「そう……ね……死にたくない……自由がほしい……その為なら、何でもしようと思った……怖かったけど……やるしかなかった……」

 マリカは何も言わない。真っ直ぐにソレーヌを見ている。

「今でも、怖い……けど……ふふ……まあ……ちょっと、予定が早まっただけ、と思えば……」

「? 予定が、早まった?」

「……そう……どうせ、多分……今日中には……やることになってた、から……」

 ソレーヌは、喉の傷口を抑えていた手を放した。血が、湧水どころか間欠泉のような勢いで噴き出てくる。その反動に揺らされ、倒れそうになりながらもソレーヌは踏ん張って、血に塗れた両手を自分の腹に当てた。

 それからマリカを見て、苦しそうにしながらも笑って見せる。

「……さよなら……マリカ……また、すぐ会うけど……ね」

 ソレーヌの手が陽炎に包まれた、と見えた次の瞬間、ソレーヌの腹に大穴が開いた。

 ごぼっ、と大量の血を吐く、いや、腹から上がってきた血は口まで届かず、喉の傷口から爆発的に漏れ出た。そうしてできた血溜まりの中に、顔を突っ込ませる形で、ソレーヌは倒れ伏す。腹に当てた手は、そのまま体の下敷きだ。

「え、な、何? 餓鬼魂で切腹でもしたつもりなの?」

 うつ伏せに倒れたソレーヌの体が、小さく痙攣している。

「……ん?」

 おかしい。様々な状態の、多くの死にゆく肉体を見てきたマリカは、異常を感じた。今のソレーヌの痙攣は明らかに不自然だ。ソレーヌ以外の、何かの力が関わっているとしか思えない。

 そういえば、ソレーヌの体から妙な音も聞こえる。大きなネズミが何かを齧るような、とマリカが思ったその時、ソレーヌの体が一際大きく震えた。

 そして、後頭部が内側から勢いよく割れて、血しぶきと共に大きめの餓鬼魂が出てきた。

 目も鼻もなく、口だけあるのが餓鬼魂だが、人間の頭部ほどあるその餓鬼魂には、目も鼻もあった。口は餓鬼魂らしく不自然なまでに大きいが、目と鼻は普通の人間大であり、マリカの知っているものだった。

 そして、その奥深くに感じられる気光の質も。マリカの知っているものだ。

「ソレー……ヌ?」

 餓鬼魂は表情らしい表情を見せず、ただ視線をマリカに一瞬だけ送ると、落下した。いや、降下した。そして地面に食らいつき、土を抉り、瞬く間に地中深くへと潜っていった。

 マリカはその穴を覗き込む。が、もう餓鬼魂の姿は見えない。

「行っちゃった、の?」

 マリカは考えた。信じ難いことだが、おそらく今の餓鬼魂はソレーヌだ。自身の血肉も、脳も内臓も、そしておそらくは魂までも餓鬼魂に食らわせて、同化したのだ。

 気光は、魔術師も僧侶も赤ん坊も英雄も、守護霊も悪霊も、そして神や魔王も持っていると思われる、魂の根源となるもの。ソレーヌは死の際に己の気光を極限まで高め、それを餓鬼魂に食らわせることによって餓鬼魂の気光を、そして魂を、乗っ取ったのだろう。

 心臓も肺も脳も停止している、どころか食い荒らされたのだから、ソレーヌの肉体はもう、これ以上ないほど完全に死んでいる。そのことは、気光の変化から、里も把握するだろう。

 だがそれでも、魂がこの世に残留しているのなら、里はソレーヌを補足し続けるかもしれない。完全に消滅させよと、マリカたちに指令が来るかもしれない。こうすれば逃げることが可能である、という前例を作らない為に。絶対に逃げられない、と里の者に知らしめる為に。

「……生きて活動してる連中の方が優先されるわよね。きっと」

 マリカは忍者刀を背中の鞘に収め、太ももの傷の応急処置をすると、ヨシマサたちと合流するべく走り出した。


 妖怪獣の群れを壊滅させたヨシマサ、ミドリ、レティアナの三人は、既に目標の遺跡に入っていた。山肌に開いた洞窟の奥、石造りの通路を進んでいる。

 通路のあちこちに松明が設置されており、明りに不自由することはない。足場もしっかりしているので歩き易い。どころか、清潔すぎる。通路も、所々にある部屋も、わざわざ掃除されているとしか思えない、汚れの無さだ。

