6
翌日の昼頃。ヨシマサとミドリは、ディルガルトから西の街、トーエスに到着した。
王都ディルガルトとは比較にならないものの、山間の街としてはなかなか大きく、人も建物も多く、旅人の行き交いも多い、賑やかな街である。
ディルガルトに近く、そしてディルガルトよりも安い宿が多い為、ここを拠点にして商売をしている者も多いらしい。
ミドリには、あの事件より前の記憶がないので、「生まれてから一度もディルガルトを出たことがない」に等しい。だから、この街で見るもの聞くもの全てが珍しく感じられていた。
「兄様兄様、あのお店、面白い形の飴を売ってますよ。でもあまり美味しそうには……あっ、あっちはほら、野菜が安いです」
「お前は、ここに何しに来たか覚えているか?」
「え? ……えーと」
本気で悩みだしたミドリの首根っこを掴んで、引きずるようにしてヨシマサは商店街を歩いていく。何度か通行人に道を尋ね、やがて目的地に到着した。
周囲を圧する、とは言わないがなかなか大きめの、酒場を兼ねた宿屋だ。マリカから聞いていた通り、冒険者たち相手に繁盛しているらしく、店内の喧騒が表にまで聞こえてくる。
こういった店はディルガルトにもあったので、ヨシマサも何度か利用したことはある。といってもただ飲食しただけで、自身が冒険者として仕事を斡旋されたりはしていない。だが今後は、そういった形でこういった店に、関わっていくことになるだろう。
看板には、【全ての出会い亭】とある。マリカが言うには、人、物、情報、ありとあらゆるものが出会う場所、ということで主人が付けた名だそうだ。この街自体、交易商人も旅の冒険者も多いので、あながち誇張でもないのだろう。
「よし、行くぞ」
ミドリを引き連れて、ヨシマサは店内に足を踏み入れた。予想していた通り広い店内の、あちこちのテーブルが八割がた埋まっており、ウェイトレスたちが慌ただしく料理を運んでいる。ぐるりと見渡してみると、やはり屈強な戦士や熟練を匂わせる魔術師たちが多く席についており、この店の性質を物語っている。
ヨシマサはとりあえず奥へと進み、カウンター席にミドリと並んで腰かけた。二人分の昼食を注文し、店長らしき男に問いかける。
「マリカという女に言われて、ここで待ち合わせをしているのだが。あの女について知っていることがあれば、何でもいいから教えてほしい。俺たちは昨夜が初対面だったものでな」
店長は厨房の中の料理人たちに指示を飛ばし、自身も酒の注文を捌きながら、
「マリカ? あいつと待ち合わせ? 見ねえ顔だが、お前さんの名は?」
ちらりとヨシマサを見て言った。ヨシマサは一礼して、
「これは失礼した。俺はヨシマサ。こっちはミドリという」
「ヨシマ……えっ? あの、ディルガルトで有名な、気光の侍・ヨシマサか?」
店長の上げた大きな声に、周囲の冒険者たちの何人かがヨシマサに注目した。そして何やら、ヒソヒソとささやき合っている。
「おい、あれが……」
「うわっ、本物だぜ」
「へえ、普通の人間に見えるな。意外だ」
「もっとこう、スゴいのを想像してたんだがな。角の一本ぐらい生えてるとか」
「いや、そこは牙だろ」
「額の第三の目とか」
こうして注目されたり、こんな風にヒソヒソ言われたりするのは、ヨシマサは既に慣れている。というか、慣らされた。
「兄様、有名ですねっ。海の向こうどころか、異世界から来た謎の戦士、なんて話もあるとか」
「誰のせいでこうなったと思ってるんだ」
「そりゃあ、兄様が強くて優しくてかっこいいからに決まってがふっ」
ヨシマサに叩き伏せられ、ミドリはカウンターに突っ伏した。
店長はきょとんとしている。
