1.婚約破棄
暖かい日差し、優しい風、鳥のさえずりと深緑の葉がざわめく音。ここに童話のプリンセスが居るとしたら、思わず歌い出しそうだ。そんな日の昼下がりに似つかわしくない声が学園の中庭に響いた。
「きゃあ!」
その声に釣られ、中庭に居た生徒らは一斉にそちらへ目を向ける。そこには一人の女子生徒が佇む前に、うつ伏せの状態で横に倒れている女子生徒がいた。
それを見た男子生徒は心配そうな顔で様子を伺い、対して女子生徒は怪訝な表情になる。
「後ろから突き飛ばすなんて酷いです、オーレリアさん!私、オーレリアさんと仲良くしたかっただけなのに…」
「私は何もしておりませんわ。貴女が勝手に転んだのでしょう」
「そ、そんなあ!」
叫び声をあげて転んだと思えば、今度は地べたに座ったままおいおい泣き始める彼女は、ミリーという名のネイト子爵令嬢である。そのミリーを上から見下ろしているオーレリアと呼ばれた女子生徒は、ベルメール公爵令嬢だ。
ミリーは泣きながらオーレリアを見上げ、こいつが自分を突き飛ばした犯人だと言わんばかりにさらに声を大にして泣き喚いた。
「またベルメール公爵令嬢がミリー嬢をいじめているぞ」
「可哀想に…」
「見ろよあの真っ白な髪に冷徹な表情。アレが未来の王妃とは末恐ろしい」
様子を見ていた男子生徒らは小声で囁き合う。だがミリーに同情はしても助けようとはしなかった。その理由はオーレリアのほうが家格が上だからだ。
一方でミリーへ軽蔑の目を向けていた女子生徒も、下手に口が出せない状況にあった。
ミリーは半年前に王国貴族学園に編入した生徒である。ネイト子爵家の庶子で、最近まで中流階級の平民として暮らしていた。しかし、子爵夫人と長女が流行り病で亡くなったことがきっかけで、子爵家の跡取りとなるべくして貴族の仲間入りを果たしたのだ。ネイト子爵は無学のミリーに、跡取りとして一般教養と貴族の常識を身につけさせるために学園へ入学させた。だが、庶子で平民だったとはいえ、子爵家から定期的に送られてくる生活費で何の不自由もなく暮らし、奔放に生きてきたミリーは跡取りになるつもりなどさらさらなかった。学園には見目麗しく、上品な貴族令息がたくさんいる。平民の男とは違い野蛮でなく、それどころか女性を宝石のように丁寧に扱う。ミリーが好きだった物語の王子様がお姫様にそうするように。
その紳士的な振る舞いに虜になったミリーは、勉強など二の次で貴族令息との恋愛に夢中になった。
ネイト子爵は、将来的にミリーが選んだ相手が婿入りしてくれて、家柄的に問題がなければ恋愛結婚でも構わないと思っていた。しかしミリーは貴族の次男や三男ではなく、長男ばかりに手を出していた。特別な事情がない限り、長男は次の後継者に選ばれることから婿入りは難しい。また16歳・17歳の名家の長男には、すでに婚約者が宛てがわれている。ミリーは貴族社会に疎いため、それでもアタックし続ければ自分に乗り換えてくれると思っていた。お家同士の婚約のため、婚約破棄させることは今のところ叶ってはいないが、貴族令息のほとんどは他の令嬢とは違うミリーに興味を持ち、大切に扱うようになった。
最初の一人と恋仲になり、婚約者よりも大切にされる優越感を覚えたミリーは、次から次へと貴族令息へ手を出した。そしてザイデル王国の王太子もその対象となった。この頃になると学園内の女子生徒は、ミリーに対して強い反感を抱くようになっていた。そんな折に王太子に手を出したのだ。ミリーは手始めに、王太子であるサイラス・ザイデルの気を引くため、婚約者のオーレリアにいじめられているフリをした。
