逆ハールート攻略後のヒロインは闇に沈む
王城の一室に案内され、よし、と心の中でガッツポーズをした。
キョロキョロと視線を彷徨わせ煌びやかな装飾品に囲まれた室内を観察する。中央に設えられたローテーブルを挟み二対のソファ。適当に空いた場所へと腰を下ろせば、部屋の中で待機していたらしい侍女が紅茶を淹れてくれる。
「こちらで少々お待ちください」と頭を下げて侍女と案内役の護衛が部屋を退出するのを確認して、引き締めていた顔を緩めた。
「長かった……! 逆ハールート、無事攻略!!」
ソファから立ち上がってピョンピョンと飛び跳ねる。貴族令嬢らしからぬ動きだろうが、どうせこの部屋に来る筈の男たちはそんなあたしが好きなのだ。
見られたって可愛いと愛でられるだけ。
だってあたしは、愛されヒロインなのだから!
■
あたしの名前はマレナ、ふわふわとした亜麻色の髪に、大きな海色の瞳。小さな頃から可愛いって愛されていたけれど、将来もっと可愛くなるのは分かった。だってヒロインだし。
自分が大好きな乙女ゲーム『光あふれる世界で君と』のヒロインに生まれ変わったと気付いたのは、十歳の時だった。
母は男爵の愛人として、町外れに建てられた小さな屋敷で親子共々暮らしていた。毎日ではないけれど父は頻繁に屋敷にやってきてあたしを可愛がってくれたし、母とも仲良しだし、屋敷内は最低限使用人が居たから家事なんてした事もなかった。
あたしが九歳になる年、父の正妻である男爵夫人が亡くなった。
それから一年を喪に服した父は、大手を振って私たちを男爵家に迎えいれる。正妻であった夫人との間に子供は居らず、あたしが跡を継いで好きな人と結婚していいと言われた。
「マレナは可愛くて賢いからきっと素晴らしい魔法が使えるよ」
この国では十歳になると、神殿で魔力を調べて貰うんだよ、と父に頭を撫でられて、連れて行かれたのは屋敷の近くのこの辺りで一番大きな神殿。真っ白の壁にはステンドグラスが埋め込まれて、日に当たりキラキラと輝いていて、素敵な景色に見惚れてしまった。
「お待ちしておりました」と頭を下げる神官に連れられ、目の前に置かれた水晶に手を翳した瞬間、ぽう、と水晶が淡く光を放つ。
その瞬間、ふと思い出したのだ。
あたしは『光あふれる世界で君と』のヒロインである、マレナ・オーナに生まれ変わったのだと。
水晶を見ていて呆然としていた神官が慌ただしく走り出し、沢山の神官がやってきて大騒ぎしている姿を見て思わず笑ってしまった。ヒロインであるマレナの魔力属性は、滅多に現れない光属性。その特別な力を持つマレナは、王都にある学園で、普通の男爵令嬢であれば逆立ちしても入れる訳がない特別クラスに入る事になる。そこで出会った攻略対象達と仲良くしていき、そして一年間愛を育むのだ。
攻略対象は全部で六人。
この国の王太子殿下、宰相子息、魔法師団長子息、騎士団長子息、宮廷楽士、次期大神官。
このゲームは各キャラにそこまで重い過去はなく、ライトな感じが売りのキラキラ華やかなキャラゲームだった。絵師も声優も神だったから前世は箱推しで、誰が一番なんて優劣をつけた事はなかったし、今だって誰か一人を選ぶなんて出来ない。
それに人生は一度きりなのである、仮にまた生まれ変わったとして、再びこの世界に生まれるかなんて分からないのだから後悔はしたくない。
ならもう目指すは一つだ。
「やってやろうじゃない、逆ハールート……!」
学園に入る前にとりあえず攻略対象が全員居るかを貴族名鑑で確認した。
そして光属性が判明してから益々あたしに甘くなった父にねだり王都へ行き、ゲームの世界通りの街並みを体験。記憶と変わらない街の地理をバッチリと頭に叩きいれたり、幼少期に実は出逢っていた、なんてキャラは居なかったから視界には入らないように遠目でみたり。
沢山確認した結果、やはりこれは乙女ゲームの世界に違いないと確信した。
そして漸くやってきた学園入学の日、案の定特別クラスに案内をされたあたしは、意を決して教室内へと入った。
同じクラスになるのは同学年である騎士団長子息と、神官。そしてこのゲームで一番の邪魔者、どのルートでもお小言を言ってくる、王太子殿下の婚約者であり、宰相子息の妹でもあるメルティナ・アルディ。
(うわ、うーわ! 流石金持ち、全部キラキラしてる……)
