表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

2.変化

 ベルメール公爵家に向かう道中、オーレリアが乗った馬車が突然止まった。別の馬車で後に続いていたテオドールは、何かあったのかと馬車を降りた。ちょうどその時、オーレリアと一緒に乗っていた侍女も降りてきたのでわけを聞くと、オーレリアが体調を崩したという。

 

「突然息が荒くなり、うまく呼吸ができないようで…」

「紙袋はあるか?」

「は、はい!」

 

 オーレリアは過呼吸を起こしていた。テオドールはかつて近衛師団へ入団を考えた事もあったため、簡単な応急処置などができるよう勉強しており、医療方面にも明るい。ただ人通りの多い場所で扉を開けたまま処置するわけにもいかないので、失礼を承知でテオドールは馬車に乗り込み、侍女にオーレリアの口元に袋を当てて背中を摩るよう指示する。そして過呼吸でパニック状態になっている彼女に、ゆっくり呼吸をするよう声をかけた。

 しばらくすると呼吸が落ち着き、オーレリアはそのまま気を失ってしまった。テオドールはひとまずは大丈夫だろうと、心配そうにオーレリアの手を握る侍女へ説明して馬車から降りようとした。しかしテオドールは降りることが出来なかった。

 オーレリアは過呼吸の最中、テオドールのシャツを握りしめており、そのまま気を失っていた。上着だったらそのまま脱ぐことができたが、処置の際に上着は使用人に預けていたので、この時テオドールはシャツにベストの姿だった。

 侍女がなんとかシャツから手を離そうとするが、なかなか離れない。テオドールは顔色が真っ青なオーレリアを見て、先を急いだ方が良いだろうとそのままベルメール家に向かうことにした。

 

 出迎えた父、ベルナール公爵は、疲弊した様子で気絶している娘を見て驚愕し、彼女を抱えて出てきたテオドールに怒りを向けようとした。馬車でテオドールが婚前の愛する娘に不埒な真似をしたのではないかと思ったのだ。しかしオーレリアが信頼を寄せる侍女が同行しており、その様子からなにやら事情がありそうだと冷静さを取り戻す。

 

「公爵閣下、突然のご訪問となり申し訳ありません。シュルツ家のテオドールと申します。馬車の中でオーレリア様が過呼吸を起こして気を失ってしまいまして、私がこのようにご令嬢を抱えることをお許しください」

 

 ベルナール公爵は侍女を見ると、テオドールは嘘をついていないと伝えるかのように頷いた。しかしなぜオーレリアはシュルツ家のテオドールとともに馬車へ乗ったのだろうか。ベルナール家とシュルツ家はどの派閥にも属さない中立の立場であるが、だからと言って二つの家が頻繁に交流しているわけではない。特にオーレリアは幼い頃からサイラスの婚約者だったため、他の男性との接触は極力控えていたはずだ。

 ベルナール公爵がテオドールから娘を預かろうとした時、その理由がわかった。オーレリアが彼のシャツを掴んで離さなかったのだと。ベルナール公爵もオーレリアの手を開こうとしたが、それでも離さないのでそのままベッドまで運ぶことになった。

 ベッドに横たえるとやっと手がシャツから離れたので、テオドールはほっとした。このまま離れなかったら、ベルナール公爵に睨み殺されていただろう。

 ベルナール公爵は急いで医者を呼ぶよう使用人に命じ、テオドールから詳しく話を聞くことにした。

 

「それで、なぜシュルツ家のご子息が私の娘を抱えてきたのかね」

「単刀直入に申し上げますと、本日の卒業パーティーで王太子殿下がオーレリア様との婚約破棄を宣言されました」

「なんだと?」

「パーティー会場にオーレリア様がお一人で入場されたので、僭越ながら私がエスコート役を申し出たのです。その直後に、王太子殿下はネイト子爵家のミリーというご令嬢と入場され、そのまま婚約破棄と同時にミリー嬢と婚約すると仰いました。オーレリア様はおそらくそのショックで過呼吸を起こされたのでしょう」

 

 ベルナール公爵は頭を抱えた。サイラスがミリーに熱を上げていることは聞き及んでいた。しかし、国王が直接息子を叱責し、ネイト子爵に釘を刺したことでその問題も解決したと思っていたのだ。

