32. 薬師仙人
太陽が天の最も高い位置へと昇る頃ーー帝国領北部に聳える雷岳フォルゴレの険しい山道を登る1人の男の姿があった。
「我が帝国に伝わる歴史に沿って考えれば、獣王族の末裔が訪れるのはこの場所以外に考えられない」
幼き頃より競い合ってきた長年の戦友がこの世を去ったことなど露知らず、もう1人の英雄ダフネ=オドラは獣人族に雷を操る力を授ける伝説の秘宝・雷神槍が眠る山頂を目指していた。
「これは……既に手遅れか?」
ダフネは道中で大破した柵を目にして歩調を速めた。
「いや、伝承によれば獣王族の長となるための儀式には3日間を要する。もし彼が先に辿り着いていたとしても、まだその最中のはずだ!」
もし彼が儀式の途中であったとすれば、雷神槍を手に雷を浴び続けている無防備な状態へ一方的にとどめを刺すことができる。
獣王と化した彼の強さを一度目の当たりにしているダフネには、その方がかえって好都合かもしれないと思えた。
「あれは……」
山頂を踏み締めた彼が目にしたのは、空を覆う雷雲から放たれる幾つもの稲妻を浴びて青白く輝く神々しい一本槍であった。
岩に突き刺さったそれは、まるで持ち主を待ち侘びるかのようにぽつんと佇んでいる。
「先回りできたか。それとも、彼がここに来るということは見当違いだったか……」
ダフネはいざ山頂に着いてみると、レオンがその場にいないことに不思議と安堵していた。
彼は帝国が"危険度5"に指定する獣王族の生き残りであり、愛娘ダリアを騙して心に傷を負わせた張本人だが、人の心に目覚めつつあったこともまた事実であり、ダフネにとっては同情の余地が大いにあった。
「ここで待っていれば来るだろうか。だが、もしいくら待っても来なかったとしたら、時間を無駄にしてしまうことになる。どうする……」
手頃な岩に腰掛け、ダフネはこれからどうするべきか自分に問いかけ始めた。
「よく考えろ、ダフネ。迷った時は事の本質を考えるんだ。一番の問題は、何だ? 一番の問題は……そうだ。獣王レオンが雷を操る力を得て我々の手に負えない強さを手に入れてしまうことに他ならない!」
ダフネは立ち上がると、岩に突き刺さる雷神槍へと近づいて剣型EXカリバーを起動した。
「この槍を破壊してしまえば彼が後からここまで来ても無駄足にすることができる」
雷を浴びながら光り輝く槍の柄を聖剣で斬りつけるダフネ。
「そんな……高密度の光源αの刃で斬れないものなどこの世に殆ど存在しないはずなのに」
しかし、どれだけ力を込めて斬りつけても槍には一切影響がなく、そこに真っ直ぐと突き立ったまま雷を受け続けていた。
「いや、待てよ? 確か、伝説の勇者たちは獣王を倒した時にこの槍を用いたという説もある。案外人間でも扱えてしまう代物なのか……?」
破壊できないのなら、その場から持ち出してしまえばいい。そう考えたダフネは雷神槍の傷一つついていない柄に手を伸ばす。
「待ちなさい!」
彼が槍に触れる寸前で、雷鳴を掻き消すかの如く何者かの怒声が響き渡った。
「それは人間なんかが扱えるようなものじゃないわ。触れば一瞬で雷に身を焼かれて黒炭になってしまうのがオチよ」
ダフネが後ろを振り返ると、蝶のように美しく光り輝くオーラのようなものを纏った女性の姿があった。
彼には何故かその姿や声がどこか懐かしく感じられ、自らの記憶を必死で探ろうとするがそれが誰なのかわからなかった。
「何者だ?」
思い出すことを諦めたダフネは謎の女性に問いかける。
「何者……か。あなたの命の恩人……とでも言っておこうかしら?」
「ふざけるな! ………くっ」
まともに名乗ろうとしない彼女に対し怒りを露わにするも、彼女に命を救われたことは紛れもない事実であり、ダフネはそれ以上何も言えなくなってしまった。
「これであなたの命を助けるのは2度目ね。まあ、1度目は昔過ぎてはっきりとは覚えていないでしょうけど」
彼はもう一度記憶の断片を拾い上げながら彼女の存在を探したが、どこにも見つかる気配はない。
「まあいいわ。そんなことより、あなたはある人……いや、厳密には人じゃない"彼"のことを探してここまで来たんでしょう?」
「なぜそれを?」
「これは女の勘よ」
彼女の目を見ていると、瞳の窓から心の中を全て覗かれているかのような感覚に陥り、彼は慌てて視線を足元の小石へと移した。
「私の勘も凄いけど、あなたの勘もなかなかのものよ。彼なら一度ここへ来たんですもの。でも、一足遅かったわね。もうとっくに去ってしまったわ」
「どこへ行ったか知っているのか?」
「さあね。きっと今教えたとしても、あなたがそこへ向かう頃にはまたいなくなっているでしょう。だから教えても無駄」
「だったらその次の行き先を……」
「私は万物を知る神じゃないから、そこまではわからないわ。自力でここまで辿り着けたあなたなら、追い続けていればきっとまた出会えるはずよ」
