8. 魔族の救世主
「血の匂い……人間の血の方が濃く感じる。子どもたちしか居ない筈だけど、返り討ちにしたというの?」
ルドベキア帝国西の洞穴・通称"鳥人の巣"ーー絶滅の危機に瀕した鳥人たちの住処はつい先日、勇者の卵たちによって襲撃を受けたという。
杖と魔導書を携えた魔族の少女は、まだ血生臭さの残る洞穴内を奥へと進んで行く。
「あ! 魔導姫ミスティ様だ」
「私たちを助けに来てくれたんだっ!」
「ミスティ姉ちゃん!」
青天井の広い空間に到達すると、幼い鳥人たちが彼女の元へと飛び集まってきた。
ミスティと呼ばれる少女は鳥人のような弱小魔族を勇者の魔の手から救うために旅をしており、この洞穴にも定期的に訪れている。
「大変なの! クイルお姉ちゃんが……」
1人の幼女に連れられて洞穴の奥へ向かうと、そこには藁布団の上で横たわる両翼の欠けた少女の姿があった。
「包帯? あなたたちが処置したの?」
「ううん、人間のお姉ちゃんがしてくれたんだ」
「人間が……?」
彼女たちは勇者を志す人間たちによって襲われた筈だが、何故その人間が傷つけた魔族に手当てなど施したのか? ミスティは不思議で仕方がなかった。
「ん……あ、あなたは⁉︎ 来てくださったのですね!」
彼女の気配を感じた鳥人の少女・クイルは目を覚まし、救世主の訪れに歓喜の表情を浮かべる。
「待って! そんな大怪我で動いちゃダメよ。傷口を見せて?」
痛みを我慢するクイルの両肩から丁寧に巻かれた包帯を外していくミスティ。応急処置は完璧で、傷口は壊死なども起こさず完全に血が止まっている。
「蜥蜴尾」
ミスティはクイルの体に手を触れて肉体再生の呪文を唱えた。
「私程度の魔力だと元通りに生えてくるまで3日はかかるわ。それまでは私がここを守るから、安心して休んでね」
「ありがとうございます、ミスティ様!」
クイルは再び藁布団に倒れ込み寝ようとするが、両肩の患部から骨や筋肉が徐々に盛り上がってくる言葉では何とも表現し難い感覚に中々眠れず、寧ろ頭が冴えきっていた。
「これは……墓?」
ミスティは盛られた土の上に墓標のように置かれた大きな石を発見し、近づいて調べた。
「それは私たちを殺そうとした人間の墓です。私を助けてくれた女性にとって、大切な人だったみたいで……」
眠れないクイルは墓石の前で首を傾げるミスティの背中に向かって、この場所で起こったありのままの出来事を話し始めた。
「先日、私たちの住処に3人の若者たちが足を踏み入れました。彼らの目的は私たち鳥人の羽。勇者になるための試験に合格するためにそれが必要だと言うことは、毎年のことなので知っていました。しかし、今はもう人間とまともに戦える者など残っていない……だから、羽を差し出す代わりに命を助けてもらえないかと交渉を持ち掛けたのです」
「成程、それは賢明な判断だわ。クイル、あなたはまだとても若いのに、一族の年長者として立派にここを守っていたのね」
「そんな、勿体ないお言葉ですわっ」
救世主と仰ぐ憧れの存在から褒められ、顔を赤らめるクイル。
「続きをお話ししますね。3人のうちの2人は私の提案に剣を納めてくれた。けれども、1人だけは違った。ヒロという名の少年は、命を乞う私の両腕を容赦なく斬り落としたのです……」
「クイルお姉ちゃん!大丈夫?」
その時の光景を思い出し、恐怖が込み上げて言葉に詰まるクイル。
「無理しなくてもいいわ。そんなに酷い目に遭わされて、さぞ怖かったでしょう」
「いいえ、大丈夫です。これはミスティ様に伝えておかなくてはならないことですから」
幼い鳥人たちから心配そうに見守られながら、クイルは話を続ける。
「鬼に取り憑かれたかのような凶暴性を剥き出しにした少年は私にとどめを刺そうとしましたが、それを止めたのはリリカという少女でした」
「あなたの傷を手当てして、この墓を作った人物ね。それにしても、珍しい人間もいるものね」
「私の味方をしてくれたのは彼女だけじゃないわ。リリカも私も、ヒロの振り翳す凶刃に命を奪われそうになったけれど、それを止めたのはもう1人の少年だった……」
「3人のうち、2人も味方をしてくれたっていうの?」
その事実はミスティにとって衝撃的だった。これまで彼女が目にしてきた人間は皆、魔族を虐げ惨殺する悪魔のような者たちばかりだったからだ。
「仲間同士であった筈の彼らは対立し、命を奪い合い始めた。そして、ユウシという少年がヒロに勝利したの」
「この墓に埋まっているのは敗れたヒロという少年ね。それにしても、自分たちを殺そうとした者の墓を住処に作られては迷惑極まりないわよね? 今すぐ地中の骸ごと消し去ってあげる……」
「待って! それは私の命の恩人の想いが籠った墓。だから、残してあげて欲しいの!」
クイルの言葉はミスティにとって意外なものだった。彼女には、クイルが自分の翼を奪った人間を許せる気持ちが理解できなかったのだ。
「あなたがそう言うのなら、やめておくね」
「ありがとう……」
ミスティは鳥人の少女たちを助けた2人の人間に興味を持ち始めた。
「ねえ、あなたを助けた人間たちはどこへ行ったの?」
「少年の方は、仲間を殺めてしまったショックでどこかへと姿を眩ませてしまいました。少女は私の傷に処置を施し、ここに亡くなった少年を弔った後で姿を消しました」
「ユウシにリリカか。会ってみたくなったわ」
魔族が正義なら、人間は絶対悪の存在だと信じてきたミスティ。2人の"異分子"の存在を知り、彼女は彼らのことばかりで頭が一杯になった。
ーーそれから3日後。両翼が完治したクイルたちに見送られながら、ミスティは鳥人の巣を旅立った。邪悪ではない人間が実在するのかを自分の目で見極めるために。