 

「つい最近も、殿下は娘をお茶に招待して関係回復に努めていたはずだが」

「私もそう思っておりました。…実はミリー嬢が本当に殿下に接近しなくなったか、近衛騎士団に見張らせていたのですが」

「近衛騎士のほうか?あれは要人警護のための組織だろう」

 

 近衛騎士団はコネさえあれば入れる貴族定番の就職先で、派手な鎧姿で練り歩く、いわばパフォーマンスのための騎士だ。

 一方で完全実力主義を貫く近衛師団は、入団するのも困難な精鋭部隊で、貴族が犯罪行為に手を染めていないか、スパイが紛れ込んでないか調査するなど、その仕事内容は多岐に渡る。実力主義の戦う集団といえば脳筋がイメージされるが、筋肉モリモリのテオドールの兄、アルノーもまた意外と頭脳派なのである。

 

「私は近衛師団に見張らせるよう進言したのですが、国王陛下はそこまでして息子を疑いたくはないと拒まれ、代わりに騎士を送ったのです。しかし潜入させた騎士もミリー嬢に籠絡されたのでしょう。もしミリー嬢が殿下と会っていたら報告が来るはずでしたから。あの時、近衛師団を潜入させることができていればこのようなことにはならなかったのですが…大変申し訳ありません」

「まてまてまて、なぜ君が謝るんだ。娘が侮辱を受けた後も、こうして付き添ってくれたのだろう」

 

 そもそもベルナール公爵は、テオドールが王宮精鋭の近衛師団を動かせるとは思ってはいない。たとえ兄が団長を務めているとしてもだ。しかし目の前の青年は本気で悔しく思っているようにも見える。

 

「テオドール、君はなぜ…」

「閣下、お言葉を遮ってしまい申し訳ありません。殿下とミリー嬢は国王陛下に会うために王宮に向かわれました。おそらく正式に婚約破棄をするためです。殿下は婚約破棄の理由として、オーレリア様がミリー嬢をいじめたことを挙げておられました。閣下も王宮へ向かわれた方がよろしいかと」

「そうだな。続きは馬車の中で聞こう。ついてきなさい」

「はい」

 

 テオドールは馬車の中で、オーレリアはミリーをいじめてなどおらず、事実無根であると説明した。そもそも、オーレリアが王妃教育のために王宮へ来た時間と帰宅した時間は全て記録されている。その内容とミリーの言い分を照らし合わせればオーレリアの無実が証明できる。どう転んでもオーレリアが罪を問われることはない。

 ベルナール公爵は一年前の騒動で、子爵令嬢がオーレリアやサイラスを欺こうとしていたと説明を受け、子爵から謝辞を受けていた。しかしあの騒動で、オーレリアにいじめ疑惑がかかっていたことは知らなかった。

 ベルナール公爵は怒りで震えた。ただよくよく話を聞いていれば、オーレリアの無実を晴らしたのは、目の前で淡々と説明しているテオドールであったようだ。

 テオドールは話の中でそれを誇示したりしないため、ベルナール公爵はうっかり聞き逃すところであった。もし他の貴族なら、オーレリアの無実を晴らしてやったと誇示し、褒賞を求めるだろう。この婚約破棄のタイミングであれば、褒賞にオーレリアを妻にしたいと言う輩もいるかもしれない。

 テオドールはただ淡々と説明しているだけだが、それができない貴族もいる。ほとんど面識のないテオドールのことを、どこまで信用するかベルナール公爵は悩んでいたが、少しは信用しても良いかもしれないと思うのだった。

 

 しかしベルナール公爵は王宮に到着したあと、テオドールが悩むまでもなく信用に値する人間であることを思い知ることとなる。

 王宮ではサイラスが婚約破棄のために国王を説得していた。そのサイラスの言葉から、テオドールが卒業パーティーでオーレリアを庇い、王太子であるサイラスに面と向かって反論したことを知ったのだ。たとえ公爵家の出だとしても、王太子にそこまで言えるものはそうそういないだろう。