涼しげな顔で言う彼女は、自分が求めるその先の答えを本当は知っているのではないか……彼にはそんな気がしてならなかった。
「君は私を助けたと思ったら、大事な情報は濁して言おうとしなかったり……味方なのか? それとも、敵か?」
「随分と幼い質問ね。世の中の全ての存在が敵か味方かで綺麗に二分できるわけじゃない……あなたくらい長く生きてればわかることでしょう?」
呆れた表情を浮かべ、彼女は乾いた笑い声を発した。
「まあ、善悪を綺麗に二分することはできないなんて偉そうなことを言ったけど、それと同じように完璧な中立を貫くこともまた難しいこと。私は誰の敵にも味方にもならずに世界の"傍観者"であろうと願った……けれどもこの世に存在するからには誰かや何かに対して少なからず何らかの影響を及ぼしてしまうもの。だから私のやりたいと思ったことや正しいと思ったことをやることにしたの」
「世界の傍観者?」
「そう。私は本来この時代に生きるべき者ではない。だから、極力今を生きる者たちに干渉せぬよう"待ち人"が現れるのまでひっそりと生きて待つつもりだった」
「待ち人だって? 一体さっきから何を言ってるんだ?」
彼女の口から次々に飛び出す情報に脳が追いつかず困惑するダフネ。
「色々と言い過ぎたわね。1000年も1人で生きていると、時々こうやって無性に自分語りがしたくなるの」
20代後半に見える彼女が1000年も生きてきたということは俄には信じられなかったが、その落ち着き払った物腰と掴みどころのない浮世離れした雰囲気はその言葉に完全否定できないような妙な説得力を持たせていた。
「さて、その"待ち人"について訊きたいことがあるんだけど、あなたは私が待つ"本物の勇者"の居場所を知っているんじゃないかしら?」
「本物の勇者だと? それは正統なる勇者の血筋にある王家の者。即ち、勇者皇帝ポトス陛下と王弟アルセア殿下こそが現代に生きる本物の勇者だ」
「いいや、彼らは1000年前にいた本物の勇者の血を引く"ただの子孫"に過ぎないわ。私は勇者の素質、退魔の力を生まれながらに持った人物について尋ねているの。帝国の幹部なら何か知っているんじゃないかしら?」
先代の皇帝の側近だったダフネは王族が勇者の力を持たないことを知っている数少ない人物であった。
しかし、本物の勇者がこの世に生まれたということについては一切心当たりがなかった。
「なぜそう断言できる? それも女の勘というやつか?」
「違うわ。これは女の勘なんかじゃない。"蝶の知らせ"よ」
蝶の知らせーーその言葉を聞いて、ダフネの表情は一変した。
「……真の勇者は確かにこの時代に存在した。だが、今はもういない。これ以上首を突っ込めば魔族でなくとも容赦できないぞ?」
「口封じかしら? だったら試しに斬ってみれば?」
鬼のような形相に豹変したダフネを余裕の態度で挑発する彼女。彼は光の剣を起動し、喉元に切先を向けた。
「あなたが2度も命を救った恩人を殺せるような非紳士には思えないけど、余程重要な国家機密なのかしら?」
「ああ。俺の命2回分程度では賄えないくらいのな」
目を閉じてひと思いに剣を振るうダフネ。身を斬った感触が手に伝わり、恐る恐る瞼を開く。
「なっ……」
しかし、斬ったはずの女性は無傷でその場に立っていた。
「どうなっているんだ?」
「言い忘れてたけど、私は不死身なの。そんなことよりも、たった今どこか遠くであなたの戦友が命を落としたみたい。一旦帝国に帰ることをお勧めするわ、"ダフぼうや"」
謎の女性はそう言い残すと、光る蝶の姿となって飛び去ってしまった。
「ダフぼうや……まさか、あの時の薬師か?」
懐かしい呼び方で漸くダフネは彼女のことを思い出した。
少年時代、習ったばかりの剣術を試そうと城下町を抜け出したダフネは魔族に襲われて負傷し、動けなくなってしまった。そこへ姿を現し、傷の治療をしてくれたのが彼女だった。
「1000年もあの姿で生きているということが事実なら、恐らく彼女が王弟殿下の言う薬師仙人に違いない。もっと早くに気付いていれば……」
自分に特命を下した王弟アルセアは、レオンよりもその師と推測される薬師仙人の方が目当てだ。まんまと逃してしまった自分を責め、ダフネは膝を突いて握った拳を何度も地面に叩きつけた。
詰めの甘さこそがダフネの欠点であり、昔からそれによってライバルであるナスタに差をつけられながらも、後を追いかける形で彼は今の地位まで何とか上り詰めてきたのだ。
自分の不甲斐ない姿を見ればナスタはきっと鼻で笑うだろうと思うと悔しさがこみ上げた。
「……待てよ? 命を落とした戦友というのはまさか」
ダフネはナスタの顔を思い浮かべているうちに、薬師仙人が言った"戦友が命を落とした"という言葉を漸く理解した。
彼は立ち上がり膝の土を払うと、無言のまま険しい山道を降りていった。




