27. アクアマリンの瞳
14年前のことーー帝国領の北のはずれに住んでいたエルダーという名の老魔族のもとへ、傷だらけの鬼人が訪れた。
彼は生後数ヶ月の赤子を連れており、エルダーに彼女の将来を託して息を引き取った。
「赤ちゃんだ!」
エルダーが連れていた幼子は、嬉しそうにその顔を覗き込んだ。
頭から大きな角を2本も生やした彼女の姿を恐れることもなく、赤子は青い宝石のような目をきらきらと輝かせながらにっこりと微笑んでいた。
「きれい……」
まだ2歳になったばかりの幼子は、吸い込まれそうな程に魅力的な澄んだ瞳に釘付けになっていた。
「赤い髪……土師族なら黒い瞳をしている筈だが、まさか」
「どうしたの?」
「いいや、綺麗な目をしているなと思って見惚れておったのじゃ」
老魔族は腕の中で微笑む赤子が秘めた魔力の強さを感じ取り、その子が"悪魔の子"であることを悟った。
「この子、何てーのかな?」
赤子の名前が気になった幼子は倒れている鬼人の元へ駆け寄り、聞き出そうと声をかけた。
「動かないよ?」
「ああ。人間にやられたんだ……可哀想に。墓を作り、弔ってやろう」
その時、まだ物心がつき始めたばかりの幼子は生まれて初めて"死"という概念に触れ、"人間"の恐ろしさを知った。
「ミスティよ。この子の名前は儂らでつけてあげよう……」
「お花! キラキラ! いちご!」
まだ言葉を十分に知らない彼女は思いつく限りの可愛い単語を並べたが、どれも名前にできそうなものではなかった。
「そうじゃな。藍玉のような瞳をしているから、"マリン"と名付けよう」
「えー? 短いー」
エルダーから"ミスティ=クラウン"の名を授けられていたミスティは、自分に比べて短すぎる名前に違和感を感じて文句を言う。
成長してから自分だけ姓を持たないのは可哀想だと思い、彼は咄嗟にフルネームを考えた。
「今日から君の名は、"マリン=ブラッド"じゃ」
「ブラッド?」
「その意味は、大きくなったらいずれわかるじゃろう……」
ーーー
「魔導姫ミスティ。貴様には特別に殺され方を選ばせてやろう」
洞穴内に響き渡る若い男の勝ち誇ったような声。
「光の剣に心臓を貫かれたいか、光の鞭で首を刎ねられたいか……さあ、どうする?」
ミスティは宿敵である人類の頂点に立つ男、勇者皇帝ポトスとの戦いの最中で我に帰った。
死を覚悟して目を閉じた際、何故か昔の光景が頭の中に浮かび、そのまま幼少期に戻ったような感覚に浸っていたが、皇帝の声に呼び戻されたのだ。
「あのまま殺してくれていたら、夢の世界に行けたかもしれないのに……」
現実に引き戻された彼女は残念そうに呟いた。
「……ミスティ」
もう一度夢を見ようと目を閉じると、遠くの方から微かに自分を呼ぶ声が聞こえてきた。
「……ミスティ、私が行くまでどうか無事でいて!」
それは、幼き頃より魔族復権の夢を実現するため苦楽を共に生きてきた親友であり、家族である大切な存在の声だった。
「まだよ。まだ死ぬ訳にはいかない!」
洞穴内は四方八方が岩肌に覆われており、露出している土は一切見当たらない。その上、そこへ外から辿り着くまでの道程は土巨人が通れないほどに狭い。
過去にも来たことがあるためこの場所の地形はよく知っており、マリンが能力を発揮できないことを踏まえた上で閉じ込め作戦を切り札にしていたのだが、彼女はそれに反して自分を助けに来てしまった……
ミスティは一度捨てた戦意を拾い上げ、先の壊れた杖を構えてポトスを睨んだ。
「そんな棒切れでまだ戦うつもりか?いいだろう」
勇者皇帝はミスティの選択を待たずして、EXカリバーを"悪魔の蔦"の形態へと変化させた。
「余はこちらの方が自分の名に合っていて好みなのだ……こっちは1人で十分。お前たちは後ろを警戒しろ!」
彼はマリンの存在に気付いてある訳ではなかったが、用心深い性格のため、後ろから敵の応援が来て挟み撃ちにされてしまわないようパインたちに指示を出した。
「杖が壊れていても、使える呪文ならまだあるわ!」
彼女が操る魔術は、杖を向けた対象に作用するものと、直接手で触れた対象に作用するものの2種類存在している。
勇者ダフネたちとの戦闘で用いた"氷槍"なら、空気中の水分を凍らせて直接触れた対象ーー即ち手に持った棒状のものを氷でコーティングして槍を作り出すという原理なので、杖の先端が壊れていても十分に力を発揮することができる。
ミスティは魔導書のページを捲り"氷槍"を使用しようとしたが、伸縮自在でどの方位からでも攻撃できる敵の武器を氷の槍で攻略する方法が思いつかず、詠唱を思いとどまった。
「どうした? 使える呪文があるんじゃなかったのか?」
皇帝ポトスは光の鞭をミスティ目掛けて振り下ろそうとする。
「"蛇縛"」
ミスティが土壇場で選択した呪文は、空気で対象を縛り付ける魔術だった。
「な、何だ?これはっ……」
ポトスは身動きが取れなくなり、鞭のように変化したEXカリバーの剣身はミスティに当たる前に地面に垂れてとぐろを巻いた。
「か、体が動かない……」
「息が……苦しいっ」
皇帝の後ろでは、パインとリリカも空気の大蛇に締め付けられて動けなくなっていた。
"蛇縛"は本来、杖で指定した対象を絞殺する呪文であるが、杖なしで発動した場合はその場にいる全員が死なない程度の強さで締め付けられてしまう。
それは術者も例外ではなく、ミスティは指先一つすら動かせない状態に陥っていた。
「もうすぐ……仲間が来るわ。そしたらあなたたちはお終いよ」
彼女はマリンが到着するまでの時間稼ぎとして、双方の動きを封じる呪文を選択したのだ。
「近づいてくる、足跡が……まさか?」
ミスティの耳に届いた足跡は、マリン1人だけのものではなかった。その更に遥か後ろから何者かの気配が迫って来るのを感じ、心の中にあった小さな期待が大きな不安に飲み込まれていった。
ーーー
その頃、アクアマリンの瞳を持つ"悪魔の子"は、暗く長い通路の先に射す淡い光ーーリリカが持つEXカリバーの光を目にした。
「もうすぐ着くわ。待ってて、ミスティ」
マリンは彼女の無事を願いながら、無心でその光の方向へと走った。