公爵令嬢でもあるメルティナは、目がチカチカしそうなくらい綺麗だった。腰まで美しく艶めいたプラチナブロンド、薔薇色の宝石みたいな蕩ける瞳。人形みたいな容姿は正に令嬢と言った美しさである。
まぁいい、逆ハールートに行けば、何故か彼女は表舞台から姿を消す。ゲーム内でも詳細な記載はなかったけれど、多分王太子妃になれなかったから修道院にでも行ったのだろう。
(ま、お小言がうるさいだけでイジメとかないし、適当な距離感でいいでしょ)
とりあえず挨拶をして好印象を与えておこう、と彼女の席へ近付いた。
「宜しくお願いします!」
そう本を読んでいたメルティナに声を掛ければ、彼女は目をまんまるにしてから、小さく頷いてまた本に視線を戻してしまった。
(何よそれ、あたしとは喋りたくないって事? 失礼しちゃう!)
ムッ、としつつ、あたしも仲良くしたいのは攻略対象達だけなのでまぁいいかと自分の席についた。
■
それから一年、必死に恋愛イベントをこなした。
逆ハールートは実はそこまで難しくない。各キャラ毎に一番のフラグとなるイベントを全員分こなしている事が最低条件で、それ以外は大体同じくらいの数イベントを発生させる。そうすると共通のメインイベントである秋のダンスパーティーで、突然王弟である大公に声を掛けられるーー実はこの大公は隠しキャラだが、逆ハールートを攻略且つ全キャラのグッド以上を見ないと解放されない周回必須キャラなので断念したーーのでその誘いに乗る。学園での生活や攻略対象についていろいろ聞かれるので素直に答えていき「そうか、成程。君の未来は光で溢れているようだね」と返されればルートがほぼ確定だ。
あとはちまちまと好感度を上げていけば、学年末のパーティー前に王城に呼び出される。
これで無事逆ハールート攻略だ。
イベント最中、ちょっと反応が違ったり言い回しが違ったりしたシーンはあったが、あたしだって大体の流れは覚えていても、一言一句セリフや選択肢を覚えている訳ではないし仕方がない。これは現実なのだから差異が出たって不思議ではない。
それにこうして無事に王城に呼び出されたのだから、攻略完了に決まっている。
後はみんなから順番に告白されて、最終的に一番地位の高い王太子妃になるだけーー
ガチャ、と扉が開く音がして慌てて振り返った。
ぞろぞろと部屋に入ってきたのは全部で六人、ちゃんとみんな揃っている。
「やぁ、待たせたね」
「い、いえ! 全然大丈夫です!」
穏やかな笑みを浮かべるこの国の王太子殿下ーーレリウスが向かいのソファに腰掛ける。金色の髪にアクアマリンの瞳、正に理想の王子様を体現したような麗しい見目と優美なその所作は、ただ座るだけだと言うのに威厳を感じさせた。
その右隣に控えるのは宰相子息ーーセドルナ、妹と同じプラチナブロンドに宵闇を思わせる深い紫の瞳を持つ公爵子息は、纏う空気が氷のようだ。彼はトゥルーエンドですら一度しか笑わない筋金入りの無表情なのでこれがデフォルト。
反対の左隣は騎士団長子息ーーマディソン、短く整えられたオリーブ色の髪に、鋭い深緑の瞳。佇まいはTHE騎士だが、口を開くと人懐こいワンコ系紳士だ。
マディソンの後方で1人掛けのイスに座るのは魔法師団長子息ーーデュエイン。インディゴの髪は片目だけ隠すように前髪が長く、覗く片方の瞳はターコイズ。隠れた片目は何かあるんじゃないかと騒がれたが結局何も出てこなかったおっとりふわふわ系。
少し離れた後方の窓辺に腰を預けるのは宮廷楽士ーーフェルシティス。ターコイズの瞳を細めてシャンパンゴールドの長い髪を気怠げにかきあげる彼は、ゲーム後半で明かされるがデュエインとは実の兄弟である。
その隣で一切の乱れも見せず佇むのは次期大神官ーーオリバー。淡い紫色に、光を閉じ込めたような金色の瞳。攻略対象者の中で最年少ながら、大人びた雰囲気を醸し出す美少年聖職者。
個別に会ったり、二人三人で一緒に話したりはあるけれど、こうやって全員が一堂に会するのは初めてだ。ゲームでもパッケージ以外では、逆ハールートをクリアしないと見られないかなり貴重なシーンである。
そんなシーンを前にして、じわじわと実感していく。
本当に逆ハー出来たんだ……、みんなが実質あたしの旦那さま。素敵過ぎる現実にトキメキが止まらない。神様仏様、あたしを『光あふれる世界で君と』に産み落としてくれてありがとう!