 ベルナール公爵はテオドールの評価を改めた。

 それもそのはず。シュルツ家といえば武術の才能があり、明晰な頭脳を持つことから、早々に近衛師団団長に就任した長男のアルノーが周囲から大きく期待されている。ベルナール公爵もまた、彼に一目を置いていた。

 しかしその弟のテオドールといえば、兄に比べて目立ったところはなく、地味な印象であった。しかし此度のテオドールの活躍を知れば、彼への評価を変えざるを得ないだろう。

 

 結局、オーレリアとサイラスの婚約は破棄された。サイラスとテオドールの両人の言い分を聞いた上で、国王自らベルナール公爵に謝罪をした。国王が頭を下げるなど本来ならあってはならないことであるため、それだけの謝意を示していることになる。

 しかし一方的に罵られ、婚約破棄まで告げた男との婚約を続けるなどベルナール公爵が許しはしなかった。その結果、サイラスの不貞を理由にベルナール公爵家からの婚約破棄ということで話はまとまった。

 

 サイラスはこの婚約破棄により、国王を筆頭とする国王派が中立派であるベルナール公爵家の後ろ盾を失ったことなど知る由もなかった。

 奇しくもサイラスは罰として継承権を剥奪されたが、元の身分が高いため、王子として王宮に残ることは許された。そして念願のミリーと婚約を果たし、将来的にはネイト子爵家へ婿入りすることになった。

 サイラスの代わりに王太子候補に名が挙がったのは、国王の弟であり、継承権第二位であったルカ・ベルヴァルト大公である。

 国王にはサイラス以外の子がおらず、ルカがサイラスに続く継承順位であったため、繰り上げ式で王太子になるのではないかと誰もが思っていた。

 

 ◇◇◇

 

 ―二年後―

 

 オーレリアは婚活に苦戦していた。

 これまで王妃になることだけを考えていたので、この歳で婚約破棄されて婚活することになるとは思わなかった。卒業パーティーから二年、オーレリアはようやくショックから立ち直ることができた。そして迷惑をかけた父のためにも、結婚しなければと躍起になっていた。

 ベルナール公爵はオーレリアが無理をしていないか心配ではあったが、早く良縁を見つけてあの出来事を忘れさせてやりたい思いもあった。

 しかしオーレリアは自分が思っている以上に心に傷を負っていた。男性を目の前にすると、どうせ捨てられるのではないかと無性に不安になるのだ。そうして二年前の出来事がフラッシュバックし、気を失ってしまう。

 オーレリアはまともに見合いもできないのかと落ち込み、もう出家する他ないのではと思い始めていた。王都で働く兄も心配して励ましに来てくれたが、オーレリアは既に自信を失っていた。

 

「お父様、お話があるのですが」

「入りなさい、リア」

「私出家しようと思います。私にできることは公爵家のために祈るだけですわ」

「んな!?…なにを言っているのか分かっているのか?たとえ結婚できなくともここに居て良いのだぞ」

「それではもう直ぐ結婚されるお兄様に申し訳ないですわ」

「気を使うな。そうだとしても領地の別邸で暮らすこともできるだろう」

「しかし…」

「わかった!わかった。ちょっと待ちなさい」

 

 ベルナールは机の引き出しをガタガタと引き、たくさんある書類の中から一枚の手紙を取り出した。

 それはオーレリアに求婚したい旨が書かれた手紙で、丁寧な文章で書かれていた。そして最後に書かれた名前にオーレリアは驚く。

 

「テオドール・シュルツ様…!?」

「そうだ。少し前に送られてきて、返答に悩んでいた」

「なぜです?」

「お前はあの時の悪夢に悩まされているだろう。彼に会ったらその時のことが思い出されて、また苦しむかもしれないと思ったのだ」

「まあ」

「それに彼は次男坊だろう。せっかくなら長男へ嫁がせたかったからな。次男坊ではなにかと気苦労をするかもしれん」

 

 確かに父親であるベルナール公爵にとって、亡き妻に似た可愛い愛娘はできるだけ良いところに嫁がせたいだろう。しかしあの卒業パーティーでは、テオドールが紳士的で誠実な対応をしてくれたおかげで娘の尊厳が保たれたという恩もある。