 各部屋には、つい先日まで使われていたらしい机や椅子もある。明確に生活の匂いがある。

「間違いないな。ここは現役で使用されている施設だ。遺跡は遺跡なのだろうが、多くの人間が住み着いている。今、留守にしているだけだ」

「研究対象である遺跡に、その調査スタッフが泊まり込んでいる。そんな感じですね」

 ヨシマサもミドリも、そしてレティアナも、見解は一致している。

「そして、そのスタッフさんはザルツの構成員で、やってるのは発掘ではなく各種犯罪。そんな所に私たちをお招きして、自分たちはお出かけ中と」

 ここまで、矢が飛んできたり落とし穴が開いたりといった仕掛けは全くなかった。妖怪獣も山の中での一群以来、一匹も出てきていない。

 つまり、おそらくもう「ミドリ以外を全員殺してミドリを捕らえる」は諦めているわけだ。どう足掻いてもそれは無理だと判断した、その結果がこの状態。つまり……

「危険はないから警戒しないで、どんどん入って来てください、か。そうまでして俺たちを奥へ入れて、どうするんだ? 俺たちに勝てる戦力はないはずなのに」

 ミドリを捕らえることが目的である以上、生き埋めや水攻めなどの大規模な罠で一気に皆殺し、はできないはず。だとしたら、一体何をするつもりなのか。

 不気味に思いながら、三人は奥へ奥へと進んでいった。

 

 通路の突き当りの、一際豪華な扉を開けると、ほぼ正方形の大きな部屋があった。部屋、というよりこの広さは、ホールとでも表現するべきか。面積に比例して天井も高い。奥にステージを、手前側に段差のある客席を設ければ、軽く三百人は観劇や音楽鑑賞ができそうだ。

 だが、ここに客席はない。あるのは奥の壁際にある、大きな祭壇のようなもの。ヨシマサに魔術や法術の心得はないが、何らかの儀式をする場所なのだろう、というのは察しがつく。

 そして、その祭壇の中央辺りにある玉座……ではなかろうが、豪華な椅子に座っている男が一人。ヨシマサたちを見ると、ゆっくりと立ち上がり、歩いてきた。

 五十代後半ぐらいと見えるその男、着ているものは地味な灰色のローブで、魔術師としてはありふれた出で立ちだ。魔術師らしくない特徴としては、額を横断するように刻まれた大きな傷。大きな、というより正確には「長い」傷だ。長さに対して幅は非常に狭く、傷というよりもペンで書かれた一本の線のよう。

 よほど鋭い刃物で、よほど素早く一気に斬られないと、こんな傷はできない。

 この傷に、そしてこの男の顔に、ヨシマサは覚えがある。ミドリにもある。

 ミドリが怯えて、震える手でヨシマサの腕を掴んだ。

 男は、喜び八割の怒り二割といった顔で、その両方の興奮の為か目を大きく見開いて、そのギラギラした目で二人を見つめながら、歩いてくる。そして、言った。

「ああ。そういえば、まだ名乗っていなかったな。わしはラグロフ。当地を預かる、ザルツの地方支部長だ。会いたかったぞ、ヨシマサ」

「俺もだ」

 あの日。ミドリにおぞましい魔力のこもったナイフを突き立て、その治癒にヨシマサを縛り付けて、逃走した男だ。あの部屋で、まるで生ゴミの山のようになっていた、多くの子供たちの惨殺死体が思い出される。ミドリが心身両面の激痛に苦しむ顔も、死の世界から懸命に逃れようとして絞り出していた声も、ヨシマサの心に強く焼きついている。

 その男、ラグロフが足を止めた。まだヨシマサたちとは距離があるが、他の物音が全くしないのと、部屋の構造のせいか声がよく響くので、会話に支障はない。

「さてヨシマサよ。お前がここに来たのは、その……ミドリ、だったか? ミドリの身元についての情報を求めてのことであろう」

「そうだ。知っているのなら話せ。俺はお前に対しては、騎士団に突き出したり、一刀両断にして殺したりするよりも、じっくりと拷問をしてでも全てを聞き出したいと思っているのでな。大人しく吐いた方がいいぞ」

「はっはっはっはっ。安心しろ。お前の望む情報は全て与えてやる。むしろ、お前にはぜひ、聞いてもらいたい話なんでな」

「何?」

 ラグロフは、面白くて仕方がないといった顔で、ヨシマサとミドリを見ている。


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