さて、女子生徒はミリーに反感を持っているにも関わらず、なぜオーレリアを庇おうとしないのかについてだが、それは簡単なことだ。大勢でミリーを叱責すれば、また男性に縋りよって「わたし、皆さんにいじめられているの」などと言いかねないからである。それに、一番家柄の良いオーレリアが令嬢いじめのリーダーだと思われかねないので、下手に近づくことができなかった。
しかし、何度も繰り返すうちにミリーも学ぶようになった。オーレリアは家格が高いがゆえに、いじめられたフリをしても誰も駆けつけてくれないことを。確実にオーレリアに物申すことができる王太子のサイラス、そして同等の立場である公爵家の令息、テオドール・シュルツとミハエル・アーレンスの前で芝居をしなければ、表立って味方になってくれる人はいないのだ。
そういうわけで、吹き抜けの廊下を歩いている三人の姿を確認したミリーは、素早くいじめられている芝居を始めた。案の定、周囲の生徒は見ているだけだったが、サイラスは素早くミリーの元へ駆けつけた。
「オーレリア嬢、また貴女か。いい加減、彼女をいじめるのをやめなさい」
「殿下、私はいじめなどしておりませんわ」
「サイ様、こわいですぅ」
「王太子殿下を愛称で呼ぶなんて無礼な…」
「オーレリア嬢、呼び名は俺が許可しているから問題ない。それよりも話を逸らして逃げようとするな!」
サイラスの怒鳴り声に周囲の生徒たちは驚き、どよめく。
サイラスは生徒会長であり、これまで皆の手本として振る舞ってきた人物である。そしてオーレリアの婚約者だ。いじめが疑われる状況だとしても、婚約者であり公爵家の令嬢に怒鳴り散らすなど、たとえ王太子だとしても許される行為ではない。
それよりも、比較的穏やかなサイラスが怒鳴るなど思ってもみなかった生徒たちは困惑していた。その様子を見ていられなかったミハエルはサイラスを宥める。
「まあまあ、王太子殿下。そこまでにしましょう。皆が見ておりますから。あとは生徒会室で話を聞きましょう」
「…分かった」
ミハエルの言葉にサイラスは渋々頷き、ミリーをエスコートして生徒会室へと向かった。ミリーは婚約者を差し置いてこの国の王太子にエスコートされた状況に興奮していた。王太子だけでなく公爵家のミハエルやテオドールだって自分に同情してくれるのがまた気持ちが良い。優越感に浸っているミリーは、ミハエルがテオドールに目配せをしたことにも、テオドールがその場に残ったことにも気づかなかった。
ミリーが去ったあとも中庭では緊張状態が続いていた。なぜなら公爵家の令息であるテオドールがその場に残ったからである。ミリー派の男子生徒は、テオドールが彼女を糾弾することに期待の眼差しを向け、対して女子生徒はオーレリアの平穏を祈ることしかできなかった。
テオドールは長く伸びたハニーブラウンの前髪の隙間から、しっかりとオーレリアを見て口を開いた。
「ベルメール公爵令嬢、貴女にもお話を伺わなければなりません。ここではなんですから、場所を移動しませんか?」
「構いませんわ」
透き通った深く青い瞳で、オーレリアを冷たく見下ろしているようにも見えるテオドールに、周囲の生徒は震える。多くの生徒は、テオドールさえもミリーの味方についたのだと悟っただろう。
テオドールはオーレリアの手を取り、そのまま中庭の奥にある庭園へと進んだ。未婚の男女二人組、テオドールには婚約者がまだいないのだが、王太子の婚約者であるオーレリアと二人きりで話すわけにはいかない。そこでオーレリア側から信頼のできる使用人を呼び、三人以外誰もいないガーデンテラス席で話をすることになった。
「それで、あの子爵令嬢は何故恥を知らずに泣き喚いていたんですか?」