 

「お父様、ご心配ありがとうございます。ですがこのお話、お受けしたいですわ」

「恩に報いるため、という気持ちで受けてはならんぞ」

「お父様は彼が私との結婚で、あの時の恩を返せと言う方だとお思いですか?それならもうとっくの昔に求婚されているはずですわ。私は、確かにお礼を申し上げたい気持ちもありますが、他の方と違って少しでもその人となりを知った方が良いと思っただけです」

「そうか、わかった。しかし今までのことがあるから、返事をする前に一度会ってみなさい」

「はい」

 

 ベルナール公爵は直ぐにシュルツ家にお茶への招待の手紙を書いた。返事は直ぐに届き、そちらの良い日程で構わないと書かれていた。ベルナール公爵はその内容をオーレリアに伝えると、張り切って使用人に指示を出し始めた。あれだけ生命力に満ち溢れた娘を見るのが久しぶりすぎて、ちょっと涙が出たのは公爵家の威厳に関わるので内緒である。

 

 しかしオーレリアはドレス選びに難航していた。悩みに悩み、兄とその婚約者を呼び出してドレスを見てもらったが、全部可愛いと言われるだけで役に立たなかった。いっそのこと新しいドレスを作ろうかとも思ったが、どのデザインを見ても自分に何が似合うのか分からない。

 それもそのはず、顔立ちもスタイルも良いオーレリアは、骨格にあったドレスであればわりとなんでも似合うのだ。

 ドレスが決まらない八つ当たりを父にも向けたが、ベルナール公爵はなぜか笑っていた。それが気に食わなかったが、もうあとお茶会まで数日しかない。そう焦っていると、シュルツ家から荷物が届いた。それはテオドールからオーレリアへの贈り物であった。

 

「ドレスだわ!ねえお父様見て、凄く綺麗なドレスよ」

 

 箱を開けると、テオドールの明るいハニーブラウンの髪色を思わせる色のドレスが入っていた。明るい色だが、可愛すぎず上品な印象のドレスはオーレリアにピッタリであった。

 実は最初に返事をもらった時、テオドールはベルナール公爵にオーレリアにドレスを贈りたい旨を伝え、指定する裁縫店にサイズを送ってほしいと頼んでいたのだ。

 

「良かったな、オーレリア」

「ええ、ええ!これを着るのが楽しみだわ」

 

 かつて学園でオーレリアを冷たい女と罵った生徒が今のオーレリアを見れば驚くだろう。流石に公の場でここまで表情を曝け出すことはないが、王妃になるべく張り詰めていた頃や、婚約が決まらずに自暴自棄になっていた頃に比べれば、ここ数日で柔らかい印象になった。

 

 そうしていよいよお茶会当日。

 あれだけ前日まではしゃいでいたオーレリアであったが、流石に緊張するのかガチガチに固まっていた。このままでは不遜になると思ったオーレリアは、あの厳しい王妃教育を思い出しながらなんとか平常心を保っていた。

 

「本日はお招きくださり、ありがとうございます。ベルナール公爵閣下。それにオーレリア様。そのドレス、着てくださったんですね。お似合いです。素敵ですよ」

「こちらこそ、わざわざすまないね」

「素敵なドレスをありがとうございます。ぜひ楽しんでくださいませ」

 

 久々に再会したテオドールは、卒業パーティーの時に比べていっそう凛々しく、逞しくなっていた。これにはベルナール公爵も驚き理由を聞けば、なんでもたまに近衛師団の訓練に参加しているとか。その他にも卒業後、サイラスに振り回されることがなくなったことで目の下のクマが消え、のびっぱなしだった髪を整える余裕ができたことも彼の印象を変えた要因である。

 オーレリアは思いの外かっこよく垢抜けているテオドールを直視できず、内心焦ってしまう。

 

「オーレリア様、お加減でも悪いのですか?」

「…!」

「いやいや、君に照れているんだよ」

「な、お、お父様!」

「ああ、悪い。二人の邪魔をしてはなんだから、私は執務室に行こうかな。テオドール、あとでゆっくり話をさせてくれ」

「はい、もちろんです閣下」

 