天に祈る気持ちで指を組み天井を見上げる。
後はみんなが告白してくれるのを聞けばいいだけ、個別ルートとはまた違った告白ボイスを耳に焼き付けねば。あ〜でも欲を言えば個別ルートの告白ボイスも生で聴きたかったな……、まぁ取捨選択よね。
「マレナ嬢、お菓子を用意したから好きなだけ食べると良い。甘い物を食べる君はいつも幸せそうに笑うから」
そう甘い声に王子様スマイルで言われたら逆らえる訳もなく。
みんなと一緒に入ってきた侍女がテーブルの上に綺麗に並べ揃えた焼き菓子へと手を伸ばした。レリウスの用意してくれるお菓子はどれもこれも美味しくて止められない。「太っちゃう……」って嘆くヒロインに「ごめんね、でも夢中で食べている君が可愛くて」なんて囁く悪魔な殿下超好きだし。
マドレーヌを食べながら紅茶を口に含む。上品な甘さが口に広がり幸せでしかない、目の前には大好きな男たちが並んでいるのだから殊更。
「マレナ嬢、君に私たちから伝えたい事があるんだ」
キタキタキタ!!!
お菓子を食べるのをやめて慌てて表情を引き締める。
最初はレリウスが立ち上がり、徐にあたしの前に跪いて手を取るのだ。甲に口付けをして、じっとあたしを見つめて、蕩けるように甘い声でーー
「あ、れ」
ぐらり、と視界が揺れた。
何、地震? そんな概念このゲームにあったっけ? とレリウス達を見るが彼等は座ったまま。あれ、もしかしてあたしの身体が傾いているの? 何で? というか何で誰も駆け寄ってきてくれないの?
ソファの座面に倒れ込んだ身体を起こそうと力を入れるが、ぐらぐらとする視界に力が抜ける。
はっはっ、と短く荒い呼吸をしながら何とか彼等を見つめるも、こちらの事はお構い無しにみんなで喋り出した。
「いやぁ、やっぱ無理だったね」
「端から分かっていたでしょう、メルの代わりなんて務まるわけがない」
呆れたとばかりに息を吐いてレリウスの隣に腰掛けるセドルナ。
「初対面のティナ様に無礼にも声を掛けた時点で打首物ですよ普通、許せねぇ」
「あはは、打首にするくらいなら検体としてほしいな。一応貴重な光属性なんだし」
微動だにせずこちらを冷たい瞳で見下ろすマディソンと、何が楽しいのかマッドサイエンティストみたいな発言を笑ってしているデュエイン。
「そもそもティナちゃん以外に興味がない面子に何してんだって話だけどさぁ、何したかったのこの女」
「神殿側は多少期待をしていたのに、残念な限りです」
室内を見回して鼻で笑うフェルシティス、指を組んで頭を伏せるオリバー。
一体、これは何だ?
彼らは、何を言っている?
「不思議そうな顔をしているね、マレナ・オーナ」
声も出せない為視線だけでなんとか見上げれば、先程まであんなに甘い顔を向けてくれていたのに、今あたしを見下ろすその表情は見た事も無いくらいに冷たかった。
こんな表情、ゲーム内でも見た事がない。
どのルートに入ってしまったと言うのか、何か間違えたのだろうか、でも一つでも条件が足りなければ王城への呼び出しも発生しない筈。
「私達が君に好意を抱いているとでも思っている?」
「っ!」
違うの!?