「その子は? 天空の城の女王に見初められただの、地底王国の王子と義兄弟の契りをかわしただの、いろいろ噂は聞いているが、そんな少年のことは……兄様、ってことは弟なのか?」
「面倒だから、もうそれでいい」
「痛い痛い兄様痛いです」
ミドリの頭をカウンターにぐりぐりと押し付けながら、疲れた顔でヨシマサは肯定した。
どうやら噂が噂を呼んで、実話の方を消し飛ばしてもいるようだ。ちゃんと実話を知っていれば、あの時ヨシマサに助けられた少年だ、と察しがつくだろうに。
店長は笑って、
「はははは、安心しろ。オレは、お前さんの豪快過ぎる噂を、全部信じ込んだりはしてねえよ。こういうのは、尾ひれがつくのが常だからな。半分ぐらい割り引くもんだって、心得ているさ」
九割ぐらい引いてほしいヨシマサであったが、それも諦めて黙る。
「で、マリカと待ち合わせしてるって? そりゃ良かったというか、あいつ喜んでただろう」
「? どういうことだ」
「あいつ、前々から随分とお前さんにご執心でな。時々、変装して騎士団の傭兵部隊に紛れ込んでは、お前さんと一緒に仕事してたそうだ」
「何っ?」
「怪しまれないよう、毎回変装を変えて、お前さんに接近してたんだとよ。で、その時々の、お前さんの様子を、ここで楽しそうに喋ってたぜ」
ミドリが、がばっと体を起こした。
「やっぱり! 兄様がかっこいいから! そういう熱心なファンも、いつかはできると思ってました! でも、あんなに綺麗な人が兄様に近づくのはちょっと……兄様?」
店長の話を聞いたヨシマサは、深く考え込んでいる。
「……ミドリ。あいつが、手間暇かけて前々から俺に張り付いていたとしたら、目当てはお前かもしれんぞ」
「え。どうしてです?」
ヨシマサは真剣な顔をミドリに向けた。
「俺がやっていた傭兵任務は、一仕事ごとに募集をかけるものだった。俺のような常連もいるが、仕事の数が多いから、一緒に仕事をする顔ぶれはほぼ毎回変わる。そこで変装なんかされると、前回のあいつと今回のこいつが同一人物かもしれない、なんて考えるきっかけはない。そんな環境だから、相手に悟られずに張り付くのは容易だ」
「はい」
「それに対して、お前は魔術研究所に住み込んでいた。ほぼ唯一の外出であろう、酒場での歌のアルバイトでは変装していたし、そうでなくても、もともと接する人間は限られている。であれば、見知らぬ他人は近づきにくいし、何しろ生活している場所が王立施設だ。不審者などと思われて疑われたら即、事件になる。だから、お前にはそうそう張り付くことはできない」
「それはそうですけど。僕に近づいたって、何もありませんよ? 僕自身、記憶がない身なんですから。僕を探っても、僕から何かを知るなんてできません。もちろん兄様みたいに、戦力としてスカウトしたい、なんて言われるはずもありませんし」
首を傾げるミドリに、ヨシマサは言葉を選びながら言った。
「お前の知らない、そして俺も知らない、お前の身元。あるいは、お前を故郷から攫った奴ら。その辺りに関わることかもしれない。だとしたら、無限の可能性がある。敵の可能性もな」
「敵……」
ミドリを何らかの生贄か、あるいは実験材料にでもするつもりで故郷から誘拐しておいて、逃走の時間稼ぎの為に躊躇なく殺そうとした、あの男。その背後の組織、ザルツ。それらと繋がっているのかもしれないのだ。昨夜出会った、あのマリカが。
流石にミドリも静かになった。ヨシマサが言葉を続ける。
「ディルガルトで、俺と一緒に仕事をしていたのなら、俺とお前の正確な実話を知っている可能性は高い。俺を張っていれば、お前の情報が手に入るかも、と考えたのかもしれん。そして、俺が旅立つ時にお前を連れて行くという噂が立った。事実そうなった。そこで、遠慮なく直接、声をかけてきたというわけだ」
「……」