 オーレリアはあまりの羞恥心に口をパクパクさせたが、それもまたはしたないと気づき、とっさに口を押さえた。テオドールはそのことに気づいたかもしれないが、優しく微笑んで手を差し伸べた。頭が真っ白になったオーレリアは、ホストであることを忘れてエスコートされるがままになっていた。

 テオドールはオーレリアを連れて、使用人の案内でガーデンテラスへ向かう。さすがは公爵家なだけあり、それは立派な庭園であった。

 テオドールは使用人が用意した紅茶を一口飲み、オーレリアの様子を窺う。学園時代のオーレリアは、みんなの手本となる淑女、という印象だった。いつ何時も表情を崩さず、冷静な判断ができるところは以前から尊敬していた。だからこそ、オーレリアならミリーへうまく対処ができると思ったのだ。

 そもそも女性の問題に男が首を突っ込んでも碌なことはない。テオドールはサイラスの話し相手として選ばれた身でもあることから、彼の王太子らしからぬ問題行動を諌め、フォローすることに専念していた。

 しかしテオドールが思っているほど事態は甘くなかった。ミリーとの間になんとサイラスが割って入っていたからだ。流石にオーレリアでも王太子に対しては強く言うことができなかった。

 サイラスのフォローに回るのが忙しかったとはいえ、ミリーの問題行動を彼女一人に任せてしまったことを、テオドールは今でも後悔している。

 ただ今日の彼女の様子を見て、テオドールは少しだけ安堵した。卒業パーティーでサイラスが彼女に浴びせた罵詈雑言は酷いものだった。これまで大切に育てられたご令嬢が、しかも婚約者にあれほどのことを言われれば、普通は心が折れてしまうだろう。パーティーの騒動のあと、オーレリアが心を閉ざしてしまったことをテオドールはベルナール公爵から聞いていた。本来なら礼を言わなければならないのに、とベルナール公爵は娘の心配もあったのだろう。らしくなくしょんぼりしていたのを覚えている。

 

「お元気そうでなによりです」

「ああ、私ったら。お礼を先に申し上げなければならないのに、失礼いたしました。あの時はサイラス王子から庇ってくださり、ありがとうございました。それに国王陛下にも弁明してくださったとお聞きしておりますわ。本当に、なんと感謝すればよいのか」

「ああ、いえ。そのように畏まらないでください。当たり前のことをしたまでですから」

 

 そう言われてしまえばオーレリアはそれ以上の謝辞は控えたが、少し寂しさを覚えた。そう、あれは自分のためではなく、王国の未来を案じての行動でもあったからだ。

 しかし周りからすれば、あの時のテオドールの行動は、その大義名分にしてはいささか行きすぎていたようにも見えた。

 

 卒業後、テオドールがミハエルと夜会でたまたま会った日のことだ。

 

「テオドール、あの時よく王太子殿下…いや今はもう元王太子殿下か。あの人によくもまあ堂々と反論したな」

「ミハエルこそ、よく王子に苦言を呈していただろう」

「それとこれとは違う。あれだけの生徒の前で反論したんだ。もし国王陛下がサイラスの言うことを信じたならば、王太子を貶めたとしてベルナール公爵家もろとも取り潰されていたかもしれんだろう」

「公爵家をそう簡単に潰せるわけがない。ベルナール家もウチも中立という立場を取ることができるということは、それだけの権威があるということなのだから」

「それはそうだが…だからと言って、お前王宮にまで乗り込んだんだって?」

「オーレリア様が気を失われたから、代わりに説明しに登城したまでだ」

「相手が公爵家とはいえ、一令嬢のためにそこまでする男はそうそうおらんよ。なあシンイー」

「ええ、そうね」

 

 ミハエルの隣にいたシンイーはきっと自分の祈りが届いたのだと嬉しそうにしていた。祈り、そういえば良縁に恵まれるよう卒業パーティーでシンイーがそう言っていた。まさかオーレリアのことを指しているのかと、そう思うと不思議な気持ちになる。

 テオドールはあの時、自然と彼女のために行動していた。ベルナール公爵からオーレリアが塞ぎ込んだと聞いてからは、心配で今でも彼女のことが頭から離れない。それは普通のことではないのだろうか。

