10
ヨシマサは男の子を抱いたまま立ち上がって、「やはりお前だったか」と言おうとした。が、その言葉は戸惑いによって止められた。
今、ヨシマサが抱き上げている男の子は、怪人の吐いたクモの糸によってぐるぐる巻きにされており、その糸はまだ燃えている。炎に包まれている。
が、熱くないのだ。全く。そしてヨシマサが見ている前、ヨシマサの腕の中で、糸はどんどん焼け、縮れ、溶け、気化して……跡形なく、炎と共に消えてしまった。見上げると巣も同様に、もう殆ど燃え尽きている。
とりあえず、ヨシマサは男の子を下ろした。男の子は、やはりまだ恐怖と混乱が治まっていないようではあるが、何とか自分の足で立つ。
マリカも女の子を下ろし、立たせた。幼い兄妹は駈け寄って抱き合い、互いの無事に涙する。
「良かったわね、二人とも」
マリカは二人の頭を撫でて落ち着かせると、ここから逃げるように指示した。
そしてヨシマサの方を向いて、
「どう? これがわたしの相棒、レティアナの術よ」
誇らしげに、ぽよんと胸を張って言った。
「今の、不思議な火炎の術がか。見たことのない術だが、法術なのか?」
「ううん、違う。清浄の火は、邪悪なるもののみを焼き、祓う……ってね。これは、この国の僧侶たちが使う法術の、法力とは別のものが源になってるの。気光を使って神に通じて力を借りる、神通力っていうものよ」
マリカが、ヨシマサの後方を指す。ヨシマサが、ミドリも、そちらを見た。
怪人の糸を焼いて消滅させ、だが子供たちやヨシマサには何のダメージも与えなかった、その炎の使い手。子供たちの無事を確認したからであろう、構えらしきものを解いて、こちらへ歩いてきた。
マリカと同じくエルフの、尖った耳。マリカと違って括らず、背中に垂らしている髪は、緩やかに波打ちながら日の光を浴びて輝く黄金色。マリカよりも少し大人びた顔つきで、その整った目鼻立ちは、まるで一流の彫刻家が手掛けた女神像さながらに、気品に溢れている。古い伝説などで語られる、エルフの容姿そのままといえよう。
そして、そんな容貌に劣らず印象的なのは、身に纏っている衣服だ。真っ白で、袖が大きく、ゆったりとした上着と、下半身は赤、というより朱色の、こちらもゆったりしたズボン。いや、これはズボンではない。袴だ。
ヨシマサは知っている。ミドリも本で見たことがある。
「巫女……?」
というヨシマサの呟きを押し潰すように、
「グオオオオォォッ!」
まだ炎に包まれたままの怪人が、雄叫びを上げてヨシマサに向かってきた。その炎は、ヨシマサや子供たちには何ともなかったのだが、この怪人にはかなり強く効いているらしい。なにしろクモなので表情などは読めないが、動きで解る。激しい苦痛のせいであろう、今の動きは猪突猛進以下の、ただの暴走だ。
こうなっては、もうヨシマサの敵ではない。刀が一閃し、怪人は左肩から右脇腹まで、ざっくりと斬られた。
「ガッ……!」
怪人は、数歩よろめいてから力尽き、倒れ伏した。その全身を焼かれながら、倒れたままで顔だけを上げ、息も絶え絶えになりながら、ミドリを見上げて呻き声をあげる。
「ァ、グ、ゥ……ェ……越界の……越界の門……さえ……手に、入れれば……」
「えっ?」
怪人の死に際の、その微かな声はミドリの耳にだけ届いた。届いて、その次の瞬間には、もう怪人の体は焼き尽くされ、炭となって崩れていった。
「……」
怪人の言葉を心中で反芻しながら、ミドリがヨシマサの方に向き直る。そこにはマリカと、そしてレティアナが到着していた。
ヨシマサは改めて、レティアナの全身を見る。
『間近で見ても、やはり巫女だな』
レティアナの外見をひとことで言うなら、金色の髪と尖った耳の、神秘的なまでに美しい巫女だ。紅白の巫女装束は、マリカのように素肌を晒してはいないし、体に密着してもいない。が、それでもなお、マリカ以上に豊かな胸ははっきりと見て取れる。
そんな自分の色香を、どの程度意識しているのかはわからないが、レティアナはヨシマサとミドリに向かってにこりと微笑んだ。
「マリカから聞いてるかしら? 私がレティアナよ」
容姿の印象に違わず、マリカより大人びた、涼やかな声だ。
「あ、ああ。俺は……」
ヨシマサも、続いてミドリも自己紹介を返す。
そうしながら、ヨシマサは考えていた。
『そういえば、この大陸には精霊術というものがあったな』
火や水、そして精神など、自らを取り巻く様々なものに宿る精霊と交信して、その力を借りる術。それが精霊術だ。
そして、ヨシマサの故国であるニホンにおいては、この国の聖職者たちのように、特定の神を至高のものとして崇める習慣がない。道具や食べ物や建造物など、あらゆるものに神が宿ると考えられており、だから聖職者が崇める対象も、自らを取り巻く神羅万象となる。つまり、精霊術の考え方と非常によく似ているのだ。
あるいは、全く同じものを、人間やエルフが勝手に、「神」「精霊」と呼び分けているだけかもしれない。