そのテオドールの第一声に、オーレリアは思わずキョトンとしてしまう。オーレリアが驚いたのは、テオドールがミリーに対し恥知らずだとあまりにも冷めた声で言うからだ。いけない。淑女たるものいつでも冷静に、表情に出してはならないと即座に取り繕う。その様子を見たテオドールは、ほんの少しだけ口角を上げた。
「そう。貴族は感情を表に出すことを控えなければなりません。あなたがいつも心がけているように」
「申し訳ありません、少し驚いてしまって」
「いえ、あなたを咎めたいわけではないのです。それにベルメール家とシュルツ家に今のところ確執などないですし、表情を読み合う必要もないでしょう。楽にしてもらっても構いません。しかし、なぜ驚いたんですか?」
「いえ、それは…失礼ながらシュルツ公爵令息もまた、ミリー嬢を庇うのではないかと思っていたからですわ」
「それは両方の意見を聞いてみないと分からないでしょう」
「そうですか…そうお考えの方もいらっしゃるのですね」
オーレリアは心底驚いた。この学園の男子生徒のほとんどはミリーの言い分を信じ、コソコソと陰口を叩いていたからだ。
一方でテオドールは、オーレリアが自分のことを"シュルツ公爵令息"と仰々しく呼ぶことに感心していた。いや、親しくなく家格が同等の者同士であれば当たり前のことだ。しかし、最近ではその当たり前のことができない者が生徒会周辺をうろついている。テオドールは一切愛称で呼ぶ事は許していないにも関わらず、ミリーは初対面からテオドールのことを"テオ様"と呼んでいた。ミリーは愛称で呼ぶのに、家格が同等のオーレリアが仰々しいのもなんだか違和感である。愛称はともかく、公の場ではないので名前で呼ぶくらいは構わないだろうと、テオドールはオーレリアにそう言った。そしていよいよ本題に入る。
「オーレリア様がミリー嬢をいじめているという噂を耳にしてから、生徒会役員として一度お話ができればと思っていたのです。しかし、今までなかなか機会が作れず大変申し訳ない」
突然頭を下げたテオドールに、オーレリアはどうか顔を上げて欲しいと慌てる。テオドールは顔を上げた瞬間に少しだけ眩暈を感じて咄嗟に眉間を指で押さえた。疲労が蓄積しているのだろう。オーレリアに心配をかけないためにもすぐに平静を装った。
テオドールの家は、代々王室の近衛師団団長を輩出している名家である。現団長であり、テオドールの兄、アルノー・シュルツは、王族直轄にしては珍しく実力主義の近衛師団で勝ち上がった男だ。ちなみに完全実力主義の風潮を作り出したのは、歴代シュルツ家当主であった。もちろんシュルツ家の当主もまた実力で決まる。
周囲の貴族達は、当然近衛師団団長のアルノーが次期当主だと思っていた。なぜなら現当主も、かつては近衛師団団長だったからだ。テオドールもそこそこの剣の使い手であったが、それよりも頭が切れる男であった。アルノーはその点弟のことを尊敬しており、自分が当主をやるよりも、弟が領地を治めた方が断然良いと早々に相続を放棄しようとした。とはいえ、当時まだテオドールは子どもで多感な年頃であったため、"もしもの時"を考えた父の判断により正式には放棄されていない。
一体そのことをどこから嗅ぎつけたのか、ミリーは王太子のサイラスだけでなく、王族の話し相手であるテオドールと、アーレンス公爵令息のミハエルにも近づいた。
しかしこの頃、ミリーに執心し始めたサイラスの尻拭いのために、テオドールとミハエルは翻弄されていた。人とのコミュニケーションが得意なミハエルは、"サイラスがミリーと懇意にしている"という噂が広がるのを止めるべく、"最近貴族になったミリーに、国民を大事に思うサイラスが気をつかっている"という当たり障りのない噂を流して相殺した。それもあって、ミハエルは席を外していることが多く、ミリーとはほとんど鉢合わせることがなかった。