 

「なに神妙な顔をしているんだ?」

「いや、なんでも。少し妙な気分だ」

「もどかしい奴だな。とっとと求婚すればいいだけだろう」

「相手は公爵家の令嬢だぞ。同じ家格とはいえ俺は次男だから釣り合わない。婿入りするならまだしも、彼女には次期当主の兄がいるのだから」

「そんなことは気にするな。どうせお前が次期シュルツ家当主なんだろ?本当に彼女を想うなら、さっさと地盤を固めるんだな」

 

 この時点でシュルツ家の次期当主はまだ決まっていなかった。アルノーは継ぐ気などさらさらなかったが、人望があり多くの貴族からは期待されている。アルノーが当主になればシュルツ家は安泰だろう。

 対してテオドールはその聡明さを家族は高く評価しているが、周囲はそう思ってはいなかった。いつも兄と比べられ、地味だなんだと言われてきた。このまま当主になったとしても、他の貴族から舐められるだけだ。

 これまでテオドールは他人の評価など気にはならなかった。むしろテオドールよりもアルノーの方が「俺の弟はこんなにも才能があるのに…!」と憤ることがあった。しかし、ミハエルと夜会で話してから、なぜだかそういうことが気になるようになっていた。

 

 テオドールは翌る日、父に領地の一部を自分に任せてもらえないかと頼み込んだ。そうして与えられたのは国境付近の領地である。

 国境付近の領地は砦があり、緊張状態の続く場所だった。住んでいるのは元からいる領民と派遣されたシュルツ家の兵士。砦を維持する費用だけが膨大にかかる場所であった。

 テオドールは隣国と平和的に交渉し、独自に貿易権を得た。これにより自然と各国から商人が集まるようになり、以前より活発な街へと変貌したのだ。領地にはこれまでどおり兵士が駐在しているので、治安も維持している。

 今では砦の維持費を上回る利益が出ており、人気の観光スポットのひとつになった。

 そうして父の仕事を手伝いながら、冴えない領地を開拓して二年、ようやくテオドールは成果を上げた。

 

 成果が出ると、一番に喜んだのはアルノーであった。やはり俺の目に狂いはなかったと遠慮なくバシバシ背中を叩かれたとき、テオドールは内臓が飛び出るかと思った。

 それから次第にテオドールの評価は変わっていった。アルノーと比べられることはなくなり、期待の目を向けられることも多くなった。

 そして二年の間に、テオドールの中でオーレリアへの想いは膨らんでいた。仕事に専念すればオーレリアのことを考えないだろうと思っていたが、いつからか、オーレリアを迎え入れるために仕事をするようになっていた。

 テオドールの評価も高まった頃、オーレリアが婚約者を探していることを噂で耳にした。少しでも立ち直ることができたのかと、嬉しく思ったものだ。

 テオドールは早速求婚の手紙を書こうとしたが、やたら緊張して何度も書き直してしまい、思った以上に時間がかかってしまった。あの美しいオーレリアのことだから、すでに婚約者が決まっていたらどうしようかと、あとから不安になる。なぜあんなにも求婚の手紙で時間を食ってしまったのかと後悔した。

 だから返事が来た時は、飛び上がりそうになるくらい嬉しかった。まだ自分がシュルツ家の後継者だと周囲に明かしていなかったので、次男坊であることを理由に断られる可能性もあったからだ。ドレスを贈った時はやりすぎかと心配だったが、ドレスを着た彼女を見て正解だったと嬉々として思った。

 

「オーレリア様、私はこの二年の間、貴女のことが頭から離れませんでした。はじめは貴女のことを心配しているだけだと思っていたのですが、二年も経てばそれがただの心配からくる気持ちではないことくらい分かります。私はオーレリア様をお慕いしております。ただし、もしオーレリア様に他に慕う方がいるのであれば、貴女の幸せを願って辞退しましょう」

 

 テオドールはあまりに申し訳なさそうに謝辞を述べるオーレリアを見て、もしや過去のことに恩を感じて今日は無理にこの機会を取り付けたのではないかと思った。求婚できることに有頂天になっていたが、思えばテオドールは以前少し手を貸しただけで、オーレリアに好かれる要素も理由もないのだと冷静になる。しかし、それが杞憂であることはオーレリアの表情を見れば明白だった。

