11. 勇者殺しの魔導姫
夜明けーー鳥の鳴く声が遠くから聞こえる。川面が朝日の光を反射し、冷え切った大地は仄かに暖かさを取り戻していく。
「朝……か」
治療の甲斐あってか、全身の痛みは驚くほどに消えており、ユウシは昨日の怪我がまるで嘘のように立ち上がることができた。
「ユウシ! もう立てるようになったのか? 驚いたよ」
「ありがとう! レオンのおかげですっかり動けるように……つっ!」
早速走ろうとすると足首に痛みが走り、苦しそうな表情を浮かべるユウシ。
「まだ無理しちゃいけないよ」
さすがに完治はしていないが、それでもゆっくりとなら歩けるくらいには回復していた。
「さっきは調子に乗りすぎたみたいだけど、走らなければ何とか都までは辿り着けそうだよ。ありがとう」
荷物を担ぎ身支度をすると、ユウシは帝国城下町を目指して歩き出そうとしたが、すぐに立ち止まった。
「都に戻ったら……そうか、俺は罪を」
東へと足を踏み出し始めた途端、無意識に蓋をしていた記憶が溢れるように甦ったのだ。
これから先待っているのは、勇者として正義のために戦う栄光の未来ではなく、友殺しの十字架を背負って生きていく未来だ。
「どうしたの? 足が痛むのかい?」
「いいや、大丈夫。気にかけてくれてありがとう」
口から出た罪という言葉に敢えて反応を示さなかったであろうレオンに対し、ユウシは平然を装って答えた。
たとえ勇者の身分でなくとも、勇者のように立派に生きている彼のような人物もいる。牢の中で一生を終えることになったとしても、心だけは最期まで勇者のようにありたいと強く願った。
そして、ユウシは己の罪に真正面から向き合う覚悟を決め、再び歩き出した。
「待って! その身体じゃあ、また魔族に襲われるかもしれない。僕もついて行くよ」
まだ身体が万全ではないユウシを心配し、同行を申し出るレオン。
「1人で大丈夫だよ。そこまで親切にされても、仮りを返しきれる自信もないし」
ユウシは出会った瞬間から終始世話になりっぱなしであることに気が引けて、断ろうとする。
「僕も都に用があるんだ。そのついでだったら、一緒に行ってもいいかな?」
「それなら、いいけど…」
結局、レオンが彼の遠慮を押し切る形で共に帝国城下町へと向かうことになった。
「そういえば、レオンが言ってた"魔導姫ミスティ"っていうのは何者なんだ?」
都への道中、ユウシは自分を襲った魔族についてレオンに尋ねた。彼にはその心当たりがあるようなのだ。
「君は聞いたことないかい? 近頃、帝国認定勇者たちが何者かに襲われて立て続けに亡くなっているのを」
「ああ、勿論知ってるよ。しかも犠牲になっているのは無勲章や銅勲章だけじゃなく銀勲章の勇者もだ。みんな死因は様々で、複数の強豪魔族の仕業ではないかというのが帝国の見立てだったはずだけど……」
「死因が様々なのは、"魔導姫ミスティ"が多種多様な魔術を操るからだ。傷痕を見るに、君はどうやら"石"を操る呪文にやられたようだけど、もし他の呪文だったら僕の薬の力で助けられていたかどうか……」
「石にやられたのはまだ幸運だったっていうことか。俺が知っている最近犠牲になった勇者たちの死因は、凍死・焼死・溺死・圧死の4つだった。もしその全てが魔導姫ミスティの仕業なんだとしたら、少なくともあと4つは俺が見ていない呪文があるっていうことになるな」
魔導姫ミスティは、勇者としての実戦経験が皆無に等しいユウシでさえ一目で只者ではないと感じられる程の禍々しい気を放っていた。
あの時、もし自分に生きようという意思があってまともに戦っていたとしてもきっと同じようにやられていただろうーーそう確信する程に、彼女の強さは別格だった。
「レオン。君は勇者ではなさそうだけど、随分と詳しいんだな」
「旅の途中で助けた魔族から教わったんだ。彼らにとって、勇者殺しの魔導姫ミスティは救世主であり、魔族に残された最後の希望なんだとか」
「君は人間だけじゃなくて魔族にも優しいのか?」
「種族なんて関係ないよ。傷ついた者がいれば治療する、それが薬師である僕の役目。師匠がそうしていたように、僕も全ての命を守る存在でありたいんだ」
レオンが語る信念は、ユウシにとって共感できるものであった。
自分と共通する正義観を持つ彼が勇者ではなく薬師をしている。そんな世界で、自分が勇者になれなかったーー否、ならなかったのは当然の結果なのかもしれないと思えた。
「帝国の大人たちは皆、魔族は絶対悪だという認識なんだと思ってた。けれども、レオンの師匠みたいに立派な考え方を持った人もいるんだな」
「僕の師匠は人間じゃないからね」
彼はさらっと信じ難い事実を述べた。
「もしかして、魔族?」
「魔族でもない。自分のことを"超人類"だとか言ってたけれど、イメージで言うと"仙人"っていう表現が一番しっくりくるかな?」
勇者学校では、最低限の薬学知識や医療技術も必修科目に含まれている。