ヨシマサ自身も経験上知っているが、エルフは精霊術師としての素養が高い。火や水の精霊などと交信する術に長けている。その、精霊との交信とはすなわち、火や水の神様よ御力を与え給え、と祈ることなわけだ。マリカたちは、それを神通力と称している。
『なるほど。忍者と同じく、巫女もまた、エルフの特性を存分に発揮できるものだ。昔、ニホンから伝えられた術を、この大陸のエルフ……マリカたちの祖先、マリカたちの里のエルフが、習得して継承していたということか。あるいは更に独自に、進歩させているのかもしれん』
忍者ほどには対外的に恐れられたりしないので、巫女の方は知られていないのであろう。シルヴィから聞いていた話と合致しており、筋が通る。
『と、なると。シルヴィからの依頼を果たす為には、やはりこの二人と組まねばならんな』
「初めまして、というのも変な感じだけどね。私たちはもう随分と長いこと……ねえマリカ」
「そうね。ふふ」
レティアナとマリカは、何やら顔を見合わせてニヤニヤしている。
このニヤニヤの根拠には、ヨシマサも心当たりがある。マリカが前々から、ヨシマサに張り付いていろいろ調査していたという話は、すでに聞いているからだ。
それはどういう目的があってのことか。ヨシマサには一つ、思いついたことがある。
『もしや、俺がシルヴィから依頼を受けたように、こいつらも里から命令を受けているのか?』
例えば、ニホンから来た侍で、強いと評判になっているヨシマサを、忍者たちは自軍に引き入れようかと考えた。そして、ヨシマサがそれにふさわしい男であるかどうか、強さや人格などを深く調査せよとマリカたちに命じた。そしてマリカたちは、以前にヨシマサが推測したように、怪しまれるのを防ぐ為に、あえて大っぴらにしている、とか。
しかし、ヨシマサはディーガル王国の傭兵として有名になったのだ。その噂を聞いた里の忍者たちが、ヨシマサ個人に関心を示したとすると。ディーガル王国軍との正式な交流は考えておらず、国家などとは関わらない自主独立の道を望んでいる、のかもしれない。
その場合、状況によってはマリカたちを通じて、里と交渉してみるのも手だ。ディーガル王国軍との、同盟の利点などを説いて。
マリカたちに、詳しいことを確かめてみるべきか。まだそういう話は伏せておくべきか。
だが何もかも、今のところは推測に推測を重ねているだけだ。判断が難しい。
「ところでレティアナ。わたしとしては、教えてあげてもいいと思うんだけど。わたしたちがやってること。というより、聞いた時の反応を見てみたいわ」
「そうね。知った上での二人の反応にも興味あるし。いいと思うわ」
マリカとレティアナが、何やら聞き捨てならないことを言っている。
「おい、何の話だ。俺とミドリの反応、とはどういうことだ?」
マリカは心の底から嬉しそうな、「にかっ」とした顔をヨシマサに向ける。
「んっふっふっ。実はわたし、ずっと前から、傭兵稼業中のあなたに張り付いて調査してたのよ。変装で年齢も性別も変えて、それぞれの姿に合わせた技能や性格をきっちり演じてね」
「ほう。それは何の為にだ。組む相手として頼りになるかどうか、の調査にしては、些か念を入れすぎているように思えるが。詳しく調べるようにと、誰かに依頼でもされたのか?」
「とぉんでもない。依頼なんてされてないわよ」
マリカが自分から言ってきたということは、やはりヨシマサ本人に対しても、調査活動のことを隠す気はないらしい。
「調査は、誰に頼まれたわけでもなく、純粋なわたしたちの意思。で、趣味よ。もうちょっと具体的に言うと、趣味の為の下調べ」
「趣味? の、下調べ? 俺やミドリを調査することがか? 何だかわからんが、とりあえず悪趣味だぞ」
マリカは声をあげて笑った。
「あっはっはっはっはっ。悪趣味と言われちゃったか。でもねヨシマサ。この至高芸術、確かに嫌う人は多いけど、愛好家も結構いるのよ? ねえレティアナ先生」
「ふふっ。そうね、ここは実際に見てもらうとしましょうか。おそらく、ヨシマサ君はともかくミドリちゃんには、喜んでもらえると思うわ。至高芸術だからね。至高芸術」
そう言って、レティアナはミドリに笑顔を向ける。そして真っ白な巫女装束の、大きな袂に手を入れた。そこから何かを取り出そうとしているらしい。
至高芸術とやらの、作品だろうか。
「一体何を……ん?」
大勢の声と足音が、あちこちから雪崩のように響いてきた。何事かと思ってヨシマサが辺りを見回すと、通りの向こうからもこちらからも、地響きを立てて群衆が駆けてくる。
さっき逃がした兄妹から話を聞いたのだろう。怪人騒動で避難していた、街の人たちだ。
「おお! 本当にあのクモ男がいなくなってる!」
「あれはマリカとレティアナと……誰だ、後の二人は?」
「思い出した! あいつ、さっき酒場にいた! あの有名な、気光の侍・ヨシマサだ!」
「え、そうだったのか! 道理で!」
あっという間に、ヨシマサたち四人は群衆に取り囲まれた。




