17. 師との再会
天を覆う黒雲と轟く雷鳴の下、雷岳フォルゴレの険しい山肌を駆け上がる獣王族の若者がいた。
山頂付近には立ち入りを拒む柵が幾重にも作られているが、獣王の跳躍力の前には無駄に等しい。
そして、ルドベキア帝国の紋章が刻まれたそれらの障害物を目にするたび、伝承通りこの地に雷を呼ぶ神器が存在するという事実が肯定されていく。
「もうすぐだ。かつて先祖が振るったという絶大な力が……1000年前の勇者をも苦しめたという伝説の力が手に入る!」
空から降り注ぐ稲妻が集中する一点が視界の奥に見えて来ると、期待が膨らみ足取りが更に速まる。
伝説の槍を手にしたとしても、雷に耐えて力を自分のものにできるとは限らない。一族の中でも、真の獣王としての資質を備えた者でなければ雷に身を焼かれて黒炭と化してしまう。
もし自分が選ばれた者でなければ……?走り出した時にはそんな不安や恐れも心の中で渦巻いていたが、今となってはそのようなネガティブな思考も消し飛んでいた。
人類を滅ぼすか、自身が滅びるか。その運命を雷神槍に委ねる覚悟はもうできていた。
「あれは……どうなっているんだ?」
近づくにつれて雷を集める槍の輪郭がはっきりと見えてくると、レオンは目を疑った。
伝承通りならば、雷神槍は山頂の一番大きな岩に突き刺さっている筈だ。
しかし、視界に入ってきたのは、天を突き刺すように上を向いた状態の槍であった。
そう、何者かが岩から引き抜き、天に掲げていたのだ。
「僕よりも先に? 一体誰が……」
恐る恐る近寄っていくと、槍を持つ人影が鮮明に見えてくる。その姿は、レオンにとって見知った人物のものであった。
「し、師匠?」
「お久しぶりね」
雷神槍が引き寄せた落雷をその身に受けながら平然と立つ女性は、久々に再会した弟子の姿を見て笑みを浮かべた。
「何故こんなところに?」
「"蝶の知らせ"よ。あなたがこの槍を取りに来る……そんな気がしたの」
「それで、僕を止めに来たと言うわけですね」
「まあ、そんなところかな。でも、私はただ時間稼ぎをしているだけ。最終的にあなたのことを止めるのは私じゃない。これも……」
「"蝶の知らせ"ですか?」
「相変わらず利口で物分かりがいいわね」
レオンは師である彼女の言葉に、1人の少年の姿を思い浮かべた。自分を止めにやって来る者がいるとすれば、彼しかいないと。
「心当たりがあるんでしょ?」
「ええ、彼ならきっとここまで辿り着くでしょう。でも、例え誰が自分の前に立ちはだかろうと、この志を叶えるためならば容赦はしない。それはあなたが相手だとしても例外じゃない!」
「随分と意思は固いようね。まあ、私はあなたの味方もしないけど、敵対するつもりもない。あなたがこの槍に運命を託そうとしているように、私もあなたとあなたが言う"彼"との戦いに賭けてみたい……ただそれだけよ」
空に渦巻く暗雲から放たれた雷霆は雷神槍の刃から金属の柄を伝って彼女の全身を駆け巡り、眩い閃光を放っていた。
「今、あなたは味方にも敵にもならないと言った。それなら、何であの時僕を助けたのですか?」
「いい質問ね。でも、その答えは既に教えている筈よ?」
レオンはかつて同じ問いかけをしたことがあったらしいが、彼は覚えていなかった。
「まだ"彼"は到着しないみたいだし、昔話でもしましょうか」
思い出そうと虚空を見つめて頭を抱えるレオンを親のような眼差しで見守りながら、師は彼と出会った過去を懐かしんで微笑む。
「あれは今から17年も前のことだったかしら……」
* * *
2人が出会ったのは17年前のこと。まだ獣王族が僅かに生き残っていた時代だった。
彼らはその上質な毛皮を狙われ、帝国の勇者たちから悉く命を奪われていた。レオンが4歳になる頃にはたったの十数名しか生存しておらず、辺境の閉ざされた谷に集落を作って隠れるように暮らしていた。
しかし、その最後の砦も見つかってしまい、獣王族は命懸けで立ち向かったがたった数名の勇者によって次々の血祭りに上げられていった。
幼かったレオンは毛並みが未熟だった故に皮を剥がれることはなかったものの、成長後の報復を恐れた彼らのリーダーによって聖剣で胸を貫かれ死の淵に立たされてしまった。
「人類め、決して許さない……生まれ変わったら必ず皆殺しにしてやる」
勇者たちが去り、意識が薄れてゆく中で、幼少のレオンは死を覚悟した。
そんな彼の魂をこの世に繋ぎ止めたのは、救いの女神の声だった。
「あなたはまだ死ぬべき存在じゃない。どうか逝かないで……」
目を覚ますと、そこには蝶のように美しい女性の姿があった。彼女は確かにそこに存在しているのにも関わらず、まるで現世に生きていないような異様な雰囲気を纏っており、レオンには一目でただの人間ではないとわかった。