テオドールはというと、生徒会長であるサイラスがミリーに熱をあげて仕事をしなくなったため、滞っている生徒会の書類と家の仕事、そして学園生活を両立しながら、ミリーの襲撃に備えていた。先ほど中庭で生徒達が感じたオーレリアへの冷たい視線は、故意ではなく単なる過労による寝不足が原因でそう見えただけである。
ミハエルとテオドールは二人に振り回されているので、正直ミリーに対して良い印象はない。だからこそ、最初の頃はサイラスの婚約者であるオーレリアが、公爵家の令嬢としてガツンと彼女に言ってやってくれ!と心の中で願っていた。しかし、やがて聞こえてきた噂では、オーレリアがミリーをいじめているといった内容だった。ミハエルもテオドールも公爵家ではあるが、サイラスの幼い頃からの婚約者であるオーレリアとはそこまで交流はない。しかし、幼い頃から王妃となるべく教育を受けてきた彼女が、果たして陰湿ないじめをするのだろうかと疑問に思った。
テオドールは真っ先にサイラスにそのことを提言したが、「ミリーが嘘を言うはずがない」と取り付く島もなかった。
だったら直接彼女に話を聞こうとしたが、忙しすぎてなかなか予定が組めなかった。というのも、最近ではミリーの要望を叶えるために、ミハエルとテオドールは召使並にサイラスにこき使われていたからだ。それを咎めても横暴な態度を取られるだけ。ミリーのわがままの皺寄せがいつこちらに来るか分からない状況では、下手に先触れはできない。
だから今回はとてつもないチャンスだった。しかし、その現場を直に見ると、公爵令嬢の立場でものを言っても余計に騒ぎを大きくするだけだとテオドールは悟った。現に"みっともない"と注意しただけのオーレリアの言葉に、ミリーは過剰に反応してさらに声を上げてわんわん泣いていた。
テオドールとミハエルがミリーの令嬢らしくない振る舞いに気を取られている隙に、サイラスは騒ぐ彼女の元へと向かった。しまった、と思ったが口が上手いミハエルがなんとか二人を宥める。いつもはミリーの"サイ様"呼びにミハエルは苦言を呈するが、そんな暇もなかった。ほとんど手遅れではあるが、これ以上この国の王太子の戯言を他の生徒に聞かせるわけにはいかないからだ。
話は戻るが、そういった事情をオーレリアは知らないので、テオドールに"今後はミリーに近づくな"とでも言われるものだと思っていた。
「いろいろと事情がおありのようですね。先ほども申し上げましたが、私は何もしておりませんわ。勝手にあの女子生徒が私の目の前で転んだのです」
「そうですか。目撃者でもいれば良いのですが…いや、目撃していても偽証する可能性が高いですかね」
テオドールはあの場にいた男子生徒と女子生徒の様子を思い出す。目撃した者がいたとしても、男子生徒はミリーを、女子生徒はオーレリアを擁護することは目に見えていた。
「まあ、彼女が倒れた方向と貴女が立っていた場所から考えれば、突き飛ばした可能性は低いでしょうし」
「え?」
「ちなみに昨日の15時、授業が終わって1時間ほど経った頃、どこにいらっしゃいましたか?」
「王宮で王妃教育を受けておりましたわ」
「それは毎日行っていますか?」
「ええ、もちろんです。王宮に確認すれば分かることですわ」
「なるほど。ご協力感謝します、オーレリア様」
テオドールは聞いた内容をメモに取ると、少し納得した表情をしつつ、しばらく考えるそぶりを見せた。オーレリアは結局自分が疑われているのか、そうでないのか分からず不安になる。
「そう不安にならなくても大丈夫ですよ」
「…へ?あ、いえ、なぜ不安になっているとお思いに?また表情に出ていたのかしら」
