14. ありのままの姿
激闘の末、角を斬り落とされるという屈辱を味わい激怒した魔導姫ミスティは、沼地ごと勇者たちを凍らせるという最終手段に打って出た。
レオンたちに逃げるよう促すダフネだったが、彼らが逃げ出す間もなく凍結は彼らの足元まで及んでしまう。
「くっ……動けないっ」
ユウシは必死に足を上げようとするが、凍った沼に埋もれて一歩たりとも動かなかった。
「ここは沼地。潤沢な水分が私の味方をしてくれるわ」
もはや彼らに勝ち目はないように思われた。
「さて、放っておいても凍死するだろうけど……"例外君"がいるから、念のためにトドメを刺しておこうかしら?」
川辺で出会った際に息の根を確実に止めなかった結果、生還して再び対峙することとなったユウシ。これまで獲物を殺し損ねたことなどなかった彼女にとっては、目の前にいる勇者未満の少年がその唯一の例外なのだ。
そんな彼を恍惚の眼差しで見つめながら微笑み、ミスティは氷槍の先端を胸へと突き付けた。
「レオン、一体どうなってるの?」
「ダリア、君のことは命に代えても守って見せる」
「足……凍ってるよ? 本当に大丈夫なの? ここで死ぬのは嫌よ!」
一方で目覚めたばかりのダリアは、氷に閉ざされていく景色、体が凍りついて動けなくなっていく父やレオンたち、自分を拐った魔族によって殺されそうになっている見ず知らずの少年……それらをいきなり一度に目にして混乱状態に陥っていた。
「このままだと全員凍死してしまうのも時間の問題だ……ダリア、僕はこの状況を何とか切り抜けられる手段を持っている」
レオンは覚悟を決めた表情でダリアに伝えた。
「けれども、その手段はとても恐ろしいもの。君には見ないで欲しいんだ。僕を信じて、しばらく瞼を閉じていてくれないか?」
「どうして? 何で見ちゃいけないの?」
「時間がもう無いんだ。お願いだよ!」
「だったら私の目なんて気にせずにその手段を使ってよ!」
ダリアは見るなと言うレオンの願いを聞き入れられず、不信感を募らせる。
「まずは、君から……と思ったけど、お楽しみは最後までとっておきたいわね」
2人が揉めていることなど気にも留めず、ミスティは急に気まぐれで勇者ダフネへと標的を変えた。
再び圧倒的有利な状況になったミスティは、このままあっさり勝ってしまっては面白くないと思い始めたのだ。
「思ったよりも苦戦させられて、楽しかったわよ」
ダフネの体は既に肩まで凍り付いており、武器を持つ右手を動かすこともままならない状態だった。
「お父様っ!」
父の危機的状況に、悲鳴に近い声で父を呼ぶダリア。
「このままじゃ、お義父さんが! お願いだ、ダリア」
「わかったわ、その代わり絶対にみんなを助けてね」
父の危機を目の当たりにしたダリアは、レオンの要求を受け入れて瞼を閉じた。
「ありがとう、ダリア」
レオンはまだ動かせる右手で懐から小瓶を取り出すと、中身を一気に飲み干した。
「そう言えば……俺が見逃してただけかもしれないけど、レオンは俺たちにくれた肉体強化薬を飲んでないよな?」
ダフネとユウシがこの沼地まで馬の如き俊足で走って来られたのも、泥に足を取られる地形で何とか動けていたのも、彼が提供した薬の力があったからだった。
しかし、レオンは素の状態で強化済みの彼らと同等の身体能力を発揮していたのだ。
「そうだ。あれが僕の素の身体能力……いや、正確には制御された身体能力だ……そして、これから見せるのが本当の力だ」
彼はダリアをそっと凍り付いた水面の上に座らせると、獰猛な野獣のような唸り声を上げ始めた。
そして、レオンが咆哮を上げると全身の筋肉が肥大化し、服を突き破って隙間なく体毛に覆われた屈強な体が露わになっていく……
髪は獅子の鬣のように逆立って腰まで伸び、両手両足の爪は鋭く尖り、顔貌は狼のように変化した。
「そ、その姿は……」
