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子連れ侍とニッポニア・エル腐  作者: 川口大介
第二章 侍BL
23/41

 ミドリには、接近してくる敵の気配を察知するなどということはできない。敵の存在は、目で見るか、耳で聞くかして知るしかない。

 幸いにも、その敵は遠くからまっすぐに道を走って、ミドリとルファルに向かってきたので、発見は容易だった。しかも、耳をつんざく咆哮を上げながら、である。

「ゴアアアアァァッ!」

 こめかみに限らず、顔面のほぼ全域に血管を浮かび上がらせて。牙が生えていないのが不自然に思えるぐらい、野生の獣以上の獰猛さを感じさせる、大きく開いた口から涎を流して。

 変わり果てたその姿に、ミドリもルファルも、それが昼間に会った借金取りだとは気づいていない。だが、あきらかに害意、いや殺意をもって向かってきていることは、表情や声だけで充分に察せられた。

 ただの強盗などにしては異常過ぎる。麻薬中毒者か何かか。今いる裏路地のような、治安の良くないところでは、そういった人に襲われて殺される人もいる、とミドリも知っている。

 ミドリは、ルファルを背に庇った。走って逃げても逃げきれなさそうだと判断したからだ。

「大丈夫、僕が戦う」

「で、でも」

「ああいう人は、何が何でも僕らを倒さなくてはならない、なんて意思があるわけではないんだ。僕らのことを、弱いと思って襲ってきてるだけだから、反撃して予想外の痛手を負わせれば、すぐ逃げるよ」

 ミドリは、向かってくる男に向けて魔術を使い、拳大の火の玉を撃ち出した。手加減は充分にしており、これに当たれば爆発はするが、ごく小さなものなので、ちょっと火傷する程度である。が、普通はその痛みで、少なくとも怯み、足は止まる。普通の人間なら。

 だがその男は、普通ではなかった。口を大きく開けた、と思ったら顎が外れて、その直径は本来の二倍ほどになって、ミドリの放った火の玉をバクリと食べてしまったのだ。

「えっ?!」

 くぐもった音がして、男の口の端から煙が立ち上る。口の中で爆発したらしい。男は、それを全く意に介さず、ミドリたちに向かってくる。

 ミドリは慌てて、今度は手加減する余裕なく二発目を撃った。今度は、当たれば石畳をえぐる威力だ。今みたいに食べたりしたら、無傷では済まない。いや、おそらく死ぬ。

 だが、そうであることを男は見切ったのか、先ほどのように口を開けることはせず、自身の身長以上の高さを跳ぶことで、火の玉をかわした。

 男の全身は、いつの間にか硬質の鱗に覆われている。そして、握った拳でも振りかざした剣でもなく、大きく開けた口を武器にして、上空からミドリたちに襲いかかろうとしている。その様は、人の形をして、人以上の運動能力を備えた、蛇のよう。

「よ、妖怪獣?!」

 蛇男の異形を見たミドリが、そしてルファルが、恐怖にすくんだ時。

 すぐそばの民家の、二階の屋根から、影が跳び出して男を蹴り飛ばした。

「はい、お待たせ~っ!」

 蛇男を蹴り飛ばした影は、その反動を巧みに操って宙で四回転、ミドリのすぐ隣に着地する。

「ヒロインの危機に颯爽と駆けつけるヒーロー! なんちゃって。できればこういうのは、ヨシマサにやってほしいんだけどね。ま、自分でやるのも悪くはないわ」

 と言って、にかっと笑う紫紺の女忍者。跳び、蹴り、着地した、その躍動感、そして優美な美しさは、人間離れしているように思える。実際、この女忍者は人間ではない。長く尖ったその耳は、エルフと呼ばれる種族のものだ。

「マリカさん!」

「探したわよ二人とも。で何だか、おかしなおじさんに絡まれてるみたいね」

 蛇男は、路地の隅にあった木箱を三つほど壊してその残骸に埋もれていたが、大したダメージはないらしく、起き上がってこちらを見ている。

 マリカは背中の忍者刀を抜こうとしたが、そこにミドリが声をかけた。

「あ、待って下さい。マリカさん、あの人は妖怪獣みたいではあるんですけど、」

「それ以外の何なの?」

「最初は人間だったんです。それが、あっという間にあんな姿に」

「え?」

 マリカは油断なく蛇男を睨みつけたまま、ミドリに尋ねた。

「じゃあ何、人間があんな姿に変身した、ってこと?」

「はい。だから、妖怪獣ではないかもしれないんです。もちろん、僕らの知らない新種の妖怪獣ってことも考えられますけど。そういえば昼間のクモ男も、珍しい種だったって兄様が」