そのため、自分が負った手足が一切動かせなくなる程の重傷がたったの半日で、薬と包帯による応急処置だけでここまで回復したことが、ユウシは不思議で仕方なかった。
だからこそ、それが人間や魔族を超越する存在から授けられた技術なのだという彼の言葉を、ユウシは事実として容易に受け入れることができた。
「見えて来た!数日ぶりの都だ」
話をしていると時間はあっという間に過ぎ、気がつくと森を抜けて帝国城が見える高台まで帰って来ていた。
「そうだ、さっき話したことーー旅の途中で魔族を助けたことは、くれぐれも彼女やお義父さんには内緒だよ?」
「彼女? お義父さん?」
「ああ、僕には婚約者がいるんだ。しかも彼女の父親は帝国にたったの4人しかいない金勲章の勇者だ。もし魔族を助けたことがバレたら結婚が危うくなってしまう」
「びっくりしたよ、まさか婚約者がいたなんて……」
勇者ではないが共通の正義観を持つ若者同士という点で、彼に対する仲間意識のようなものが芽生えていたユウシ。
恋人ができたことのない彼は、婚約者がいることを知り、レオンが急に遠い存在のように感じてしまった。
「驚いたかい? 僕はそんなにモテなさそうに見えるかな…」
レオンは長身で金髪、顔立ちも整っており、言動は紳士的で、知的な印象も漂っている。その上、誰に対しても分け隔てなく優しい。恋人がいない方がかえって不自然な程の絵に描いたような好青年だ。
ユウシには、自分がもし女性だったらあれだけの看病をされた時点で惚れてしまっているだろうとさえ思えるくらいだった。
「レオンって……」
「そんなにまじまじと見られると、なんだか照れるなぁ」
彼はレオンのことをよく観察しているうちに、知的で温和な印象の中にどこか野性的な雰囲気が漂っていることに気付いた。
「レオンって、一見すると"草食系男子"っていう感じなのに、どことなく獅子みたいなワイルドさも備わっているよね」
「そんなこと言われたのは初めてだなぁ。でも、君の言ってることは、実はすごく当たっているかも」
一瞬驚いたような表情を浮かべつつも、笑顔で答えるレオン。
「おおい! レオン君、大変だっ」
すると突然、遠くからレオンを呼ぶ声が聞こえた。
「お義父さん?」
帝国城の方角から走ってきたのは、厳つい顔に屈強な体つきをした壮年の男性だった。綺麗に磨かれ光沢を帯びた鎧を身に纏い、胸には最上級勇者の証である金勲章を輝かせている。
国内にその名を知らぬ者はいない、ルドベキア帝国四天王の1人・ダフネこそがレオンの婚約者の父親だったのだ。
「レオン君! 大変だ、ダリアが拐われた」
「何ですって⁉︎」
「ダリアを拐ったのは、角の生えた魔族の少女だった。名は魔導姫ミスティ。南の沼地で待っている……そう言い残して姿を消してしまった」
「それなら急がなければ! 沼地は足場が不自由な上に、夜になると真っ暗で何も見えなくなってしまいます。まだ空が明るい内に、早く決着をつけに行きましょう!」
婚約者ダリアを魔族にーーしかも勇者殺しの魔導姫ミスティによって誘拐され、先程までの温厚な印象からは想像できないほどに激しく動揺するレオン。
「近頃は実力ある勇者たちが立て続けにやられている。今年の最終試験を見届けに行った銀勲章勇者のローレルでさえ命を落としているのだから、油断ならない」
あの時最終試験の場に試験官が不在だったのは、既に殺害されていたからだった。
「勇者殺しの魔族は未だに正体が掴めていない。複数存在しているという説が有力だが、私は圧倒的な力を持つ単体の魔族の仕業だと思っている。そして、あの少女が勇者殺しである可能性も十分に考えられる……」
最強格の勇者ダフネの視線がユウシへと向く。
「君は……」
ユウシの顔をしばらく見て、彼は何かを確信したような表情を浮かべた。
「一緒に戦ってくれないか?」
「何を言うのです?彼は体が万全の状態ではない上に、まだ勇者候補生だ。勇者殺しの魔導姫相手に敵うはずがない」
ユウシが返事をする間もなくダフネの願い出を拒否するレオン。
「お供なら私が致します! ダリアをこの手で助けてみせる……」
「勿論、レオン君にも来てもらうつもりだ。そして、そこの彼にも」
「何故ですか?」
ユウシを連れて行こうとするダフネに納得がいかないレオン。
「魔導姫ミスティは娘を人質に取り、"自分以外の勇者は連れて来るな"と条件を提示してきた。約束を破ればおそらくダリアは殺されてしまう……だが、それは"勇者以外の仲間なら認める"という意味に解釈することも可能だ。戦力は多いに越したことはない。だからこそ、勇者ではないがEXカリバーを持つ彼にも力を貸して欲しいのだ」
ダフネはユウシを最初から勇者候補生だと知った上で声をかけてきたのだ。
「命の恩人の大切な人の危機なんだ、助けに行かないわけがありません!」
ユウシは二つ返事で彼らと共に戦うことを決意した。