「いえ、なんとなくそう思っただけです。雰囲気と言いますか。しかしオーレリア様の嫌疑は晴れましたからご安心ください」
「なぜあれだけの質問でそのように判断されたのですか?」
「一つは先ほどの騒動で、オーレリア様から見てミリー嬢は横向きに倒れていたでしょう?」
「ええ、私の前に滑り込むように倒れてきましたわよ」
「でも彼女は貴女に"後ろから突き飛ばされた"と言ったんです」
「…あ、もし後ろから突き飛ばしたらそのまま倒れるから、身体は横向きにはならないわ」
「その時からおかしいとは思っていたので、それでオーレリア様の王妃教育のお話を聞いて確信しました」
ミリーが生徒会室まで泣きに来るのは必ず放課後であった。ずぶ濡れ状態であったり、泥まみれであったり、オーレリアにいじめられてすぐに駆けつけました、というシチュエーションが多い。
一方でオーレリアは、放課後になると直ぐに迎えが来て、王宮にて王妃教育を受けていた。その事については王宮の者に言質を取ればそれが嘘でない事が分かる。つまりオーレリアにミリーをいじめる暇などないのだ。
「お気に病まないでください。こちらでも対処してみますから」
「なぜ貴方がそこまでするのです?」
「この国の公爵家に生まれた者としての義務ですよ。王太子殿下が子爵令嬢に熱をあげて彼女を王妃になんて言い出したら、国が傾きかねませんからね。私やミハエルが忠告しても殿下の耳には届かないので、もう少し踏み込んでみようと思います」
テオドールは紅茶を飲んで一息つくと、オーレリアに礼を言って席を立った。直ぐにシュルツ家に向い、このことを父と兄のアルノーに報告するためだ。国家を支える四大貴族のシュルツ家から正式に抗議すれば、国王も無視はできなくなる。
◇◇◇
王国貴族学園は18歳で卒業を迎える。あの騒動から一年、相変わらずミリーは逆ハーレムを築き上げており、サイラスは周囲の令息を牽制するのに忙しくしていた。通常は婚約者にドレスを贈るのだが、サイラスはそれを怠り、ミリーへドレスをプレゼントした。
あれから何度もテオドールとミハエルはサイラスを諌めたが、サイラスは二人がミリーに好意を抱いているから煩わしいことを言うのだと思い込み、生徒会から追い出した。
国王は息子の愚行を聞くなり呼び出して説教をしたが、サイラスはそれを立ち塞がる恋の弊害だと捉え、「愛の力で乗り越えてみせる」と恋に熱中させる火種にしかならなかった。
国王に呼び出されたのはサイラスだけではない。これ以上サイラスを諭すのは難しいと感じた国王は、ミリーの父、ネイト子爵を呼び出した。ミリーがサイラスを籠絡していることを知らされた子爵は顔を真っ青にさせて平謝りした。
子爵は直ぐに学園の寮にいるミリーを呼び戻して驚愕する。学を身につけ、家を任せられるようにと学園に送り出したのに、貴族としてのマナーもなっていない。さらにサイラスを籠絡したことについては、全く反省した様子が見られなかった。
そこで子爵はミリーに、これ以上王太子殿下に近づくなら学園を辞めさせると脅した。ミリーも自分に都合の良い学園に居られなくなるのは嫌だったのか、素直に謝罪し、その後は表立ってオーレリアからいじめられているフリをしたり、サイラスと会う事はなくなった。これにより一件落着かと思われていたが、表立つことをしなくなっただけで、ミリーはサイラスや他の令息とも卒業まで密会を続けていた。
卒業パーティーではギスギスした雰囲気が漂う。最近ではミリーの方に目立った行動はないが、婚約者が相も変わらず彼女に熱を上げているからだろう。婚約者のいないテオドールは場違い感が強く、早くパーティーが終わって欲しいと思いながら会場の隅で飲み物を飲んでいた。
