15. マリンとミスティ
朝。昇った太陽の日差しが暗い岩窟の中に射し込み、一日の始まりを告げる。
小鳥の囀りが聞こえない程の奥まった空間で傷を癒す少女にとっては、その微かな明るい光だけが外の気配を感じられる唯一のものであった。
「おはよう、城下町で朝ご飯を買ってきたよ! 一緒に食べよう」
目覚めたばかりの少女のもとへ、もう1人の少女が食事を持って帰って来た。
「朝早くから、ありがとう」
夜中から空腹だったようで、翼に傷を負った魔族の少女は体を起こすと、視界に入ったパンへとすぐに齧り付いた。
「いただきます、忘れてるよ?」
「ごめん、いただきます」
「もう。目の前に美味しいものがあるとそうやって忘れるんだから」
赤髪の少女は溜息をつきながら、小麦の塊を頬張る彼女を青く澄んだ宝石のような瞳で見つめる。
「好物はそうやってすぐに食べちゃうくせに、大好物となると最後までとっておきにする……子どもの頃からその癖は変わらないわね」
親友の説教を聞きながら、無心に新鮮な果実を咀嚼する少女。
「そういうところ、可愛いとは思うけど、今回の敗因でもあるんだから少しは反省してよね?」
「ごほっ」
彼女は不意に言葉で痛いところを突かれて咽せてしまった。
思い返せば、勇者たちと交戦したのはもう5日も前のこと。使えるようになった肉体再生の呪文を自身の体に施し、斬られた角と翼の復活を待ちながら、岩窟の奥に身を隠していた。
「あの時、すぐにとどめを刺していれば……か。何で私にはそれができなかったんだろう。わかんないな」
簡単に決着がついては面白くない、そう思ってとどめを刺すのを勿体ぶった。特に、"大好物"と呼べる程に興味を持っていたユウシという少年をすぐ死なせずに弄ぼうという気持ちになった……
しかし、それらの理由だけでは説明できない何かモヤモヤとしたものが彼女の心に引っかかっていた。
否。厳密には、その気持ちの正体を彼女は半ばわかっていた。
「わかんないけど……あの時の私は何だか、彼らは殺してはいけないと思った。そんな気がする」
「ふーん、要するに"女の勘"が働いたってわけね。確かに、私も木の上から見てたけど、勇者未満の少年も獣王族の末裔君もどっちも殺しちゃうにはもったいないくらいの個性というか、魅力というか、そんなのに満ちてたなぁ」
意外にも自分に同意してくれた親友の顔を驚いた表情で見つめ返すミスティ。
「まずいわ! 食事どころじゃない。今すぐここを出なきゃ」
突然、赤髪の少女は血相を変えて立ち上がり、すぐにでも隠れ家から発てるよう荷物を纏め始めた。
「一体どうしたっていうの、マリン?」
「見張りの土人がやられた。帝国の追手が来てる!」
マリンは土師族と呼ばれる種の魔族であり、魔力によって土を自在に操る能力を持っている。
土師族は総じて葡萄酒のような赤い髪をしているが、それ以外の外見は人間と変わらない。
そして、彼らは魔族でありながら1000年前に勇者たちの活躍の一助となった功績を認められ、子孫の代まで"名誉魔族"として人間社会で生きることを許されてきた。
そのため、現在も帝国内には普通に土師族が暮らしており、マリンも市場で食糧や物品を購入することができていたのだ。
しかし、沼地での戦いで勇者ダフネに姿を見られてしまったため、つい数日前より指名手配されていた。
つまり、店員や警備の兵たちは彼女の存在に気がついていながら敢えて泳がせ、勇者に尾行させていたのだ。
「まだ翼も角も再生してないのに! 救世主のこんな情けない姿、他の魔族たちに見せられない」
「ここで死んでしまったらもっと情けないわよ! 行きましょう」
普段は救世主として他の弱い魔族たちから頼られるミスティだが、本来は角が片方欠けただけで弱気になってしまうようなデリケートな性格をしている。
そんな弱い部分を安心して見せられるのは、幼い頃から共に過ごしてきた親友だけであった。
マリンもミスティも、お互いの弱さを理解した上で補い合いながら、人類が世界を支配する時代を生き抜いてきたのだ。
岩窟の外に出ると、マリンは地面に手をついて土に魔力を注ぎ込む。
「いたぞ! 逃がすな、捕まえろ」
その時、丁度岩山を登って来ていた2人組の勇者たちが彼女らを発見し、EXカリバーの剣身を光らせながら迫って来た。
「追いつけるものなら追いついてみなさい!」
マリンは土馬を生み出して背に跨ると、ミスティを後ろに乗せて岩山を駆け下りて行く。
「さて、今度こそ安全な場所を探して隠れるわよ!」
勇者たちは後を追いかけるが、土馬の速さには到底叶わず逃亡を許してしまった。
そして、2人の魔族の少女は帝国領北部に位置する山の麓の洞穴へと身を隠した。
「ここまで来ればひと安心ね……」
「ありがとう。近頃、マリンに助けられっぱなしだね……え?大丈夫?」
土馬を操りながらの長距離の走行で魔力を使い果たしてしまったようで、マリンは地面に倒れ込んで眠ってしまった。
彼女の寝息を聞いて安堵したミスティは、抱きかかえて洞穴の奥に向かい、平らな場所を探して寝かせた。
「次は私があなたを助ける番。しっかりしなきゃね!」
まだ再生しきっていない角の先端を指で触ると、親友の寝顔を見守りながら魔導姫ミスティはにっこりと微笑んだ。