 お慕いしていると言った瞬間に分かりやすく顔を真っ赤にさせ、辞退すると言うと顔を赤らめたまま困惑の表情を浮かべた。

 

「辞退をするなんて、どうかおっしゃらないでください。私も、その…テオドール様のことをお、慕いしております、ので…」

「本当ですか?」

「ええ、私、嘘は言いませんわ」

「そうですか。良かった…良かった。とても嬉しいです」

 

 オーレリアは心を病んでいた時、何度もテオドールのことを思い出していた。あの場で唯一味方になってくれて、しかも王太子を相手にあそこまで言い負かすなんて。最初のうちはサイラスの暴言を思い出して落ち込んでいたが、テオドールのことを考えるとなんだかどうでも良くなっていた。

 オーレリアはサイラスに対し、そこまでの恋愛感情はなかった。ただひたすら厳しい王妃教育を受ける中で、次期王となるサイラスを尊敬し、慕うようになっていた。だから婚約破棄を宣言された時には、オーレリアの全てが失われたように感じた。

 確かにテオドールに会ったらあの時のことを鮮明に思い出すかもしれないと一瞬でも思いはしたが、また会える喜びの方が大きかった。いつのまにかオーレリアの中で、テオドールは大きい存在となっていたのだ。

 

 オーレリアとのお茶会のあと、テオドールは応接間に案内された。

 目の前に座るテオドールに、ベルナール公爵はなんと切り出すか迷った。というのも、今日のお茶会でオーレリアが体調不良にならず、とても楽しそうにしていたことがことさら嬉しく、彼に先にお礼をいうか、はたまた婚約について話すか頭が混乱してしまったからである。

 そうこうしているうちに、ベルナール公爵の混沌とした脳内など知る由もないテオドールが先に口を開いた。

 

「ベルナール公爵閣下、改めまして本日はお招きくださり、ありがとうございました」

「あ、ああ。こちらこそ、オーレリアを選んでくれてありがとう。あー、それで君はこの二年で辺境の砦を見事観光地にしたと聞いたが、結婚後、オーレリアもそこへ行くのかね?」

「いえ、本邸で過ごすことになるでしょう」

「しかしそうなると、君の兄と同居ということになるのか?」

「ご報告が遅くなってしまい申し訳ないのですが、実は私がシュルツ家を継ぐことになりまして」

「なんと!?」

「実は昔から兄は家を継ぐ気はないと明言していましたが、文武両道の彼の期待値が高く、父は跡継ぎに悩んでいました。私も兄が当主にならないならと、もしもの時のために父の仕事を手伝うようにしていましたが…その、オーレリアさんに見合うようになりたくて」

「自ら当主になる道を選んだのか!なぜそれを早く言わない。断るところであったぞ」

「申し訳ありません、求婚を急ぐあまり失念しておりました」

 

 ベルナール公爵は感銘を受けた。最近聞くテオドールの名声が全て娘のためだとは思わないだろう。ベルナール公爵は二年前に話をした時から彼の印象は大きく変わっていたが、それほどまでに誠実な者だとは思わなかった。

 

「ただそうなると、少し問題があるかもしれません」

「そうだな。中立派同士の公爵家の結婚か…君が当主でなければそう騒がれることはないが、君が家督を継ぐというのなら周囲は何かを企んでいるのではないかと思うだろう」

 

 ベルナール家とシュルツ家は中立派と一括りにされているが、それぞれがどこにも属していないことを明示している。後ろ盾がなくともそれだけの権威があるので、特定の派閥に入る必要はない。それに既存の派閥に入ったところで、公爵家が得することは何もないからだ。

 そのベルナール家とシュルツ家の間で婚姻が結ばれるのだ。貴族は新しい派閥ができたと思うだろうし、王族は警戒するだろう。それだけ力の強い家が結託し、もし反乱が勃発しようものなら王族に勝ち目はないからだ。

 