すると先ほど入場したミハエルが、婚約者を連れて満面の笑みでテオドールに近づいてくる。
「お二人は平和だな。あ、卒業おめでとうミハエル、それにシンイー嬢は素敵なドレスですね」
「おいおい、挨拶の前に心の声が漏れてるぞ。だがお前もおめでとう」
「おめでとうございます。テオドール様」
二人は仲睦まじく微笑む。この学園で仲が拗れていないカップルはもはや絶滅危惧種だ。ミハエルがミリーに傾倒しなかったのは、家同士の婚約とはいえミハエルがシンイーを、シンイーがミハエルを尊重し、愛しているからである。
以前、ミリーが婚約者のいる男性を籠絡しているという噂を聞いたシンイーは、「ミハエルもミリーのことが好きなのか」と健気に本人へ直接聞いたことがあった。その哀しげな表情を見たミハエルは、二度とシンイーにこのような哀しい顔はさせまいと誓った。そしてシンイーの心を乱した噂の根源を呪った。
テオドールはあのとき、天使のような顔立ちでいつも余裕のあるミハエルが、怒りに満ちて悪魔のような顔になっていたことは一生忘れないだろう。お願いだから堕天しないで欲しいと思ったものだ。
「しかし、テオドールも早く婚約者を見つけた方がいいんじゃないか?まさかエスコートの相手もいないとは」
「立場的にそう簡単に相手を決められないからな。次男とはいえ下手すりゃ政治や経済に影響するし…それに、条件の良い結婚話は全て兄に行ってるから」
「アルノー様はもはや結婚する気も家を継ぐ気もないんだろう?自分が後継者だって発表したら良いだろうに」
「そうすると、兄に来ていた手紙がそのままこちらに流れてくるだろうな。それはそれでなんだか…」
危うく失礼なことを言いそうになり、テオドールは慌てて口をつぐむ。その様子に、ミハエルはなんとなく気持ちが分からないでもなかった。しかもこの学園の様子を間近に見ていると、結婚相手探しに気が乗らないのも頷ける。
「どうかテオドール様が良きご縁に恵まれますよう、お祈りしますわ」
「おや、シンイー嬢、俺のためにありがとうございます」
「お前のためではない決して」
「はは、分かっているよ。おおげさな」
「いいか、シンイーは俺がお前の心配をしているのを見て、心苦しくなって俺のために祈ってくれたんだ」
「はいはい…おや、あれはオーレリア様じゃないか?」
どうにもミハエルはシンイーの事となると冷静でいられないようだ。テオドールがミハエルを適当にあしらっていると、突然周囲がざわついたのでそちらを見れば、オーレリアが一人で入場していた。どこを見てもサイラスの姿はない。
「ミリー嬢もまだ来ていないな。最悪だ」
「まさかまだ関係が続いていたとは…生徒会を追い出されてから詳しくは分からないが、確か公爵令嬢と何度かお茶をして関係回復に努めていると聞いていたが」
「俺もそう聞いていた。ちょっと彼女のエスコートをしてくるよ」
「ああそれがいい。あまりに可哀想だ。少なくとも会場にいる者達はエスコートの意味を分かってくれるだろうさ」
本来なら婚約者のいる女性に、無関係の男性がエスコートをしてはならない。ただし相手が別の女性を連れて出てくる可能性があるならば、同じ公爵家の人間として彼女の尊厳を守らなければならない。彼女に非がないなら尚更である。
「失礼。オーレリア様、どうか私にエスコートをさせてください」
「テオドール様…ええ、お願いしますわ」
オーレリアは相変わらず表情には出していないが、テオドールはそれとなくホッとしたかのような印象を彼女から感じ取った。関係が回復してきていると思っていた婚約者が現れなかったのだ。よほど不安な思いをしただろう。