どうして? あたしはヒロインだし、特に進行も問題なかったし、みんなだって大体反応は同じだったのに……!
「君が光属性だと言うから、最初は期待していたのに。使い勝手が良ければ聖女とでも名乗らせてメルティナの代わり王太子妃にして、私達はメルティナの望む世界をあげられた。とんだ塵芥だったがな」
何だ、それは。
あたしがメルティナの代わりって一体どういう事!?
目を見開いていると、マディソンが近付いてきて目の前にしゃがみこむ。
「お前、オレに良く言ったよな。オレ以上に騎士がぴったりな人もいない、って。残念だがオレは騎士なんて柄じゃねぇんだよ」
初めて聞く乱れた口調。彼は常に目上には丁寧、目下には優しく、国を守る理想の麗しの騎士だったのに。
と、その隣に立ちこちらを見下ろしたデュエインがにんまりと嫌らしい笑みを浮かべる。
「僕も、その優しさは貴方を傷付けるものじゃないから大切にして。って言ってくれたね。でも残念、僕そういう感覚に疎いから自制を掛けておかないと何しでかすか分からないんだよね」
瞳の奥の光は仄暗い。彼は臆病で、他人が傷付くのが苦手で、癒しの魔術を使えるようにならないかと必死に研究していた心優しい魔法師の筈で。
「メルちゃんを傷付けようとしたゴミはきっちり検分して吸い尽くしてから捨てなきゃ」
にこにこと、何の感情もなくこちらに手を伸ばしてくるデュエイン。
怖い、嫌だ、信じていた全てに裏切られたようだ。この世界はなに!? あたしの好きな『光あふれる世界で君と』の世界ではなかったの?! あんなにも一緒だったのに……。
「メルが求めていたのは自由に動ける身分。どうしたって次期王妃には無理だから、お飾りを立てようとした。お前は貴重な光属性で、元は平民と男爵の子供。御伽噺のような成り上がりを見れば国民の士気も上がると踏んでの事だったのに……、貴様はメルに突っ掛かり、剰え俺達にメルが怒るだの怖いだのと……。ただ光魔法を磨き適当に笑っておけば次期王妃になれたのにな」
レリウスの隣で足を組んだセドルナが、侮蔑の表情を浮かべた。彼は妹であるメルティナとは普段から距離を置いて不仲だった筈なのに……。
ーーレリウスはメルティナとの婚約を解消した。その後メルティナは表舞台に顔を出すことはなかったーー
ゲームの中ではそんな風にたった一文で記載されて存在を消されたメルティナ。
まさかゲームの中でもマレナは身代わりだったと言うの……?!
ゲーム内での逆ハー失敗時は、その中で一番好感度が高いキャラのルートに入った筈だから、こんな未来は見た事がないのに!
「安心してくれ、男爵家には適当な理由をつけておくから心配はいらないよ。君は魔法研究所にでも送ろうか、君でも役に立つ事が出来る場所だよ」
そんなの嫌!
必死に身体を動かすも、全く動いてくれない。浅い呼吸は出来るけれど、言葉を発する事も出来ない。視界はぐるぐる回り、段々と闇に染まっていく。
どうして、どうしてこんな事にーー
「その毒は、光魔法をしっかり学び修めれば簡単に治せるのですよ」
最後の最後に、オリバーのそんな声が聞こえてきて意識は闇へと呑み込まれた。
「しかしこれでメルを私の妻にするしかなくなった訳だが、これで解決で良いな?」
「殿下にメルはやりませんよ、我が公爵家の庇護下でずっと好きにすれば良いのです」
「ティナ様は身体を動かすのも好きなんだから騎士団に入ればいいかと」
「だったら魔法師団でいいよね、こっちの方が有事の際危険が少ない」
「ティナちゃんに危険な思いをさせる気? 俺と一緒に優雅な芸術家生活が一番に決まっているでしょ」
「メルティナ様は我が神殿で聖女となり、訪れたい場所をゆっくり回っていただくのが一番かと」
バチバチと火花を散らす六人の攻略対象者は、ゲームのヒロインなど端から興味はないのだった。