ダフネとユウシは、レオンが変化したその姿に驚愕した。
「獣王……だと?」
「そんな…ほんの十数年前に勇者によって絶滅した筈じゃあ……」
獣王族。それは、1000年前に"四大貴族"と称される強豪魔族の一角であった。
しかし、彼らは勇者が"量産"される時代になってから悉く討伐され、ユウシが生まれるよりも少し前の時代には絶滅してしまった筈だった。
「まさか、あなたが化けの皮を被った魔族……しかも、四大貴族の末裔だったとはね。正体を見せてくれて嬉しいわ!さあ、一緒に愚かな人間どもを血祭りに上げましょう?」
彼の変身を見て、驚くどころか歓喜するミスティ。
「僕は確かに、獣王族の生き残りだ。だが、君の味方をする気などない。人間の薬師レオンとして、生きていくことを決意したんだ!」
恐ろしい魔族の姿に変貌しても、その声や口調は薬師レオンそのものだった。
「あなた、正気なの? 一族を滅ぼされておきながら、憎き人間に味方すると言うの?」
「可笑しいかい?」
「ええ。同じ魔族として、あなたのことを恥だと思うわ」
ミスティの顔からは嬉しそうな笑みが消え、呆れ返ったような表情でレオンを見下ろす。
「僕は幼い頃に一族を滅ぼされ、たった1人生き残った。人の姿を借りて社会に溶け込むようになったのは、己の身を守りながら復讐の機会を窺うためだった。だけど……」
「人間として周囲を欺き暮らす内に、その娘に出会って心変わりしたってわけか」
種族を超えた恋愛感情と引き換えに復讐心を眠らせたレオンを軽蔑の眼差しで見るミスティ。
「その通りだ。僕は彼女に出会うまで、人間は全て悪だと思っていた……でも、それは違うということに、ダリアのおかげで気付くことができたんだ!」
レオンは凍った地面を蹴割ると、高く跳び上がって氷の拘束から抜け出した。
「だったら、その姿は見なかったことにして、人間として葬ってあげる」
ミスティは氷槍をレオン目掛けて突き出すが、レオンは風の如き速さで回避して彼女の後ろへと回り込むと、鋭い爪で左の翼を切り裂いた。
「きゃああっ!」
あまりの痛みに悲鳴を上げ、翼を片方失ったことで飛行状態を維持できず凍り付いた沼の上へと膝を突くミスティ。
「よくもやってくれたわね……」
彼女は次の攻撃に備えて身構えるが、獣王の姿になったレオンのあまりの速さに対処しきれず、今度はもう片方の翼を引き裂かれてしまう。
「これまで何人もの勇者の命を奪ってきた罪、ここで償ってもらう!」
そのままの勢いで、レオンは魔導姫ミスティにとどめを刺そうと飛びかかる。
「ここは引き時よ!」
すると突然、何者かの声が聞こえると同時に周囲の凍り付いた水面がひび割れ、地中から氷を割って巨大な手が現れた。
土でできたその掌は、ミスティの身体を守るように包み込んでレオンの攻撃を防ぐ。
「くっ!」
頑丈な土の防壁によって爪を弾かれ、その反動で後方へと倒れるレオン。
「出でよ、土巨人っ!」
謎の声に反応するように大地が大きく揺れ動くと、凍土と化した沼底から土の巨人が姿を現した。
その右肩には、声の主と思しき少女が腰掛けている。
「あなたたちとは、近いうちにまた戦うことになりそうね」
謎の少女はそう言い残すと、土巨人を操り、負傷したミスティを連れて地平の彼方へと去って行った。
程なくすると、ミスティたちが敗走したことで魔術が解け、凍り付いていた沼が元に戻った。
ユウシたちの体も氷の呪縛から解放され、自由に身動きが取れるようになった。
「レオン…あなた……」
倒れていたレオンが起き上がると、目の前には開眼したダリアが立っていた。
「今まで、騙してたのね」
彼女は遂に、瞼を開けないという約束を守れず彼の本性を見てしまったのだ。
「違うんだ。騙してなんていない! たとえ僕が人間ではないとしても、君への愛は本物だっ!」
必死に弁明しようとするレオン。