そのとき、盛大なファンファーレが鳴り響いた。サイラスの入場だ。誰もが予想した通り、サイラスの手をとっているのはミリーであった。
テオドールがハッと隣にいるオーレリアを見ると、顔を真っ青にして薄い唇を震わせていた。オーレリアもまた、彼が自分の元へ現れなかった時点で覚悟はしていたのだろう。しかし、サイラスの瞳の色の美しいドレスを纏ったミリーを見た途端、受け止めきれなくなったのかもしれない。
ふとよろけるオーレリアを、テオドールは咄嗟に支える。そんなオーレリアの気持ちさえ分からないのか、サイラスは入場してそのままオーレリアの元へ足を運んだ。まるで隣のミリーを見せつけるように。
「私、サイラス・ザイデルは王太子の名の元にオーレリア・ベルメールとの婚約を破棄することをここに宣言する!!そして新たにミリー・ネイト子爵令嬢を婚約者とする」
サイラスのその言葉に、会場は一瞬で静かになる。サイラスはなぜか得意げで、ミリーはサイラスに寄りかかって不安そうな表情をしているが、オーレリアに対しては侮蔑の目を向けていた。
それだけに終わらず、サイラスは罵詈雑言をオーレリアに浴びせた。あまりにひどい言葉なのでそれらを省略して彼の言い分をまとめると、オーレリアがミリーに酷いいじめを行ったから、彼女を国外追放すると言っているようだ。
オーレリアは悪意を面と向かって向けられたことで、それらをすぐに否定できないほどのショックを受けて顔を真っ青にしている。それを見かねたテオドールはつい口を挟んでしまった。
「王太子殿下、オーレリア様が行ったといういじめは、ミリー嬢の虚言であったことをお忘れですか?それは国王陛下もご存知のはずです」
「嘘なはずがないだろう!」
「彼女がいじめを受けたとき、オーレリア様は王妃教育を受けてましたが」
「あの時はオーレリアの取り巻きがやったのよ!」
「オーレリア様に取り巻きと言われる方などおりません。それに彼女は公爵令嬢として他のご令嬢をしっかりと統率しています。一年前の中庭の騒動でどのご令嬢も口を出さなかったのは、彼女がそれを望んでいたからです。もし他のご令嬢と一緒にいじめているのであれば、あの時だってオーレリア様一人でいることはないですし、自ら手を汚しはしないでしょう。それに不貞を働いたのは殿下とミリー嬢ですよ。お二人が罰せられるのならばまだしも、オーレリア様が罰を受けるのは釈然としません」
会場にいる全ての女性が頷き、非難の目をサイラスとミリーに向ける。
しかし恋に盲目になっているサイラスは、自分やミリーに不都合なことには耳を貸さなかった。それどころか今度はテオドールに対して揚げ足を取ろうとする始末である。
「お前こそなんなのだ。やたらとオーレリアの肩を持っているし、エスコートもしているようだ。二人こそできているのではないか?」
「て、テオドール様は関係ありませんわ!」
「ほう、名前で呼び合う仲か」
ニヤリとサイラスはしてやったりといわんばかりの笑みを浮かべる。しかしテオドールはそんなことは気にせず、ずっと黙っていたオーレリアが自分のために言葉を発するとは思わなかったので、そちらに驚いていた。
「愛称ならともかく…同じ公爵家の人間ですから、名前で呼んだとしても別に不思議ではありません。婚約者がいるにもかかわらず、他の女性に愛称を呼ばせるほうがどうかと思いますけどね」
「なんだと!だったらなぜこんな能面のような女のエスコートをしているのだ。恋仲でもなければこのような女に構うはずがない!」
「王太子殿下であっても、公爵令嬢に対して不遜ですよ。彼女がどこぞの殿下にエスコートされず、一人で入場されたから私がエスコート役を買って出たのです。女性を、しかも公爵家のご令嬢を一人にはできませんからね。とはいえ、相手が公爵家だと下手に話しかける事はできないでしょうから、私が名乗り出たのです」