「……ふむ」

 マリカは、忍者刀にかけた手を放すと、その手を自分の口元に持っていった。

 親指と人差し指とで輪を作り、唇に当てて、吹く。普通の口笛の何倍もの大音量で、指笛の音が響いた。

 それは、ただ音が大きいというだけではない。例えば就寝時の虫の羽音のように、あるいは雑踏のざわめきの中に混じって不意に聞こえた、自分の名前のように。不思議と、耳に強く突き刺さって、意識に入り込む音だった。

「今、レティアナを呼んだから。あの子が来てくれれば大丈夫よ。とりあえずわたしが時間を稼ぐから、ミドリちゃん、あなたはその子をお願い」

 と言ってマリカが前に出た、その時。蛇男の口から、茶色い霧が大量に吐き出された。それは風に乗って広がり、マリカたちの方へと流れてくる。

 目潰しか、麻痺毒か、それとも致死性の何かか。液体、いや、実質的に気体である以上、風を起こすか、壁を作るかしないと防ぐ手段はない。だか、そのどちらもマリカにはできない。

「ミドリちゃん、その子を連れて下がって! 左斜め後ろにね!」

「は、はいっ!」

 瞬時に風向きを読み、ミドリに霧がかからないようにと指示を飛ばしながら、マリカは大きく前方に跳んだ。そして蛇男の頭上を越えながら忍者刀を抜き、浅く斬りつける。蛇男の肩口が裂け、緑色の血が吹き出した。

 これで注意を引き付けられたはず、とマリカは思った。が、蛇男は自分を攻撃したマリカには見向きもせず、まっすぐミドリたちに向かって走った。

 着地したマリカがそれを追おうとする、と蛇男は走りながら右手を伸ばした。文字通り、長く長く伸ばした。それは、あっという間に自身の身長の何倍もの長さになり、蛇のようにうねって、ルファルの喉を掴んだ。

「ぅぐっ!」

「ルファルちゃんっ!」

 掴むと同時に、蛇男は前方へ跳躍、そして腕を元通りに縮めた。蛇男はルファルの方へ吸い込まれる形になり、瞬時にしてマリカから離れ、ミドリたちの目の前に降り立った。

 そして大口を開けてルファルの頭を丸ごと齧ろうとする、その口にミドリのレイピアが突き込まれた。

「ガァァッ!」

 だが蛇男が怯んだのは、ほんの一瞬だった。即座に左腕を伸ばして、レイピアを持つミドリの腕に巻きつけて胴体もろとも縛り、あっという間に動きを封じてしまう。そして、ぐるりと振り向いた。

 右手でルファルの喉を掴み、長く伸ばした左腕でミドリを雁字搦めにして、その二人を盾にして、目前まで迫ってきていたマリカに突き付ける。

 今、正に忍者刀を振り下ろしかけていたマリカは咄嗟に刀を止めた。

 まだ舌に刺さっていたレイピアを吐き出して、蛇男がニヤリと笑う。その顔が、

「ギャアアァァ!」

 苦痛に歪み、悲鳴を上げた。ルファルが、自分の喉を掴んでいる蛇男の手に、思い切り爪を突き立てたのだ。

 だが、全身を硬質の鱗に覆われている蛇男に、人間の爪など通じるわけがない。ルファルの爪は、蛇男の肌と同様、いつの間にか人間のそれではなくなっていた。

 ルファルは、喉を掴む力が緩んだのを見逃さず、その手から逃れると、今度はミドリを縛っている方の腕に噛みついた。そのルファルの頭には二つの耳、口には牙が生えている。両手の爪は長く鋭くなり、ふさふさしたしっぽを備え、その動きには別人のような速さと柔軟性がある。今のルファルは、蛇男ならぬ猫娘、と化していた。

 だが、不意を突かれた先程と違い、今度は心構えがあったので、蛇男は耐えた。ミドリの束縛は解かず、再度ルファルの喉を掴みにかかったが、

「火の神様、御力を!」

 気迫のこもった少女の声と共に、一筋の火炎が矢のように飛来し、蛇男に命中した。それは瞬く間に蛇男の全身を、ミドリもルファルも飲み込んで、大きく燃え上がる。

 だが、ミドリとルファルは全く熱さを感じていない。蛇男だけが悲鳴を上げ、ミドリもルファルも放り出して悶え苦しんだ。

 ルファルは、猛火に包まれて転がり回る蛇男の間近で、四つん這いになって威嚇するような声を上げている。目を吊り上げ口を大きく開いて牙を見せつけ、本物の猫のようだ。

 燃え上がる火の向こう側から、レティアナが駆けて来た。

「マリカ、ドジ踏んだわね」

「う。悪かったわよ。油断した」


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