「お父様、早く私を連れて帰って。こんなケダモノの顔なんて、二度と見たくないわ」
しかし、ダリアは全く聞く耳を持たない。
「待てよ!」
そのやり取りを見ていたユウシは、我慢ならずに口を挟んだ。
「レオンの愛情は本物だっ! でなけりゃ、こんな危険な目に遭ってまで助けるわけがないだろ⁉︎」
ユウシは出会って間もない間柄にも関わらず、その僅かな時間の中で彼が如何にダリアを愛しているのかがわかっていた。
出会って間もない命の恩人のため、彼の愛が決して偽りではないということを熱弁するユウシ。
しかし、ダリアは初めて会う赤の他人に説得されている状況が非常に腹立たしい様子であり、冷めた目でユウシを見ていた。
「レオン君。確か、最初は人間に復讐するために我々の社会に紛れたと言っていたが、今は娘のことを真剣に愛している。そのことに嘘偽りはないんだな?」
ダリアと同様にこれまで彼を人間だと思い込んで接してきたダフネは、娘とは対照的に怒りを露わにすることなく、諭すような口調でその愛が本物であるかを問いかける。
「僕の愛は……ダリアへの想いは真実です。これからも彼女のことを命に替えても守ると誓います!」
レオンの目には、大粒の涙が浮かんでいた。
彼の必死の訴えに、ダフネは確信した様子で頷き、娘に自身の想いを伝える。
「ダリア。彼の戦いぶりを見ていて、君への想いが本物であることは私も十分に理解できた。魔族との恋愛であったとしても、そこに真実の愛があるならば私は反対しない。お前が決めなさい」
「お父様……」
ユウシだけでなく、魔族の成敗を生業とする勇者ダフネさえも彼の気持ちに心打たれて味方をする中、ダリアは呆れ返った様子で辛辣な言葉を返した。
「あんたら、馬鹿なの? レオンの想いが本当だったとしても、私が魔族を好きになるなんてことはあり得ないわ。あなたみたいな醜い獣と結ばれるなんて、考えたくもないっ! 気持ち悪いっ! 私は人間としてのあなたが好きだったの。もう顔も見たくないわ……さよなら」
彼らの言葉はどれも、彼女の心には響かなかった。ダリアは確かにレオンの人柄に惹かれていたが、それは彼が人間であることが前提にあったからだ。
ダリアは"元"恋人に背を向けると、ドレスの裾を持ち上げながら解氷した沼地を歩いて去って行った。
「レオン君……娘が、今までお世話になったね。君を傷つけてしまったこと、本当に申し訳ない」
勇者ダフネはレオンに深く詫びてから、急いで娘の後を追った。
「はは、はっはっはっはっ……」
レオンは涙を拭うと、沼地に吹く生暖かい風に黄金の鬣を靡かせながら乾いた笑い声を上げた。
「所詮、人間は人間。魔族は魔族。相容れぬ存在だったということだ。僕は馬鹿だった。魔導姫ミスティの言う通りだったんだ」
正体を明かしたことで愛する者を失った哀れな男は、沈みゆく太陽に向かって咆哮を上げる。
「僕は決めた。獣王族の末裔として、一族を滅した人間を絶滅させる」
「待て! 彼女の愛は君ほど深くなかったかもしれないけど、全ての人間が悪いわけじゃない! それに、帝国に1人牙を剥いたところで殺されてしまうのがオチだ!」
「止めても無駄だ。今はまだ帝国に立ち向かえるだけの力を持っていないが、いずれは"真の獣王"となって必ず人類を滅ぼしに戻って来る。短い間だったが世話になったな……」
「おいっ、レオン!」
制止を振り切り、背を向けたまま沼地を駆け抜けていくレオン。
人の姿を捨て、獣王として生きることを選択した彼は、ユウシの前から姿を消してしまった。
「あいつを止めなきゃ……」
薬の効果が切れて重くなった足取りで、一歩、また一歩と沼を進んでいくユウシ。
人類を彼の手から守るためなのか、彼を勇者帝国から守るためなのかはわからなかった。
ただ、"自分がレオンを止めなければ"という強い使命感だけがユウシを衝き動かしていた。