「うそだ!」
「オーレリア様が入場された時の状況や、その後私がエスコート役を買って出た様子はこの会場にいる皆が見ています」
遠回しに"仕方がないからエスコート役を引き受けた"というような言い方は、オーレリアには失礼に聞こえたかもしれない。かと言って不貞疑惑は彼女にとってよろしくないし、これだけ言っても聞かない相手にはきっぱりという他ない。
現にサイラスは言葉に詰り、それ以上反論ができないようである。
「そもそも王太子殿下。彼女との婚約は国王陛下の名の元に結ばれたものであるはず。それを覆す権利は殿下にはありません」
「そんなはずはない!私はこの国の王太子だぞ!!」
「それでは今直ぐ王宮に行かれて、このことを国王陛下に報告し、正式に婚約破棄をするとよいでしょう」
「…!クソ。行くぞ、ミリー!!」
「え、ちょっと待ってよサイさまぁ〜!せっかくのパーティーなのにぃ」
サイラスは激昂したまま会場を後にした。あれが王太子だなんて世も末である。会場の皆が、男子生徒でさえ少しは現実が見えたのかそう思った。
しばらくテオドールはサイラスが去ったあとを見ていたが、ふとオーレリアが隣にいたことを思い出す。隣にいるというよりも、オーレリアが倒れないようにずっと腰を支えていたので、0距離で引っ付いている状態だ。このまま不躾に引っつかれたままでいるわけにもいかない。オーレリアは未来の王妃に選ばれるだけあって、美しく魅力的な女性であるので、この状態はテオドールにとっても精神衛生的に宜しくなかった。
「オーレリア様、あちらに参りましょう」
「え、ええ」
オーレリアはいつもの表情だが明らかに顔色は悪いし、足元もおぼつかない。
彼女は学園で冷たい女だとよく言われていた。その理由は厳しい王妃教育の末、どんなときでも表情を崩さなくなったことが要因となっている。サイラスはそんな彼女ををつまらない女だと思っていた。そのような時に出会ったのが表情豊かなミリーである。
オーレリアのように完璧に表情管理ができる令嬢は少ないが、家格が上であればあるほど、やはりそういった訓練を徹底しているので、ある程度表情管理ができる令嬢は多い。それゆえに、その令嬢の婚約者もまた感情むき出しのミリーに惹かれたのだ。
特に表情管理が得意なオーレリアは、男子生徒から陰で冷たい女呼ばわりされていた。やたら位が高いせいで同性の友人もいないため、雑談で笑う機会などもなく、いつも同じ表情て過ごしていた。ただ彼女に憧れる女子生徒から声援を受けると、微笑んで手を振っていたため、女子生徒からはそのように侮蔑されることはなかった。
しかし、オーレリアが狼狽えている様子を見て、令嬢にも心があるのだとやっと思い知ったのか、その後ミリーに傾倒していた男子生徒のほとんどが、正式に婚約者へ謝罪したのだとか。しかし肝心のサイラスが、オーレリアに謝罪するのは望み薄である。
「オーレリア様、お気を確かに。先ほど迎えの馬車を呼びました。あなたはこれから帰宅し、ベルメール公爵閣下に先程のことをご報告しなければなりません」
「そ、そうですわね…」
「公爵閣下はご在宅ですか?」
「ええ、そのはずよ」
「差し支えなければ私の方から閣下にご説明します。顔色が悪いですから、早く休まれた方がよろしいでしょう」
それから直ぐに馬車が来てテオドールはオーレリアとともにベルメール公爵家へと向かった。王太子もオーレリアも去ったが、会場は騒然としたままであった。それもこれも、サイラスに買収された教師が騒動を迅速に止めなかったからである。程なくしてミハエルとシンイーもまた会場をあとにした。