「あなたは何者なの? 人間でもなければ、魔族でもない。でも、僕を助けてくれた。魔族の味方なの?」
「私は"蝶人類"と呼ばれる者。魔族の味方でもなければ、人間の味方でもないわ」
「超人類? 魔族の味方じゃないなら、何で助けたの?」
「蝶人類っていうのは……そうね、わかりやすく言うと仙人みたいなものかな? そして、あなたを助けたのは魔族だからとか人間だからとかそんな理由じゃないわ」
「だったら何で?」
「それはね……"生くべき者を生かす"ことが私の生きる意味だから」
「何だか、よくわかんないや。でも、助けてくれてありがとう」
レオンは小さな体にかなりの深い傷を負っていたが、彼女の薬師としての技術によって一命を取り留めた。
彼が目を覚ましてからも数日間の看病を続け、完全に傷が治った頃、彼女はレオンに尋ねた。
「あなた、これからどうするつもり?」
「人間たちを皆殺しにする。父さんや母さんの仇を討つんだ」
「やっぱり、そう言うと思ってた。でも、よく聞いて。人間たちに復讐したい気持ちはあるかもしれないけど、勇者の帝国が幅を利かせている今は、未熟なまま挑んでも命を無駄にするだけ」
「それでも構わない! 1人でも多くの勇者を道連れにして死んでやるんだ!」
「早まらないで。血を血で洗うような選択をせっかく助けたあなたには取って欲しくない。もし、どうしても復讐がしたいと言うのならそれは仕方がないことだけど、大人になるまで待って欲しいの」
「大人になるまで? そんなの待ってられるか!今から十数年の間にも魔族は人間たちから虐げられて、いくつもの種族が僕たちと同じように滅ぼされてしまう……」
「でも、その運命をあなた1人では変えられない。無力な子どものうちは尚更ね。だから、せめて成長するまでは復讐じゃない他の生き方も経験して欲しいの。それでも他に生きる意味が見つからなかった時は、もう止めたりしないから」
「そこまで言うなら、わかったよ……」
「決まりね。それじゃあ今からあなたは私の弟子よ。まずはこの薬を飲んで」
レオンは手渡された小瓶を持ったまま困惑した表情を浮かべる。
「毒なんて入ってないわ。さあ」
どうせ放っておけば死んでいた命。彼女が助けたのだから、半分は彼女のものでもあるのかもしれない……彼は自分にそう言い聞かせながら一気に薬を飲み干した。
すると、全身の毛が抜け落ち、小さいながらも逞しかった体は痩せていき、人間の姿に変化してしまった。
「ちょっと! これはどういうこと? 忌々しい人間の姿に変えるなんてっ」
「獣王の姿をしていると命を狙われてしまう。だから、しばらくはその新しい姿で生きるの。なかなか可愛い顔をしているし、私はそっちの方が好みよ」
「そんな……」
「その姿になってみないと見えないこともある。騙されたと思って、生きてみなよ? きっと気がついた頃には人間の姿にも愛着が湧いてるはずだから」
「わかったよ……」
大人になったらすぐに元の姿に戻り、人間たちに復讐する……本心ではそう強く念じながら、レオンは彼女の元で生きることを決めた。
* * *
「どう? 思い出したかしら?」
「ええ。生くべき者を生かす……それがあなたの答えだった。でも、その命が死すべきか生くべきかなんて、他者に過ぎないあなたが勝手に決めるものじゃないと思います!」
「言うようになったわね」
反論してくるレオンを見る師の表情はどこか誇らしげで、まるで成長した彼の姿を喜んでいるようだった。
「確かに、だれが生き残って誰が死ぬべきか。何が正義で何が悪か。正解は絶対的なものじゃないわ。でも、私にはその運命を左右する力が備わっている。だからこそ、私は私の物差しで判断し、正しいと信じたことを行なうの……さあ、昔話もここでお終い。"彼"が来たわよ」
振り返ると、そこには息を切らしふらつきながらも辛うじて立ち、EXカリバーを構えるユウシの姿があった。
「ここから先の物語は、今の時代を生きるあなたたちのもの。無難にハッピーエンドで終わらせるも良し。バッドエンドになったとしても良し。自由に紡いでいくの……楽しみにしているわ」
レオンが再び視線を戻すと、そこには雷神槍だけが岩に突き刺さって落雷を浴びていた。
「幻……? いや、そんなことはどうだっていい。僕は僕が思う正義を貫く。ここで命尽きようと、後悔はないっ!」
ユウシの方へと向き直り、レオンは雷鳴を掻き消す程の咆哮を上げる。
「どうやら間に合ったようだな。俺はお前を全力で止める! 行くぞっ」
2人の若者による、己の正義を賭けた戦いが幕を開けた。