「過去の負い目もありますから、国王陛下はこの婚姻を承諾なさるでしょう」

「問題は派閥か。今は国王派とベルヴァルト大公派に大きく分裂していると聞いた。なんでも陛下がなかなか大公閣下を王太子と認めないからだと」

「それだけではありません。最近では国王派から派生してサイラス王子派が水面下で力をつけているそうです」

「なんだと?あの王子には国など任せられん」

「ええ、しかしあの陛下のことですから、おそらくほとぼりが冷めたころに再びサイラス王子を王太子にするのではないかと」

 

 ベルナール公爵は怒りで思わずテーブルを叩く。国王の息子への甘さには反吐が出る。二年前もサイラスへの処罰は軽く、ミリーに至ってはほぼ罰は受けていなかった。今後、問題行動を起こせば即没落することにはなってはいるが、オーレリアの失ったものと比べれば些細なことだ。

 

「はあ、まあ君とオーレリアの結婚は国王派と王子派に警戒されるだろうが、いい牽制にはなるかもしれないな」

「ええ、問題は大公派がどう捉えるかです」

「ふむ、大公閣下とは一応従兄弟同士であるが、そこまで交流はないな。いまいち何を考えているか分からん男だ。ただし幼い頃に多くの国へ留学した経験があるから、サイラス王子よりは広い視野を持っているだろう」

「そうだと良いのですが、実はミリー嬢が大公閣下に色目を使っているようで」

 

 ベルナール公爵は今度は思わず天を仰いだ。ベルヴァルト大公も年齢は25と若く、それでいてなぜか婚約者がいないのだ。彼が籠絡されでもして、またサイラス2号が生産されたらこの国に未来はない。

 

「ご安心ください。今のところ大公閣下は適当にあしらっているようですから」

「そうか…まあ大公閣下のことは様子を見る他ないだろう。派閥に関してベルナール家を心配する必要はない。来るもの全て追っ払ってみせるわ」

「私も何か分かればすぐにお伝えします」

「しかしテオドール、君はなぜそこまで内情に詳しいのかね」

「これは内密にお願いしたいのですが、近衛師団に随時調査させているのです」

「アルノーが団長を務めているとはいえ、私的に使うことはできないだろう。王宮の精鋭集団だぞ」

「それが、今は使うことができるのです。二年前のあの日、サイラス王子が私とオーレリア様の浮気を疑ったのはご存知でしょう」

「ああ」

「大勢の前で虚偽の内容を話したことを理由に名誉毀損で訴え、近衛師団の管轄をシュルツ家に戻していただいたのです」

 

 戻した、というのは元々はシュルツ家が師団を管轄していたからである。それを兵力が一つの家に集まるのは良くないという理由で王家はシュルツ師団を奪い、王家管轄の近衛師団としたのだ。もちろん戻してもらった時には、ちゃっかり"王家は今後いかなる理由でもシュルツ家の権利を侵してはならない"と書かれた文書に陛下のサインを書かせた。

 その交渉を行ったのがこれまたテオドールであるという。国王は気づいていないかもしれないが、わざわざ"近衛師団を奪取しない"ではなく、"権利を侵害しない"という書き方をしたということは、王家が権力を使って手回しすることができない状態になったということだ。それと同時に、近衛師団は王家の犯罪を暴くことができるようになったのだ。

 

「それこそ王家は黙っていないのではないか?」

「このことを知るのはシュルツ家、陛下、宰相、そしてベルナール公爵閣下だけですよ。陛下はうちの師団を返還された際に、今後も表向きは"近衛師団"と名乗るよう言ったんです。そして管轄が変わったことを公言しないようにと」

「そうか、近衛師団は王家の自慢の一つだからな。王家が発足した騎士団がただのお飾り状態になっているだけに、それが奪われたとなると格好がつかない」

「ええ、たとえ国王派の人間にさえもその事を言うのは憚られるでしょうね」

 

 ベルナール公爵はテオドールの口ぶりから、指揮権はテオドールが握っていると推測した。この男はオーレリアのために辺境地で功績を作っている間に、そこまでの情報を集めていたのかと思うと少し恐ろしくも感じた。互いに中立という立場だが、敵ではなくて良かったと心の底から思うのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